私を包み込んでいた光が止むと真っ白な視界が開けて意識が元居た戦場に戻ってきた。サナギが蝶に成り代わるような全能感が体中を駆け巡っていく。これは、この姿は、本当に私なの?

 敵のライ&カメレオンに足蹴にされていたオクトアンクに変身しているキタローが地に伏せていた顔を上げて細い声を紡ぐ。

「もしかして、六実オネェちゃん?その姿は…!?」

 良かった。キタローはまだ再起不能じゃない。声の調子から安心して息を吐くとグローブのはめられた手の平に視線を落とす。踵の高いロングブーツに丈の短いスカートから伸びたストッキングフォーム。首元になびくピンク色のスカーフが目視で確認できる。

 おそらく今の私は戦隊モノのヒロインみたいな服装をしているのだろう。「ほう、戦闘者のソレらしい姿に化けたな」敵であるライ&カメレオンが満足げな声を出してこっちへ足を踏み出してくる。

 思わず壁を作るように体の前に腕を構えるけど私に武道の心得は無い。普通の女の子と比べて背は高いほうだけど相手はボクシングの元日本チャンピオン。並みのアクターなら組み合うまでも無くいなされて、まともな勝負にならないだろう。

 どうしよう?砂利を踏みしめて半歩後退すると頭の中で『逃げてはなりませんよ。主に選ばれし乙女』と聞き覚えの有る声が鳴る。精神世界で潜った心理の絵画を思い出して私は瞬時に声の相手を把握する。

「どうすればいいの?」私が訊ねるとその巫女さんは言った。

『貴女は既に全能のチカラをその身に有しています。貴女が理想とする世界を思い描くのです』

「そんな、いきなり中二チックな事言わないでよ!こっちはもう敵が目の前に来てるんだから!チュートリアル無しでいきなり実戦とかありえないし!」

「何をブツブツ言っている?」私が脳内フレンズとのやり取りで泡を食っているとカメレオンが指の骨を一本ずつ鳴らしながらヒュっと短く息を吐いて体を屈めた。

「知っているはずだろ?俺は相手が女子供だろうと手は抜かない。もう二度とアクターとして起き上がる事がないよう、恐怖をお前の心理に刻み込んでやる」

 いい終わるが先か、相手は低姿勢から勢い良くダッキングを仕掛けてきた。距離を詰めて一気に畳み掛けるつもりだ。


――キタローをギタギタに傷つけたこの人は言っていた。人の行動原理の一つは恐怖だと。

 恐怖で人を支配する?確かにあなたは凄い格闘家だったかも知れないよ?でも上の世代が下を弱いものいじめするなんてそんなの只のパワハラじゃんか。そんなの絶対間違ってる。

 戦ってやる。目の前の恐怖から逃げちゃダメだ!

 私は覚悟を決めて足元にあった石ころを握り締めて相手に向かって投げつけた。

「宙に浮いた石ころは隕石になる!」

「はっ?どういう事だ?」

 私の声のでかさにビビったのか、それとも相手の未知の能力に警戒したのか。カメレオンは私の二メートルほど前で立ち止まるとその場で体を起こした。するとどこかからドゴゴ、と地なりのような音がする。

「六実オネェちゃん!上だ!避けて!」

 キタローのキャンキャン声が聞こえて視線を上げるとそこにはありえない光景が浮かんでいた。アクター空間の空天井から大岩のような大きさの真っ赤な隕石が猛スピードでこっちに向かって飛び込んでくる。

「きゃ、危ない!」

 自分とカメレオンの間に墜落した隕石からとてつもない風圧が生まれて思わずその場を飛びのく。「くそ、こうなっちゃ堪らん」同じように吹き飛ばされたカメレオンが起き上がってキタローが寝転がっている方へ走り出した。

…あの卑怯者。キタローを人質にして私にこの能力を使わせないつもりだ。

「驚いたぞ。日比野英造の妹!だがお前が再びそのチカラを使えばこいつの頭を踏み砕く」

……出た出た。世界を相手に戦ったボクシングチャンピオンとしてはあまりにも貧弱な、ありふれた脅し文句。

「やってみなさいよ」

「えっ!?まじで言ってんの!?六実オネェちゃん!」

「そうか、ならば容赦はしない!」

 意識をせずとも体の前で指が勝手に動いて印が刻まれる。カメレオンは焦った動きでキタローを地面に転がすとその頭目がけて右足の底を思い切り打ちつけようとした。

「うわぁああああ!!六実オネェちゃんっ!アクターの能力を使ってホテルに連れ込んでエロい事しようとしたのは謝るからっ!!もうしませんからっ!助けてよっ!!」

 キタローの泣き声交じりの謝罪を受けながら印を結び終える。たく、このマセガキめ。今更罪の重さを理解したか。呆れて私はその小学六年生の頭を指差した。


 心配ご無用。当方に迎撃の用意あり。

「はははっ、これで終わりだ!こいつの持ってるカードだけでもすべて奪い取ってや、る……?」

「タコの頭はゾウが踏んでも壊れない!」

 踏み込んだカメレオンの足がオクトアンクの頭にがぎん、と金属音を残して弾かれる。「な、どうなっている?」事実が受け入れられず、何度も頭を踏みつけようとするがその度に足は弾かれて何度目かの衝撃でカメレオンは体の重心を崩した。

