Neetel Inside 文芸新都
表紙

ファンタジー
第一幕:次節

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『まぁ、なんて素晴らしい世界なんでしょう』
 わたしは目の前に広がる草原を見て思いました。この場所こそが、幼い頃から夢見焦がれた場所なんだと。
『ここにはわたしを縛るものなんて何もないわ。ほら、木とフォークダンスを踊っても、芝生と鬼ごっこをしても、空をにらめっこしても、世界はわたしを見守っているわ』
 言うがまま踊るように、わたしは草原を駆ける。青空の下、緩やかな風が流れ、わたしが地面を踏む度に、風と草が音を奏で続ける。
 まるで夢見るよう。でも、ここは現実。
 永遠を感じることが出来る素晴らしき世界。――――ここはウロボロス、永遠の世界。



                    ~抜粋  絵本『永遠の世界ウロボロス』 著者:利賀島恭子~










 夢を見ていた。僕が幼い頃に死んだ母さんの夢。
 僕の記憶の中じゃ、母さんはいつも机に向かっていた。朝も、昼も、夜も、まるで椅子に座った彫刻のように、母さんは動かない。僕は問う、なぜいつも机にむかっているのか。……母さんは答えない。僕の言葉なんて聞こえていないかのように、母さんは、“絵本”を描き続けていた。その顔は嬉々としていて……いや、嬉々とし過ぎていて。いくら問いかけても応えてくれない母さん。とても嬉しそうに笑っている母さん。……言葉通り、僕の記憶の中じゃ、母さんはいつも机に向かっている。顔なんて憶えれるほど見ていない。母さんが見ているのは自分が描き続けた絵本、描いている絵本――幻想に塗れたお話。内容は覚えていないけど、その絵本がファンタジーな世界を題材にしたものだというのは憶えている。そんな世界を、母さんは死ぬまで描き続けたんだ。後ろに居る僕、隣に居る父さんには目もくれず。
 母さんを奪った幻想が憎い。父さんの人格を変えてしまった幻想が憎い。人へ平等に不条理な希望を与え続けているファンタジー、僕は、それを狂おしい程に憎んでいる。壊してしまいたい、現実に出来るものなら、存在すらも人の記憶から消し去ってしまいたい。
 ほら、僕の手には母さんの遺骨が握られている。目の前にいる父さんは気が狂ったように荒れている。比較的裕福だった僕の家、屋敷とも呼べる大きな家からは次第に人の姿が消え始めて、最後には父さんすらも死んでしまった。大きな家、莫大な財産……僕はどうしたらいいのかわからない。周りには誰もいないんだ。小学校を卒業しようとする僕に助言してくれる人は居らず、相談できる相手も居らず、一人。
 夢の映像が移り変わる。僕はここまで来て初めて、今までの印象に残った記憶を体験しているんだと気付く。そして、それに気付いた途端、目の前が真っ暗になる。何も見えない、何も聞こえない。僕は今、自分がどんな状態なのかも分からず、急に体の感覚が無いまま“落ちる”感触を感じ……あぁ、目が覚めるんだ、と。



第一幕:次節



「目が覚めた」

 当たり前のことを口走りながら、僕は目を覚ます。体を起こし、周りの様子を見ながら思う…………ここはどこなんだろうか。寝る前のことを考えようとして、僕は予想以上に記憶が混乱していることに気付く。
 まず僕の寝ている場所がおかしいんだ。真っ赤な天蓋が付いたベッドだなんて、僕の部屋にあるわけがない。加えて、そのベッドの大きさ。一辺5mは下らない大きさと言うのは、僕の部屋に有る無いの以前に、入らない。その中心で半身を起こしながら、またもや考える。……よくよく見れば、ここは僕の部屋じゃない。ベージュ色の高級そうな壁紙、無駄としか言いようのない程までに高い天井……高い、天井。
 広い、高い。僕はこの二つの言葉が妙に引っかかり、さらに考える……けど、やっぱり何も分からない。仕方がないので、僕は遥か前方に位置するベッドの端まで、よろよろと歩く。起きた後の軽い運動というのは体に良いらしいけど、僕は勘弁蒙る。
 やっとのことでベッドの端まで来た僕は、立ち上がってから初めて、自分の服装に気付く。学ラン、学校の制服。……学校? …………そうだ、僕は。
 何かのスイッチがONになったように、今まで起こったことを思い出す。

