第八皿目 天竺からのWalk This Way

「えー、わたくし動画配信者の『ノコ。』と申しますー。
今日はね、巷で噂のアクター、という存在に成れるかどうか、わたくしノコ。がこの、ノジマ電気で購入したライダーベルトを使って変身できるかどうか、実証したいと思います……変身!
……へんしっ、オレは適合者だ!とうっ、こら、馬鹿やろ……!」

――いつもの合同宿舎の一室。妹の六実と一緒に居間のテレビに流れる動画を眺める俺。

「この人ってゲーム実況でそこそこ有名じゃなかったっけ?今こんなに落ちぶれちゃったんだ?」と六実が俺に視線を合わせずに聞いてきた。

 先日、親父が俺たち兄妹がパソコンばかり見ていて目が悪くなる、と言ってPCからTVに繋ぐケーブルを買ってくれたのだった。「ああ、ノコ。のポケモン対戦は有名だったよな。でも今は実写動画で活動してるらしい」

「動画配信者なんだからアクターに変身できるんじゃないの?」六実がTVの中で汗だくで変身ポーズを繰り返す肥満体の男を指差した。

「配信者なら誰でもアクターになれる訳じゃない。フツーの奴はどっかからベルトが送られてきて初めて適合者としてアクターに成れるらしい」

「なんか自分は特別です、みたいな聞こえ方がして不愉快なんですけどー?」

 六実がクッションを抱いてソファに仰け反る。仕方ねぇだろ、こっちだって成りたくてインドマンに成った訳じゃねぇんだよと俺が呟いている間にその動画は終わった。チャンネルを民放に切り替えると六実がもたれていたソファから飛び上がった。

「…さくじつ、仲田市の水道から異臭がするとの苦情を受け市役所では対応に追われており……」「これ、お父さんの職場」六実が指差して俺はTVのニュース速報を眺める。

 事件の内容は近所の水道から変な臭いがすると住民から報告を得て水道局員や警察が捜査に乗り出しているという事だった。通報を受けたのは水道局だが、それを管轄しているのが市役所のため、昨日から多くのマスコミ関係者が役所の入り口に押し寄せているらしい。

「うわー、お父さん大変そう。タダでさえこのごく潰しをひとり養っているのにー」「そ、そのうちなんとかするって言ってんだろ!」

 ふざけてからかってきた六実につい語気を荒げてしまう。夏が過ぎて親父が切り出した期限まで後3ヶ月。それまでに俺はなんかしらの社会復帰を果たして親父にそれを示さなければならない。

「動画の再生数、ぜんぜん伸びてないけど大丈夫?」六実が俺のチャンネルの動画リストをTV画面に映し出した。そうだ、働くのは無理でも俺にはこれがある。俺は携帯を手に取るとあの男にアポイントを取った。


「…はい?どうやったら動画の再生数が伸びる?……あのねぇ日比さん。俺たちは仕事でYouTuberとしてやってんの。今更楽に再生数稼げる方法があったらもう、みんなやってるでしょ。
自分の好きな事だけやって暮らしていけるほど甘くないの。あんま舐めんなよYouTuber」

――市内のウィークリーマンションの六畳間。編集機材に囲まれた部屋でPCチェアに座った千我が俺に腕組みをして険しい表情で睨みを利かせた。

 年上である俺が「おまえ、そんな言い方…」と口ごもると不機嫌そうに千我が顔を掻いた。千我は副業としてやっている地下レスリングでアクターとしてクセが出てしまい、ヒールであるにも関わらず相手に重症を負わせたとして協会から一定期間出場停止の謹慎処分を受けていた。

 話によるとこの間俺達が乗り込んだアべピー別宅でのアルスク交戦時に相手に激しく痛めつけられたらしく、インドマンが暴走して敵の大将を討ち取らなければカード0に追い込まれていた所だったと彼と協力して闘っていた白木屋が言っていた。

