Neetel Inside 文芸新都
表紙

ファンタジー
第一幕:始節

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 ――僕は虐められていた。
 中学二年に差し掛かった頃だ。窓際の席で目立たずに日々を過ごしていただけの僕。どこが狂ったのか、気が付いたら僕は負の意味でクラスの中心に立っていた。
 元々、僕には願望と言った願望が無い。目立ちたいとか、話の中心に居たいとか、女の子に好かれたいとか、正直に言えばどうでもいいことだと思っている。ただ、何もない日々が続くだけでよかったんだ。
 なのに、身に覚えの無い噂話から始まって、満足に何もない日々を送ることが出来なくなった。
 ……彼らは僕の何が気に食わなかったのだろう。
 その原因となったのはたった一人。後藤君、クラスの中でも特に目立っている子。僕とは全くの正反対と言ってもいい彼は、僕のすること成すことが全て気に入らなかったらしい。僕としては逆に何もしていないつもりなんだけど、どうしてだろう、やっぱり気に食わなかったらしい。
 そして、彼が何かをするごとに傍にいたのが主に三人。
 飯島さん、直人君と直也君。普段は僕の事を気に留めないのに、後藤君が動くと必ず傍にいる。仲良し四人組というよりは、惰性で一緒に居るんじゃないかと思う。……けど、そんなのは言い訳にならない。四人は事あるごとに僕に対して辛く当たってきた。
 今思えば、僕は精神的に追い詰められていたんだろう。
 僕が幼い頃に死んだ両親……父親は大きな企業の社長だった。世間一般的に言うお金持ちだった父親が残した複数に散らばる口座の額は全てゼロが多く、それが僕に譲られた遺産だと理解するまでに時間がかかったのは記憶に新しい。
 その、今まで手付かずだったお金を、デイジーカッター……不発弾として処理されるはずだったBLU-82/Bという、とても大きい爆弾、普段の買い物じゃ考えられない程高い物、それに使った。
 僕に売ってくれた親切なおじさんが言うにこの爆弾は対物能力が高いらしく、爆風でほとんどを吹き飛ばしてしまうらしい。不発弾ということだったけど、信管を弄ればなんとかなると教えてくれた。
 ――着々と準備を進めている間にも、後藤君たちは僕のことを執拗に虐めてきた。気にならなかったと言えば嘘になる。……僕が飼育係だったのをいいことに、ウサギに対して虐待をし始めたときは気が狂うかと思った。でも、我慢した。目の前で血まみれになっているウサギを見ながら、僕は爆弾をどこに置くかを考えて、“見えないことにした”。
 全部無くなればいいと思ったんだ。
 そして来たるXデイ。“親切なおじさん”の助言もあって、僕は無事に爆弾を仕掛けることが出来た。前日の内に四人の机の中に手紙を入れて、全てが整った。成功すれば学校なんか簡単に吹き飛んでしまうし、もちろん、中心にいるだろう僕達は死んでしまう。疲れていたし、僕は死ぬことに抵抗しない。
 ……そう、僕が死ぬことも目的の一つ。
『おい、お前いい加減にしろよ! もし本当だったとしたら、ぜってぇ許さねぇぞ!!』
 思い残すことは何もない。家族もいなければ、恋人もいないし、友達すらも存在しない。本当に、一人っきりだったのだから。
『死ぬのに、許さないもなにも無いと思うよ』
 彼らが慌てているのは、多分、これから死ぬってことがよくわからないからだと思う。爆弾の実物を見たわけでもないし、それを仕掛けたわけでもない。爆発する時間を知っているわけでもないし、死ぬつもりだったわけでもない。
 他の人にしたら、死ぬなら勝手に一人で死ねばいい、そう思うかもしれない。僕も自分じゃよくわかってないけど、それが出来ないから、今がこうなっているんだと思う。
『……っ、お前!』
 良くも悪くも、みんな運が悪かったんだ。この学校、このクラス、そこに僕と四人が出会ってしまった。互いが出会わなければ、こうなることはなかっただろう。
 気分が高揚する。死ぬ直前でも、人間って初めてのことに期待するものなのかな。人生で一度きりしか経験できない“死”、それをこれから経験できるのだから、少し納得できる。
『さん、に、いち』
 四人の顔が硬直する。同時に、目が開けないほどの光が理科準備室を覆う。不思議と音は聞こえなくて……あぁ、これが死ぬってことなのか。僕は、やっと死ねたのか。
 ……じゃあ、なんで僕は思い出せるんだ?

