Neetel Inside 文芸新都
表紙

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 火炎の裂け目から姿を現したのはケーイチ。颯爽と現れた彼、目に付くのは変貌した左腕。
 全てを飲み込むような漆黒の物体が、その左腕を覆っている。それは生前の魔王を思わせるようで……とどのつまり、魔王がこの場に左腕だけ現れたのだ。

《遅いご登場だな、暫定魔王。――しかし、なんとも。このような何の力も感じぬ者が仮にも魔王とな。ドルゲデルクトル、血迷ったか》
「……貴方が、ガルキセロ・スキャモルテン・バダーダ・ファフニールですか」

 ケーイチは膝を付くアルから視線を赤竜へと移し、口を開いた。感情のこもっていない、無色の声。だが、その瞳だけは明確な敵意が垣間見える。
 赤竜とケーイチ。二人の視線が交差し、互いが退けない立場だと理解する。理由は違えど、退治する二人は確かな目的を持っていた。

「やめろケーイチ、今の君では勝てる相手じゃない。私に任せて、君は早く――」
「――そんなボロボロになってまで、アルは僕を心配してくれている。だから、僕は逃げるわけにはいかないんだ。……赤竜、ガルキセロ。貴方の言う通り、僕が“魔王”だ」
《ふん、面白い。その矮小な身で我に勝てると、微塵にも思っているのならば、それを後悔の念に変えてくれるまでよ》

 静止するアルの言葉を聞かず、ケーイチは赤竜の前へと歩みだす。
 激しく吹き荒れる炎の嵐がまるで意思を持っているかのごとくケーイチの肌を焦がすが、尚も歩む。――――不意に、ケーイチの左腕から漏れる漆黒が揺らめいた。
 漆黒が広がる。体に不釣り合いな程まで膨れ上がった左腕の漆黒は、そのまま地面へと重力に引かれ、瞬間、まるで噴水の様に吹き上がる漆黒。それに乗せられ、ケーイチが舞う。

《なっ、跳んだ……だと……?》

 これまでの動きは一瞬。瞬間的に中空へと“跳んだ”ケーイチは、初めて赤竜と対等の位置になった。……魔王は左腕だけ。されど左腕、魔王とはこれほどまでの力を持っているのか、と。
 ガルキセロ・スキャモルテン・バダーダ・ファフニールは、そのままの勢いに乗せた拳に殴られながら、思う。この者は仮にも魔王なのだ。

「……はっ、はぁ、はぁ」
《面白い。面白いぞ暫定魔王、その小さな身一つで我に拳を届かせたか。まことに面白いぞッ!》
「さっきも、同じ事を言われましたよ……!」

 知性を持つ生物。だが、それ以前に動物。戦いという行為は、二人を高揚感で包む。片や巨大な体を振り回し炎を振り撒き、片や人間が肥大した左腕に振り回され、互いの想像以上に、戦いは激化してゆく。拳は届くも致命傷にはならず。巨体を振り回せど小さき魔王はそれを避け。延々と繰り返される攻と攻。
 ……永遠に続くかと思われた戦いは、唐突に終わりを告げる。
 片や溢れる漆黒を力任せに放出し、片や全てを蒸発させる炎を口から放出し――その中心に、アルが立っていた。

「二人とも、もう止めないかッ!」
「――アル!?」 《アルセキト!?》

 時間にして刹那。既に放たれた二つの放出は止められるはずもなく。……ならば、“速く”。“届く”よりも“速く”。

「アルを」 《アルを》
「守る」 《守る》

 二人の戦いは、まるで息の合ったダンスの様だった。繰り返される行動は次第に互いを知る行為となり、それは戦いという形をとった会話とも言える。そして、二人は“同じ想い”でアルを守る。
 ――眩い閃光がこの場の視界を全て支配した。

「ガル、貴様」
《振り切ったつもりだったのだがな。中々どうして、付け焼刃の気持ちでは体を抑えられなかったらしい。なに、案ずるな。この程度、どうってことは……》

 視界を白く染めた閃光が収まれば、その中心には地に堕ちた赤竜が一体。
 一歩の差で、ケーイチよりも赤竜が速く。故に倒れたのは赤竜、ガルキセロ・スキャモルテン・バダーダ・ファフニールだった。
 赤竜を案じているアルを見て、ケーイチは形容しがたい気持ちが込み上げてくるのを感じたが、それを抑え、アルの傍に駆け寄る。