 その事を俺と話していて思い出したのか、ぶっきらぼうに千我が言い放つ。

「アクター大会で優勝したらなんでもひとつ願いを叶えてくれるでしたっけ?インドマン強ぇんだからそれで就職先でも決めたらいいじゃないっすか。こっちも動画編集で急がしいんだよ。俺たちは別に仲間でも友達でもねぇし、いちいちそんな事で相談に来るんじゃねぇよ」

 レスラーとしてうまく行かず、アクターとしても中途半端な自分を省みて捨て鉢になっているのだろうか。千我の言い分を受けて俺は拳を握り締める。

「なんだよ、こないだだっておまえが俺を呼んだんだろ」「正直ムカついてんだよ。なんでアンタがあんなぶっ壊れ性能のアクター持ってんだよ。いっそインドマンとして現地で踊りでもやって食っていけばいいだろ」

 吐き捨てるように睨んだ千我に俺は言葉を振り絞る。「こっちの立場も知らないクセに…勝手にしろ!」話していても無駄だ。俺はその場から足音を鳴らして立ち退いた。ドアが閉まる直前、デスクに向き直った千我が「そんなんだからまだ童貞なんだよ」と的外れの言葉を呟いていた。


 夕方五時。俺は居間のPCの前に座るといつものようにアベピーのチャンネルを開く。あの事件以来、毎日決まった時間に工作動画をアップしているアベピーこと安倍繁和氏。

『好きな事をやって生きていく。』それをモットーとして活動する男を師と仰いで自身の活動へのヒントを見つけに俺は動画を開く。読み込みが終わると見慣れたバストダウンの実写動画ではなく、最近色んな実況者が配信しているFPSゲームのタイトル画面が映し出されていた。

「いやー、最近工作の動画あげてたんだけど、再生数が伸びなくてですねー、またゲーム実況の方、再開していこうと!これからもよろしくー」

 スタートボタンが押し込まれると俺はがっくりと肩を落とした。歴戦の動画配信者アベピー、お前もか。逃れられぬ再生数への渇望。玄関のドアが開いて親父が帰って来た声が聞こえると俺はいそいそと自分の部屋に戻った。


 事件が起きて三日目の仲田市役所。母に税金の支払いを頼まれて無職である俺はその入り口を訪れていた。事件について明確な説明が未だ発表されていないため、マスコミ関係者らしき人物もちらほらと姿が見える。

 俺はカバンから払込票を取り出して窓口を探す。握った紙には俺の名前も記載されている。成人になるとただ生きているだけで税金がかかるらしい。そんな事は中学校でも教えてくれなかった。

 まとまった額を窓口に支払うと対応した役員のおばちゃんが「あら、英造ちゃんじゃない!」と手元に記載されている名前と俺の顔を見比べて声を掛けてきた。

「今日はお仕事お休み?」そう聞かれて俺は居心地が悪くなって笑ってごまかす。この人は母の同級生の石橋さんだったはずだ。ふっくらとした身体に付けられている名札を見て確認すると俺は何気ない口調で聞いてみた。

「結構騒がしい感じですけど、大丈夫ですか?」「ああ、謎の異臭事件ね。なんかただの嫌がらせみたいよ」「ああ、なら良かった」

 何がよかったのか、振り返って自分でも疑問なのだが事件は収束の兆しを見せているようだ。「親父はどうですか?」なるべく自然な感じで身内についても聞いてみた。すると石橋さんは俺に顔を近づけて手の平で壁を作って俺に言った。

「…日比野さんね、先月から新しい部署に移動になったでしょ?定時までに事務処理や住民対応片付けろって年下の上司に急かされて大変みたいよ」俺はそうですか、と相槌を打った後、無理しないよう伝えておいてくださいと言ってその場を離れた。


 長椅子が置かれた休憩場所に自販機が置かれている。俺はお釣りの小銭を入れるとコーヒーを飲んで息をついた。当たり前の事だが、働くというのは大変だ。俺は今年で25歳。社会に出たら親父のように年下の上司に仕事を任される事があるだろう。

