Neetel Inside 文芸新都
表紙

腐蝕三角標識
特区のネコ達

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ネコ?ああほら、あそこのおっさん、彼もネコだね。

後をつければわかるけど、ぶらぶら歩いて、どこか特定の場所、たとえば河原とか道端のベンチに、どこからともなく現れた他のおっさん達と何をするでもなくひなたぼっこしたりして、またどこかに消えていくんだ。

僕が客先に向かう途中にも公園があってね。
腐りかけた鉄骨ビルの隙間にほんの申し訳程度の緑とベンチが突っ込まれてた。

僕もネコ化したわけなんだけど、結局その要因が、なんて言えばいいんだろう、ともかく僕がネコ化した原因が、19連勤でもって今まで潜伏していた表現型が顕現したのか、つまりもともとネコだったのか、客先周辺のラボから吐き出される化学物質をもろに吸ってしまったからなのか、つまり後天的突然変異だったのかは分からずじまいなんだ。

その日は、身体はまったくもって疲労しているのに、まぶたの皮が突っ張って眼だけはかっちり見開いてて、へんな没入感がつきまとってた。のめりこむ対象はそれこそ何でもありで、道端に落ちてるゴミや、小便をしているときに目に入る壁の模様だったり、気を抜くとそれらを目をおっぴろげて30秒ほど見つめ続け、そして我に返るを繰り返してた。
瞳孔はたぶん中途半端な具合に伸長されてたんじゃないかな。陽の当たるところと影になっているところのコントラストがすごくて、ほんとうにもう異様なくらいくっきりしてるんだ。目に映るすべての陰影が何がしかの意味を含んでいるような感じと、こめかみあたりの鈍痛がそりゃもう圧倒的な非現実感を僕にもたらしてた。たまに頭痛が強くなって、あわてて眼を動かすと視界の隅にちらちら青白い飛蚊が舞うんだ。

で、公園さ。
客先に向かう途中、以前は気にもしてなかった公園に釘付けになった。そこに差し込む光と、その光が創る影があまりにも僕を惹きつけたんだ。
あきらかに大気のせいで変色した紫色の街路樹をくぐると、10メートル四方くらいの空間におっさんが5、6匹たむろしてた。
なるほど、皆ネコだって思ったね。互いへの無関心さ、各々の流儀のくつろぎかた(ベンチで煙草を吸う、石段で横になる、みたいな)、そしてどこかを見つめてる眼。
僕もなんとも言いがたい衝動に駆られて、ベンチに腰を降ろして背を丸めた。カバンを落として、両手はこめかみに添える。これが僕のポーズだった。すぐに分かったよ。
3日くらい風呂に入ってなかったせいか、丸めた背から嫌な痛みが走ったけど、そうやってベンチで丸まって陽を浴びていると少しずつその痛みも薄れていったな。心地よかったね。
張り詰めていたまぶたが徐々に溶けはじめたおかげで、ようやく光量が調整された視界が確保できたよ。ひびわれた石段から生えた変性雑草が、ここは現実だよ言わんばかりに優しくそよいでた。

僕の顧客は毒性試薬の委託精製を生業にしててね。商品の品質はともかく、うーん、彼自身の品質は、まことに残念ながらヒューマンから大幅にスペックアウトしていた。喉仏が異様に肥大化しててね、防塵フィルター的な役割を果たす器官なんだろうかと推測しつつも怖くて聞けなかった。ともかく、彼は業者が自分の前でろ過フィルターを被ることを失礼と見なしてた。ということで彼との打ち合わせに素体のまま出席し、帰らぬヒトになった者、計3匹。僕は4匹目の人身御供というわけだったんだ。毎期ごとに僕の会社にサポート契約してくれて、それなりの収益が上がったからねえ。
彼と彼の会社を、僕の上司たちは切り捨てられずにいたんだ。

あと10分もしたら彼のもとに出向かねばならない。そう考え始めた途端、手のひらからびちゃびちゃ汗が流れ始めるんだ。その日はサポート契約のオプション拡充を進めるため、彼の業務に対して何がしかの提案をしなきゃならなかったんだけど、全くもって思いついてなかった。もう4日前くらいから僕の脳みそは仕事に関するアイデア供給業務をこなせなくなってたんだな。カバンにはほぼ白紙と同義といっていい資料が詰め込まれてた。

