「Wild Wise Words」
音引ココ
http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=15598
懐かしい作品で、この企画に合わせて更新していただけたということで非常にうれしかったです。説法屋という共通の登場人物が出てくる短編集の形式をとっています。短編は独立しているように見えて、実は時系列順に並んでいます。ひとつだけ個人的な自慢がありまして、コメント13の時系列? は私です。多分時系列に最初に気付いたという自信があります。どうでもいい話でした。笑。短編集ということにして、更新分のみ感想を書きます。
地均しの蟻
地均しの蟻とそれを観測する昆虫学者の物語。もちろん説法屋も出てきます。地均しの蟻という発想が面白いですね。馬鹿でかい蟻が惑星を球にするまで歩き続ける。すでに一億周以上しているそうです。時間の単位で「劫」という単位があります。未来永劫の「劫」ですね。四年に一度、天女が一里四方の岩を羽衣で撫でてなくなるまでの時間だそうです。地均しの蟻が神話の怪物であれば、惑星を球にするまでの時間にも何か呼び方があるのでしょうか。
自分はここにいる、ということを伝えるために小説を書いているのかなと思うことが私にもあります。私が私でしかないことの証明のようなものです。もちろんそんなことしなくても私はここにいますし、私はどう足掻こうとも私でしかないわけですが、そういうことをしたくなることがあるのです。暇の成せる業なのでしょうか。説法屋は何のために説法屋なのでしょうね。
兄弟剣舞
兄弟剣舞は復讐の連鎖のため。復讐が馬鹿らしいとおもいながら復讐をする気持ちというのはあまりわかりませんが、自分も仇ができたらそうなるのでしょうか。ルールのある敵討ちを認めるべきかというのは歴史上議論のまな板に頻繁に置かれるもので、御成敗式目以来法律では多く禁止されているわけですが、面目や意地といったものを守るためにどこまで必要かという議論も残されるわけです。死刑廃止論への反対意見としても敵討ちが起こることへの危惧もあるわけですよね。馬鹿馬鹿しいとどこかで思いながらそれでも復讐する気持ちはなかなか理解が難しいものです。強くあることが重要な世界観のようですが、必要がそういった気持ちを産むのでしょうか。やはり理解は難しい。
彼女はどこへ?
円筒形の瓶に閉じ込められた小さな海辺。いつ誰にもらったのかは最早覚えていませんが、私も昔誰かからおみやげとして貰った記憶があります。読み手の記憶の奥のほうにあるものを、記憶に関するツールとして物語上に入れこむのはとても単純でとても上質なテクニックに思えます。
分解するのが得意な語り手は、人間、あるいは人間の思念といったようなものを分解して売り払っていくのですが、一点の曇りもない純粋なものほど高く売れるそうで、私なんかは捨てるところだらけだなあと思います。どこかに珍味好きでもいてくれればいいのですが。
記憶だけは分解してもそこに無くて、死とともに失われるという感覚は分からなくないような気もします。日記を書くにしても記憶をそのまま取り出すというのは本当に難しくて、むしろ生きていても少しずつ失われていくような独特な切ない感覚がします。