 俺みたいな日雇いのバイトを午前中でバックれるような人間に出来るだろうか。否、出来ない。缶コーヒーを飲み干して深い溜息を付くと長椅子の反対が、がくんと揺れた。青いジーンズから携帯を取り出そうとした女性が俺の顔を見てあっと口をあけて話しかけてきた。

「日比野じゃーん。中学の卒業以来だね。わたしの事、憶えてる?一緒に生活委員やってた」俺はああ、と頷いて長い髪を頭の後ろでひとつに纏めた長谷山さんの顔を見上げて作り笑いを返してやった。

「地元出たって聞いてたけど戻ってきたんだ?結婚は?」結婚、というワードが元同級生の口から突いて出て俺は身体が固まってしまう。25歳。真面目に勉強して大学を出て一般企業で働いていたら結婚して所帯を持ち、マンションか戸建ての購入を悩んでいてもおかしくない世代だ。

「わたしはまだシングル。てか彼氏募集中」ちらりと指先に目を落とす。中学時代人気者だった長谷山さんが彼氏ナシなのは少し驚いたが彼女の粗暴な性格を少しずつ思い出してきた。そんな俺の気持ちを読み取ったのか、長谷山さんは心配そうに俺に声を掛けた。

「…中学の卒業式の日、ごめんね。わたしがあんな事したから日比野、みんなから責められてたでしょ?それが気がかりで。でも今日謝れてよかった」

 俺はなんとも思ってないよ、と返すとそっか、と微笑んで長谷山さんは長椅子を立ち上がった。年明けに同窓会があるらしく、実行委員としてハガキを送るから都合がついたら来てよ、と言葉を残してバッグを引っさげて長谷山さんは奥の窓口の方へ消えていった。


 俺は缶をゴミ箱に捨てると市役所を出て歩き始めた……。なんとも思ってない訳ねぇだろ。あの時の怒りがふつふつと噴き上がるのを感じた。あの一件のせいで俺はクズだという噂を流され、高校入学当初の友達作りに失敗し、青春の三年間を自分の机の上で眠って過ごしたのだった。

 通りすがりに子供が俺のベルトを指差して「あ、ヒーローのベルトだ」なんて言いやがった。ヒーローか、俺はその言葉を噛み砕くようにして町外れの小高い丘まで歩くと芝生の床に腰を下ろした。

 アクターバトルで無敵の強さを誇るインドマンが就職や過去のトラウマなんていう、ちっぽけな事で悩んでいるのが情けない。先代のインドマンは俺に言った。

『インドマンは太古から続く“呪い”の連鎖。その絶対的な力を得た代償としてその力はお前さんから全てを奪い取ってしまうだろう』と。俺はここ数ヶ月の闘いの記憶を振り返った。

 妹の六実やカードなど物理的なもので勝負として取られたものはあっても俺自身、奪われたものは何もない。それはインドの呪いが――なにも持っていない俺から奪う価値がないと判断したからだろう。

 俺は憤りを握り締めるように手を閉じると「カードチェック」と発声した。これまでアクターバトルで集めたカードが目の前に浮かび上がる。これが13枚集まると年末の『アクター・ロワイヤル』に参加できると千我が言っていた。

 その大会で優勝すれば願いがひとつだけ叶うという。自分なりに考えてみたがこのクソみたいな人生を逆転するにはやっぱりこれしかない。

 集まったカードは9枚。金木犀の香りが眠気を誘う。目標のコンプリートが近づいていた。


 市役所の事件が風化し始めてきた1週間後の真昼間、俺は電車を乗り継いでとある町の駅前を歩いていた。都会の喧騒から離れた牧歌的ともいえる町の風景に足が留まる。

 セメント工場の機械がゆっくりと動き始め、太った茶トラのネコが用心もせずにのしのしと横断歩道を横切っていく。まるで昭和で時が止まってしまったような町並み。

 何故俺がこんな娯楽施設のひとつもないような田舎町に来たのか。話は今日の朝にさかのぼる。


「これ、お父さんのスーツの内ポケから出てきた」

 俺が洗面所で歯を磨いているとパジャマ姿の六実が俺に真っ赤なマッチ箱を差し向けてきた。口をゆすいでそれを受け取ると俺を押しのけて鏡の前でドライヤーを手に取った六実が言う。