「アル、大丈夫だった?」
「……ケーイチ。歯を食いしばれ」
「えっ?」

 パシン、と。赤竜が倒れたことで周りの炎は消え去り、騒々しかった轟の音も聞こえなくなったこの場。そこに、張り詰めた音が一筋流れた。
 ……頬を叩かれた。叩かれた部位を抑えながら、ケーイチは何が起こったのか把握出来ずに居た。
 何故、どうして。僕は魔王に言われるがまま、僕ならば助けることが出来ると言われ、そして助けた。最後はガルキセロに持っていかれたとしてもだ。感謝される謂れはあっても、頬を叩かれるなんてこと、考えてもいなかった。

「なん、で」
「言ったはずだ、私は待っていろと。説明したように、ケーイチ、君の体はもう君一人のものではない。角には王の意思が存在し、その身は暫定魔王、つまりは今現在に於いての頂点。……死なれては困るのだ」
「でも、僕はアルを助けたかっただけなんだ。ただ、それだけ……」
「……ふう。それはわかっていたさ。けどな、ケーイチ。私が怒った理由はそれだけじゃない」
「あ」

 不意にアルはケーイチに近付くと、優しく両手を後ろに回し、抱擁した。今日で何度目だろうか。そして、僕はこの感覚をもう一度感じたくて。だから僕は。
 何かが緩んだのか、ケーイチの目尻には涙が溢れていた。

《……よい雰囲気のところ申し訳ないのだが、俺を城まで連れて行ってくれないだろうか。存外にもかなりの深手を負ったようで、このままでは死んでしまう》
「おお、ガル、生きていたのか。もちろん、言われなくとも貴様は白まで連れて行く。何故このような真似をしたのか、じっくりと聞く必要があるからな」

 そう言うとアルは、自然とケーイチから離れる。ケーイチは名残惜しさを感じながらも、目を腕で擦り、アルに指示されながら人型へと戻ったガルキセロを城へと運んだ。




・・
・・・



「つまりだな、私とガルは一時期婚約していたのだ」
「うむ」

 そんなことを、城下町での大立ち回りから数時間経ったのち、魔王の部屋で言われた。
 突然重大――だって一時的とは言え婚約者同士が殺し合ってたわけだし――なことを告白された僕は、もちろん首を縦にも横にも振れず。ただ呆けた顔をして話の続きを待つしかなかった。

「まあ手荒といえば手荒になってしまったが、俺が挨拶をしにきた、ということに偽りはない。これだから東方魔族の輩はオーバーなんだ」
「挨拶の度に町中を炎に包まれては適わん。西方は物事を軽く見過ぎている」
「……幻影すら見切れぬ東方風情が吼えているわ」
「……西方の田吾作が田舎の常識をさも当然のように言っているな」

 これはどうしたらいいんだろう。元の世界で言う、関東と関西のようなものなんだろうか。僕はそんな他愛のないことを思いながら、沸々と込み上げる変な気持ちを押さえつけていた。
 だって、アルとガルは喧嘩しているように見えて、凄く楽しんでいる感じがする。……この気持ちはなんなんだろう。なんだか、すごく焦ってしまう。
《ケーイチ、それは嫉妬という感情だ。……ここに来たばかりの時は人形のようだと思っていたが、中々どうして、内面はやはり“人間”のようだな》

「し、嫉妬!? 僕が!?」

 はっ、と気付く。
 魔王の声は他の人に聞こえない。それこそ、魔王がまだ意識を持っていると知ったら、この二人はどんな反応をするんだろうか。

「……すまない、つい挑発に乗ってしまった。ケーイチ、話が複雑になってしまったが、なんてことはない。つまりは最初に言った通り、“コイツ”と私は過去に婚約していた、それだけのこと。今は赤の他人だ」
「そこまでスッパリと言われてしまうと、俺の立つ瀬が無くなってしまうのだが」

