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★文芸・ニノベ作品感想5★
5月24日文芸感想

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★5月24日更新文芸作品感想

初回の更新作品数は5でした。
日曜日中にはすべての作品に感想をageたいと思います。
よろしくお願いいたします。

以下の作品感想を書きます。

「少女は英雄を知る」
「そうです。私は独りです。」
「金色のくびき」
「Wild Wise Words」
「Bサイド」

     

「少女は英雄を知る」
たろやまd
http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=18947

00:05という24日すぐに更新してくださった作品です。
誰も更新してくれないんじゃないかと地味に怖気づいていたので、素直にうれしかったです。昔読んだことがあるのですが、登場人物の増加に伴って心が折れた記憶があります。個人的にカタカナの名前を覚えるのが苦手です。連載が長く続いているのでどこまで読めるかは分からないですが、とりあえず読み始めることにします。

プロローグ

 少女は英雄を知るというタイトルの物語。英雄は英雄を知るが元ネタでしょう。少女もまた英雄となるなのでしょうか。読み始めてすぐカラトとシエラ、二人の人物が出てきます。カラトがシエラを背負っているので、カラトが英雄でシエラが少女でしょうか。二人は何かから逃げていて、カラトはシエラを守るための行動に出ます。シエラは百人近い追っ手を見事に引きつけるわけですが、その先頭を進む女性シーと知り合いであることが明らかにされます。二人が分かり合えないまま、カラトは剣を抜きます。誰かを守りたいという気持ちになることはありますが、行動に移せることってなかなかないですよね。
 この後、視点はシエラに移って、一度はカラトに言われるがまま逃げたシエラはカラトの元に戻ります。そこにいたのは瀕死のカラト。追っ手の姿はありません。カラトの死を確信したからなのでしょうか。カラトは言います。人を呼んできてくれないか。もう素直にその言葉を信じられるシエラではありませんが、村へ向かって走り出します。自分にできることは本当にそれしかないから、と。素直な子ですね。自分にできることがそれしかないと思って、素直にそれができるのは才能だなあと最近ひしひしと思います。ただ自分にできることを努力できればと本当に思います。
 最後二行、視点はカラトに戻ります。ごめんな。カラトが心の中で呟いたのは、嘘を吐いたからでしょうか。それとも別の何かが。というところでプロローグは終わります。
 覚悟を決めたカラトと必死なシエラが印象的でプロローグから切迫感溢れる展開です。プロローグですべてを判断されがちな新都社小説。こういうすっと読めてドキドキもできるのはうれしいです。

ラベンダー編

 さて、舞台はがらっと変わってグレイという男性の視点になります。道路が舗装されているような場所では景色が直ぐ変わっていて懐かしさは失われてしまうような気もしますが、きっと村の人が昔の状態を大切にしているのでしょう。グレイはラベンダー村のボルドーに呼び出されて会いに行きます。調度の誤字が目に付きます。グレイは男性かと思ったら女性なんですね。家の裏で薪を割る少女が実はプロローグで出てきたシエラというわけなのですが、そう言えばカラトはボルドーを頼れって言ってましたね。名前が苦手だと駄目ですね、やっぱり。ボルドーが突然駆け込んできたシエラを信じた理由の一つに、カラトの首飾りを持っていたということがあげられます。後々キーアイテムになってきそうですね。
 そのままシエラとボルドーはカラトの足跡を辿る旅に出ることになります。これがこの物語の本筋になるのでしょうか。まず向かうはカラトが息絶えたと思われる場所。ボルドーが前に確認しに来た時に死体はもうなかったらしいです。謎は深まるばかりですね。
 ボルドー、シエラ、グレイの三人。おじいさんと女性二人の旅と聞くと厄介事がありそうですが、武術の心得があるようなので安心なんですかね。