「そうだよ、何を寝ぼけていたんだ僕は」

 死んだはずなのに別の世界に居て、そこには魔王が存在していて、英雄が居て。けれども、僕は一瞬疑う。もしかしたら、この記憶にある事こそが夢なんじゃないのかと。でも、そうだと願いたいけれど、そうだとしたら僕はこんな所で寝ているわけがない。やっぱり、“アレ”は本当にあったことなんだろうか。
 ベッドの脇で呆けながら、僕はふと右を見た際に一つの鏡が目に入った。自分の顔を見ても、別段得るものがあるというわけでもない。そのまま視線を別の場所に移そうとした所で、“それ”が目に入った。

「なに、これ……角?」

 鏡に映っている僕の顔。その額には、一本の真っ白な角が生えていた。……いや、あれは鏡に付いた汚れが、偶然、角に見えるようになっているだけなんだ、と、額に手を持っていくと、確かに以前までは無かっただろうその場所に、硬い感触がある。鏡に映っている僕は、とても阿呆の様な顔をしており、その震える手が握るものは決して鏡に付いている汚れなどではかった。
 落ち着こう。僕は自分でも分かるほどまでに動揺している心を静めようと、強引に深呼吸する。そして、もう一度自分の額……角を触り、本当に生えているものなのかを確認。無理に引っ張ろうとすると、僕の頭も釣られるように動いて……あぁ、本物なんだ。
 本物に間違いないという結論に到ったところで、僕は考える。なんにせよ、この角が本物なら生えてきた原因を知りたい。昨日……かどうかは時間の感覚がないから分からないけど、そう、確かあの時、僕は自分の口で“魔王になる”と言った。原因はそれくらいしか考えられないけど、でも、結局僕はどうやって魔王になるのかも分からないまま、目の前で殺されようとしている魔王を見ていることしか出来なかった。……やっぱり、分からないことが多すぎる。依然、僕はここがどこなのかも把握していないし、時間もわかっていない。もっと言えば、ここは昨日と同じ場所なのかも定かじゃないのだから、こうやって悠長に考え事をしている場合じゃないのかもしれない。昨日の今日だもの、何が起こっても不思議じゃないんだ。
 僕は意を決すると、これもまた遥か遠くに設けられている扉へ歩き始める。……ここはもしかすると、魔王の部屋なのかもしれない。だって、そうじゃなきゃこの無駄としか言いようのない広さと高さが説明できない。それに床の真っ赤な絨毯、壁際に置かれている燭台、柱に彫られた彫刻。どれをとっても、僕が住んでいる家とは比べ物にならないほど豪華だし。……ふかふかとした絨毯、今になって僕はそれを土足で踏んでいたのだと気付き、場違いながらも居心地が悪くなる。仕方がないよね、僕が自分でこの部屋に来たわけじゃないんだもの。
 ……と、扉の前に辿り着いて、考える。そういえば僕をここに連れてきたのは誰なんだろうか。自分で言っておいてあれだけど、僕は自分でこの部屋に来た覚えがない。でも、僕はこの部屋で寝ていた。それを言ってしまえば、昨日目が覚めた時も自分で来た覚えはないんだけど。……ということは。悪く考えてしまえば、この部屋がまたもや見ず知らずの世界だという可能性もある。昨日、せっかく“ウロボロス”という世界を把握し始めていたのに、また違う世界だなんてことになっていたら、本当にどうすればいいんだろう。
 いやいやと頭を左右に振り、そんなことはないと自分に言い聞かせる。そう、いつまでも扉の前で突っ立っているわけにもいかないし、ここは歩いてみよう。そう思い扉の取っ手を回そうと手を伸ばした時。

