Neetel Inside ニートノベル
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 気がつくと俺の身体は薄暗い部屋の椅子に座らされていた。後ろから差し込む光がカラカラと音を引き連れて目の前の銀幕を照らしている。

 ゆがんだ空間から意識がはっきりと戻ると俺はその席を立って辺りを見渡した。どうやらここは小劇場を模した相手のテリトリー内らしい。

「う、う~ん」前の席で見慣れた禿げ頭が倒れこんでいた身体を起こしてその寂しい頭を揺らす。「親父!」「英造、どうしてここに?」振り返った親父が俺に訊ねると頭の上でパン、パン、と乾いた手を叩く音が響く。

『日比野英作さん、そしてその息子の英造くん。キミ達が眠っている間にこれまでの半生を見せてもらった』「お前は誰だ!?何の能力を使ったんだ!」声の主を探すが周りに人の気配は無し。

『そんな剣幕で怒るなよ』諭すようになだらかな口調で敵アクターは語り始めた。

『僕の名は黒沢優作。映画監督と俳優をくっ付けたような名前だけど本名さ。この名の通り、普段は映画を撮ってコンペに出すなり、たまに作品をネット配信をしている』

「やっぱり動画配信者か…」「英造、どうなってるんだ?父さんにはさっぱり……」事情を飲み込めない親父が俺と正面の銀幕を見比べるように首を動かす。その様子をみているのか、声の主は愉快そうに話を続ける。

『僕の能力を紹介しておこう。僕はテリトリーに入った相手の半生を読み取って映像化する能力を持っている。初めてアクターとして能力を発現した時、これは当たりだと思ったよ。
人の人生は一度きり。しかしこの能力を使えば他人の人生をあたかも自分が経験したように感じられる……!元々不公平だと思ってたんだ。能力のある人間がひとりの人間として一つの人生しか楽しめないなんて事をねぇ~~っ!』

「ふざけるな!人の人生を乗っ取る気か!」俺が声のする方向へ怒鳴ると笑い声が止み『おっと勘違いしないでくれよ』と弁明が続く。

『僕はこの能力を使って相手を破滅させようとか、意のままに洗脳しようだとかそんな魂胆はないんだ。人生とはその個人が生きた記憶。僕はそれを読み取って映画を撮る。他人の人生を直接自分の事のように経験することによって今までよりもはるかにリアリティのある作品を創り出せるようになったんだっ!
僕はアクターとして自分に与えられた武器カードで映画製作者として戦っている。ただそれだけの事さ』

 話が終わると部屋にブザーが鳴り響く。『さぁ、上映の時間だ。お客様は席についてもらおう』「…どうなってるんだ?」銀幕が開き、その中から大型スクリーンが徐々に姿を現し照明がハーフライトから次第にオフライトへと色を落としていく。

 相手に手出しが出来ない以上、俺はとりあえず親父と席につく。『これから上映される作品は{日比野英作、煩悩に奔走する凡人の半生}とでも銘打っておこうか。出演者であるキミ達にこの映画を愉しんでもらえれば幸いだよ』

「映画だと?ふざけんなよ。親父、相手の精神攻撃だ。どんな映像が映っても動揺したらダメだ」前の席に座る親父に声を掛けると笛の音が主旋律のBGMが流れ、目の前のスクリーンから白黒映画が始まった。

 白い墨字で画面に{主演:日比野英作}と大きく名前が踊ると舞台は昭和歌謡が流れるバーに場面転化。カウンターの席に座り、スコッチをテーブルに付ける若い背広姿の青年が中心に映し出される。

「あれは、若い頃の俺だ」呆けた顔で口を開けた親父と向かい合うように画面の中の親父が何か悩みを抱えているのか、深く溜息をついた。

「おいおいどうした~?東京の市役所に栄転が決まったんだろ~?今夜はもっと浮かれてもいいんじゃないの~?英作ちゃん」隣に座る同僚と思わしき男が既にできあがった様子でマスターにウイスキーを頼む。

 話の主役である英作がグラスを飲み干すと美空ひばりの曲が終わるタイミングで「いや、ね?」と語り始めた。

「大学を卒業して公務員になって結婚もしたけど、俺の人生これでいいのか、って思っちゃってるんだよね。まるで誰かが敷いたようなつまんないレールの上を歩くように歳とっていってさ。青春のイロハも知らないまま大人になっちまった気がしていてさ」

「その歳で出世して嫁さん貰えてれば充分上出来だよ」薄められたウイスキーがテーブルに置かれると「いやぁ、それなんだがね」とグラスを傾ける同僚の隣で英作は愚痴を吐き始めた。

「東京に栄転、なんて言っても俺の上の派閥が権力争いに敗れてソッチ派じゃなかった俺がほとぼり醒めるまで飛ばされるだけだからね?嫁だって見合いで2、3回会っただけでそのまま丸め込まれて結婚までいっちまって。化粧を落としたらあんなにブスだとは思わなかったよ
……マスター、この歌良いね。なんて歌手?」