グリーン編

 話数はひとつ進み、また視点が代わります。三人称一人視点で次々と視点が変わっています。ここまでで既に、カラト→シエラ→カラト→シエラ→グレイ→シエラ→ペイルと変化しています。少し好き勝手に言わせてもらうと、登場人物が多い中でこの視点の変化が続くのはなかなか読み手としては辛いです。厳しいことを言うようですが、連載初期の段階で読み手はキャラに愛情を持っていません。半分以上自分への戒めとして言ったような気がします。
 ここで「心気」という概念が出てきます。ひとの内なる力のような「心気」は、使いこなせればそれだけで有利になるとのこと。能力バトル漫画に発展するなら、どういう心気を使えるかが非常に重要になってくるのでしょう。
 この後、シエラの初めての戦いが描かれるわけですが、プロローグとは違い読点が多く疾走感に欠けます。初めての戦いだからなのでしょうか。あと、詐欺師ペイルが素直に悪事を告白するシーンがあるのですが、まだ感情移入できてなかったので、早いなあという感覚でした。グレイはこの街でお別れ。どうやらペイルとサンドも街に残るようで、ボルドーとシエラのふたり旅になるようです。と思ったら街の外までペイルが追いかけてきて仲間になりました。
このお話で心気という概念が出てきたものの、戦闘シーンで出てきたのは心気による治療くらいでしょうか。新しい概念が出てきたのだから、もう少し具体例を出して、その一方で謎の部分を明示する。そういうことをしてくれたら、楽に世界に入り込めるのかなあと思います。

ローズ編

 また視点変更です。セピアという女性が出てきます。ここまで来ると、各編での主役とでも言うべき人物が出てきて、その人の視点で物語が始まるのだろうと覚悟を決めることが出来て読みやすくなってきます。
 第3話にして、ようやく人数の多さに慣れてきました。このあたりまで読めるかどうかが個人的には勝負ですね。こうなってしまうとキャラにも愛着が湧いてくるので読みやすくなってきました。シエラの記憶を辿る度でもあるわけですが、シエラの記憶力のなさが気になります。なにか理由があるのでしょうか。
 ローズに到着した一行。ボルドーは旧知を訪ねて情報収集。ペイルとシエラは飲食店でローズ編の主役とも言うべき人になるであろうセピアと出会います。このあとペイルはセピアに敗北するのですが、強さとは何か、という問いがボルドーから提示されます。難しい問いですよね。ペイルはいつか答えを出すことができるのでしょうか。老人の年になってなお、知ったかぶりをせずによく分からんがなと言えるボルドーは相当人間ができているなあと思います。あと、シエラにとっての首飾りは、ルフィにとっての麦わら帽子的な役割を果たすようです。
 物語の作中でローズの正体がルモグラフ将軍の娘だと明かされるのですが、名前アレルギーの私には誰だそれ、となってしまいます。知らない人の友達の話をされた時のような気分です。多分この辺り伏線になっていて、物語的に必要なのでしょう。
 シエラに負けたセピアはそのまま道中を共にすることになります。元スクレイ十傑であろうボルドー、首飾りの少女シエラ、元詐欺師ペイル、将軍の娘セピアの4人パーティの完成ですね。ただ、次に向かうイエローにコバルトと呼ばれるボルドーの旧知がいるらしく、このまま増えて行きそうな予感がして怖いです。
時間の関係上とりあえず今回はここまでにします。

     

「そうです。私は独りです。」
kumakatsu666
http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=20179

就職活動

 拙著「きっとあなたも独りです。」のパロディとしてアンサータイトル「そうです。私は独りです。」を冠する掌編小説。状態が完結にならず連載とあるので、このまま続けばうれしいです。掌編とあるからにはこれはエッセイではなく小説なのでしょう。小説の世界では断りがない限りフィクションであると捉えるのが一般的です。なのでこの小説もまたフィクションと断じて読み進めていくことにします。
 内容に目を落としますと、就職活動に悩む青年が現状に憤りながらも適者生存あるいは弱肉強食の考え方を通して現状を受け入れていく物語が本筋です。読みやすい文章で織りなされていく疾走感が魅力のひとつだと思います。ただここで一つ重要な点として皆様に訴えかけておきたいのですが、小説というのは表の主題とは別に裏の主題もまた持つものです。本小説における裏の主題とはどのようなものなのでしょうか。
 さて、文章構成と言えば五言絶句の頃より起承転結が王道なわけですが、本小説はですます調により起てられ、口語調に転じて、それを承る形でまたですます調へ回帰した後に結ばれる、いうなれば起転承結の構成になっています。一見、でたらめな文章構成に思えますが、意図的に為されています。ちなみに、英文におけるエッセイの構成としては、イントロダクション、ボディ、コンクルージョンといういわゆる、起、承転、結とでもいうべき三部構成が一般的となされています。kumakatsu666先生の小説もまた承と転をごちゃ混ぜにした三部構成と捉えることもできるのです。
 ここまで読まれた暇な、失礼、賢明な読者の皆様はお気づきかと思いますが、就職活動の現状に小説中の「私」が納得した一方で、kumakatsu666先生は憤りを小説中に隠して表現されているのです。「しかし、しかたがないのであります」とは思っておられないのです。まず、起承転結ではなく、でたらめな起転承結とすることで、古くからの良きものを切り捨てている日本社会をでたらめだと風刺しています。ではなぜ我が国の現状がそうなってしまったのか。答えは文章中にあります。先生が日本の文章構成を壊して仕方なく新たに取り入れた文章構成はどこの国のものなのか。適者生存に勝ち抜いた国はどこなのか。もうお気づきですね。戦争に負け英米の方式を取り入れたことが、でたらめな現状を招いている。その憤りこそがこの物語の裏の主題だったのです。