「――うっ、あ」

 こうして、僕は目を覚ました。


『第一幕:始節』


 急な目覚め。他人に無理矢理起こされたような不快感と共に、僕は目を覚ます。それと同時に、肌が冷たい……大理石のようなツルツルした物に触れていることに気付く。見れば、僕は薄らと緑色に光るもので出来た床の上に寝転がっていた。混濁とした意識に苛みながらも、ここが夢じゃないということは確信する。
 固い物の上で寝ていた所為だろう、体のあちこちが痛むのを感じながら、僕は起き上がる。混乱したままの頭を左右に振りながら、僕は辺りを見渡した。
 広い。神話とかでよく見るような神殿に近いかもしれない。ぼんやりとした光に包まれながら、ふざけたことだとは思うけど、ここが天国なのかと納得しそうになった。その時。

《――我が神殿に迷い込みし者よ。我は問う、汝は何者か》

 死ねたことによる安堵感でスッカリ油断していた時、上の方からお腹の底まで響くような野太い声が聞こえてきた。訳も分からず辺りを見渡すけど、やっぱり、見えるのは淡い緑の光に包まれた空間のみ。

「声……どこから?」

 どこをどう見ても、辺りにあるのは光る床と僕の数十倍はある高さの白い支柱――パルテノン神殿にあるような――だけ。ただ、パルテノン神殿なんかとは比べ物にならないくらいに、とてつもなく広い。どれくらい広いかと言うと、室内なのに天井と端の壁が見えないくらいに広い。……もちろん、薄暗いってことも関係してると思うけど。

《再度問おう、汝は何者だ。如何様にしてこの寝所に迷い込んだ》

 またもや、上の方から声が聞こえてくる。さっきは混乱していてそれどころじゃなかったけど、声が聞こえてくるという事実に慣れた所為か、聞こえてくる大体の方向を把握する。微かな不安を感じながらも、僕は声が聞こえてきた方向に向かって歩き始めた。
 暗く、遠くがはっきりしていない。加えて、声のほとんどが反響している所為で今更ながら今向かっている方向で合っているのか不安になる。 
 実際はそんなに経っていないのかもしれないけど、予想外に広いこの空間を数百歩歩いただけで僕は長い時間を感じていた。……と、僕が目指していた方向にぼんやりとした影が現れた。

「これは、柱?」

 規則的に並んでいる支柱とは別の、二本の太い柱が僕の目の前に建っていた。明らかに不自然なその位置、後方には大きな壁がそびえている。じろじろと二本の柱を凝視するけど、やっぱり暗い所為で細部が上手く見えない。もどかしくなり、触ってみようと二本の柱に近付いた時だった。

「迷いし者よ」
「うっ、わ」

 急に目の前から聞こえてきた物凄く大きな声が鼓膜を揺さぶった。くわんくわんと、脳まで響くそれに数秒の間時間をとられたけど、頭を左右に振って持ち直す。慌てて僕は声が聞こえてきた方向、つまりは上を見上げた。
 …………これは何の冗談なんだろうか。上を見上げていくごとに、僕は自分の顔が青ざめていくのを感じる。目の前にある二本の太い“柱”、上へ上へと見上げると、そこには六つの光る球体。一瞬、それがなんだかわからなかったけど、球体の周りを見ている内に、僕はわかってしまった。

「迷いし者よ。汝は何者だ」
「あ、はははは……神様にしては、ちょっとごついかもしれない」

 “大きくて喋る生き物”。そう表現するしかない。この微妙な薄暗さに慣れてきた目で見れば、この生き物は僕の目の前で“座っている”。
 遥か高い場所に位置する頭――だと思う――には、猫科の動物のように光る六つの眼。頭頂部には僕の体よりも太い角が何本も生えている。ここまで来れば、僕が“柱”だと勘違いしていたものが“足”だというのも納得できる。……足の後方にある壁は、どうやら途轍もなく大きい椅子だったらしい。
 そうして僕が現状をやっとのことで無理矢理納得しかけたところで、“大きくて喋る生き物”の口が動く。僕の腕よりも太い牙が生え揃うその口は、恐怖以外の何物でもない。

