Neetel Inside 文芸新都
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山手線
第一日

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 大崎駅で乗り込んだ。昨日は上野から、一昨日は巣鴨から乗った。ICカードを滑らせる手つきも様になってきた。乗り込んだ側のドアに最も近い席が空く。すっと尻を乗せると、間も無く電車は動き出した。
 向かいには薄汚い男。黒のダウンジャケットを着ているが、チャックはだらしない位置で留まっており、そこから上に、さらに少し濃い黒のセーターが伸びている。いわゆる徳利型のセーターから不器用に太い首が伸びる。古い家の観葉植物じみた佇まいで、顔に絡みつく髭や髪は睾丸と陰毛の拡大図にも見える。三人掛けになっているが、やはり植物の周りに寄るものは無い。銀の華奢な手摺りを挟んで、四十に絡んだ婦人が顔をしかめて座っていた。確かに腐臭がする。
 つつら、つつらと電車が動くのに合わせて、男が小刻みに揺れている。揺れているかと思ったら、錆びかけた歯車をまわすように今度は顎を動かす。忙しなさは見た目と裏腹にしばしば愚鈍さを表す。肝心な時にこの男は逃げ遅れて死ぬはずだ。
 五反田に着いた。

 人前で化粧をする女。人前で飯を食う男。飯を食うところを人に見せることは、恥ずかしいことではないのだろうかと不思議に思う。いつだったか、「人前で飯を食うことは、人にセックスを見せることと同じである」という文章を読んだ記憶がある。同じように粘膜を使い、舌も使い、体内にものを入れ込んでいる。咀嚼の音もピストン運動によって動き回る粘液の音によく似てはいまいか。ヨーロッパでは、「食べて歌って恋をして」という言葉があるらしい。人生のありようを語る言葉らしいのだが、どうもこの「恋をして」というのはセックスのことだという。やはり同列に並べられるものなのだ。
 ならば、人前でものを食べることを忌むべきか、それとも人前でセックスすることを許容する社会構造でなければ道理が無い。しかしこの男には、後者の理念を遂行するような度胸は無さそうなのであった。

       

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