Neetel Inside 文芸新都
表紙

僕たちは恋してない
Four Feelings For you(17) -a Sequel-

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 その居酒屋の中は、いつになく賑わっていた。
 和風の佇まいをしたチェーン店。奥の座敷を占領しているグループは、みな二十代中ごろの若者だ。彼らは思い出話に花を咲かせたり、童心に返ったようにバカ騒ぎを繰り返したりしている。
 それは本当に、ごく普通の同窓会だった。
 十月の終わり。母校の文化祭にかこつけて集まった面々は思い思いに酒を煽り、日ごろの鬱憤を晴らすかのごとく声を張り上げている。
 そんな若者たちの中に、清春聡志の姿もあった。
 彼もまたビールのジョッキ片手に、旧友と昔話に酔いしれている。
 その席に何気ない様子で――しかし確かに緊張を含んだ足取りで、近づいていく青年がいた。
 その青年は聡志に気付かれないギリギリの距離で足を止め、一度軽く息を吐くと、勇気を振り絞って声を上げた。
「よう、久しぶりだな」
 聡志の肩をポンと叩き、隣に腰を下ろした彼の顔を見て、聡志は目を丸くする。
「お、おおお、お前!」
 記憶の中の姿より幾分髪は伸び、顔立ちも大人になってはいたものの、その青年は間違いなく聡志のよく知る人物――秋川修二だった。
「バーカ。なにそんなに驚いてんだよ」
 しれっとした顔で言う修二に、聡志は思わず詰め寄った。
「そりゃ驚くさ! だってお前……顔合わせるの、何年ぶりだよ!」
「卒業からだから五……いや、六年か? 早いなぁ」
 そう言いながら遠い目をする修二からは、高校時代のような短挙さは感じられない。彼は大人になっていた。それはもちろん、同じ年月を重ねた聡志自身にも言えることだが。
 六年という時間は、とても短いと言える長さではない。当時十七だった彼らがともに過ごした時間は、たった一年きりだったのだから。
 先ほどまで聡志と会話をしていた青年は、いつの間にやら席を移動してしまったらしい。騒ぎからほんの少しだけ離れた端のテーブルで、聡志はグラスを傾ける修二を奇妙な心地で眺めながら、
「っていうか久しぶりなのはさ、お前がこういう同窓会とかの集まりを露骨にすっぽかしてたからじゃないか。里中から聞いたぞ、お前何年か前のとき、『清春は来るのか? アイツが来るなら俺は行かない』とか言ったらしいじゃないか」
 そう愚痴のようにこぼす。
 里中とは聡志の元クラスメイトで、修二と同じサッカー部だった。いわゆる仕切り屋なタイプで、同窓会とまでいかない飲み会の幹事をよく行っていた人間だ。
 咎められたような気分になったのか、修二はふてくされたような顔で言う。
「俺にはな、心の準備ってもんが必要だったんだよ」
 心臓に毛が生えたようなお前と違ってな、と続けて、恥ずかしそうに顔を背けてしまった。
「心の準備って、何のためにだよ?」
「……お前やナツキと顔を合わせる準備」
「六年もか?」
 聡志は呆れたようにため息を吐くが、修二の声は真剣だ。
「そう、六年も。っていうかな、時間じゃないんだよ。ちゃんとした結論が出るまでは、やっぱり会える気がしなかった」
「結論?」
 しつこく疑問符を浮かべる聡志の手元を、修二は指差す。
 指された先――左手の薬指には、真新しい指輪が収まっている。やっと納得した様子で「ああ」と呟いた聡志は、少し意地悪く笑った。
「そういえばお前、招待状送ったのに式来なかっただろ。夏希、残念がってたぞ?」
 それを聞いて、修二は本日一際の嫌な顔をした。
「勘弁してくれよ……ユキ経由で親から招待状受け取ったときは、本当に何の嫌がらせかと思ったんだ」
「そんなんじゃないって。ただ俺も夏希も、古い友達と会いたかっただけさ」
 友達。不意に漏れたその言葉を噛み締めるような沈黙が、二人の間に流れる。
 あの頃、聡志は四人の関係を持続させるために、修二は夏希が好む人間を無碍にできなかったがために。暗黙の了解のもと、偽りの友人関係を結んだ。
 それは今思えば、聡志と美冬、夏希と修二の付き合い方にも増して奇妙な関係だったといえる。
 それでも今、同じ席で、彼らはそれを笑い話として酒の肴にできていた。
 完全に割り切れたわけでも、相手の全てを許せたわけでもなかったとしても。
「携帯で撮ったのでいいなら写真あるけど、見るか?」
 何事もなかったかのように、聡志は軽い言葉で沈黙を破った。
「バカ言え。こんなところで男の泣き顔見たいのかお前は」
 うそぶいてそっぽを向いた修二は、ふと気付いた顔で聞き返す。
「そういえば、ユキは元気でやってるのか?」
「ああ、よく夏希とは遊んでるみたいだし、たまにうちにも顔出すよ。……っていうか、雪崎とも顔合わせてないのか?」
「大学も別だったし……特に機会も無いしな」
 聡志は心底呆れたような顔をする。
「あー……じゃあ、アレももしかして知らない?」
「アレ?」
「驚くなよ? なんと来年……雪崎のやつ、結婚するんだ」
 聞いて一瞬、修二の息が止まる。
 しかし、それだけだった。修二は聡志から目を逸らし正面を向いて、酒で口を湿らせてから、
「へぇ」
 そう一言だけ漏らした。
「なんだよ、つまんない反応だな。俺は腰抜かすかと思うほど驚いたのに」
 残念そうにため息を吐く聡志もまた、ジョッキを煽る。
「相手は?」
「会社の同期だってさ。向こうから言い寄られたらしい」
「ふーん、まぁそれはそうだろうなぁ」
 気のない返事を返しながら、修二は自分が驚いていないことに驚いていた。
 雪崎美冬が当時好きだった人間を、修二は知っていたというのに。
 思い出す。あの、四人で会った最後の日。好きだった人が、自分から去って行ったあの日。