「我の領域を侵す迷いし者、これが最後であろう警告。汝、何者だ」
「あの、その前に一つ聞いていいですか? ……死んだはずの僕が動き回れるこの場所は、やっぱり天国、なんでしょうか」

 僕はいいですか、と言いつつも了承を待たずに聞いてしまったに今更気付いて、急に気分が落ち着かなくなる。
 でも、と、僕は思い直す。僕は死んじゃっているのだから、これ以上何が怖いと言うのだろう。

「……ふ、フハ、フハッハッハッハ!」
「ひっ」

 一方的な僕の言葉に気分を害したのかと思いきや、逆に、目の前の“大きくて喋る生き物”は大声で笑い始めた。もちろん怒ることは予想していたけど、笑われることは予想外。怖いものが無いというのは嘘、やっぱり怖いものは怖かった。
 でも、さっきの質問は今、僕が一番聞きたいことなのも確か。それをいきなり笑われるのは、あまりいい気分じゃない。

「何がそんなにおかしいんですか。僕の問いに答えてください」
「汝、ここが天国だと申したか。何処から迷うたかわからぬが、天を目指していたと言うのならば残念よの。……此処は天でもなければ地でもなく、仄暮い底の底、光を浴びれぬ者共が集う場所よ」

 想像していなかったわけじゃない。宗教じみた事に心酔しているわけでもない。ただ、この世でないはずなのにものを考えて動けるということは、天国もしく地獄に近い場所だということ。

「じゃあ、ここは地獄、なんですか?」
「違うな。地獄という場所は知らないが……この世こそは永遠の世界《ウロボロス》、光有る者と光無き者との永き戦い舞台よ」
「ウロ、ボロス。ここは死後の世界じゃないんですか?」
「ふむ……“奴ら”と同じような表現をするのだな、迷いし者よ。……“我ら”が思うに、死というのものは苦からの開放。即ち、完全なる無よ。考え、動く時点で、それは苦を伴いし生と等しい。汝がこの場を“死後”と思うことは自由だが、ここは現実よ。苦しみと痛みに満ちた、の」

 この“大きくて喋る生き物”が言うに、ここは現実、この世らしい。……僕はてっきり、目の前の“大きくて喋る生き物”は地獄で言う閻魔大王のようなもので、死んだ人々を出迎えているのだとばかり思っていた。その、冷静に考えればその考えこそが空想だという事はすぐにでもわかるのだけれど、じゃあ、この場所が仮に現実だとして。それを認めてしまうと、僕は死んでいないことになってしまう。
 考える。死に損ねたのだとしたら、僕は学校、おそらくは瓦礫にでも埋まっていなければおかしい。けど、目覚めたら知らない場所。そして、目の前には地球上には存在し得ない大きな生物。もちろん僕が知らないだけという可能性もあるけど……駄目だ、全然わかんない。

「我が思うに迷いし者よ、汝はこの世の者ではないようだな」
「え?」
「この世に住まいし者にしては物事を理解しておらん。さらに見たことのない服装、聞いたことのない言葉。極め付けはそうよの、この場……我の寝所に突然現れたことか。――再度問おう、迷いし者よ。汝は何者だ」

 ギョロリ、と六つの瞳が僕を捉える。今更ながらもその人間離れした顔に恐怖を感じたけど、僕は固唾を飲み込み、答えた。

「僕は、利賀島啓一。気が付いたらここで寝ていて、声が聞こえる方に向かったら貴方に出会った。貴方の言う通り僕はここが何処なのかわからない。僕がいた場所はウロボロスなんて言う場所じゃないし、貴方のような生き物はいなかった」
「……トガシマ、ケーイチ。なるほど、これこそが理というものか……フハハッ、ハハッ! ワハハハハハ!」
「ひぐっ」