「ああ、品川ジュン子だろ?週末に奥のステージでよく歌ってるコだよ」無口なマスターの代わりに饒舌な同僚が答える。「…品川ジュン子、おい、まさか!」映画館に座って観ていた中年の英作が席を立ち上がった。

「おい!ちょっとこの映画止めろ!」「お、親父どうしたんだ?」何かを思い出したように取り乱す親父をよそに映画のストーリーは進んでいく。画面には週末にバーのステージで弾き語りを披露する赤い口紅を塗った若いシンガー、品川ジュン子をかぶりつきで眺める若き英作の姿が写し出されている。


「あら、英作さん。また来てくれたの?」演奏が終わり、別のバーで飲み直す英作と品川ジュン子。BGMには彼女が歌う伸びやかなラブソングが流れている。

「キミの歌を聴いてボクはこれまでの人生が間違いだって気付いたんだ。ボクが心から本当に大事に思うのはジュン子さん、キミひとりだけだよ」

「嫌だわ英作さん。奥さんいるんでしょ?」いたずらっぽく笑う色白の品川ジュン子は今の芸能界でも通用しそうな美しさをコマ割りのフィルムから振りまいている。

 バーの看板が写り込み俺ははっと息を呑む。妻帯者である冴えない公務員と地元で細々と活動する美しい女性歌手が逢引をするこの場所こそ、BAR金羅紗であった。

 密会を続けるうち、ふたりは次第に距離を縮め、栄作はジュン子が住んでいる安アパートの四畳半に上がり込む。これはお茶の間的に良くない流れだ。

「ジュン子、ジュン子!……愛している」「私もよ英作さん」


「………ここは18禁だ」生々しい濡れ場が繰り広げられ、親父の大きな咳払いがシアター中に響く。「あんた、結婚してんのにこんな浮わっついた女と付き合ってたのか」俺が呆れたように親父に言うと開き直ったように震えた声が応える。

「ふん…若い頃ならよくある事だろう。ちょうど今のおまえと同じくらいの年頃だ」長く、キツい濡れ場シーンが終わり映画の場面は栄作の家庭を描いている。嫁である清子が出勤前の英作に背広を着せながら声を弾ませてこう告げている。

「ねぇあなた聞いて。わたし、妊娠したみたい。もう3ヶ月ですって」ネクタイを締めながら複雑な表情を浮かべる英作。「おい、親父。あんたまさか…」俺の嫌な予想は当たり、親父は東京で公務員として今まで通り働くかたわら、週末は田舎のバーで品川ジュン子との逢引を続けていた。

 しかし、真の絶望はその先にあった。

 栄作は次第にジュン子と連絡が取れなくなった。ジュン子が歌手としての自信を無くしたのか、家庭を持つ栄作から身を引いたのか、他に男が出来たのか、わからない。

 胸の内にもやもやを抱えながら仕事をこなす栄作の部署の電話が鳴った。奥さんが御懐妊ですので、すぐに病院へきてくださいとの連絡をうけ英作が向かったのは東京の病院ではなく地方へと向かう新幹線であった。

「親父!」前に座るホンモノに呼びかけるも映像を肯定するかのように反応は無い。

「ジュン子、ジュン子ぉぉ~~!」

 自分を絡め取るしがらみから逃れるように逃れるようによたよたと数ヶ月ぶりにBAR金羅紗に足を運ぶ英作。しかし彼は店の前まで来て愕然とする。人知れずBARは閉店し、それはもう二度とジュン子の逢引が叶わない事を意味していた。

 打ち付ける雨の中、女の名前を呼びながら地面を呻きまわる男の姿を俯瞰で眺めながらエンドロールが流れ始める。その主題歌はサビでわたしを大事にしてくださいと繰り返す品川ジュン子の『金羅紗の花』であった。


「おい、親父!」堪え切れなくて席を立った俺は画面の自分と同じように頭を抱えて倒れ込んだ親父を引き起こす。真っ青な顔で目を見開いた父親に当事者として俺は言う。

「…母さんが言ってたよ。俺が生まれた日に父さんは居なかったって。それがまさか愛人に会いに行ってたなんて」

「す、すまない英造…」『はっはっはっは!これは傑作だ!』周りの照明が上映前のハーフライトに戻り再び頭の上から笑い声が聞こえる。ひとり分の拍手が鳴り止むとその声の主、黒沢は言った。

『公務員として真面目に働くかたわら、プロの歌手を目指して活動に励む若い女に入れ込んでいたとはね~日比野英作っ!はじめ見た時はこんな中年親父に秘密などないと思っていたけど、人に歴史あり。
素晴らしい半生を見せてもらったよ!…東京からジュン子の待つ地方へ向かう時、新幹線の車内でどんな事を考えていた?必要なんだ。実際の質感を求める製作者としてっ!是非詳しく聞かせてくれっ!』