ガチャ

 ……勝手に扉が開いてしまった。突然のことで混乱してしまい、慌てて視線を前に向けると、目の前に……あぁ、角が生えた女の子が立っていた。女の子も僕と同じように驚いたらしく、少しばかり気まずい雰囲気が二人を支配する。
 このままじゃ埒が明かないので、僕は当たり障りのない話題を探す。

「怪我はもういいんですか」
「それはもう大丈夫だけど、目が覚めていたのか。……そっちこそ、それなりに心配していたんだが、どう? 調子は」
「――あ、その、僕は大丈夫です」

 女の子が余りにも真っ直ぐに僕の目を見ながら喋るため、僕は目を逸らしてしまう。女の子が怪訝そうな顔で見てるけど、そんなこと……慣れてないんだ。人と話すこと自体ほとんどしないし、近寄られるのも好きじゃない。だから、僕は女の子の瞳を見つめ返すことが出来ない。
 一瞬心配そうな顔をしたかと思うと、女の子が僕の顔を覗き込んでくる。――僕は、無意識の内にそれを手で払っていた。

「……っ! 大丈夫、大丈夫ですから。必要以上に心配されるのは気分がよくない、それだけなんです。ですから、その、離れてください……」
「そう、か。すまないことをした」

 僕の行動がよほど予想外のものだったのか、女の子が反射的に謝ってくる。その言葉もまた僕をイラつかせる言葉で、僕は棘を含んだ口調で返す。 

「謝らないでください。別に君は悪いことをしたわけじゃないんだから、逆に僕が悪いように聞こえてしまう」
「…………」

 それっきり黙ってしまったのを見て、僕はこれで会話が終了したと見る。一瞥して、僕は女の子の横をすり抜けるように部屋から出る――と、急に腕を掴まれた。
 今言ったばかりなのに、まだこの子はわかっていないのだろうか。不快な感情を押さえ込んで、後ろを振り返る。一言、きつい言葉でも送ろうかと思ったけど、女の子は想像に反して敵意を秘めた瞳で僕を見つめていた。……純粋な敵意。それはある日の父さんのような。僕は恐怖を感じ、咄嗟に掴まれた腕を解く。

「どこへいく」
「別に、何処だっていいじゃないですか。介抱してくださったのは素直に礼を言いますけど、だからって簡単に干渉されるのは気分がよくない」
「悪いけど、そういうわけにはいかない。父上がどう言おうとも、私にとってのアンタは未だに“侵入者”なのだからな。正体の分からない者が城内をうろつくというのに、そう素直にはいとは言えないさ」
「侵入者……そう、侵入者ですか。そうですね、確かに君の言う通り僕は侵入者なのかもしれない。けれども、僕を介抱している辺り、そこは無言の内に容認されていたと思っていたんですけどね」
「介抱したのは、あれだ、あれだよ、私を介抱してくれたではないか。その義理を返したまでのこと。もちろん恩を売るつもりもないし、着るつもりもない。……それと、そろそろお互い、三人称で呼ぶのは止めにしないか?」

 そう言って女の子は、不意に敵意の篭った瞳を優しい――吐き気がするほどに――ものに変化させる。ここで一旦仕切りなおしだと言わんばかりに女の子は、背後に位置する僕がさっきまで居た部屋に招く動作をする。僕は不承不承、元来た足取りを辿りなおした。
 部屋に戻ったはいいものの、僕は居心地が悪く、決して女の子を視界に入れないように部屋の中を見回す。そこで急にゴトッ、という音がしたかと思うと、僕の目の前にはどこから持ってきたのか、木製の椅子が置かれていた。女の子を見ると、既にもう一つ、正面に置かれた椅子に座っている。……つまり、ここに座れと言いたいのだろう。座ってしまえば相手に同意したも同じ、会話という拷問を強制されることとなる。けれども、僕はこれ以上行動することを考えると面倒になり、流されるままに椅子に座った。