 なるほど、確かに魔王の言う通りだ。目の前でアルとガルが喧嘩――喧嘩をするほど仲が良いを地でいっている――する度に、僕は悪く表現するとイライラしている。
《まっこと愉快、人並みの感情を湧き上がらせたかと思えば、それが嫉妬とはな。斯くも人間は愚かしいというわけだ》
(もう黙ってよ……。ただでさえ色々なことが起こり過ぎて僕自身、整理出来てないのに。そこに感情だの何だのと、下らないことを言われても困る)
 そう、今は感情なんて要らない。焦がれたこともある感情のブレを感じることが出来ても、その所為で思考がブレるのは困る。
 依然と目の前の二人は小競り合いをしている。その間に、納得できる部分を納得……僕の考えを整理しなくちゃいけないんだ。意外と素直に黙ってくれた魔王――多分、この考えにも聞き耳を立てているんだろうけど――を他所に、僕は目を瞑り、ついさっきまで起こっていたことを振り返る。
 異世界、魔王と英雄、生えてきた角、アルセキト、暫定魔王、西方と東方、ガルキセロ、そして僕のこと。
 ウロボロスと呼ばれているこの世界に、どんな原因があるにせよ僕は来てしまった。そこで魔王と英雄が消えるところを見てしまい、後に目を覚ましてみれば角が生えていて。そしてアルによって少しばかりの説明がされるわけだ。
 ……アルセキト。不可解としか言いようがない、魔王の娘。初めて会った時、お世辞にもいい出会いとは言えなかった。錯覚だろうけど、今でも思い出すとお腹が痛くなる。……だと言うのに、アルは僕に優しい言葉を投げかける。“普段の”僕ならば、無償の優しさなんていうのは嫌味を以って付き返すはずだった。なのに、僕はそれに甘んじている。――何かがおかしい。
 目を開けば、視界に映るのは柔らかな絨毯。耳を澄ませばアルとガルの言い合う声。首を左右に振り、再度目を瞑る。
 僕は最低でも一年間、暫定魔王として生き続けなければならないらしい。それが名だけかと思いきや、ついさっきまで起こっていたガルとの戦いで、僕は魔王としての力を“違和感なく”行使していた。――違和感。

「ケーイチ、気分が悪いのか?」

 呼ばれたので頭を上げて、気付けば、心配した表情を浮かばせているアルが僕を見つめていた。……近い。

「っ、いや、別にそんなんじゃないよ。考え事をしていただけ」
「いやいやはやはや。魔王が亡き今、この頼り無さそうな者を頼みの綱としなければならないわけか。中々に東方も大変なことになっているわけだ」
「……」

 ガルが突っ掛ってくるけど、別に嫌味には感じない。だって、言っていることは正しい。僕自身何もわかっていないのに、何が頼りになるというのだろう。
 そんな僕を他所に、アルはガルのことを睨みつけている。

「そんなに睨まないでくれよ。羞恥心が過ぎて、またもこの城下を炎を染めてしまいそうだ。さて、下らん話も終えたところで…………それでは、そろそろ本題と参りましょうか、姫及びに暫定魔王よ」

 仕切りなおしだと言わんばかりに、ガルは仰々しく両手を広げながら椅子に座る。空気が変わったことを感じて、僕もアルも真剣な表情でガルを見つめる。
 場が整ったと感じたのか、赤竜は薄らと口端を吊り上げながら口を開く。

「なんにせよ今回のことは先程から言っている通り、“挨拶”程度のことだと思って欲しい。つまり、次からは“本気”ということになるわけだ。言っている意味はわかるだろう、姫よ」
「いきなり城下に殴りこみだもの、第一位が絡んでいることは察することが出来る。なるほど、この機を西方は本気でモノにするつもり、というわけか」
「お察しがよろしいことで何より。……そんなわけだ、暫定魔王よ。“今回”は貴様の力を試すつもりで来た程度、というわけだ。今は解消したとは言え、元婚約者がそう簡単に死なれては俺の夢見も悪いと言うもの」

 そう言って、真っ赤な瞳を僕に向けるガル。……言いたいことは分かっているつもりだけど、やっぱり、この人は素直じゃない。一時とは言え、僕と彼は同じ目的で同じ行動をしていた。……アルを守るという意味で。
 たぶん、この人はまだ未練があるんだと思う。なんで婚約が解消されたのか、その辺りはわからないけど、この人はこの人なりに心配しているんだ。“ここ”もそうだけど、何よりもアルのことを。

「わかりました。貴方が心配せずとも、僕は“アル”のことを守りますよ」
「――ッ!?」

 割と意地悪な返し方をした僕。さっきまで無駄に突っかかってきたことへの仕返しのつもりだったんだけど、この一言は予想以上にガルのことを動揺させてしまった。
 口をパクパクと動かしていたかと思うと、急にわたわたと手を動かしながら何かを言っている。……何ヶ月ぶりかに、僕は失礼ながらにも“面白い”と感じた。

       

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