追伸
名も知らぬ就職中の「私」へ。
私はフィクションの世界が大好きです。
もし私が小説の中の世界へ転生できた暁には、是非お友達になってください。

     

「金色のくびき」
後藤健二
http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=19992

第一話(表)

 くびきという耳慣れない言葉がタイトルに含まれています。第一話(表)とありますが、裏もあるのでしょうか。お話の舞台はフォーグル族の領域。フォーグルが永遠を意味する単語であるとふり仮名で分かり、物語の世界観に引き込まれていきます。主人公アモンが得意な狩りをしていると、略奪に長ける兄のチョローが王国から美しい女性を略奪し、鉄のくびきを巻いて連れ帰ってくるところから物語は始まります。
 くびきは頸木、軛。文字通り首にはめる木、転じて首輪全般のことなのでしょう。農業では共軛と呼ばれる複数の家畜を同じ方向に向ける用具にも使われるらしく、キリスト教が従来の厳格な宗教を批判し教徒を増やすために、奴隷のくびきを外せと喧伝したそうです。厳格な教義と自由の丁度良いバランスはいつの時代も難しいのでしょうね。ちなみに、共役な複素数というときの共役は共軛から来ているそうです。
 だいぶ話が逸れましたが、タイトルの金色のくびきは黄金髪の女性がくびきを巻かれているからなのでしょうか。そんなことを考えていると次々に展開していき、最後の一行はとても予想外なことが起こり、どういうこと!? となります。連載物で次を読みたくさせるのは基本だとは思うのですがなかなか実践できず、さらりと実行されているところがうまいなと思います。
 フォーグルが永遠を意味する言葉だと書きましたが、他にも様々なフォーグル語が出てきます。永遠がフォーグルで、天がテングルだったりして、繋がりを想像する楽しみもあります。主要人物の名前も同様なのですが、蛇だとか虫だとかロクでもない意味ばかりです。変な名前を付けて魔除けにする遊牧民的な考え方なのでしょうか。それともフォーグル人にとっては身近な、あるいは尊敬すべきものなのでしょうか。始まったばかりで世界観に馴染むのに必死です。

第一話(裏)
 表はアモン視点だったのですが、裏はその妻ディーナになるようです。おなじ物語を表と裏、アモンとディーナの視点で交互に見ていくようです。こういう小説はどうしても裏がただの答え合わせ的になりがちなので、そのあたりをどう処理していかれるのかこれから期待して見ていきたいですね。
 ディーナが王女様でした、ということよりも、フォーグルの言葉が多少分かることのほうが意外でした。遊牧民に捕まってなお余裕があったのはそれがためなんでしょうか。本人の性格もなかなか豪胆な女性なようです。語り口は知性を感じさせるのですが、その一方で短慮であったり大胆であったりとなかなか掴めない女性ですね。
 第一話の裏ということで、そういうことだったんだあという気持ちになりました。物語としては、表から進まないので、一話の後がこれからどうなるかという楽しみはおあずけのままで気になります。

     

「Wild Wise Words」
音引ココ
http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=15598

 懐かしい作品で、この企画に合わせて更新していただけたということで非常にうれしかったです。説法屋という共通の登場人物が出てくる短編集の形式をとっています。短編は独立しているように見えて、実は時系列順に並んでいます。ひとつだけ個人的な自慢がありまして、コメント13の時系列? は私です。多分時系列に最初に気付いたという自信があります。どうでもいい話でした。笑。短編集ということにして、更新分のみ感想を書きます。