「お父さん最近少し変でしょ?帰りが遅くなったしなんか肌がつやつやしてる」まるで嫁さんだな、と茶化すと真面目な顔で六実は立ち去ろうとする俺の裾を摘まんだ。

「事件の予感。調べてきて。どうせヒマでしょ?もしかしたらアクター絡みの一件かもしれないし」六実はそう告げると自慢のツインテールをシュシュで留め始めた。俺はマッチ箱に書かれている名前を読み上げる。

 BAR金羅紗きんらしゃ。名前のいかつさから最初見たときはヤクザの組かと思ったが調べてみるとサボテンの名前らしい。インド要素は見当たらない。

 六実の予想によると親父の英作が仕事終わりに夜な夜なその店に訪れているらしく、亭主の不貞は家族の危機だと感じ、暇人である俺に捜索を依頼したのだった。


「なんだよ、反対側かよ」地図を読み間違えて駅に戻る俺。すると改札を挟んだ向こう側の広場で背の高い男がオバちゃんのサイン攻めにあっている。新手のYouTuberか、と身構えるとその男は筆を片手に決め名乗りをし始めた。

「我が名は真の芸術を追い求める元英雄、マトー。俺の筆で未体験のセカイを描き出してやる!」

「キャー、マトーさん素敵よー」「ウチの家計も『完全自動攻防』してー」

「はは、これは貴婦人。ご冗談がお上手で。…ちょっと失礼」切れ長の目をしたスカしたその絵描きは前髪の毛束を指で摘まむと反対側の手で携帯を取り出して耳に当てた。

「…なんだゴトーさんか。なに…?あの幻の嬢が入店してきただと?…馬鹿げたことをっ!彼女はとっくに業界を引退したはずだ!…えっ、しかも改名して写真も上げてないから今なら2時間予約可能だと…?分かった。今日最終の飛行機で向かおう」

 男は通話を終えると名残惜しそうに取り囲んだオバちゃんに別れを告げてそそくさと荷作りをしてその場を立ち退いた。

…あとで調べたことだがこの絵描きは身体の一部に筆を埋め込んで『三刀流』としてパフォーマンスを披露する変態水墨画作家だったようであの時サインを貰わなくて本当に良かったと思っている。


 話を元に戻そう。BAR金羅紗を検索してもネットにサイトを出していない形跡で、商店街の親しみのあるおばさんに俺は店の場所を尋ねた。するとその店はとうの昔に閉店したらしく、今はその場所に団地が建っているという。

 おかしい、と言ってそのマッチ箱を見せるとおばさんが驚いて「ああ、確かにこれはあの店のものだよ!」と店の奥からまったく同じマッチ箱を探してきて俺に見せてくれた。一体どういう事だ?とりあえずその場所に行って見る。

 おばさんが言うとおりその場所には新しく建てられたという団地があり、最近という割には管理人が数年手入れをしていないような古ぼけた印象があった。一階はどこの部屋も電気メーターが動いておらず留守のようだ。塗装が剥げている手すりを掴み二階へ上がる。

 一段、一段軋む階段を上りきると奥に扉の開かれた部屋がある。雨ざらしの洗濯機の横を歩いて何かに誘われるようにその扉へ歩いて行く。夕暮れの空に立つ電柱の上でカラスが鳴いた。するとふいに扉の奥から声が聞こえた。

「日比野英造くんだね?」驚いて身構えると愉快そうに次の声が響く。「キミならここまで嗅ぎ付けてくると信じていたよ」「親父を、親父に何かしたのか!?」声を荒げるとふー、と長く息を吐く音が廊下の端まで伝わってくる。

「立ち話もなんだ、僕の部屋に入ってきたまえ。変身は必要ないよ、インドマン」相手の言葉を受けて俺は息を飲み込む…俺がアクターである事がバレている。ということは相手もアクターである事が容易に予想できる。

「どうした?キミがそこから一歩踏み出さなければこれ以上の発展はない」「…罠だと分かっていて飛び込む奴がいるかよ」声を振り絞ると部屋の奥からちゃぶ台に湯呑みを置いたようなたん、という音が響く。

「そういう能力なんだ。アクターであるキミが僕の部屋に入らない限り能力が発動できないんだ」「…そうか。ならこれはアクター同士の勝負なんだな?俺が勝ったらお前のカードを貰う」

 俺は敵にそう告げると部屋の入り口に吊られたすだれを手で除ける。これまで何度も相手のテリトリーで闘ってきた。今回も劣勢をひっくり返してやる。

『来たね』部屋の中央でちゃぶ台越しに俺を見上げた男の姿が渦を巻いてゆがみ始めた。


 気がつくと俺の身体は薄暗い部屋の椅子に座らされていた。後ろから差し込む光がカラカラと音を引き連れて目の前の銀幕を照らしている。

 ゆがんだ空間から意識がはっきりと戻ると俺はその席を立って辺りを見渡した。どうやらここは小劇場を模した相手のテリトリー内らしい。

「う、う~ん」前の席で見慣れた禿げ頭が倒れこんでいた身体を起こしてその寂しい頭を揺らす。「親父!」「英造、どうしてここに?」振り返った親父が俺に訊ねると頭の上でパン、パン、と乾いた手を叩く音が響く。

『日比野英作さん、そしてその息子の英造くん。キミ達が眠っている間にこれまでの半生を見せてもらった』「お前は誰だ!?何の能力を使ったんだ!」声の主を探すが周りに人の気配は無し。

『そんな剣幕で怒るなよ』諭すようになだらかな口調で敵アクターは語り始めた。

『僕の名は黒沢優作。映画監督と俳優をくっ付けたような名前だけど本名さ。この名の通り、普段は映画を撮ってコンペに出すなり、たまに作品をネット配信をしている』

「やっぱり動画配信者か…」「英造、どうなってるんだ?父さんにはさっぱり……」事情を飲み込めない親父が俺と正面の銀幕を見比べるように首を動かす。その様子をみているのか、声の主は愉快そうに話を続ける。

『僕の能力を紹介しておこう。僕はテリトリーに入った相手の半生を読み取って映像化する能力を持っている。初めてアクターとして能力を発現した時、これは当たりだと思ったよ。
人の人生は一度きり。しかしこの能力を使えば他人の人生をあたかも自分が経験したように感じられる……!元々不公平だと思ってたんだ。能力のある人間がひとりの人間として一つの人生しか楽しめないなんて事をねぇ~~っ!』

「ふざけるな!人の人生を乗っ取る気か!」俺が声のする方向へ怒鳴ると笑い声が止み『おっと勘違いしないでくれよ』と弁明が続く。

『僕はこの能力を使って相手を破滅させようとか、意のままに洗脳しようだとかそんな魂胆はないんだ。人生とはその個人が生きた記憶。僕はそれを読み取って映画を撮る。他人の人生を直接自分の事のように経験することによって今までよりもはるかにリアリティのある作品を創り出せるようになったんだっ!
僕はアクターとして自分に与えられた武器カードで映画製作者として戦っている。ただそれだけの事さ』

 話が終わると部屋にブザーが鳴り響く。『さぁ、上映の時間だ。お客様は席についてもらおう』「…どうなってるんだ?」銀幕が開き、その中から大型スクリーンが徐々に姿を現し照明がハーフライトから次第にオフライトへと色を落としていく。

 相手に手出しが出来ない以上、俺はとりあえず親父と席につく。『これから上映される作品は{日比野英作、煩悩に奔走する凡人の半生}とでも銘打っておこうか。出演者であるキミ達にこの映画を愉しんでもらえれば幸いだよ』

「映画だと?ふざけんなよ。親父、相手の精神攻撃だ。どんな映像が映っても動揺したらダメだ」前の席に座る親父に声を掛けると笛の音が主旋律のBGMが流れ、目の前のスクリーンから白黒映画が始まった。

 白い墨字で画面に{主演:日比野英作}と大きく名前が踊ると舞台は昭和歌謡が流れるバーに場面転化。カウンターの席に座り、スコッチをテーブルに付ける若い背広姿の青年が中心に映し出される。

「あれは、若い頃の俺だ」呆けた顔で口を開けた親父と向かい合うように画面の中の親父が何か悩みを抱えているのか、深く溜息をついた。

「おいおいどうした~?東京の市役所に栄転が決まったんだろ~?今夜はもっと浮かれてもいいんじゃないの~?英作ちゃん」隣に座る同僚と思わしき男が既にできあがった様子でマスターにウイスキーを頼む。

 話の主役である英作がグラスを飲み干すと美空ひばりの曲が終わるタイミングで「いや、ね?」と語り始めた。

「大学を卒業して公務員になって結婚もしたけど、俺の人生これでいいのか、って思っちゃってるんだよね。まるで誰かが敷いたようなつまんないレールの上を歩くように歳とっていってさ。青春のイロハも知らないまま大人になっちまった気がしていてさ」

「その歳で出世して嫁さん貰えてれば充分上出来だよ」薄められたウイスキーがテーブルに置かれると「いやぁ、それなんだがね」とグラスを傾ける同僚の隣で英作は愚痴を吐き始めた。

「東京に栄転、なんて言っても俺の上の派閥が権力争いに敗れてソッチ派じゃなかった俺がほとぼり醒めるまで飛ばされるだけだからね?嫁だって見合いで2、3回会っただけでそのまま丸め込まれて結婚までいっちまって。化粧を落としたらあんなにブスだとは思わなかったよ
……マスター、この歌良いね。なんて歌手?」

「ああ、品川ジュン子だろ?週末に奥のステージでよく歌ってるコだよ」無口なマスターの代わりに饒舌な同僚が答える。「…品川ジュン子、おい、まさか!」映画館に座って観ていた中年の英作が席を立ち上がった。

「おい!ちょっとこの映画止めろ!」「お、親父どうしたんだ?」何かを思い出したように取り乱す親父をよそに映画のストーリーは進んでいく。画面には週末にバーのステージで弾き語りを披露する赤い口紅を塗った若いシンガー、品川ジュン子をかぶりつきで眺める若き英作の姿が写し出されている。


「あら、英作さん。また来てくれたの?」演奏が終わり、別のバーで飲み直す英作と品川ジュン子。BGMには彼女が歌う伸びやかなラブソングが流れている。

「キミの歌を聴いてボクはこれまでの人生が間違いだって気付いたんだ。ボクが心から本当に大事に思うのはジュン子さん、キミひとりだけだよ」

「嫌だわ英作さん。奥さんいるんでしょ?」いたずらっぽく笑う色白の品川ジュン子は今の芸能界でも通用しそうな美しさをコマ割りのフィルムから振りまいている。

 バーの看板が写り込み俺ははっと息を呑む。妻帯者である冴えない公務員と地元で細々と活動する美しい女性歌手が逢引をするこの場所こそ、BAR金羅紗であった。

 密会を続けるうち、ふたりは次第に距離を縮め、栄作はジュン子が住んでいる安アパートの四畳半に上がり込む。これはお茶の間的に良くない流れだ。

「ジュン子、ジュン子!……愛している」「私もよ英作さん」


「………ここは18禁だ」生々しい濡れ場が繰り広げられ、親父の大きな咳払いがシアター中に響く。「あんた、結婚してんのにこんな浮わっついた女と付き合ってたのか」俺が呆れたように親父に言うと開き直ったように震えた声が応える。

「ふん…若い頃ならよくある事だろう。ちょうど今のおまえと同じくらいの年頃だ」長く、キツい濡れ場シーンが終わり映画の場面は栄作の家庭を描いている。嫁である清子が出勤前の英作に背広を着せながら声を弾ませてこう告げている。

「ねぇあなた聞いて。わたし、妊娠したみたい。もう3ヶ月ですって」ネクタイを締めながら複雑な表情を浮かべる英作。「おい、親父。あんたまさか…」俺の嫌な予想は当たり、親父は東京で公務員として今まで通り働くかたわら、週末は田舎のバーで品川ジュン子との逢引を続けていた。

 しかし、真の絶望はその先にあった。

 栄作は次第にジュン子と連絡が取れなくなった。ジュン子が歌手としての自信を無くしたのか、家庭を持つ栄作から身を引いたのか、他に男が出来たのか、わからない。

 胸の内にもやもやを抱えながら仕事をこなす栄作の部署の電話が鳴った。奥さんが御懐妊ですので、すぐに病院へきてくださいとの連絡をうけ英作が向かったのは東京の病院ではなく地方へと向かう新幹線であった。

「親父!」前に座るホンモノに呼びかけるも映像を肯定するかのように反応は無い。

「ジュン子、ジュン子ぉぉ~~!」

 自分を絡め取るしがらみから逃れるように逃れるようによたよたと数ヶ月ぶりにBAR金羅紗に足を運ぶ英作。しかし彼は店の前まで来て愕然とする。人知れずBARは閉店し、それはもう二度とジュン子の逢引が叶わない事を意味していた。

 打ち付ける雨の中、女の名前を呼びながら地面を呻きまわる男の姿を俯瞰で眺めながらエンドロールが流れ始める。その主題歌はサビでわたしを大事にしてくださいと繰り返す品川ジュン子の『金羅紗の花』であった。


「おい、親父!」堪え切れなくて席を立った俺は画面の自分と同じように頭を抱えて倒れ込んだ親父を引き起こす。真っ青な顔で目を見開いた父親に当事者として俺は言う。

「…母さんが言ってたよ。俺が生まれた日に父さんは居なかったって。それがまさか愛人に会いに行ってたなんて」

「す、すまない英造…」『はっはっはっは!これは傑作だ!』周りの照明が上映前のハーフライトに戻り再び頭の上から笑い声が聞こえる。ひとり分の拍手が鳴り止むとその声の主、黒沢は言った。

『公務員として真面目に働くかたわら、プロの歌手を目指して活動に励む若い女に入れ込んでいたとはね~日比野英作っ!はじめ見た時はこんな中年親父に秘密などないと思っていたけど、人に歴史あり。
素晴らしい半生を見せてもらったよ!…東京からジュン子の待つ地方へ向かう時、新幹線の車内でどんな事を考えていた?必要なんだ。実際の質感を求める製作者としてっ!是非詳しく聞かせてくれっ!』

「いい加減にしろ!!」

 父への洗脳、自分の迷いを断ち切るように俺は声を張り上げた。「英造…」ずり落ちた眼鏡を直そうともせずに親父が顔を上げた。俺はこみ上げる怒りを飲み込んで胸の内を振り絞る。

「確かに…俺の親父、栄作は家族がありながら若い女に貢ぎこむとんでもないクズヤローだった。でももう、時効じゃないか。若かった頃の過ちを掘り返してどうして父さんを苦しめるんだ」

 親父がゆっくりと身体を起こして虚空に呟くようにぽつぽつと言葉を浮かべた。

「英造な、父さん楽しかったんだ。最近仕事が辛くてふと、昔よく通ったバーが有った場所に来た。当時の事を思い出して懐かしい気持ちになった。でももうあの場所は無いんだな。そして、若かった品川ジュン子も」

 しなびた背広からあの真っ赤なマッチ箱を取り出すと親父はそれを一思いにくしゃりと握りつぶした。

「もうお別れだ。いい夢をありがとう。そしてさようなら」空中にともし火を浮かべるように親父が視線を上げると頭の中にあのアナウンスが鳴り響いた。

「この勝負、アタッカー側であるシネマ・スタッフの先導に耐え抜いた結果により勝者、インドマン。このバトルにより、新たに『運命の車輪』のカードを手に入れました」


「な、カードだと!」驚いて手に取ったその札はアクターバトルで使われているカードの柄のひとつであった。俺たちの勝利を祝うように、感服するように黒沢の拍手が鳴る。

『このバトルを仕掛けて最後まで正常に精神を保っていられたのはキミ達親子が始めてだっ…実はひそかにカードコンプリートを狙っていたんだがね……このアクターバトルは完全待ち伏せ型の僕の能力とは相性が悪そうだ』

「おまえ、俺たちにこんな事をしてただで済むと思うなよ」『勝負はもう終わったはずだろ?これが僕が仕掛けた戦いさ。おめでとうインドマン』

 どこからともなく席を立つ音がして相手の声が遠くなる。靴のかかとで床を踏み鳴らす音の合間に黒沢優作は名残惜しそうに俺たちに告げた。

『まさか救出される立場の人間にこの能力が破られるとは思わなかったよ。父は強し、と言った所か。まあいいや。僕はこれからもアクター能力を持つ蜘蛛としてこの巣にかかる半生を喰らいながら作品へのインスピレーションを広げていこうっ!』

「…エンドロールが終わった。うちに帰ろう親父」スクリーンが消え、館内にブザーが鳴り響き、銀幕が閉じ始める。顔の無い男との闘いは終わった。俺はいまだ倒れこんでいる親父に肩を貸す。

 親父は眼鏡を手にとって俺の肩にすがるようにおいおいと泣きはじめた。

「えいぞぅ…どうしてそんな風になっちまったんだぁ…」やめろ。頼むから止めてくれ。相手の能力が解けて風景が元の団地の廊下に戻り、すっかり日の暮れた商店街をズタボロの父親を引き摺るようにして歩く。

「父さんはなぁ、おまえが東京の大学に通うって会社のみんなに自慢してまわったんだぞぅ。うちの子は将来有望だってなぁ。それなのにゆーちゅーばー、ってなんなんだよぉおまえ。しっかりしてくれよぉ」

「…しっかりするのは親父の方だ」駅のホーム、待合室のベンチに親父と一緒に座る。子供の頃、あんなに恐く思えた親父の背中が小さく見える。「親父、迷惑かけてごめん。もう少しだけ、我慢してくれよ」俺は小声でそういうと立ち上がって涙を拭った。

 カードを集めきってアクターロワイヤルで優勝して俺の生きる道、見つけてみせるからな。無事に親父を家に連れ帰って事の経緯を六実に報告。そして一週間が経った……


「お母さん、学校行ってきまーす」

 平日の朝、六実が玄関で明るい声を伸ばすと母の清子が「ちょっと、今日から冬服じゃない?」と呼び止めて「いけない!」と声を上げて六実が部屋に戻っていく。

 入れ違うように父の英作がとぼとぼと玄関に立った。

「はい、今日の分」「はい…」栄作は清美から小銭を受け取ると暗い表情のままドアを開けた。着替えを済ませた六実が見送りもせずに居間に戻ろうとする母に訊ねる。

「お父さんまたお昼ごはん500円だけじゃない。何かあったの?」娘の問い掛けに母はふん、と鼻をならしてこう答える。

「いいのよ、だってあの人浮気したのよ」「それって何年前のはなしー?」

「時効なんてないわよ。言わなくなって気付いてたんだから。私ずっと我慢してたのよ。あの人が定年退職してひとりでトイレも出来ない歳になってからずっと言い続けてやる」

――母の独白を受けて俺のトイレでひり出すものが柔らかいモノに替わっていく。昭和女の怨歌えんかは今を生きる男の薄い胸板にヘビーに響く。

 こうして日比野家の家庭内ヒエラルキーは完全に頂点が入れ替わってしまったのである…!


第八皿目 天竺からのWalk This Way

 -完-


sage