Neetel Inside 文芸新都
表紙

僕たちは恋してない
No believe(1)

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 憧れという感情は、『好き』というのとは違う。
 違わなくては困る。
 好き――好意というものは、手の届くもの、自分と同列の人間に対して起きるものだ。俗物的な言い方になってしまうが、『自分と付き合える可能性が万に一つでもある人間』に対して起こるものだ。
 憧れは違う。あれは天の上に人間に、手を伸ばすのを諦めて、眺めることしかできないのをよしとする人間がすることなのだ。
 だから、これは恋ではない。
 そうでなくては困るのだ。


 パソコンのキーボードを打つ音だけが響く生徒会室の中には、その日僕と会長の二人しかいなかった。
 生徒会専属でやっている学生で、しかも真面目に出ているというと、実はその数はかなり限られてくる。
 高校での活動の一環としてやりがいのある事を探して生徒会に参加している人たちは、大抵部活動との二束のわらじでやっていることが多い。行事の無いときは暇……というわけではないが、やはりどうしても時期で忙しさにむらがある生徒会だけでは物足りない、という人もいるのだろう。
 あとは、まぁ委員会に入りたくなくてあぶれていた人達が数合わせで生徒会になった。という連中だ。義務的に生徒会室に来て、言われたことだけやって、そそくさと帰る。中には全く出てこないヤツまでいる。まぁそういう連中は来たら来たで邪魔なだけなのだが……。
 そんなわけで、生徒会専属である数少ない人間――まぁ言うまでもなく僕と会長の事なのだが――は行事前などはもうひたすらに忙しいわけだ。
 部活をやっている人たちは、行事前だからといってこちらにかかりきりにはなれない。今やっている作業は再来週に迫っている文化祭の、各団体から届いた施設使用許可書の整理だが、こういった団体に部活単位で参加していると、そちらに人手を取られてしまうのはよくあることだ。
 部活動は上下社会だから、こちらが無下に口を出しても、彼らの立場を貶めて後々エラいことになる。
 二年生にもなって大体周りのそういう事情が見えてくると、こういった忙しさに文句を口に出すことも少なくなる。諦めているとも言うが……。
 目の前にある書記用の型遅れのパソコンは、もうワープロ機能くらいしかろくに使えない、この部屋一の古株だ。去年新調した会長用の新型とは比べ物にならない操作性の悪さに悪戦苦闘しながらも、僕は飲食店系の出し物の書類をようやくまとめ終え、大きく伸びをした。
 久しぶりにパソコンから目を離した気がする。
 窓の外に目をやると、もう空が赤くなっていた。昼間にはほとんど日の光の入らない西向きの部屋に、疲れ目には痛いくらいの光が差し込んでいる。
 チカチカする視界が少し面白くてそのままぼーっとしていると、同じようにパソコンから目を離した会長がこちらに話しかけてきた。
「高崎くん」
 生徒会室に一台だけある教師用の机、一番窓際にあるそこに座った会長の顔はこちらから見ると凄い逆光でその表情どころか、顔の凹凸すら良く見えなくて、僕は目を細めてまま向き直った。
「大丈夫、疲れたんじゃない?」
「あ、いや大丈夫です。すいません、ぼーっとしてました」
「はは、そっか。ならいいんだけど。キリがいいところなら今日はここまでにしようか。思ってたより遅くなっちゃったみたいだし」
 僕の視線を追うように外を見ながら言う。
 窓の方に向けられた顔はやはり逆行の制でよく見えなかったが、背中にかかるほど伸ばした黒髪に夕日が嫌というほど反射していて、それが一枚の絵画のようだと僕は思った。
 まぁ、もちろんそんな事は口が裂けても言わないわけだが。
「そうですね。じゃあ今日はこれで上がりって事で。生徒会室の鍵は今日誰が借りてましたっけ?」
「ああ、それは福原君だったけど、部活行く前に私が預かっておいたから大丈夫」
 ポケットから鍵を取り出し、僕に見せるようにして言う。福原というのは部活組の二年生だ。
「そうですか、じゃあそっちはお願いします」
 まさか一緒に帰るなどという事になると困ると思い、僕はすばやく目の前のパソコンを操作し、立ち上がっているワードなどのアプリケーションのウインドゥを消した。
 たとえ別々に学校を出たとしても、時間が近いと駅までの道ではそばを歩くことになりそれも気まずい。
「それじゃ、僕はこれで」
 パソコンの電源を落とし、ディスプレイのスイッチが切れたのを確認すると、僕は傍らにおいてあったカバンを取って立ち上がった。
「うん、それじゃあまた明日」
 この時になって、僕はようやく自分の焦りが杞憂だったことに気付いた。
 挨拶ははっきりとするが、その後会長が立ち上がる様子は無い。荷物をまとめる素振りすら見せない。
 生徒会室を出る前にもう一度会長の方を振り返ると、再び画面に向かって何かを打ち込んでいた。こちらには疲れたのを見越したように帰るよう促したくせに。
 そういう人なのだ。
 自分だけ無理をする。他人を何気なく気遣いながら。まるで当たり前のように一番辛い役どころを肩代わりする。
「それじゃあ、失礼します」
 それだけしか言わず、僕はできるだけ静かに扉を閉めた。
 そこで何か一言、声をかけるような間柄ではない。ただの先輩後輩、生徒会の業務に関する事務的な話題以外で話したこともない。そんな自分が気遣っていいわけがない。
 下駄箱までの道を歩きながら、僕は罪悪感でいっぱいだった。
 そんなことを感じる必要など無いのに。
 同級生の役員だったら、友人だったら、上手いことが言えただろうか?
 上手く会長を促して、「無理しないで帰りなよ」とでも言えたのだろうか?
 無理だ。彼女はそんなことで動く人ではない。
 足を速めた。せめて会長の視界から、みっともない僕を消したかった。自分が情けない。憧れが強くなるほど、日々を重ねるほど、その気持ちは強くなる。
 まるで、自分で自分を縛り付けるように自虐的な痛みに酔っているのを自覚しているのに。