 絶好のチャンス。私はそそくさと回りこんで相手が起き上がったタイミングで顔面に渾身のビンタをくれてやった。

「必殺、超次元曼陀羅掌ちょうじげんまんだらしょう!」

「う、ぐ、おおおぉおおおおお!!!」

 掌を当てた瞬間、辺りがスローモーションに流れ、耳にヒットした指がゆっくりとその顔を歪めていく。腕を伝って脳神経にビリビリと電流が溢れる感覚。

なんだこれ?相手のマスクに当たっている腕から相手の思考が流れ込んでくる。写真で切り取られたようにある男の半生が目の前に断片的に浮かび上がった。

『最初は、筋肉を見せたかった。トレーニングによって鍛え上げた筋肉を向かってくる相手や観衆たちに見せ付けたかった』

 男の声が頭の中に響く。この声はもしかしてライ&カメレオンの中の人、柳下誠二の心の声。思いもしなかったその独白に私は慈悲を持ってその声に耳を傾けてみる。

『防衛戦で敗れ、ボクサーを引退した俺を、誰も相手にはしなくなった。インストラクターを始めた俺に対してどいつも見下したような態度を取りやがる。俺はチャンピオンだぞ?お前らが憧れ、努力しても辿りつく事が出来ない場所にいた王様だ。
どいつもこいつも、王である俺に対して生意気なんだよ!そんな俺の地位を脅かす若いガキ共の芽はすべて、摘み取ってやる!』


――哀しい。三十過ぎた大人とは思えない、子供じみた傲慢な思い込み。そんな老害的思考はこのチベットガールが塗り替えてやる!

 頬に当たっている掌に力を込める。「悪の格闘家は正義の武闘家に改心する!」反対側の指で印を切って、利き手で思い切り弾き飛ばすように腕を振るうと相手の身体が宙に浮いた。体を入れて腰を捻るとライ&カメレオンがまるでカートゥーンアニメの様に吹き飛ばされて天井と地面に何度もゴチゴチと頭と体を打ちつけた。

「ぐ、まさかこの俺様がこんな女子供に敗れるとは…!ぐふっ」

 床に転がったカメレオンのフォームが取れ柳下誠二が口から血溜りを吐くと頭の中で機械的なナレーションが鳴り響いた。

「勝者、チベットガール。このバトルにより、新たに『悪魔』のカードを手に入れました」

 えっ、勝ったの私?アクター空間の天井からきらきらと揺れながら装飾が施された一枚のカードが舞い落ちてくる。そのカードを手に取ると額縁の中にXVという数字に囲まれた羽の生えた悪魔の絵が描かれていた。

「すごいよ、六実オネェちゃん!さすがインドマンの妹!」

 アクター空間が解除され、変身を解いたキタローが私に向かって飛び込んでくる。腕を巻きつけて抱きつこうとしてきたマセガキを足払いで振り解くと私は立ち上がった柳下誠二に告げた。

「二度と私たちやジムの後輩たちに嫌がらせをしないと誓って。アクターの能力は人を傷つけるものじゃない。世界を目指した貴方だったら分かっているはずでしょ?」

 私の言葉を受けて柳下誠二は「可愛がりもバレていたとはな」と頭を掻いてその場を立ち上がった。その目は試合で全力を出し切ったアスリートのように透き通っていた。

「キミの言うとおりだ。俺は今までアクターの力を悪用してカードどころか相手のベルトにまで手を掛けようとしていた。そればかりかジムの後輩たちにまで嫌がらせを……そこの少年、キミにも酷い事をしてしまった。許してくれ」

「ねぇ、あの人どうしちゃったの?気味が悪いよ」

 爽やかな顔で握手を柳下誠二を私の背中越しに見上げてキタローが訊ねてくる……まったく、こっちが知りたいわよ。チベットガールの『理想を現実に変える』チカラによって別人のように変貌した柳下さんが私たちに両手を広げて熱弁を奮っている。

「俺は嫉妬していたんだ。キミ達のような若い才能に。これからは心を入れ替えてベテラン格闘家としての経験を持ったアクターとして勝ち抜いていくぞ!」

「そ、そうですか。行こうキタロー」

「わ、ちょっと待ってよ!六実オネェちゃん!」

 ここに来る前に買った商品袋を掲げて改心した柳下さんを適当に追い払うと私たちはそそくさとその場を後にした。すると普段は閑静な街中の歩道に大勢の人集りが出来ていた。

「キャー!チベットからアライラマ三世が来日してこの町に来てるらしいわよー!」

「ホントにー?あたしも幸せパワー分けてもらわなくちゃー」

 狭い歩道を私たちにぶつかるようにして駆け出していくオバちゃんたち。後ろからひょっこり顔を出したキタローが私を冷やかすように笑った。

「せっかく母国の一番エライ人が来てるだから聞いちゃいなよ。チベットガールのパワーの秘密」

「いや、たぶんあの人も知らんし」

 道路の向こう側から野次馬オバちゃんたちの黄色い歓声、もとい動物的な鳴き声と化した叫びがアスファルトが揺らしている。反対車線を走る黒塗りの高級車の窓から見えた壮年の男性は私の姿を見ると顔の前に手を合わせて笑顔を向けてきた。

「はは、あっちから挨拶してきた。ほら、六実オネェちゃんも、って、ぐはっっ!」

 近くに寄ってきたオバちゃんたちの人波に飲み込まれるキタローの手から買い物袋を奪い取る。ひとりになった私は自分の家に繋がる帰り道で昼間の月を見て呟いた。

「全ては夢、まぼろし、か」

 あの空間で見た曼陀羅の絵画と巫女さんの三つ目が脳裏に焼きついて離れない。私、本当にアクターになっちゃったんだな。手に握られた『悪魔』のカードを眺めながら感慨深く溜息をつく。

 混迷を極めるアクターバトル。何時までも守られるばかりじゃ居られない。私も戦うって決めたんだ。想いを新たに私はガードレールに腰掛けていた体を起こしてゆっくりとその道を歩き出した。

第十一皿目 CIBETTOさん

 -完-