 またもや、“大きくて喋る生き物”は大口を開けながら心底面白いと言わんばかりに笑い出す。もちろん僕が言った内容に笑える要素など無く、取り残された僕は恐怖しながら唖然としているしかない。
 ……そう、恐怖だ。僕は認めたくないけど、ここが“違う世界”だと認識し始めている。つまり僕は元居た世界ではどうなっているかわからないけど、ここでは生きているということ。……心の準備は出来ていない。“大きくて喋る生き物”は見掛け倒しではなく、僕をいとも簡単に殺してしまえるだろう。だからこそ、僕は恐怖している。あの大きな角や牙で、僕は今にでも殺されてしまうのではないのかと。

「つまりは異世界の者、汝こそが古より伝わりし伝承を受ける者か。……面白い、面白いぞケーイチとやら」
「僕を殺すのですか」
「汝が平坦な者ともすれば、そうしていたであろう。だがな、異世界の者よ、汝は希有の者。だからこそ問おうではないか。……汝、何を望む」

 六つの瞳は僕を捉えたまま逸らすことがない。“大きくて喋る生き物”が黙った今、しん、と静まり返ったこの場で、僕は急に自分の望みを聞かれ混乱していた。
 ――僕は何を望む? そんな急に聞かれても、答えられるはずがない。だって、僕は元々願望なんて持たない。無駄な願望なんて持たなければ、周りで何が起こっても辛いことはないし、僕が苦しむこともない。あるとすれば僕が居た場所、学校で僕に誰も近付いて欲しくない、それだけ。今となってはどうでもいいことだし、かと言って“元の世界に戻りたい”なんて言う気も起こらない。……それなのに、僕の望みを言わなければならない。
 僕が答えを言いかねている所為で、この場の空気が重くなった気がする。未だに“大きくて喋る生き物”の瞳は僕を捉えたまま動かない。……そんな時。

 ゴゴン!

 僕の後方で急に大きな音がし、振り返る。前方、今まで気付かなかったけど、そこにはとても大きな扉があり、その扉に寄り掛かるように一人の女の子が息を切らした状態で立っていた。

「はぁ、はぁ……お、お父様! 城内に“英雄”が侵入しております! 騎士団が抑えているようですが、この場も時間の問題かと――――そこに居るのは誰だッ!」
「あ……僕は」

 利賀島啓一、そう答えようとした筈なのに、気付けば僕は遥か高い天井を見つめるように……その、今やってきた女の子に組み伏せられていた。状況がわからずに混乱していると、いつの間に置いてあったのか、僕の腹の上に乗せられていた女の子の足に力がこもる。その力が尋常じゃない力で、僕は思わず苦悶の声を漏らしてしまう。

「はぐっ、う、げほっ」
「貴様は何者だ。何故“王”の寝所に居る。……答えろ!」
「ぐぁああ!」

 ぐっ、とさらに力が込められる足。このまま腹と背中がくっ付き、中身が飛び散ってしまうのかと錯覚するくらいの力。いや、錯覚なんかじゃない。実際にも足は僕の腹にめり込んでいる。

「そこまでだ、アルセキト。この者は我に害を成す者ではない。むしろ、客人のようなもの。わかったのなら、その足をどけぬか」
「はっ、失礼致しました」

 そう言うと、アルセキトと呼ばれた女の子が僕のお腹から足をどける。お腹を押さえながら僕を見ている女の子を忌々しい目で睨むと、その女の子は居た堪れなくなったのか顔を逸らしてしまう。
 扉の向こうが慌しい中、僕は制服のズボンを軽く手で払いながら起き上がった。

「それで、何が起こっているんですか? 英雄とか何とか言ってましたけど」

 口調が多少不機嫌になってしまったけど、仕方がないよ。初対面の子に暴力を振るわれたら、どんな人でも嫌な思いをする。そんな僕の問いに、初めて“大きくて喋る生き物”は少しの沈黙を決め込む。僕としてはそこまで難しいことを聞いたつもりはなかったのだけれど、僕の隣に立つ女の子の厳しい表情を見る限り、どうやら簡単なことじゃないらしい。

「この世の理よな。光有る者と光無き者、傍観した際の善と悪。我が“魔王”ならば、それを倒す“英雄”が居るのも然り。つまりは、その時が来たということなのだな、アルセキトよ」