     

 織原姿子の名前は、僕が入学してきた時にはすでに学校の有名人だった。
 当時『しなこ』は無いだろう、と思った僕の疑問は当然だったようで、クラスのその筋に詳しいヤツらはみんなその由来を知っていた。曾祖母の名前を与えられたらしいとの事だが、こういう情報は誰が聞いて誰が広めてるんだろうね? どっちもかなり悪趣味だと思う。
 そも、彼女が最初に人の目を集めたのは入学式で生徒総代だったからだと言う。
 まぁ、うちの学校は学区内ではそれなりに高い位置にあるが、総代を読んだからといって普通はそこまで有名になるわけでもない。
 問題だったのはやはりと言うべきか、その外見である。
 背中に届くまで伸ばした洗うのが面倒そうな髪は絹糸のようになめらかで、切れ長の目と高い身長、ほっそりとして整ったプロポーション。どれをとっても大和撫子以外に適切な表現が見当たらない存在だったのだ。
 それがいきなり入部した弓道部で、一流の腕前を見せてしまった。まぁそれは多少誇張されていて、それなりの経験者だったのが大げさにされたらしいのだが、それでもイメージを定着されるのに一役買ったのは間違いない。
 かくして、品行方正・頭脳明晰・容姿端麗・運動神経も申し分ないという完璧超人・織原姿子の名前は入学式から一ヶ月もしないうちにほぼ全校に広まったというわけだ。

