Neetel Inside ニートノベル
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それぞれの日常
大人

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 最近、自分が急に老け込んでしまったような気がして死にたくなる。
 大人。
 おとなってなんだろう。
 大人が何なのかは分からないけど、少なくとも自分はもう子供ではないのだな、と感じたりする。
 まずは味覚の変化だ。
 紅生姜。あの赤いあんちくしょうだ。
 昔はあんな酸っぱいもんの何が美味いのか、そもそも存在意義などあるのかと感じていたものだが、今となっては違う。
 焼きそばに添えたりすると、これがもうめちゃくちゃに美味い。何故これの存在意義を疑ったのか、その自分の意識を疑いたくなるような美味さなのだ。
 似たようなものとして、ガリがある。そう、あの寿司屋とかに行くとテーブルの隅に醤油などと一緒に鎮座している、あれだ。
 酸っぱい癖に妙に甘くて、そのテイストには悪意しか感じなかった子供時代。
 それが今や、こんなにも美味く感じてしまう。悔しい。
 寿司を食って、少々生臭くなってしまった口の中をさっぱりさせてくれる。ちょいと醤油を付けてから齧ってみるのも、また一興。
 そしてあっつい緑茶を飲む。自然と、ほっと溜息が出る。
 分からない。子供の頃にあんなに不味いと思ったものが、何故今になって美味しく感じられてしまうのか。
 あとは辛子だ。黄色いあんちくしょうだ。
 今までそんなものなど不要。料理には最低限の味付けで味わうべき、という信条が、加齢と共に呆気なく破壊された。
 例えばおでん。辛子を付けただけで味わいが増しやがる。熱燗が欲しくなってしまう。
 例えばとんかつ。ソースさえあればあとは何も要らないと思っていたが、辛子を付けるとおいしさが増してしまう。豚の角煮などについても同様のことがいえる。
 いや違う。違うんだ。
 今まで、子供の頃はそういったものを付けて食べていなかったというだけであり、つまり既存の料理の味に少し飽きが来てしまっており、そこでその味に変化をもたらす辛子や今まで食べていなかった――未知の味覚であるガリや紅生姜を美味しく感じる……いや錯覚しているだけで、本当は美味しくなんてないのだ。自分の味覚がオッサンになってしまったわけじゃないんだ。きっとそうだ。
 ……オッサンといえば、息も臭くなった気がする。
 まぁ子供の時だって別に自分の息の臭いが良いだなんて思ったことはないが、喉の奥底であの独特の『オッサン臭』を感じることがあり、その事実がまた自分を萎えさせるのだ。
 結局それは加齢と共に喉の奥に濃栓が溜まっているだけなのだろうが、とにかくゲンナリしてしまう。
 他にもある。
 文字を見る時、思わずちょっと手元から離して目を細めてしまう時があったりする。これもまた、オッサン臭いと思う。
 視力的にそこまで低下した訳では無いのだ。だというのに、細かい字を読むときに目を細めてしまう。また二十代だぞ? と思っているのに、つい思わず、いわば反射的にそんなアクションを取ってしまうことに、深い絶望を覚える。
 あとは、ビニール袋の口を広げる時などだ。
 静電気だかなんだか知らないが、とにかくビニール袋の口が開きにくい時に、咄嗟に指先を口で湿らせてしまった。その時の絶望感は、未だに忘れられない。
 汚ねぇババァやジジィの指を湿らせる仕草に心底嫌悪感を抱いていたものだが、自分がそんな行動を取る時が来るとは思いもしなかった。
 そして二十代も半ばに差し掛かると、体にもガタが来始めるのだ。
 今まで腰を痛めたことなんぞなかったが、今では重いものを持って運搬作業をしただけで腰が痛みやがる。それが数日に亘って響くのだ。自分は若くはないのだという現実に打ちのめされるしかなかった。まだ二十代なのに、だぞ?
 子供の頃は綺麗好きで、風呂が好きだったはずだ。
 だというのに今は仕事から帰ってくるともうクタクタで、風呂に入る気力すら起きない。
 冬は寒くて服を脱ぐのが億劫だから仕方ないところもあったが、夏でべたつく季節だというのに風呂に入りたくない、入るのが面倒くさいとさえ思う。前の自分なら信じられないことだ。
 これは変化なのか。ただの老いなのか。分からない。分かりたくもない。
 子供の頃とは違うのだ、何もかも。
 ゲームを買ったらエンディングまで突っ走っていたのに――例えそれがクソゲーでも――今となってはゲームを買っても積んでいるだけだ。漫画だってそうだ。あんなに大好きだったゲームなのに、プレイする気力すら起きない。
 ああ、大人って、大人って、

 けたたましい音に、目が覚めた。
 布団を引き剥がして起き上がる。
 カーテンの隙間からは朝日が漏れていた。
 目覚まし時計の騒音の中に、自分の荒い息遣いが聞こえる。
 今日も大人の現実がやってきた。
 悪夢であっても、夢の中の方がまだいいと感じる。
 さぁ、早く布団を畳んで朝飯の用意をしがてら弁当の準備もしなくては。
「大人になんてなりたくなかったのによ、クソっ」
 悪態を吐きつつ男は現実に立ち向かう。立ち向かうしかないのだ、現実では。

       

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