 “大きくて喋る生き物”は自らを“魔王”と言う。そして、話している内容はまるで自分がこれから殺されるような響きで。
 僕はここまで聞いて、この世界がどんな場所なのかを徐々に理解し始めていた。それは粗末なロールプレイングゲームに出てくるような、子供用の絵本にあるような、少年向けの漫画にあるような……僕が憎んで止まない、ファンタジー。勇者と魔王が織り成す勧善懲悪の物語、その舞台となる世界。

「……はい。彼の英雄はその手に聖剣を携え、その身は祝福を受けた鎧を纏っております。間違いなく、“英雄”です」
「ふむ。となると、もう間もなくこの場に辿り着くであろうな。……アルセキトよ、他の者に伝えるがよい。抵抗はするな、と。我を倒す事こそが英雄の目的、無駄に命を落すことはない」
「で、でもっ! それではお父様が!」

 悲痛な表情で女の子が“魔王”に向かって叫ぶ。……お父様、か。姿は違うけど、ここはファンタジー、実際に親子なんだろう。
 言い方からして、“魔王”は死ぬつもりだ。僕にはよくわからないけど、父親が死ぬことが嫌なんだろうな。

「くどい。ゆけ、アルセキト。これは曲げられぬ事象なのだ。お前が何をしようとも変わることなど無い。……だからこそ、犠牲を増やすではない」
「お父様…………はい、わかりました。どうか御気をつけて」

 そう言って女の子が踵を返して走り始める。途中一度振り返り、また悲痛な表情を見せると、扉の向こうへ姿を消した。
 未だに扉の向こうからは慌しい空気が漂っていて、やはり、“魔王”の言う通りここに勇者役が来るのだろう。僕は女の子が姿を消した所から、“魔王”へと視線を移す。正直に言って“魔王”の顔を見ても感情どころか表情すらも読み取れる自信はない。けれど、その雰囲気は静かなもの。
 多分、死ぬ覚悟が出来ているんだ。そう思うと、僕は急にイライラとした感情が胸から湧きあがってくるのを感じた。

「さっきから気になっていたんだけど、なんで諦めてるんですか。魔王なんて言うくらいだから、その、“英雄”って奴と互角の力くらいはもってるんじゃないの?」
「如何にも。我は“英雄”と互角……いや、それ以上の力をもっているであろう。だがな、異世界の者よ、先程も言ったであろう。我は“英雄”に倒される存在……“勝てない”のだよ。我が如何に“英雄”以上の力を以ってしても、この世がそれを正す。そう、決まっているのだ」
「だからって! だからって、最初から諦めるんですか。決まっているから、そう言ってまだ試してもいないことを諦めてしまったら、それこそ貴方の言う通りになってしまうじゃないですか」
「……のう、異世界の者。我は生じた瞬間にその事を知っておったのだ。汝の言いたい事は全てあの娘、アルセキトが以前に言ったことよ。……我は“知っておる”のだ。生じてから800年間、我は“英雄”に倒される為に、生きてきたのだよ。つまりは、これが目的ということだ」
「…………」

 僕は言い様のない、漠然とした気分に陥る。
 これだからファンタジーは認められないんだ。逆らいようのない、圧倒的な暴力で勧善懲悪を成し遂げる為だけに……この、目の前の“魔王”は、知っていると言うその結果に甘んじると言うんだ。
 認めない、僕はそんなこと認めない。ファンタジーは登場人物、それを夢見る人さえも変えてしまう。消えてしまえばいい、最初から幻想なんて無くなってしまえばいい。
 だから、僕は。

「――さっき、何を望むか聞いたよね? じゃあ、僕は魔王になりたい」
「ほう……それは真の言葉か、異世界の」
「貴方が諦めると言うのなら、僕が代わりに諦めない。なれるのなら、今すぐにでもなってやる」
「ふっ、フハッ、ハハッハッハッハ! 汝が、トガシマが魔王とな! 面白いぞ、トガシマケーイチ。やれるものならばやってみるがよかろう、汝が望むのならばこの力、全てくれてやるわ! …………む」