「うそっぽー」
「嘘じゃねーっつーの! 俺が弓道部の先輩から聞いたんだから間違いねー!」
 いわゆる『その筋の人』の一人、友人の福原晴彦は机をぶったたきそうな勢いで頭を振りかぶって大声で叫んだ。そう、昨日生徒会の鍵を借りていたあの福原君である。
「言っとくけどな、俺やお前なんかよりもっと昔からあの人にぶつかってる先輩だぜ? 傷の多さも知識の量も桁違いなんだからな、信憑性については絶対なの!」
 何度もぶつかってるというのは何度も断られているってことでは?
 それでも知識が多いってのは、もうその人ストーカーでは?
 それを自慢するのはいかがなものかと思いますよ、僕は。
「っていうか、僕をお前らみたいなのと一緒にするなよな。会長がどうしてあんなに有名なのかを聞いただけで、別に会長のこと好きとかそんなんじゃないんだから……」
「は、違うの?」
 心底驚いたように福原は言う。なんでやねんと突っ込みたかったがまるでこたえなさそうなので止めた。
「お前、まだ二年生なのに生徒会一本じゃん? 絶対会長狙いでそんなことしてるんだと思ってたんだけど」
「馬鹿言うな、ただ部活に興味無かっただけだろ。なんでもかんでも恋愛に結びつけるなよ。大体、時期会長候補のお前がいまだに部活やってる方が問題アリなんじゃないのか?」
「俺はいいんだよ、ちゃんと両立できてるんだから。会長だってそうだったろ?」
「まぁな……」
 なんとこの福原という男。こんないい加減な風体をクラスでは見せているくせに、会長によく見られたいというだけで生徒会の仕事をバンバンこなす。しかも、会長が二年生までやっていた弓道部に素人同然で入学と同時に入部、今は県大会ベスト16の腕前である。
 クラスの中でも特定の友人以外にはおちゃらけた部分を見せないため、生徒会の連中などは二年も付き合っているのに、福原が会長に推されているのを誰も疑問に思わない。実力が伴っているからだ。恋愛をパワーに変えるという言葉を地で行っている男なのだ。
 実際、素直に羨ましかった。僕にはここまで何かのために行動することなどできない。
 織原姿子という人に一目惚れして、何も知らない弓道を初め、生徒会の仕事も熱心にこなして、それで福原には何が残るのだろう。
 先ほどの言葉が頭をかすめた。
『傷の多さも知識の量も桁違いなんだからな――』
 福原はもう、一度でも告白したのだろうか。傷を負ったことがあるのだろうか。
「そういえばさ」
 黙っていた僕のことを気にもかけず、福原は話題を変えて話を続けてきた。
「今度の文化祭が終わったら会長も引退だろ? 俺らで送別会みたいなのぱーっとやろうと思ってんだけどどうよ? 文化祭の打ち上げも兼ねて盛大にさ」
「いいんじゃないか、っていうか反対する人なんかいないだろ」
 福原はニカッと笑って、
「だよなー」
 と嬉しそうに言った。自分の好きな人が回りに好かれているというのは、そんなに嬉しいものなのだろうか。
「じゃあそっちの件は、他の一・二年にも俺から話しておくな」
「最近は僕の方が生徒会室にいる時間長いんだし、見かけたらこっちからも言っておこうか?」
「あーそうだな、今日は俺も一日生徒会のつもりだけど、そん時はよろしく」
 昼休みの終わりが近づいているのもあって、キリのいいところで会話を切り上げて福原は自分の席に戻っていった。
 あいつと話すのは楽しい、ふざけたところもあるが、明るく活発で人を惹きつける何かがある。次期会長に推されているのだって単に仕事ができるだけではないと思っている。本人には口が裂けてもいえないが。
 正直、辛い時もある。福原は『恋』をすることにとてもまっすぐだ。捻くれた自分にはできない、自分の気持ちを人にぶつけることだってあいつは事も無げにやってのけるだろう。
 そう、自分にはできない。告白することなど考えられない。その事に対する言い訳を常に求めている。
 その言い訳を作るのに、織原姿子は都合が良すぎたのだ。
 そうして、僕はまた人のせいにするのだ。今日もまた嬉々として、生徒会室に足を運ぶくせに。

     