   ●

 自分の恋人だった人――まだ好きで仕方ない人が、他の男と感極まったように抱き合っている。
 それを目の前にして、秋川修二は呆然と立ち尽くしていた。いや、そうすることしかできずにいた。
 被害者といってもいい立場であるはずの修二が、声を出して邪魔することさえはばかってしまう程、二人が想い合っているという事実はとても強く伝わってくる。
 納得などいくはずもない。許すことなどもっとできるはずがない。それでも、もうどうにもならないことだけは分かる。これで、正しい所に落ち着いたのだと、それがどうしようもなく理解できてしまう。
 ただ、空虚だった。とても大事で、とても大きいものがあったはずの場所が、丸ごと空っぽになってしまったような感覚。
(ああ、これが失恋ってやつか)
 静かにそう思った彼に、一人の少女が近づいてくる。
 彼女――雪崎美冬は修二の横に立つと、少し顔を俯けて、
「結構、キツいね」
 苦笑交じりにそう溢した。
 修二は横目で美冬を見る。演技や同情で言っているようには聞こえない。
「……そうだな」
 返事はするものの、修二には分かっていなかった。美冬が誰を好きなのか、何を思ってそんなことを言ったのか。そんなものを気にする余裕は彼には無かった。
 視線を戻せば、まだ抱き合っている二人。そこだけ時間が止まってしまったかのように、二人は微動だにしていない。
 そんな場所に居続けることは、彼にとって苦痛以外の何でもない。
(帰ろう)
 何も言わずに踵を返そうとしたその瞬間、美冬がまた彼を呼びとめる。
「あのさ。元気、出してね」
「……は?」
 それは彼にとって、全く予想外の言葉だった。確定とはいかないまでも、おそらく美冬は聡志と組んで自分たちの仲を邪魔していたのだ。なら、こうなることを望んでいたのではないのか。ざまぁみろと言われることはあっても、励ましの言葉をかける義理なんて在りはしないのではないのか。
 動揺から出た半笑いで、修二は美冬に問う。
「なんだ? どういうことだよ。嫌味で言ってるのか?」
「違うよ、そんなんじゃない。だってシュウくんは、ちゃんとナツキちゃんに『恋』していたでしょう?」
「ちゃんとって……」
 意味が分からないと首を傾げる修二に、美冬は目線だけを抱き合う二人に向ける。
「逆に聞くけど、シュウくんはアレが普通だと思うの?」
 美冬の表情は真剣だった。そして、彼女が聡志たちを本気で祝福してはいないことに、ようやく修二は気付く。
「シュウくんのことは好き。だけど、清春君と『一緒にいないでなんていられない』なんて。それは、清春君のことが好きだから出た言葉なのかな? ナツキちゃんの中にある気持ちは、本当に恋なのかな?」
「そんなの……そりゃあ、そうだろ。そうじゃないってんなら、一体なんだっていうんだよ」
「妄執……だと私は思う」
「妄執?」
 聞き慣れない言葉に、修二は首を傾げる。
「考えてみたら、清春君がナツキちゃんを好きな理由だって私は聞いたことが無い。聞いたのは、『幼馴染』で『ずっと一緒』だったから。シュウくんが現れて、ナツキちゃんと付き合い始めて、危機感を覚えたからってことだけ。それは何に対する危機感なの? ナツキちゃんが自分と『一緒にいられない』ことにでしょう。それって、ナツキちゃんと同じ価値観だってことなんだと思う」
 理由もない。根拠もない。だが、その強迫観念のような感情に追い立てられるように、相手のことを求め続ける。
 それは、決して恋なんかじゃないと美冬は言った。
 美冬は聡志と夏希から目を離すと、修二の横を通り過ぎて公園の出口へと歩を進める。修二は最後にちらりとだけ二人を振り返り、美冬の後に続いた。
「それでも……恋じゃなくても、その気持ちは異常なくらい強い。本当になりふり構わないで、相手以外はどうなってもいいなんていう気持ち、普通は持てない。そんな恋愛、普通はできない。だから……同じ価値観を持っていた二人だったから、あの二人はお互い以外を選べなかった」
 悲しそうに目を伏せる美冬。
 美冬がそれに気付いたのは、聡志から告白をすると告げられた時だった。自分や修二にはなくて、聡志と夏希が持っていたもの。相手が『いなくてはならない』という強過ぎるほどの執着を、修二はもとより美冬も持ち合わせてはいなかったのだ。
 修二が後ろから訊ねる。
「お前は?」
「え?」
「ユキは本当に、『恋』をしてたのか?」
 足を止めないまま、美冬は交互に前に出る自分のつま先を見つめ続ける。しばらくして、はっきりとした口調で彼女は答えた。
「してたよ。本当に、好きだった」
 大切なものを愛でるような手つきで、美冬は自分の胸に手を置く。
「だから――ナツキちゃんがどうしようもなくて選んだことだから、私はそれが正しくないと思っても、全部受け入れることにしたんだから」
 美冬があっさりと溢した事実に、修二は後ろで驚きに目を見開いていた。しかし、その驚きはすぐに納得へ変わる。美冬と聡志が好き合っているようになど、聡志に言われるまでもなく修二には見えていなかった。だからこそ、修二は聡志をあれほど警戒していたのだ。
 なら、美冬が夏希と聡志のためにここまでする理由。望まない仲立ちをする理由なんて、確かにそれしかない。
「そ……っか。そりゃあキツいよな」
 頭を掻きながら、修二はようやく表情を崩す。
「じゃあお前もさ、元気出せよな」
 少し早足で美冬の隣に並んで、修二は彼女の頭をポンとはたいた。
 ぱっと美冬が振り向いた時には、修二はすでに一歩離れている。
 腐れ縁の相手。お互いに関心がないのに、縁だけが付かず離れず切れずにいた相手。そんな相手に今更、今だけ優しくしたところで、それは結局幼なじみの真似事だ。
 だから修二が見せたそれは、優しさに見えないギリギリの、彼の精一杯の同情だった。