地均しの蟻

 地均しの蟻とそれを観測する昆虫学者の物語。もちろん説法屋も出てきます。地均しの蟻という発想が面白いですね。馬鹿でかい蟻が惑星を球にするまで歩き続ける。すでに一億周以上しているそうです。時間の単位で「劫」という単位があります。未来永劫の「劫」ですね。四年に一度、天女が一里四方の岩を羽衣で撫でてなくなるまでの時間だそうです。地均しの蟻が神話の怪物であれば、惑星を球にするまでの時間にも何か呼び方があるのでしょうか。
 自分はここにいる、ということを伝えるために小説を書いているのかなと思うことが私にもあります。私が私でしかないことの証明のようなものです。もちろんそんなことしなくても私はここにいますし、私はどう足掻こうとも私でしかないわけですが、そういうことをしたくなることがあるのです。暇の成せる業なのでしょうか。説法屋は何のために説法屋なのでしょうね。

兄弟剣舞

 兄弟剣舞は復讐の連鎖のため。復讐が馬鹿らしいとおもいながら復讐をする気持ちというのはあまりわかりませんが、自分も仇ができたらそうなるのでしょうか。ルールのある敵討ちを認めるべきかというのは歴史上議論のまな板に頻繁に置かれるもので、御成敗式目以来法律では多く禁止されているわけですが、面目や意地といったものを守るためにどこまで必要かという議論も残されるわけです。死刑廃止論への反対意見としても敵討ちが起こることへの危惧もあるわけですよね。馬鹿馬鹿しいとどこかで思いながらそれでも復讐する気持ちはなかなか理解が難しいものです。強くあることが重要な世界観のようですが、必要がそういった気持ちを産むのでしょうか。やはり理解は難しい。

彼女はどこへ?

 円筒形の瓶に閉じ込められた小さな海辺。いつ誰にもらったのかは最早覚えていませんが、私も昔誰かからおみやげとして貰った記憶があります。読み手の記憶の奥のほうにあるものを、記憶に関するツールとして物語上に入れこむのはとても単純でとても上質なテクニックに思えます。
 分解するのが得意な語り手は、人間、あるいは人間の思念といったようなものを分解して売り払っていくのですが、一点の曇りもない純粋なものほど高く売れるそうで、私なんかは捨てるところだらけだなあと思います。どこかに珍味好きでもいてくれればいいのですが。
 記憶だけは分解してもそこに無くて、死とともに失われるという感覚は分からなくないような気もします。日記を書くにしても記憶をそのまま取り出すというのは本当に難しくて、むしろ生きていても少しずつ失われていくような独特な切ない感覚がします。

     

「Bサイド」
若樹 ひろし
http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=19256

短編集です。最後の一文でびしっと謎明かしがされるタイプの作品が並んでいます。こういう作品は謎解きがばしっと決まれば書いている方も読んでいる方も気持ちいいですね。

受験対策

 前振りで、一文でばしっと決まるタイプと書いたのですが、今回の更新分は少し様子が違います。謎解きは後半に入ったあたりでされるのですが、そこからモヤモヤが残されます。公平性や青少年への影響を考えると、ドーピングは排除されるべき問題なんでしょうが、特に知的なものに対してはどこまで排除されるべきかは難しい問題ですよね。スポーツの世界ではドーピングをして得た記録は抹消されるのでしょうが、薬物に頼って書かれた数学の証明の功績は書いた本人にやはり与えられるのでしょう。本文中には書かれていませんが、人体改造やドーピングと言ったものの副作用について少し触れてあればもう少し物語に奥行きが出たのかと思います。もし何もないのであれば、卑怯かどうかのような論調だけで禁止に至るほどの余裕は人間にはない気がします。

     

 少し遅くなりましたが、感想をageました。最後になりましたが、感想対象日に更新してくださった先生方ありがとうございます。また、読んでくださった皆様もありがとうございます。すこしでも作品に興味が湧いていただければと思います。そして、読んだ際には、是非コメントを各作品に残していただけると、好き放題言われるのを覚悟の上で更新してくださった先生も喜ばれるかと思います。何卒よろしくご協力お願いいたします。
 次回に関しましては以下のとおりです。

■第二回感想対象日
サイコロ (3,3)
日付 2017年6月3日
雑誌 ニノベ

ご更新よろしくお願いいたします。

       

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