Neetel Inside 文芸新都
表紙

僕たちは恋してない
Four Feelings For you(10) -Spring(6)-

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「ばっかじゃないの!?」
 彼女にしては珍しい大声とともに、強烈な平手打ちが俺を襲った。
 それだけでも十分痛いというのに、狙ったのかそうでないのか、打たれたのは昨日二発もシュウに殴られた場所で、俺はうずくまりたくなるほどの激痛に襲われる。
「貴方、自分が何をしたのかわかってるの? そんなことしたら、シュウくんがナツキちゃんに何をするか分からないじゃない!」
 いつもの昼休み、いつもの屋上で昨日の顛末を話した後。ユキの最初の反応がこうだった。まぁ、怒って当然のことだろうと俺も思う。
 俺が昨日やったこと――『協定』でやってきたことを暴露するということは、彼女が今まで積み重ねてきたものを、全てぶち壊しにしてしまったようなものなのだ。
 だからこそ、俺は打たれた場所を抑えることさえせず、その痛みを甘んじて受け止めた。自己満足的な、申し訳程度の彼女への償い。
「分かってるさ、そんなの」
 だが、受け入れられるのは痛みまで。
 俺も決めたのだ。自分のために、行動すると。
 俺はユキに向き直ると、開き直った口調で話し始める。
「俺も考えたんだよ。お前が言っていたように、危機感を持って、真面目にな」
「その結果がこれ? 自白だけして、何の口止めもできてないじゃない!」
「さっきも言ったように、俺たちがやってきたことをシュウがナツキに言うかは、多く見積もっても半々だ。言われたからって、それをナツキが信じるかも半々がいいトコだろ」
 シュウには、これでもかというくらい疑惑を植えつけておいた。いや、実際にはそれくらいしかできなかったのだ。
 俺はシュウと違って、相手に手を上げることはできなかった。それをやってしまったら、それこそそれを大義名分にして、俺とナツキは遠ざけられてしまっただろう。
 シュウに嘘をつくこともできなかった。ナツキに関する嘘なんて、アイツならすぐに確認できるんだ。そうして嘘が発覚すれば、後は殴った場合と同じこと。
 俺の手の中にあったカードは、ナツキやユキから聞いた『まだ進展がない』という情報、一昨日にナツキがうちに来たという事実、その時の表情から俺が勝手に想像した、ナツキの気持ちの希望的な憶測。たったそれだけだった。
「そんなこと、関係ない……。どっちかにバレたのなら、それで全部終わりじゃない……」
 一転して意気消沈したユキは、上げていた腰を下ろして俯いてしまう。
 確かに、シュウを好きなユキからしてみたら、今回のことは最悪の結果だと言えるだろう。
 不幸中の幸いとでも言うべきか、ユキが俺と一緒にシュウたちの邪魔をしていたと、昨日俺は明言しなかった。話の聞きようによっては俺だけがそういう意図を持っていて、ユキをだまして付き合っているフリをしていたと取ることもできる。
 でも、それは話の流れで言う機会がなかっただけの話。少し普通に考えれば、俺とユキが組んでいたと考えるほうが自然だろう。
「そうだな、悪いとは思ってるよ。恩を仇で返すみたいになって」
 そう言うと、鼻で笑うような音とともに呆れた声が返ってきた。
「恩って?」
「ユキがこの間言ってただろ、俺に感謝してるって。それと同じだよ、俺だって一人じゃ何もできなかった。ナツキたちが付き合い始めてから、ただ腐ってただけの俺に目標とやることを与えてくれたのは、間違いなくユキなんだから」
 でも、だからこそ。俺は自分の目的を譲れなかった。
「だから、今までやってきたことを無駄にしたくなかった。シュウが俺たちを遠ざけようとした以上、今までみたいな邪魔は続けられない。そうなったら、『協定』の意味だってなくなるんだ」
「……『協定』の意味なんて、結局なくなったじゃない。昨日言わなかった? 私は自分の好きな人にきれいなままでいて欲しくて、その相手が良く知ってる人なら尚更耐えられなくて……。だから、ここまで頑張ったのに」
「そうだな……」
 意気消沈したユキは、今にも泣いてしまいそうな顔をしていた。
