Neetel Inside ニートノベル
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 突然サウナの扉が開かなくなり閉じ込められてしまった俺たち14人。なじみの客達が暑さと非常事態にへたり込んでしまった工場長を介抱している間もケンちゃんを中心に屈強な男達がドアを全裸で押したり引いたりしている。

――室温120度越えの灼熱地獄。その混乱の中で俺は息を吐き出し、静かにベンチから立ち上がった。

「インドマンに変身してドアを蹴破ってやる…」そう思って腰に目を落とすが当然、入浴前に外してロッカーに閉まってあるのでベルトは巻かれていない。「油断した、敵アクターの襲撃か?…もしくはインドマンの呪いかよ。クソがぁ」俺は頭を抱えてその場に静かに座り込んだ。

 すると俺の隣に英国のウィリアム王子のような気品を漂わせた禿男が擦り寄ってきた。「ボク達、このままここで死んじゃうのかな」ドアの前で汗だくの顔を仰いだケンちゃんの下半身を眺めながらその男は言う。

「キミはまだ若い。学生くらい?ボク、いくつぐらいに見える?」なんだこのオッサン、こんな状況でどうでもいいクイズ出してきやがった。エジプトだったらその場で即、スフィンクスに頭から喰われても文句は言えない質問にも俺は丁寧に「35歳くらいですかねー?」なんて答えると「正解!気が合うねボク達!」と奇跡の回答を導き出してしまった。面倒臭ぇ。

「ボク35歳だけどこれまで一度も女の子と付き合った事がないんだ」突然のDT告白に口の中の水分が噴き出した。「ははっ笑えるだろ。別に彼女を作らずに没頭できる趣味があったり、仕事が忙しかった訳じゃないんだ。自分の人生は女性とは縁がなかった。そしてなにより、弱気な自分に自信が持てなかった」

 抑揚の無い語り口でとうとうと語り出す間もドアを叩く男たちの拳の音は止むことはない。しかし彼はもう助からなくてもしょうがないと思っている。死を覚悟しているのだろう。その据わった瞳の視線は俺の腰タオルに注がれた。

「どうせこのまま誰も助けに来なくて死んじゃうんだ。それなら最後に自分で人生に花道を飾ってやる!もう構わないさ。男のオマエでも」ウィリアム王子が俺に飛び掛るより先に俺はその場から飛び上がっていた。

「俺もドア開けるの手伝います!」するとその瞬間、どこからともなくゴゴゴ、とポンプが動く音がして反対側の壁を眺めると嘘か真か、物凄い水量が壁を突き破ってこっちへ流れ出してきた。

「ど、どうなっへ!むごご!」ケンちゃんが叫ぶより先に身体を大量の水が包み込んで、その濁流は出口を探して入り口のドアを突き破った。「や、やったで!これで出られる!」そう叫んでゴブリンのような見た目の工場長を中心に立ち上がった全員が脱衣場目がけて走り出した。

 俺は水流の勢いで吹き飛ばされ、八つ墓村のように電気風呂に突き刺さったウィリアム王子の両足を振り返りながら男たちと同じように風呂場を脱出した。


「ぷはー!生き返るでぇ!やっぱ入浴後に一杯はサイコーやなー!…てかどうなってんねん、ここのサウナ!いっぺん苦情入れたるわ!」俺が服を着る後ろで口角泡を飛ばしながら元気になった工場長が大声を張り上げている。他の皆も勢い良く腰に手を当ててコーヒー牛乳(もしくはイチゴ)を飲んでいるのでその声にみな頷きながら答えている。

 俺は腰にチャクラベルトを巻きながら冷静に頭の中で状況をまとめ始めた。スパ銭のサウナに入ったらドアが開かなくなって非常ボタンを押しても誰も助けにこなかった。そしてその間誰もサウナ室には近寄らず、命のリミットが見えたタイミングで大量の水によって部屋から押し出された…考えるだけ無駄だ。意味が分からない。

 何か情報は、と探して俺は服を着て休憩室をまわる。するとマッサージチェアに茶羽織を着た美魔女風の女性が声を出しながら揉み玉に肩を叩かれていた。「駄目だ、ここには何も無い」「よぉぉくきぃたわねぇぇいぃんどまぁぁん」「もっと別の場所を…ってえええ?」

 驚いて声がした方向を振り返ると、20代後半から30代半ばと思われる女性が椅子の横にあったリモコンを手にとって表示されている画面に長い睫毛に囲われた瞳を落とした。

「まだ3分残ってる。でもいっか。ロワイヤルで優勝したら億万長者だし」ピーっと長い電子音が鳴るとゆっくりとその女性の座る椅子が起き上がった。「オーケー、レストタイムは終わりよ。ビジネスの時間ね」リラックスした表情から一転して凛とした態度でその女性は椅子から立ち上がった。

「始めましてインドマン。私の名は立花生憂たちばなきうい。中学受験生向けの教育動画を配信するネット教師を仕事としているわ。変身アクターはエスメラルダ・エルモーソ。スペイン語で可愛いお嬢さんという意味よ」

 大げさな身振りで声を張って自己紹介を始めたその髪の長い女性にあっけに取られながらも俺は腰のベルトに指を置いた。

「へぇ、変身前に色々喋っちゃっていいのかい?」「ええ。構わないわ。そうじゃないとサプライズでトラブルを仕掛けたワタシが悪いみたいだもの」…やっぱりあのサウナでの一件はこの女のせいだったのか。顔の前に乱れた髪を払ってタチバナと名乗った女アクターは言った。

「ワタシのエスメラルダはアナザーアクターとはディファレントでスペシャルなスキルをギブしてるの。セレクトしたルームに色んなトリックを仕掛けられる。あのままだと本当に死病者が出そうだったから壁から水を出して助け舟を出してあげたわ。凡夫と一緒に慌てふためくなんて、意外と大した事ないのね。インドマン」

「何言って…風呂場で変身が出来るかってんだ!」「はぁ、もうちょっと気転が聞くと思ったのよね」タチバナは少しがっかりしたように厚ぼったい唇から溜息を吐くと右手中指に巻かれた指輪を俺に見せるように手の甲をかざした。

「これでワタシの能力紹介は以上よ。変身!」白い光がタチバナの体を包み込み、くるくると回転する度にアクターフォームが身体に取り付いていく…初の女性アクターによる変身シーンなのだけど、相手が守備範囲外である中年一歩手前の年増女性だったので俺はなんだか「あ、もういいっす」って感じで畳の縫い目に目を落とした。

「なによ!ちゃんと最後まで見なさいよ!ほら、サービスシーン!色々揺れてるわよ!あ、お腹は見ないで……んん!華麗に参上!美しき女教師、その素顔はエスメラルダ・エルモーソ!」

 場末のスパ銭に現れた女アクター。「変身、インドマン!」相次ぐ異常事態に発汗は加速してゆく。

       

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