Neetel Inside 文芸新都
表紙

僕たちは恋してない
No believe(3)

見開き   最大化      

 翌日。アクシデント対策に割り当てられた二日目。
 すでに他の生徒会員は外回りに出かけ、生徒会室の中には僕と会長――いや、織原先輩しかいない。
 とは言ったものの、特にこれといって何かがあるわけではない。むしろ今日は昨日までより忙しく、僕も先輩もせわしなく手を動かしていた。
 今日は金曜日だ。土日を挟んで来週に入ると、学校の中は『学園祭前!』という空気で一色になる。
 今まで水面下で作業をしていた僕たち生徒会や先生たち、団体参加者以外の学生も浮き足立ち始め、係りの人間はそれこそ放課後暇なしという状態になってしまうわけだ。
 そんなわけで、来週にアクシデントを引っ張るという事は死んでもできない僕たちは、一言も無駄口を叩くことなく手だけを動かしている。
 まぁ、嘘なんだけど。
 正確に言えばそこまでスケジュールが厳しいわけじゃない。そもそも、いきなり金曜日にテンパるなんて事態が起こるわけが無いんだ。新しい生徒会メンバーだけで進めているならともかく、会長が作業に携わってくれているのにその失態はありえない。
 結局のところ、僕が何も変わってないんだ。
 憧れが恋に変わった、だなんて頭の中だけで思っていても、実際に何かが行動できるかと言われればどうだろう?
 十七年間積み重ねて培ってきた性格は、そう簡単に積極的になるのだろうか?
 ずっとずっと溜め込むのに慣れてきた心の鍵は、そんな小さなきっかけで緩くなったりするものだろうか?
 無理だ。そんな事は起こらない。
 本来なら一年生の仕事だったファイル整理の途中で、ふと先輩の方を見る。
 画面に向けられた目は真剣そのもので揺らぐ気配も無い。もちろんこちらに向くことも無い。
 たった一日。それだけで僕はもう『諦める』という選択肢を心の中に置いていた。
 昨日のことはただの偶然だったんだと、自分を納得させることのなんと容易いことか。
 期待したところで何も無い。自分から動かなければ何もやってこない。憧れだと思っていた時と何も変わらない結論。そうとも、これが恋なら告白できるのか? 横に立って歩けるのか?
 できるわけがない。隣には立てない、見上げることしかできない、そんな人だからこそ憧れたのに、たった一回の愚痴で同じ人間なんだと分かっただけだ。立ち位置はまるで変わっちゃいないのに。
 頭を振る。作業のスピードが落ちている気がした。考え事をしながらなら当然だ。
 考えるのは今することじゃない。今はただ作業に没頭するべきなんだ。先輩がそうしているように。それが正しい、何も起こらなくて当たり前、何のためにここにいるのか考えろ。
 僕は立ち上がると扉の方へ向かった。
 少し落ち着くために、ちょっと外の空気でも吸ってきた方がいいだろうと思った。
 本当にそれだけで?
 黙って立ち上がったのは、期待したのではなくて?
 たとえばこんな風に、声をかけられるとは少しも思わなかった?
「高崎君、どこか行くの?」
 その瞬間、なんとも言えない感情が胸の中に溢れた。自己嫌悪、罪悪感、居心地の悪さ。一昨日福原の言葉を聞いたときのような、吐き出す場所の無い自分への負の感情。
 僕はなんでもないように振り返った……はずだ。