 俺がこれから言おうとしているのは、確実にそれに追い討ちをかけることになるだろう。
 それでも、俺は言うしかない。
「でも、それはユキにとっての意味がなくなるだけだろ」
「え?」
 何かに気付いたように、ユキは顔を勢いよく上げた。いつもすっと細められていた表情の読めなかったはずの瞳は、今はっきりと怒りを浮かべて見開かれている。
「貴方は……っ!」
 もう一回。俺を叩きつけようと手が振り上げられる。だが、俺はその手を掴んで止めた。
 悪いことをしたと思っていたのは、俺たちがしたことを暴露したところまで。そこから先は、何も間違ったことなんてしちゃいない。
 少なくとも、俺にとっては。
「俺は、お前とは違うんだ」
 そう言い切った。
 同じように好きな人に相手ができて、同じように諦めきれず、同じ道を歩いてきた俺たち。だが、俺とユキとでは見据えている結果に決定的な違いがある。
 いや、俺も最初は、ユキと同じものを目指していたはずだった。でも、それこそが間違いだと気付いたのだ。
 俺たちはミスを犯した。自分の手で掬えたはずのものを、モタモタしているうちに他の誰かに拾われてしまった。だったら、それを完璧な形で取り戻したいだなんて、そもそもが欲張りすぎる話だったんだ。
「俺は、ナツキが欲しい。アイツが俺の隣にいない人生なんて考えられない」
 これまでもずっとそうだったから。これからもずっとそうだと思っていたから。これからもそうでないとおかしいだなんて、我侭な理屈を今も心の底では信じているから。
「その結果があれば、他はもういいんだ」
 ユキは昨日言った。自分の好きな人が自分を好きになってくれなくてもいいと。でも、自分以外の人とセックスはして欲しくはないと。
 そんな我慢し続ける恋愛なんて、俺は絶対に御免だ。見返りのない投資なんて有り得ない。そもそも、こんな邪魔を永遠に続けることなんてできやしない。どっちにしろ、『協定』は時間制限付きのものでしかなかったんだ。
「俺は、ナツキが俺のものになるなら……『それ』がどんなカタチだろうが構わない」
 処女だとかそうじゃないとか、誰とどういう関係だったとか、そんなことはどうでもいい。
 ナツキさえ手に入れば、あとはどうでもいい。
 そういう風に、俺は割り切った。
 どこかで割り切らなければきっと、何にも手に入らないまま終わってしまうから。そっちの方が、俺にはきっと耐えられない。
「……」
 ユキは呆然と、俺の目を見つめていた。呆れているのかもしれないし、悲しんでいるのかもしれない。
 俺は、ユキを――今までずっと一緒にやってきた相方を、自分のために切り捨てたのだ。
 掴んでいたユキの手から力が抜ける。俺が手を離すと、糸の切れた人形のように腕はだらんと垂れ下がった。
 ユキにとって最後の踏ん張りどころだったはずの『協定』は、ここで終わったのだ。
「シュウとナツキは近いうちに、シちゃうんだろうと思う。それはもう止められないし、少なくとも俺は止めない」
 俺は手付かずのパンを拾い上げると、立ち上がった。もう昼休みも終わる。
 こうしてユキと二人で過ごす、最後の昼休みが終わる。
 好きな子に嘘を吐きまくる登下校も、好きな子と付き合ってる男に愛想振りまく休み時間も、全部全部終わりだ。
「お前がこれからどうしようと、それも俺は止めない。俺がやったみたいに、自分のために行動してもいい。もう諦めて何もしなくてもいい」
 ユキとの関係は何もかも嘘っぱちだった。好意どころか互いに興味もなく、恋人という形式をとっていたにも関わらず、結果的に手を繋ぐことさえなかった。
「それじゃ、さよなら。雪崎さん」
 そう言い終えた瞬間、ぐっと、襟元を掴まれた。
 なんだ? と、思う間もなく唇を塞がれる。目の前には、近すぎるほど近い誰かの顔。この三ヶ月で毎日見ていたけれど、ちゃんと正面から見たことなんて、何度もなかった気がする誰かの顔。
 俺の唇を塞いだ何かは、酷く冷たく、乾いていた。
 離れた顔は、初めて会った時のような冷静で冷徹な表情に戻っていて――
「さよなら。清春君」
 その顔に、何故か俺はほっとしていた。

       

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