 上機嫌だった魔王が急に僕の後ろ、扉がある方を見る。……そういえば、さっきまで慌しかった向こうが、今じゃすっかり静かになっている。
 しばらくの間扉の向こう側に見える通路を見ていると、足音が聞こえてきた。間もなく、先程ここに来た女の子の姿が現れた。でも、様子がおかしい。体中を傷だらけにして、血の流れる右腕を左手で押さえている。こちらに近付いてくるごとにその姿が鮮明になり、あぁ、女の子が走ってきた軌跡を描くように、その道には血が転々と連なっていた。
 僕の隣に来る頃には衰弱しきっていて。それでも、女の子は虚ろな目で魔王を見ながら口を開く。

「お、お父様……逃げて……」

 一言、そう言うと、女の子はその場で意識を失う。さすがに僕も慌てて、女の子の背に腕を回す。その背中に触った瞬間、ぬるりとした感触を手に感じる。見ると、掌にはべっとりと赤い血が付いていた。
 その様子を見て魔王は、僕でもわかるほどの重い声で話し始める。

「異世界の者よ。汝との言葉遊び、中々に愉しませてもらった。……最後だ、最後に一つ、頼みがある。その娘を、アルセキトを介抱してやって欲しいのだ」
「それは別に、構いませんけど……やっぱり、死ぬつもりなんですか」
「如何にもだな、異世界の者。我にはその一つしか出来ぬのよ。――さぁ、英雄が来る。この場に居てもよいが、巻き込まれるではないぞ」
「……英雄が、来る」

 僕は血だらけの女の子を抱えて、魔王が座っている分厚い大きな壁のような椅子の陰に移動する。
 仕方がない。これから死んでしまう人――人かどうかは別として――の頼みだから。あまり人には触りたくないし、関わりたくもないけど。僕は女の子をなるべく丁寧に床に寝かせると、制服の下に来ているカッターシャツを脱ぐ。その肩から袖の部分を無理矢理千切ると、女の子の出血している右腕、その二の腕の辺りを少しきつめに縛る。

「う、くっ……貴様、何故」
「……さっきの仕返しってことにしといてくれればいい」

 もう喋るなと言い聞かせると、僕はもう片方の袖の部分を千切り、他の部位で出血しているところを探す。……右足、太ももの部分を腕と同じように、少しきつめに縛った。痛そうな呻きが聞こえたけど、無視する。
 自分なりの知識を元に応急措置をしてみたけど……大丈夫なんだろうか。よく見ればこの女の子、頭に角が生えてるし。ストレートに言ってしまえば、人間じゃない。だから、人間の応急措置が効くのかどうかわからない。
 僕はそれ以上下手に動かすことを止め、魔王が座っている正面の方を見る。……凄く、静かだ。
 緩々と床付近を漂っている霧のようなもの。それが緑色に発光している床に照らされ、幻想的な雰囲気を出している。……だからこそ、こんな光景で静か過ぎるのは、ある種の神聖さをも感じさせる。
 たまに呻く女の子を看ながらじっと息を潜めていると、不意に、カツンカツンと扉の向こうから足音が聞こえてきた。徐々にその姿がはっきりとしていくにつれて、この場の空気が重くなっていく。
 そして、“英雄”が“魔王”の前に辿り着いた。

「久しいの、“英雄”の者。800年もの間待ちわびておったぞ」

 そう言って魔王が出迎えた“英雄”は、僕が見てわかるくらいに“英雄”だった。神々しいとしか表現できない空気を纏っていて、黄金に輝く、その肩まで伸びた髪はゆらゆらと揺らめき、端整な顔立ちは人々が称え敬う対象に相応しい。……一つ僕が抱いていたイメージと違うところは、その瞳。何故だか、僕は魔王と似ていると、そう感じた。

「――一度も会ったことがないのに久しい、か。言い得て妙とはこの事だな、“魔王”の。して、魔王ドルゲデルクトル・ファナジィル・バダーダ・ベルフェゴル、死ぬ準備は出来ているのか」
「英雄オアグゼンヘレウレ・クト・セラータ・アングロス、主こそ我を殺す準備は出来ているのだな。その手に握る聖剣で、体を覆う鎧で、全てを以ってして我を殺すのだと」
「如何にもだ、ドルゲデルクトル。貴様を倒し、己はやっとのことで、この悠久と感じた時から開放される」
「それは我にも言えること。主に倒されて初めて、この800年間が成せるのだ。……のう、オアグゼンヘレウレ。もう終わらせようではないか」
「元からそのつもりよ――ッ!」

 ドスッ!