「ちょっと疲れたんで、目を休ませるついでに何か飲み物でも買ってこようと思って」
「そっか。あ、じゃあさ、私の分も買ってきてくれない? あればミルクティーで、無ければ紅茶系ならなんでもいいから。冷たいやつね」
「いいですよ、ミルクティーですね」
「お金は後でも大丈夫?」
「はは、流石にジュース一本分ぐらいは余裕ありますよ」
「そうだよね。じゃあお願い」
「はい、それじゃあ行ってきます」
 後ろ手に扉を閉めた。十歩ほど足を進めて、耐え切れなくなって壁に背を付く。動悸が100メートルを全力疾走したかのように激しく胸を叩いていた。
 見下ろすと、シャツの胸の辺りが動悸に合わせて上下している。普段から気付かなくてもなっているはずのその運動も、タイミングがタイミングなだけに胸を突き破りそうなくらいの強さに感じる。
「ふぅー……」
 思わず声に出してため息をつく。
「お前、そんなとこで何やってんだ?」
「うわぁあ!」
 突然横から湧いて出た声に、僕はすっとんきょうな声を上げてしまった。
 飽きれた顔をした福原がいつのまにか、僕のすぐ横に立っていた。
「驚かすなよ……」
「ばーか、お前が勝手に驚いたんだよ! ここで何やってんの? 仕事はどうした?」
「今ちょっと休憩、っていうか飲み物買いに行くとこだよ。先輩の分も頼まれたし。お前の方は? 分担終わったのかよ」
 福原は手に持ったファイルを自慢するように掲げる。
「当ったり前だろ。ま、俺たち仕事できる組は元からアクシデントの方の仕事分担少なくされてたからな、もうすぐ二年は戻ってくるんじゃねぇの? って言っても、今から戻ってもすぐ帰宅ってことになっちまうと思うけどな」
 腕時計に目を下ろすともう五時半を過ぎようというところだった。下校時間にはまだ余裕があるが、今から一人二人戻ってきてもできることは少ないだろう。
「確かにな」
「会長は生徒会室にまだいる?」
「ああ、いるいる。それじゃあ僕は食堂行くからまた後で。報告、先輩の方によろしくな」
 僕は福原に背を向けるように踵を返すと、食堂の方へ向かって歩き始めた。
 福原と話して、僕の気分はずいぶんと落ち着いていた。緊張しない友人というのは素晴らしいと思う。最近織原先輩と話す時間が多かったからなおさらありがたみが増すのかもしれない。
 食堂手前の自動販売機で先輩に頼まれたミルクティーと、自分用のコーヒーを買う。すぐに生徒会室に戻る気になれず、そばにあるベンチに腰を下ろして息をついた。
 実際、疲れていたのかもしれない。
 この一週間はパソコンに向かっての作業が主で、家でろくにテレビを見ることもない僕にはちょっと辛いものがあったのも事実だ。
 ああいう画面を見続けていると頭の中がぼーっとしてくる。考え込んでいたのも、きっとそんなもののせいだ。明日明後日でなにか変わるわけが無いじゃないか。
 今、自分がするべきことは文化祭の準備。それが最優先だ。そう自分に言い聞かせる。
「よしっ!」
 手に持った缶の冷たさが、心地よさから痛みに変わる前に立ち上がる。
 そうとも、来週からは忙しくて考え事をする暇もないだろう。中途半端に忙しい今だからそんな考えが浮かんでいるんだ。土日はゆっくり体を休めて、恋やら憧れやらは文化祭の後で考えよう。
 僕は往きよりも心なしか軽い足取りで生徒会室に戻った。

