銃を構えて戦闘準備を取るキタローを前にオールバックの頬骨が強張った男は格闘家を彷彿とさせる青いグローブをはめた軽装の異人へと姿を変えていた。
フェンシングのマスクのような感情の読み取れないフォームを砂煙にゆらりと浮かべ、袖の破れた胴着の裾と額に巻いた鉢巻が風に揺れるとオクタアンクと対面したそのアクターは顔の前でグローブを構えた。ピーカーブースタイルだ。ボクシング漫画で見たことある。
オクタアンクの方がじりじりと間合いをとるように足元の砂利を踏みしめる。「一応誤解が無いよう自己紹介しておこう」攻撃対象へと標準を合わせたままグローブ越しにその男は私たちに語った。
「俺の名は柳下誠二。元フライ級ボクシングの国内王者だ。今はスポーツインストラクターとして動画投稿サイトにシェイプアップ動画をあげている」
私がボクシングチャンピオン、と言いかけると「相手のブラフかも。というかボク、そんな昔の人なんて知らないし」とアンクがナチュラルに相手を煽る。ほう、と強張った相手の声に臆する事無くアンクは続けた。
「動画再生数がそこそこ伸びてアクターデビューか。そんないかにもなフォーム選んじゃって~昔の栄光にすがりついてるだけじゃん。悪いけどサクっとバトル終わらせてあんたが持ってるカードを頂くよっ!」
会話の途中で相手の隙をついて銃口を向けるオクタアンク。
「先手必勝!
スプレーガンから放たれた黒色の液体が相手のアクター目がけて飛び込んでいく。兄であるインドマンがあの銃弾の正体は重油だと語っていた。
その銃弾が目の前に迫った瞬間、相手のアクターが巧みなステップワークでその弾と次に放たれた追撃弾を交わし短く距離を詰めてきた。さすが元プロ格闘家。
そういえば『本人の素質はアクターに活かされる』と春頃に私を誘拐したティンカスレスラーが自身のチャンネルでへらへら語っていたのを思い出した。
「甘いよ!触手ちゃん、カモン!」
アンクがその場から華麗なターンを含めたバックステップを決めると相手の背後から細い触手が地面からぬらり、伸び出して相手の身体に巻きついた。
「これで決まり!六実おねぇちゃんの前でいいトコ見せた!」
一言余計に口走ってアンクが緊縛した相手に再び銃口を向けた。と、思ったその時、目の前の触手の輪が急に空になり、死角から高速のダッキング。
レスリングの要領で相手がアンクを地面に頭から圧し伏した。絶対的優勢から一転しての大ピンチ。
「最近の子供は礼儀がなってないねぇ。まず、口の利き方がなっていない」
敵アクターがうつ伏せにしたアンクに跨って片腕を持ち上げて締め上げている。「大人の話はちゃんと最後まで聞くものだ」掴んだ手首を内側に捻るとアンクの悲鳴が一面に響く。ど、どうしよう。慌てふためいて辺りを見渡すがアクター空間に飲み込まれているためこの場に居るはずの部外者は排除されている。
「俺のアクター名は『ライ&カメレオン』。ときに日比野英造の妹、この姿が視えるのか?」
マスク越しに敵アクター、ライ&カメレオンが私を睨んでいる。しどろもどろになる私に「まぁ、大差ないか。この子供を退けたら俺と一緒に来てもらう」と冷たい言葉を残して締め上げているアンクに視線を戻す。
どうもダメージを受けている状態だと地面に埋めた触手を出すことが出来ないらしく、ぎりぎりと軋む筋肉の痛みに歯を食いしばる音が散らばる。
「分かるか?三角筋が外れかけて上腕二頭筋が捻られている。大胸筋と腹斜筋が攣っているな。二次性徴前だってのに一丁前に運動不足か。スマホやゲームのやり過ぎなんじゃないのか」
右腕を締め上げながら触診するように余裕を見せるライ&カメレオン。「け、健康診断を受けに来たワケじゃないね」馬乗りになる相手を跳ね退けようと身体を揺らせてアンクが抵抗する。表情は判らないけど声は苦しそうだ。
「いまので大腿四頭筋が攣ったな。まったく、魅力のない筋肉だ」
そう言い放つと握った手首を強く摘まんで反対側の手でアンクの背中を強く押し込んだ。その光景に思わず目を伏せる。ベギリ、と嫌な音が鳴り、アンクの絶叫が響く。
「おいおい、落ち着けって。アクターの姿のままだと実体にダメージは入らない筈だろ?」
諭すようにアンクをなだめるその敵を見て私の足が震えている。アクターバトルとはいえ、なんの躊躇も無く相手の腕をへし折るなんて常軌を逸している。怖いよこの人。恐怖を感じずにいられない。
「さ、今度は反対側だ」
相手が体位を変えようとしたその瞬間を見逃さなかった。アンクは大きく息を吸い込むと顔を地面に叩きつけるようにして口の辺りから思い切り墨を吐き出した。
「拡散性綺羅星!」
大量の墨が地面に巻き散らかされるとふたりの身体が宙に浮かび、相手の束縛から逃れたアンクが一目散にこっちに向かって走ってきた。大丈夫?と荒い呼吸の背中に声を掛けると敵がゆっくりと立ち上がりマスクの奥でニヤリと嗤った気がした。
ぶらり、と折れた腕を垂らしてオクタアンク、喜多竜太郎は私に言った。
「あのアクター、相当ヤバイ」
劣勢を迎えた私たちにゆっくりと敵のアクターが足元を踏みしめて一歩、また一歩と歩み寄ってきた。