 英雄が話し終わるのと同時に、床を蹴り上げて魔王へと飛び掛る。その手には光り輝く聖剣。その切っ先が、吸い込まれるように魔王の胸を貫いた。その瞬間、魔王と英雄の体が共に輝き始める。
 突き刺さった聖剣を見つめながら、英雄は自嘲するかのような声色で話し始めた。

「やはり、抵抗はしないのだな、魔王の」
「フハッハ! 我とて一つの生命、殺される為だけの800年間は、存外に我の事を苦しめたわ」
「……すまない」
「謝るでない、英雄の。そうは言っても我は元より覚悟していたこと。……だがな、我は最後にこの世界へ悪足掻きをするぞ」
「――っ、なにを」

 そう言うと、魔王は不意に後ろ……僕を見つめる。同時に勇者もこちらを見て、数瞬考えるような顔をした後、急に魔王の方に視線を移す。

「まさか、貴様!」
「如何にも。この世から英雄が消える。しかし、魔王は残るであろう! あの者を寄り代としてな!!」
「く、は、ははははははっ! そうか、やってくれるわ、ドルゲデルクトル――――ッ!」

 魔王と英雄が一際強く輝き、目が焼け付くかと思えるくらいに光り輝く。その光が徐々に収束していき目が普通に開ける頃には、二人の姿は消え去っていた。まるで英雄がやってくるしばらくの間のように、この場は静まり返っている。あの圧倒的な存在感を放っていた魔王は既に存在しておらず、あるとすれば、床に落ちている英雄が着けていた鎧と血の付いた聖剣。……結局、魔王は死んでしまったのか。僕は急に脱力してしまい、床にへたり込んでしまう。
 なんで、どうして。それしか考えられない。魔王の言い方からして、僕が魔王になることは可能だったはずなのに。僕だったら、こんな世界とは全く関係のない僕だったら、英雄なんて返り討ちに出来たかもしれないのに。
 まるで長い長い夢を見終わり、その内容を忘れてしまった朝のような。何かを喪失したようで、何も得られないようで、何かが胸に穴を開けたようで。……床に座り込んだまま呆然としているしかなかった僕は、いつの間にか隣で立っていた女の子に気付かなかった。

「――お父様? ねぇ、お父様は?」
「……え、あ。もう起き上がれるんですか」
「そんなことよりも! お父様はどうしたの! ねぇ、なんで居ないの!? それに英雄は、なんで、お父様は……」

 女の子は僕の制服、襟首を掴みながら叫ぶ。お父様は何処へ行ったの。それしか聞いてこない女の子の目からは、いつの間にか涙が溢れ、頬を伝い、床にぽろぽろと涙の痕を増やしている。
 がくがくと乱暴に揺さぶられながらも、僕は考えていた。何処へ行ったと聞かれても、ここがどこかもわからない僕が知っているはずがない。それに、あれはどうみても、死んだとしか言いようがないじゃないか。……でも、僕は口を開けずにいた。――人への気遣いなんて、とうの前に止めた筈なのに。見ず知らずの子になんて、同情する必要がないのに。それでも僕は、目の前で泣いている女の子に事実を話すことを躊躇っていた。

「お父様……くっ、うっ」
「な、泣かないで。泣かれたら、僕、どうしていいかわからない。本当に、何もわからないんだ」
「アンタなんかにわかってもらうなんて思ってない! ねぇ、答えてよ! なんで言ってくれないの、ねぇってば!」
「……君のお父さんは、英雄に――――アッ、ガ」

 意を決して話そうとしたところで、急に、頭が……! な、なにこれ、頭が割れるように、痛い! まるで、額に無理矢理ドリルで穴を開けているような、う、痛い、痛い痛い痛い! い、いやだ、痛いのは嫌だ!

「え、なに……? どうしたの?」
「グ……イヤ、だ、痛いのは、いやだぁぁぁぁあ!!」
「――な、まさか、そんな。アンタが」

 女の子が喋り終わる前に、僕の意識は、ここで途切れた。

       

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