会話のきっかけがなんだったかは憶えていない。たぶん私が「なんで彼にこんな事を?」みたいなヒロインセリフを口走ったんだと思う。

 インドマンを誘い出すために私を攫いに来た相手にとって立ちはだかったオクタアンクを退けるのは当然の事なんだろうけど、キタローの折れて垂れ下がった利き腕を見てそう問い質さずにはいられなかったんだ。

 だって相手は世界を目指して闘ってきた元プロ格闘家。それなのにファイトスタイルがあまりにダーティ過ぎる。あんたのそのシェイプアップ動画とやらがつべのおススメに上がっても再生ボタン押さないよ?私。

「そうだな、ずっと考えていたんだ。現役の時から」

 私を誘拐しようと現れた敵アクター、『ライ&カメレオン』。彼はそう呟くとオクタアンクに変身したキタローの前に立ってその鋭い左フックを見舞った。ぐは、っと離れた位置に殴り飛ばされるオクタンク。

 声を出せずに立ちすくむ私を通り過ぎてアンクの元に近づくとしゃがみこんで頭部を掴みあげ、敵のカメレオンは普段と変わらないであろう冷たい言葉をそれに向けた。

「早く立て。まだ戦いは終わっちゃいない。男だろ?」

「もう、止めて!勝負ならもうついてるじゃない!キタロー、早く変身解除して!」

 私の言葉を受けてアンクがブローブをはめた手をゆっくりとベルトに伸ばす。それに気付かれ相手に手首を取られて反対側に捻られるとアンクの唸り声が地伝いに響く。

「さっきの問いに答えよう。なぜ俺がこのガキをここまでいたぶりつけるか、だったな」

 敵のカメレオンはマスク越しに私を睨むようにして顔を上げた。そして抑揚の無い声で語り始めた。


「いいか、人間の行動原理のひとつは恐怖心だ。叶わないと思った相手に対し恐怖が生まれ、その恐怖を避けるために行動する。俺はこのアクターバトルを通して対戦した相手に必ず恐怖心を植え付けるファイトスタイルを採っている。
再度この俺に歯向かって来る愚かな輩を無くす為にな」

「そんなの、ただの暴力じゃない!いい年こいた大人が子供相手にバーチャル空間でいじめなんて情けない!そこまでして叶えたいあなたの夢って何?大人だったらもっと別のやり方で…!」

「俺も昔、先輩に壊された」

 思いもしなかった相手の告白に「えっ」と声が上擦る。頭の角度を少し下げて『ライ&カメレオン』はしばしの回想を始めた。

「あれは俺が国内タイトルを獲って初めての防衛戦。その前日だった。ジムからの帰りに路地から現れた同じ階級の先輩に角材で殴りかかられた。ボクシングを始めて数年の俺が頂点に上り詰めた俺の姿を見てるのが面白くなかったんだろう。
その場で返り討ちにしてやったが利き腕の筋を伸ばしてしまってね。本番では散々な結果に終わったよ。俺の目指してきたゴールがこんな形で終わっちまうなんてな」

「ハイ、回想終了!戦いの最中にお話が長すぎるよ!」

 相手の力が緩んだ瞬間を見逃さず、アンクがその場を立ち上がる。でもそれも相手に読まれていたようで『ライ&カメレオン』は短い溜息のように口元からヒュっと風切り音を飛ばして再びアンクの腕を掴みあげた。

「うがががが……!」

「先輩の有り難い話は最後まで聞くものだ。もっとも俺も現役時代は老害達の言葉なんて右から左、だったがな」

 から笑いを浮かべてアンクの腕を背中側に捻る。そしてその体を地面に押し付けると鳥から翼をもぎ取るように激しく持ち上げてその腕をへし折った。

 再び空に鳴るアンクの絶叫。やばい、このままだとキタローがリンチされてもう二度と戦えない状態になっちゃう。どうしよう。離した掌からぶらり、と重力を失ったようにしおれたアンクの腕が地に落ちると戦況は決した。

「おっと、まだリタイアするなよ。両足が残ってるだろうが」

「こんの、クソ畜生ジジイ……!」

「ほう、まだ軽口を叩く余力があるとはな」

 カメレオンは仰向けに倒れこんだアンクの背中に乗り上げて片足を掴みあげた。やばいやばいやばい。このままだと本当に…!マスク越しに目が合ったキタローが私を見て「あっ」と声を挙げた。

 彼の視線を追うとふと腰のポケットが光で包まれているのに気がついた。急いで手を入れると中から派手な装飾が施されたコンパクトが現れた。えっと、これは、なんだっけ…?


――ああ、そうだ。修学旅行がラスベガスからインドに変更になった時に現地の汚い通りで拾ったんだっけ。あの時はバクシーシ、バクシーシ大変だったなぁ。

 いけない、そんな事を思い出している場合じゃない。アクター以外に誰の介入を許さないこのバトル空間でこのコンパクトが何かのキーアイテムのように光り輝いている。

「日比野英造の妹、やはりお前にもアクターとしての素質があったとはな。お前を餌にインドマンのベルトを譲渡してもらうという算段だったが少しは楽しめそうだ」

 カメレオンがアンクの足を離してその場を立ち上がって私に声を向けた。「どういう事よ?」問い掛けると含み笑いを噛み殺しながら相手はこう言った。

「インドマンはこのアクターバトルにして最大のイレギュラー。本来参加するべきアクターとはまったく別物の存在であると調査を始めたときから感じていた。動画投稿者を巻き込んだこの戦いが終わってもアクターとしての勝負は続いていく。
その時の展開にインドマンの力は必要になる。アクターの存在が公になった世界を統べる覇者。その条件を満たすにはインドマンのベルトが必要だ」

……なるほど。この人は『先』を視てるんだ。アクターロワイヤルによって勝者が決まったその後にバトルとは別に実体を持つことが出来るイレギュラーとしてのインドマンの力を求めている。

 インドマンならアクターバトルのルールに縛られる事無くその力を縦横無尽に振るえる。だったらそんなのなおさら、絶対に許しちゃいけない!

 コンパクトを持った手を伸ばして胸の内から精一杯念じる。

「お願い!私にアクターとしての能力をちょうだい!」

「だめだ…!六実ねぇちゃん!おねぇちゃんはこっち側に来ちゃだめだ…!」

 呼び止めるキタローの声が聞こえる。もうこうなった以上、仕方ないじゃない。私もこの馬鹿げた勝負に乗ってやる。そしてアクターの力をこの身に宿して争いを収束に導いてやる。

 私の決意が届いたのか、錆び付いてどうやっても開かなかった鏡が不思議なチカラによって開かれてそこから発せられた光が体中を包み込んだ。

「えっ、なにこれ!?」

 その光が消えると今度は魔法少女モノで見かけるエフェクトとは別の禍々しい暗煙が私の体に巻きついた。目線を落とすと足元が空気に紛れるように透けている。

「転送が始まったな。早く済ませて来い。それまで闘いは待ってやる」

 遠ざかる『ライ&カメレオン』の声。兄の英造が言っていた。インドマンに成る時に別の場所に意識が飛ばされたと。きっとそれはその時と同じ現象なんだ。

 気がつくと私の体はその黒い煙に包まれて、ここではないどこかの異空間に飛ばされた。

 守られてばかりだった私がアクターとして戦おうとする覚悟。その決断が正解だったと、今は神に祈るしかない。