     

「戻りましたー」
「あ、お疲れ様。高崎君」
「おー、お疲れー」
 生徒会室の中には織原先輩と福原の二人しかいない。まだ他の役員たちは戻ってきていないようだ。
 二人は先輩の机の方で話をしているようだった。普段なら他の人が話している最中だったりする時は邪魔にならないようにそっと席に戻るのだが、今日は先輩に頼まれた飲み物をもっているためそういうわけにもいかない。
「お待たせしました。ミルクティー、ちゃんとありましたよ」
 二人の話が一段落したようなタイミングを見計らって先輩の机に缶を置く。ちょうどその時に二人の話は終わったようで、福原は先輩から受け取ったファイルを持って出口の方へ向かった。
「それじゃあ、ちょっと行ってきます」
「え、おい。どこ行くんだよ?」
「今外回ってるやつらの分でアクシデントの処理終わりだろ? 俺がこれから直接回収して、そのまま高坂センセに見せてくるんだよ。今日中に全部終わらせちゃった方がいいだろうってさ、今話してたんだ」
 確かに時計を見ると、もう完全下校時刻までほとんど間が無い。高坂先生は学年主任だから、それを過ぎるまでは学校にいるだろうが、取り合ってもらうには早い方がいいだろう。
「んじゃ、そういうわけだから」
 そう言って出て行こうとした福原に先輩が口を挟んだ。
「そうだ。ついでだから、書類回収のついでに今外回ってる人はもう直帰でいいって言っておいてくれない? みんな今日は来てすぐ外回りだったから、こっちに荷物置いてないし」
「あ、そうですね。了解です!」
 ふざけたように敬礼の真似をすると、福原は今度こそ生徒会室を出て行った。
 閉まるドア。襲ってくる静寂。
 ――――
 唐突だ。唐突に二人きりにされた。生徒会室に戻ってくれば福原がいるからと思って油断していたのかもしれない。
 しかし、それなりに食堂で気分を落ち着けてきたせいだろうか。さっきまでよりもすんなり言葉が出てきたような気がする。
「あ、アクシデントの処理の方がもう片付いたんだったら、こっちも上がりって事ですか?」
 先輩はちょっと考えるようなそぶりを見せた後、
「うん、そうだね。でもせっかく高崎君が飲み物買ってきてくれたんだし、これ飲み終わるまではいようよ」
 といって自分のミルクティーを手に取った。『いるよ』ではなく『いようよ』という事は僕にまた話し相手になって欲しいという事だろうか?
 それならばと、僕は自分の缶コーヒーを持って会長席に近づいた。近くの椅子を引っ張ってきて先輩と向かい合うように腰を下ろす。
「そうですね、せっかくだから」
 缶コーヒーのプルタブを押し上げ、一口飲む。思ったより渇いていた喉が潤っていく。
 一息つくと、先輩は独り言のようにつぶやいた。
「あと、一週間かー……」
「文化祭ですか?」
 黙っているのも変だと思って聞き返すと、先輩は少し寂しそうな顔をして笑った。
「ううん、そうじゃなくて。私が生徒会長でいられる時間」
「あ、そうでしたね」
 この前福原とした送別会の話を思い出した。あれから色々あって忘れかけていたけど、この文化祭が終われば先輩は晴れて引退なのだ。
「うん、やっぱりちょっと寂しいかなってね」
「そんなこと言っても先輩には受験だってあるんですし、ずっとこっちを手伝ってもらうわけには行きませんよ。新しい役員だって、このままおんぶにだっこじゃあ、来年になって困っちゃいますからね」
 そう、本当に困った時に教室に質問に行けば答えてくれる先輩がいるうちに、自分たちだけで仕事ができるようにしておく。
そうやって新しい地盤を早めに固めておくためにも、三年生は文化祭には関わらず、夏前に引退するのが伝統になっていたのだ。
「そうだよね、正直な話、この文化祭も私手伝ってよかったのかなって思ってたんだ。なんか子離れできてない母親みたいじゃない、私?」
 恥ずかしそうに頬に手を当てる先輩に、僕は首を振って答える。
「いやいや、みんなものすごい助かってますから、全然気にしないでくださいよ。それに今回はアクシデントもありましたし、特例って感じで。僕たちだけじゃあ多分、この処理今週中に終わりませんでしたよ」
「そっか……じゃあやってよかったんだ」
「ええ、そりゃあもう。胸張っていいと思いますよ」
「じゃあ……――」
 その後、先輩は何かを小さくつぶやいた。それは本当に僕に聞こえないように言った独り言のようだったから、僕はそれを聞き返さなかった。
 コーヒーを一口すする。
 僕は、自然に笑いながら話せている自分に驚いていた。先週――いや、二日前までの僕には想像もできないほど打ち解けている。距離が縮まっているという実感がある。
 沈黙。それでも、昨日まで感じていたような息苦しさは無い。どこかリラックスして落ち着けるような空気が夕暮れの生徒会室に漂っている。
 その時、不意にスピーカーからチャイムの音が鳴った。静けさに慣れた耳は過敏に反応し、僕も先輩も、ビクリと肩を震わせた。
「え、今何時!?」
 先輩は腕時計に目を落とすと、珍しく焦ったような素振りを見せた。
「うわ、完全下校時刻になっちゃった。急いで片付けなきゃ!」
 そこからはさっきまでの空気が嘘のようなドタバタとした片付け。最低限のものだけ仕舞って、パソコンの電源を落とし、戸締りを確認して、慌しく荷物をまとめた。
「それじゃ、私急いで鍵返してきちゃうから、これでね。また来週!」
 ほとんど走るような勢いの――生徒会長としての意識なのか――早歩きで去っていく先輩を見送った後、僕は落ち着いた足取りで下駄箱へ向かった。
 校門を過ぎて空を見上げると、すでに空はオレンジから黒へと移り変わろうとしている。何週間か前までは考えられなかった冷たい秋風が、首筋を撫でて流れていった。
 今日の自分を振り返る。まるで自分ではないように先輩と喋れていた自分。二人きりの生徒会室で、笑いながら話していた自分。
 思い出し笑いしそうになってしまう。たとえば福原だったら、当たり前のようにできて当然のことなのに。僕はそれだけで嬉しかった。
 自分の『恋』が順調にいっている。自惚れでは無く進展がある。それが気持ちまでボジティブにしてくれている。
 その事だけを噛み締めて、うかれたように帰り道を歩いた。

       

表紙

犬野郎 [website] 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha