Neetel Inside ニートノベル
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今思えば、私のスタートラインはミュータントレディだったことを思い出す。
子供の頃はいつも日曜日の朝、早起きしなくてもいいのに飛び起きてテレビの前に陣取っていた。パジャマ姿のまま、寝癖もそのままに、母の呆れたような声を背中に浴びながら、アニメの始まる八時を待っていた。
画面を食い入るように見るのは、彼女たち、ミュータントレディの五人の活躍だった。
色鮮やかな髪の毛の色は、それぞれのキャラクターを表していた。
リーダーの赤のイメージの主人公は気が強くって、がさつで、とにかく大雑把。目に余る行動が多々見られるが、最後は主人公らしく物語をまとめるのだ。
副リーダーの青のイメージの彼女は、控えめで、どこかのお嬢様で、いつも主人公の行動に一喜一憂していた。いつもフリルのスカートを履いていて、女の子を体現したキャラだった。
緑の子はボーイッシュなタイプで、女の子が憧れる女の子だった。身長は高く、運動神経も抜群で、主人公の提案にも苦笑いしながら手助けをしてくれる。ミュータントレディの中でお姉さんの立場にいた。
そして黄色の子はとにかく頭が良かった。主人公の無理な提案も理路整然と、何故、どこが、どういけないのか説明する。主人公は黄色の子を苦手としていたみたいだけれど、彼女がいなければ、ミュータントガールは様々な戦いで敗北を喫していただろう。
毎週毎週それだけを楽しみに生きていたと言っても過言ではない。
ミュータントガールが終わるまで、私は何度見返したか忘れてしまった。途中からビデオテープからDVDに変わったけれど、もしビデオテープだったならば、全てちぎれていただろう。
「アタシミュータントレッドな!」
翼がいの一番にそう言って、ばばっ、と手を上げてミュータントレッドのポーズをとった。
他の女の子たちもレッドがよかったようで、幾度となく翼と口論しているのを遠目から見ていた。私のついでにやってきた妹は一人で勝手に色んなミュータントレディになって暴れていた。私はそれとなく、ブランコにキックをしている妹が、転ばないだろうか見守っていた。
翼にレッドがいいと騒いでいた一人がこちらを向いて言った。
「千絵ちゃんもレッドがいいんじゃないの?」
「え? ううん?」
「なんでー? 似合うよ、レッド!」
その当時、私は運動神経がよかった。翼も同じくらいよかったので、翼はムッとしていた。
「アタシ、千絵に勝ったもん」
「でもこの間負けてたじゃん」
「ちょっとだけじゃん!」
昨日の体育のかけっこの事を引き合いに出され、翼の顔はレッドに相応しいくらい赤くなっている。妹の十歌はミュータントレディの事は忘れて、ブランコにご機嫌に揺られていた。
正直レッドがいいという言い合いはどうでもよかった。できる事なら、誰がレッドになるのか決まるまで、十歌と一緒にブランコをしたい気分だった。
「千絵もレッドがいい? なら勝負だ!」
バッ、と、これから肉体でケリをつけてやると言わんばかりのレッドのポーズをとった翼に、私は首を横に振った。
「ううん、私イエローがいい」
「え? なんで?」
レッドをかけて戦おうとしていた翼が、意味が分からないというような顔をした。ポーズをといて、私になんでレッドじゃないのか不思議そうに聞いて来た。
「主人公だよ?」
「うん。でも、私イエロー好きなの」
「でも、いっつもレッドが勝ってるじゃん」
「イエローが一番かっこいいよ」
「かっこいいのはグリーンだよー!」
「私もグリーン大好きなの!」
キャッキャと、私と翼以外の子はグリーンファンらしく、女の子の顔をして笑いあっていた。だが、翼は私をジッと見つめ続けていた。
「……ふーん。レッドいやなんだ」
「いやじゃないけど。イエローしたいのって私だけなら、イエロー好きだからしたい」
「へんなの」
未だ納得していない翼が、グリーンの話で盛り上がっている女の子達にもうかくれんぼしようと話しかけていくのを、何も言わずに見ていた。翼はその頃から決定権があり、存在感があった。彼女がレッドを選んで抗議はするが、最終的に彼女がレッドをしている。
はっきり私にへんなの、と言ってのける彼女は、まるで無神経なレッドのようだった。
一人っ子のレッドはいつも考えなしで行動する。結果的によかったけれど、冷静に見たら周りを顧みていないだけで、実際にいたら嫌なやつだ。
だが、イエローはいつだって冷静で、皆の事を考えている。考えるのは仲間の事だけじゃない、妹のことだって考えている。テストはいつも百点で、彼女自身も百点だった。私も、そんな風になりたいと思っていた。
きっと、そうなれると思っていた。
帰って来た答案の数字は、私が望んだものではなく。
人に見られてもうんともすんとも言われない。貶される事も褒められることもない。
これでいいのかもしれない。同じクラスには赤点で追試をしている子もたくさんいたが、私は追試に呼ばれたことはない。一番点数が悪かった時ですら、赤点は回避できていた。
だから先生に勉強について言われることはない。誰にも何も言われない。
あるのかないのか分からない。正解が目の前に転がっているのか、間違いが佇んでいるのか、机に齧りついていても分からない。
数字の、明確な答えを導き出せない私は、他の事でも正しさを証明できるのか不安だ。
全ての授業が終わり放課後。図書室へ本を返却するために歩いていた。
――そろそろ、話してみようかな
あまりにも見合わない勉強の結果にそろそろ死んでしまいたくなる。
このままではいけない。あの小テストの数字を見て、亀の歩みの太陽の動きも察知できない程集中していたにも関わらず実らない自分自身を変えなければ。
前から塾に行くべきか悩んでいた。勉強したいのならばそれが一番手っ取り早いのだろうが、妹の十歌は塾なんて行かなくても好成績を叩きだしている。
それを見ていると、姉の私が頭が悪いから塾に行きたいだなんて、言い辛かった。
いくら馬鹿でも、姉のプライドというものがある。
時間通りに離発着する飛行機は素晴らしい。
だが、亀のようにゆっくり、ゆっくり、足を切られて這いつくばってでもゴールに向かっている私にも、矜持というものはある。
だが、それも捨てなければならないかもしれない。
母に、父に相談しよう。
そう思いながら、通い慣れた人気のない図書室のドアを開けた。
大体の図書委員の人間はここにはいない。時折いるが、携帯をいじったり漫画を読んでいたりと、委員としての自覚が足りない。
案の定、受付には人はいなかった。
溜息を吐くと、前髪がさらりと揺れた。風が吹いている。
顔を上げると、窓からは西日が差し込んでとても眩しい。
目を細めて窓を見ると、そこには一人の女の子が腰掛けていた。
長い黒髪が、私の前髪以上に揺れていた。
片膝をついて窓枠に腰掛け、もう片方の足は窓の外に足湯でもあるのかわからないが、無造作に投げ出されていた。
窓枠の下までの低い棚の上には、彼女の上履きと靴下が置かれていた。
呆気にとられていると、私は近くの机に彼女の鞄が置かれているのが見えた。
そこには見なれた、とても見慣れた先ほどの小テストの紙があった。彼女は同級生だった。
その上に筆箱を置いていて、風でテストが飛ばされない様になっている。
私は息をのんだ。そして、肩から鞄をどさりと落として、彼女に向かって手を伸ばした。
「待って! 早まってはいけない!」
その時やっと、彼女は私がいる事に気が付いたようで、こちらを見た。
うら若き乙女が、小テストの点数に絶望して学校の図書室から身投げするなんて、なんて残酷な事件なのだろうか。
各誌一面に取りざたされ、美人薄命、学歴社会の闇、置いてけぼりの靴下の気持ちを答えよなど書かれるだろう。
そんな文章の中に、その現場に立ち会い、彼女を止められなかった、前日の夜に勉強漬けをして遅刻した挙句、小テストの結果が散々だった少女Tの事も書かれるのだろう。
「思い直そう! テストの結果が悪いからって、死ぬことはない!」
私の般若のような必死の形相に、心を動かされたのだろうか。
彼女はこちらを見つめたまま、放り出していた足を折りたたむように、そろそろと引き上げていた。
「そう! それがオッケー!」
彼女は膝を抱えるように座り直し、こちらを向いた。そしてのそのそと靴下を履き終え、上履きを両手でつかみ、足を顔まで上げてぐいぐいと、幼稚園児が履くように足にはめ込んで、図書室の床に両足を着地させた。そこで私は、ドッと疲労感を感じ、膝をついて息を吐いた。
「ゼェ、ゼェ……こ……こっわぁ……!」
遅刻で走った時のような動悸が、耳元で鐘を突いているように響き渡っていた。
よもや、死んでしまいたいと軽く思っていた矢先に、神様がふざけるなと言わんばかりに重々しい死を用意しているなんて、本当に心臓に悪い。逆に死んでしまう。
顔を上げると、彼女が両手を後ろに回して立っていた。
こちらを見下ろす姿は、一目見ると年上のように見えるが、仕草がどことなく幼い。
軽く首をかしげて私を見下ろしている所を見ると、更に幼く見える。
「……えっと……」
見上げた私のさまよった視線は、鞄に取り付けられていた名札を見つけた。
『天道栄子』それが彼女の名前だった。
落ちかけた太陽の強烈な光を浴びても尚、透き通らない綺麗な髪の毛をしていた。

       

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