そうして陽の光のなか、おだやかなまどろみとよくわからん仕事の(ほんとによくわからなかったな)悩みとを往復していると、突然怒鳴り声が僕らの公園の静寂を破った(今思い返せば、僕はそのとき既にその公園に帰属する生物としての自覚を得てたんだろう)。

こんなとこで油売ってやがったのかと吠える赤黒い男、その男をうつろな瞳で見上げるおっさん。
その後もなにやら給料分の仕事がどうとか、結果主義だとか叫び散らすその男のまわりでは、暗黙のルールを破ったモノへの怒りが少しずつ張り詰めていくのを感じたよ。ここはそういう場所ではなく、そういうモノが立ち入るべき領域じゃないのだって感じに。

それまでは互いに無関心を決め込んでいたおっさんたちが一様にふらふらと立ち上がり、一人の仲間を口撃する無頼漢を一定の距離を取り囲んだ。僕もさ。
おっさんの上司と思われる男は無言で取り囲まれたことにはじめ気づかなかった。
怒鳴られ、罵倒されたおっさんが僕らに視線を泳がせて、ようやくその男は、そうだな、ここでは便宜上イヌ男と呼ぶけど、そのイヌ男は僕らに取り囲まれていることに気がついた。

何だ貴様らは、なにか文句でもあるのかと吠えるイヌ男に、僕らは無言で距離をつめた。あそこのルールは語らずに察せられるもので、察せない時点であのイヌ男はルールを犯していた。言うに及ばす、あいつは問答無用で排斥すべき闖入者だったんだ。
無言で、ただただ睨めつける僕らに、イヌ男はようやく本能的に危機を察したみたいだったけど、そこからがいけなかった。
手近なおっさんのむなぐらをつかんで恫喝したんだよ。一線を超えた、ってやつだ。

僕らは手当たりしだいに石、泥、よくわからない半固体状の物体(街路樹から染み出してきていた)を彼に投げつけ始めた。無言で。

そうして彼が頭をかかえて逃げ出すまで汚染物質等々を投げ続けた。

イヌ男が何やら捨て台詞を吐きながら逃げ出すのを見届けたあと、僕らはハンカチで手を拭って、互いの服装が乱れていないかぼそぼそ小声で確認しあった(頭がまだらに禿げたおっさんからシャツがはみでてるぞ、と声をかけられ、僕はお返しに彼のスーツの肘に汚染物質の飛沫が跳んでることを教えてあげた)。

その後は三々五々、みんな思い思いの姿勢に戻って、自分の時間を自分のやり方で過ごして、どこかしらへ散っていった。
僕はといえば、約束の時間がとうに過ぎてたんだけど、時に気になるわけでもなく、一旦ベンチにすわって頭を抱えて陽の光を感じてから客先へ向かった。


そうして僕は覚醒したわけだけど、それを客観的に指摘してくれたのは客先のフィルター男が最初で最後だったな。
そう、こんな感じ。

「おまえ、眼が変になってるぞ」
「…はあ」
「はあ、じゃないだろ!おまえのとこから来る奴はすぐこれだ。はじめは調子いいことばかりほざいて商談を広げるだけ広げて、そのあとはいきなりイカレポンチになって連絡がつかなくなりやがる!たいていそんな目つきになってまともな受け答えができなくなるんだ!この程度の仕事もできないのか、きさまは!」

ふむう、としばし考えて(実のところ、この時には「考える」という行為自体ができなくなりつつあったんだけど)、僕はそのまま席を立ち、排煙舞うオフィスを後にした。
カバンはそこに置きっぱなしにして、それから1回も自社には戻っていない。4匹目の失踪者として処理されたのだろうと思う。


その後しばらくしていくつかの工業特区で僕らみたいな手合いが増えたって公園で聞いたな。それでもってなにやら自治区として独立がどうたら。
最近は、そういえばイヌ男みたいな輩を見かけない。独立?さあ、わからないし、興味もないよ。今は散歩して、いつもの公園で寄り合って、気ままに生活してる。今日は久しぶりに昔のことを思い出したよ。



ああ、たまにフィルター男みたいな奴は見かけるな。

<特区のネコ達・完>









       

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