 その日、生徒会室には福原と一緒に顔を出した。同じクラスだし、それはよくあることだ。うちのクラスにはもう一人女子の生徒会役員がいるのだが、それは前にも言った数合わせで配属しているような人なので、生徒会室で顔を見たこともない。
 生徒会室の中にいたのは、一年生が数人と二年生が一人。三年生である会長の姿は見えなかった。
「あれー、会長いねーの?」
 福原の上げた声にはっとする。思わず目で探していたこと、いないと分かった時に少しがっかりしたこと、そんなどうでもいいことを責められたような気持ちになった。いかん、これじゃあまるで被害妄想だ……。
「あ、はい。さっきちょっと顔出して、今日は遅くなるっておっしゃってましたよ」
「マジで、じゃあちょっとみんな集まって。少し話があるんだけどさ」
 そういうと福原は今いるメンバーを集めて、昼休みに話していた会長の送別会の話を始めた。
 やはりというべきか、反対するものなどいなかったようで、段取りは順調に進んでいるようだ。
 そもそも、この時期に三年生の生徒会長がまだ仕事をしているのが不自然なのだ。普通三年生は、受験のために夏休み前に引継ぎの大体を済ませ、引退していく。それがどういうわけか、織原姿子は次の会長選まではと、未だに生徒会室でその敏腕を振るっているのである。
 例年であればこの文化祭は、今まで引っ張ってくれていた三年生不在で行わなければいけない最初の行事として、新生徒会の登竜門とも言うべき行事なのだが、そういう意味で僕たちはだいぶ楽をしていた。
 会長に感謝こそすれ、不満を持っている人など生徒会には誰もいないのである。
「んじゃ、とりあえず今いない人には後で適当に言っておいて」
「はーい」
「分かりました」
「それから、この事はくれぐれも会長には内緒にしとけよー。こういうのはサプライズだから面白いんだからな!」
「分かってますよー」
 送別会の打ち合わせが終わると、各々が仕事に戻る。二週間前とまだ余裕があるとはいえ、今は文化祭の前で忙しい時期だ。書類の不備を言いに各団体へ赴くもの、僕のように書類をまとめるもの、福原のようなまとめ役は各団体へ出し物の準備の進行状況を確認しに、学校中を回らなければならない時もある。
 バタバタした設営や放送、プリントの印刷など、実際に施設へ足を運ばなければならない仕事の多い直前に備えて、少しでも書類仕事を減らさなければならない時期なのだ。
「みんな、お疲れ様。遅くなって悪いわね」
 会長が生徒会室に来たのは、そろそろ空が赤くなり始めようという頃だった。ちょうど福原は席を外しているようで、僕は彼の不幸さに手を合わせておいた。
「どうしたの、高崎君? 神妙な顔して」
「いえ、別に」
「今日は仕事、どのぐらいまで進んだ?」
「施設使用届けの方は締め切りもまだなんで、やっぱりできることは限られちゃいますね。例年みたいに途中で頓挫するグループが無いかどうか今日も福原が見に行ってくれてますけど、怪しいのがいくつかあるんでそれはこっちにまとめておきました」
 クリップ止めしたプリントの束を会長に手渡す。
「ありがと、じゃあこっちは私が確認しておくね」
 それだけ言うと、会長は手にしたプリントに目を落としながら会長席に戻っていった。
 ため息を一つ吐き出す。今日の会話は多分これで終わりだろう。
 結局は自分から何かしない限り何も変わらない。そんな事は分かってる。でも何もすることができないのは、これが憧れだからだ。手の届かない人、それを自覚している。背も低く、顔も並、取り得も特技も何も無いこんな自分では、どうしようもないと理解している。
 書記という職を選んだのは本当によかったと思う。会議などの時は記録のためにあまり発言しなくていいし、かといって軽い職でも無いから上の人と話す機会もそれなりにある。
 この微妙な距離が、『憧れ』という感情にお似合いな気がするのだ。
 視線をパソコンに集中し、触覚は指先に集中し、聞こえる音はキーボードの音だけ。そうしていれば嫌なことも考えずに済――
「なーに暗い顔して仕事してんだよ、高崎」
 ボカッ、と軽い音がして頭に重みがかかる。頭に載っていたもの――厚手のファイルだった――手で押しのけながら振り向くと、案の定福原だった。どうやら外回りから帰ってきたらしい。
「なにアホみたいな顔して人にちょっかい出してんだよ、福原」
「それがお勤めから帰ってきたダンナにすることなの? ひどいわっ!」
 ファイルで口元を隠すようにして、しなっと体を折り曲げる福原。正直気持ち悪い。
「お前……生徒会室でそんなことやってていいのかよ。本命の嫁さん候補の印象、悪くするんじゃないか?」
 失礼だとは思いながらも、他の人から分からないように軽く顎で会長の方を指す。福原は気にした風もないように堂々と会長の方を見た後、もう一回僕の頭を叩いた。
「嫁とか言うんじゃない嫁とか。あの人はそんなんじゃねーんだよ、ばーか」
「は?」
「ま、そんな勘違い君はちょっとこっち来なさい。報告するんだから」
 そう言って手にしたファイルをブンブンとうちわのように振る。
「報告ってなんだよ、外出てったのはお前だろ?」
 今日福原が外回りをしていたのは、ただ各団体の現状確認をするためだけだったはずだ。手にした大仰なファイルが必要な書類仕事自体、福原の管轄ではないはずだが……?
「アクシデントだよ、アクシデント」
「え?」
「途中で学年主任の高坂に呼び止められちまってさ。サークル届出の書類の顧問欄に、本人の許可取らずに書いたグループがあるんだってよ。一年のどっかのグループがやったの真似して、いくつかのグループがやってるらしい。こっちで確認しろってさ」
「はあぁ? マジでか? そんなの一日仕事じゃないか!」
 今までまとめた届出の書類を全部チェックし、本人に事実確認を取ったうえでまたまとめなければならない。同じ作業の焼き直しなどではない、手間は倍増なのに、なんの進展もしない作業だ。
「そうなんだよなー……。俺も流石にまいったわ。で、これ系の書類ってお前の担当だったろ。とりあえず会長に報告、んでスケジュール組み直し。手空いてるヤツ回してもらって、ぱぱっと片付けちまおうぜ」
 軽口のように言うが、福原もかなり落ち込んでいるようだ。めったにつかないため息をつくと、会長の方に歩いていった。
 僕も正直、気が重かった。会長にアクシデントの報告をするという事だけじゃない。今まで順調に行っていたはずの作業が滞るきっかけになってしまうんじゃないか。
 そんな嫌な予感が、胸の中を渦巻いていた。

       

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Neetsha