Neetel Inside 文芸新都
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 口からその言葉が飛び出た一瞬後、僕の提案は、かなり的外れなものだと気付いた。言ったことを後悔した。
 きっと困ったように笑ってやわらかに遠慮されるか、軽く受け流された後にそれとなく受け入れられるか。どちらにしても笑ってかわされるのだと、そう思っていた。
 しかし、その言葉を聞いたときの会長の顔は想像していたどの顔とも違ったのだ。
「え、えええ!……うん、え、ホントに?」
 なんでそんな事くらいでうろたえるんだろう、と僕のほうが及び腰になってしまうほど会長は戸惑いを隠せない様子で、いつもは見せないほど挙動がおかしかった。顔が赤いと感じたのは、僕の勘違いだろうか?
「そ、そんな大した事じゃないでしょう? 生徒会役員以外なら、会長を他の呼び方する人なんて大勢いるんじゃないですか?」
 フォローのつもりで声をかけた言葉も、会長には届いているのかいないのか。なんか頬に手を当ててみたりしている。年上の女の人にこんな感想を抱くのは失礼なのかもしれないが、素直にかわいいと思った。
「いやーあのね、最近は先生もクラスメイトも会長とかふざけて呼ぶし、なんか知らない子から同級生なのに敬語で話しかけられたりするし、バレンタインには机の上にチョコが届くし、もう普通の先輩後輩扱いなんて凄い久しぶりなんだよ」
 最後のたとえは何か違うような気がしたが、先生はともかく同級生にまで敬語やら会長と呼ばれるのは確かにちょっと凹むかもしれないと思う。これも有名人ならではの悩みなのだろう。
「そういうもんなんですか……大変なんですね」
「大変なんですよ。もう、最初同級生に敬語使われて接された時はどうしようかと思った。弓道部やってた時の後輩もすごかったけど、生徒会長始めたら人数がどんどん増えて、なんか今じゃあもう慣れちゃったけどね」
 困ったように、はにかむように笑った。不思議な感じだった。いつもきりっとして、しっかりして、みんなをまとめて、一部の隙もほころびも無いと思っていた人が、こうやって不意に僕の前で愚痴をもらしている。
 だから、自然に口をついた。
「今みたいに笑ってた方が、織原先輩は親しみやすいと思いますよ」
「え?」
 先輩は驚くように僕を見た。
「今まで立場のある仕事が多かったから、人前じゃあ結構肩肘張ってたんじゃないですか? そんなことも僕たちには分からないくらい自然だったけど、でもだからこそ誰もその事に気付いて、そこから先に踏み込んできてくれる人がいなかった」
 人の事を知ったかぶりで語るなんて、なんておこがましいんだと思う。
 でも、その時はそれがいい事だと信じた。この、実は不器用で自分を出したくてたまらない人を、ちょっとでも後押ししてあげたかった。
「今みたいに愚痴でもこぼして、誰かに甘えてみたらいいんですよ。友達でも後輩でも、信頼できる先生でもいい。先輩を嫌いな人なんていないんです。誰にでも今みたいな笑いで接したら、すぐに対応なんて変わってくるものです」
 しばらくの間、沈黙が生徒会室を包み込んだ。
 僕が言ったのは、何の根拠の無いセリフだ。僕には先輩の支えてきたものの重さも抱えてきたストレスのきつさも分からない。
 でも、いつも見上げてばかりで手を伸ばすことにも諦めていた僕が、自分から何かしたいと思った、言いたいと思った言葉だったから。
 だから、さっきのような後悔はない。
 流石に気恥ずかしくなって顔を背けたとき、上から声がした。
「なんか……ありがとう」
「え?」
 今度は僕が驚いた顔を見せる番のようだ。見上げると先輩は、赤く染まり始めた空が見える窓をバックに、さっき見せたはにかんだような笑顔で笑っていた。
「ちょっと愚痴っちゃった時は、変な話だけど幻滅されるかと思った」
「幻滅って、何にですか?」
「うん、ほら、高崎君も言ってたけど、私って今まで結構真面目にやってきたつもりだったんだ。生徒会長とか、そういうの。自分で言うのも変だけどね」
 先輩は近くの机に寄りかかるように腰掛ける。
「しかもさ、今まで話しかけてなかったからって言ってこっちから話し振った私の方が愚痴なんて、なんか違うでしょ」
「そんなことないと思いますけど。少なくとも、僕は今日色々話せてよかったと思ってますよ。幻滅なんて全然してないです」
「いや、そう言ってくれるのは嬉しいけど、今日のはちょっと私的に反省」
 先輩は僕の視線を外すように外を見た。思い返すと、先輩の方から目を逸らしたのはこれが初めてのような気がする。
「でも……だからこそ、ありがとう。高崎君の言ってくれたこと聞いて、ちょっと楽になれた気がするから」
 それだけ言うと、先輩は机から降りて会長席の方へ歩く。もう僕の方へは振り返ることもない。
 そしてもう一度目を合わせたときに立っていたのは、いつもの毅然とした『会長』に戻っていた。
「もう遅いし、みんなには直接帰るようにメール回して、こっちも引き上げましょう」
 鞄を持って立ち上がる。
「それじゃあまた明日、よろしくね。高崎君」
 会長の声に答えて荷物をまとめながら、僕はもっと『先輩』を見てみたいと考えていた。
 今日たまたま見ることのできた、いつもの会長と違う顔。偶然だという事実も見ないフリをして、自分だけが見たという事に自惚れていた。
 今まで抱いていた憧れが、恋に変わった気がしたんだ。なんの根拠も裏付けもない、ちょっとした会長の愚痴を聞いただけのくせに。
 自分が抱いた感情は、恋なのだと。

 そんな勘違いをしていた。

       

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