「いい加減にしろ!!」

 父への洗脳、自分の迷いを断ち切るように俺は声を張り上げた。「英造…」ずり落ちた眼鏡を直そうともせずに親父が顔を上げた。俺はこみ上げる怒りを飲み込んで胸の内を振り絞る。

「確かに…俺の親父、栄作は家族がありながら若い女に貢ぎこむとんでもないクズヤローだった。でももう、時効じゃないか。若かった頃の過ちを掘り返してどうして父さんを苦しめるんだ」

 親父がゆっくりと身体を起こして虚空に呟くようにぽつぽつと言葉を浮かべた。

「英造な、父さん楽しかったんだ。最近仕事が辛くてふと、昔よく通ったバーが有った場所に来た。当時の事を思い出して懐かしい気持ちになった。でももうあの場所は無いんだな。そして、若かった品川ジュン子も」

 しなびた背広からあの真っ赤なマッチ箱を取り出すと親父はそれを一思いにくしゃりと握りつぶした。

「もうお別れだ。いい夢をありがとう。そしてさようなら」空中にともし火を浮かべるように親父が視線を上げると頭の中にあのアナウンスが鳴り響いた。

「この勝負、アタッカー側であるシネマ・スタッフの先導に耐え抜いた結果により勝者、インドマン。このバトルにより、新たに『運命の車輪』のカードを手に入れました」


「な、カードだと!」驚いて手に取ったその札はアクターバトルで使われているカードの柄のひとつであった。俺たちの勝利を祝うように、感服するように黒沢の拍手が鳴る。

『このバトルを仕掛けて最後まで正常に精神を保っていられたのはキミ達親子が始めてだっ…実はひそかにカードコンプリートを狙っていたんだがね……このアクターバトルは完全待ち伏せ型の僕の能力とは相性が悪そうだ』

「おまえ、俺たちにこんな事をしてただで済むと思うなよ」『勝負はもう終わったはずだろ?これが僕が仕掛けた戦いさ。おめでとうインドマン』

 どこからともなく席を立つ音がして相手の声が遠くなる。靴のかかとで床を踏み鳴らす音の合間に黒沢優作は名残惜しそうに俺たちに告げた。

『まさか救出される立場の人間にこの能力が破られるとは思わなかったよ。父は強し、と言った所か。まあいいや。僕はこれからもアクター能力を持つ蜘蛛としてこの巣にかかる半生を喰らいながら作品へのインスピレーションを広げていこうっ!』

「…エンドロールが終わった。うちに帰ろう親父」スクリーンが消え、館内にブザーが鳴り響き、銀幕が閉じ始める。顔の無い男との闘いは終わった。俺はいまだ倒れこんでいる親父に肩を貸す。

 親父は眼鏡を手にとって俺の肩にすがるようにおいおいと泣きはじめた。

「えいぞぅ…どうしてそんな風になっちまったんだぁ…」やめろ。頼むから止めてくれ。相手の能力が解けて風景が元の団地の廊下に戻り、すっかり日の暮れた商店街をズタボロの父親を引き摺るようにして歩く。

「父さんはなぁ、おまえが東京の大学に通うって会社のみんなに自慢してまわったんだぞぅ。うちの子は将来有望だってなぁ。それなのにゆーちゅーばー、ってなんなんだよぉおまえ。しっかりしてくれよぉ」

「…しっかりするのは親父の方だ」駅のホーム、待合室のベンチに親父と一緒に座る。子供の頃、あんなに恐く思えた親父の背中が小さく見える。「親父、迷惑かけてごめん。もう少しだけ、我慢してくれよ」俺は小声でそういうと立ち上がって涙を拭った。

 カードを集めきってアクターロワイヤルで優勝して俺の生きる道、見つけてみせるからな。無事に親父を家に連れ帰って事の経緯を六実に報告。そして一週間が経った……


「お母さん、学校行ってきまーす」

 平日の朝、六実が玄関で明るい声を伸ばすと母の清子が「ちょっと、今日から冬服じゃない?」と呼び止めて「いけない!」と声を上げて六実が部屋に戻っていく。

 入れ違うように父の英作がとぼとぼと玄関に立った。

「はい、今日の分」「はい…」栄作は清美から小銭を受け取ると暗い表情のままドアを開けた。着替えを済ませた六実が見送りもせずに居間に戻ろうとする母に訊ねる。

「お父さんまたお昼ごはん500円だけじゃない。何かあったの?」娘の問い掛けに母はふん、と鼻をならしてこう答える。

「いいのよ、だってあの人浮気したのよ」「それって何年前のはなしー?」

「時効なんてないわよ。言わなくなって気付いてたんだから。私ずっと我慢してたのよ。あの人が定年退職してひとりでトイレも出来ない歳になってからずっと言い続けてやる」

――母の独白を受けて俺のトイレでひり出すものが柔らかいモノに替わっていく。昭和女の怨歌えんかは今を生きる男の薄い胸板にヘビーに響く。

 こうして日比野家の家庭内ヒエラルキーは完全に頂点が入れ替わってしまったのである…!


第八皿目 天竺からのWalk This Way

 -完-


       

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