   ●

「……ふぅ」
 居酒屋から出て、修二は一つ息を吐く。
 その息が白く染まるまではいかないまでも、秋も終わりに近い夜の空気はそれなりに冷たく、酒に熱くなった肌を心地よく撫でてゆく。
 顔を少し横に向ければ、先に店を出た旧友たちがいくつかのグループに分かれて雑談を交わしていた。未だ話し足りない様子で、二次会への出発を心待ちにしているようだ。
「お前はどうすんの、二次会行く?」
 後ろでのれんをくぐった聡志に向き直り、修二は首を横に振る。
「久しぶりに飲み過ぎたみたいだ。変に酔っぱらう前に退散するさ」
「……そっか」
 変に食い下がることもなく、聡志は友人たちの方へ足を向けた。
「じゃあ、またな。次もちゃんと参加しろよ」
「……なあ!」
 その背中に、修二は思い切って声をかける。
「ん?」
「あ、いや……」
 振り返った聡志に、すぐに言葉を返せない修二。
 何を言おうか逡巡しているわけではない。それは単純に、聞こうとしていることに対する気恥ずかしさだった。
「なんだよ、言いたいことがあるなら言えよ」
 聡志の言葉に背中を押され、酔いの勢いも手伝って、修二は意を決して顔を上げた。
「今……幸せか?」
 一瞬面食らったような顔をした後、顔を少し赤くして、それでも聡志は笑顔で答える。
「ああ、もちろん!」
 修二は踵を返し、聡志は二次会へと向かう。
 夜道を歩く修二の足取りは、行きとは比べ物にならない程に軽かった。
 それは彼がきっと、ようやく大人になれたから。
 子供だったあの頃。恋だとか妄執だとか、把握しきれない気持ちを理解できる言葉で括ってしまおうとしたあの頃。
 今だから解る。感情は、気持ちは、心は、常に玉虫色で定まることなどない。永遠不変の気持ちなんて存在しない。同じに見えるものでも、それはきっと昨日と違う、今日の『感情』なのだ。それを似ている言葉で定義づけて、自分を納得させたかった。
 認められなかったんじゃない、その時の価値観では認めたくなかったというだけの話。
 聡志と夏希の感情はあまりにも純粋に貪欲で、自分のために真っ直ぐだった。そのベクトルが互いに向いていて、それが互いのために最も正しいとさえ感じられてしまった。
 認められないはずのそれが、どうしても自分には持てなかったそれが――
「もしかしたら、愛ってやつなのかも……なんてな」

 彼は笑う。気恥ずかしそうに。
 それは、ただの言葉遊びでしかないと判っていても。
 そうであればいいと、今は確かに願えるのだから。

       

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Neetsha