「それで、だな。まずは自己紹介をしたいと思う。……私はアルセキト・ファナジィル・バダーダ・リヴァイアサン。父の姓を受け継いだ唯一人の娘であり、嫉妬を冠する者」
「僕は別にそんな大それた名前は持っていない。利賀山啓一、姓を受け継ぐのは当然だし、冠するものも何もない。ただの、普通の人だよ。……それで、アルセキトさんの事はなんて呼べばいいんですか」
「ケーイチ、か。聞いたことのない響きだ。私のことはアルと呼び捨ててくれて構わない、私もケーイチと呼ぶ」

 まるでこれから長いこと付き合うような言い方だな、と、僕は思った。思えば女の子……アルは会話を始めた当初からやけに馴れ馴れしい。親しい間柄ならわかるけど、僕とアルは昨日出会ったばかりだ。それを、急に呼び捨ての仲だと言い始める。僕の経験からしてこれはとんでもないことで、正直に言えば、対応に困ってしまう。
 加えて、僕は会話なんてほとんどしたことがない。相手は知らない人だし、もちろん円滑に会話を進めるために必要だろう共通の話題なんて知るわけがない。結果として僕は黙ってしまい、それでいてこのしんとした空気を打破するわけでもなく、遥か高くに位置する天井を見ながら僕は呆けていた。

「すまない。私が会話をすると言い出したのだから、私が切り出さなければならなかったな。……私は君、ケーイチに聞きたいことが山ほどある。それと言うのも、私はケーイチが何者なのか、何故父上の寝所に居たのか、その辺りを全く知らない」

 そんなことを言われても、と。天井から視線を変えないまま僕は思う。それこそ、なんでここに居るかは僕が一番知りたいことだし。

「応えたくないのならば、せめてそう言ってくれないだろうか。今は亡きとはいえ、父上が客人と申した相手から無理に聞きだそうとは思わない」
「別に、応えたくないわけじゃない。ただ僕もわからないことがあって、応えれないだけなんだ」

 僕は不機嫌な声色を隠そうともせずに、視線をアルに向けて応える。……ただ、何故か僕のそんな様子がおかしかったようで、アルは不意に微笑む。

「ふふっ、そうか。……いや、すまない。ケーイチが先程から妙に硬い話し方で、あれだ、私は遠慮されるのはあまり好きじゃないのだ。だから、そんな風にくだけた感じで話してくれると私は嬉しい」
「硬いも何も、それを言ったらアルはどうなるの。僕なんかより、よっぽど硬い話し方じゃないか」

 この人には何を言っても無駄なんだろう。僕は半ば諦めながら、会話を始める。

「む、そうなのか? 私としては普通に話しているつもりなのだが……そう、そんなことよりも」
「わかってるよ。僕のことだろう? わからないことは省くけど、名前はさっきも言った通り。気付いたら魔王の寝所とやらで僕は寝ていて、またもや気付いたらここで寝ていて。わかるのはそれだけだよ。あぁ、魔王は僕のことを異世界から来た、なんて言ってたね。僕もウロボロスなんて所は知らないから、多分そうなんだろうけど」
「異世界、ふむ。それならば前例もあることだし名前の辺りの説明も出来る、か」

 前例? ……アルは今、僕のような、異世界から来たという前例があると言った。腕を組みながら考えているアルに、僕は少し焦りながら問いかける。僕のような人が以前にも居たのか、と。

「居た。そうは言っても今から300年ほど前、ちょうど父上が誕生なされた時だがな。私も父上から聞いただけで詳しくは知らないが、ケーイチと同じような名前だったらしい」
「……その、さっきから名前名前と言ってるけど、名前が何か関係してるの?」
「あぁ、基本私たちの名前には二通りの“判別方法”がある。……誰が決めたかは知らんが、腐っているとしか言いようのない、な」

 そう言って、アルの顔に影が差す。心なしか声も暗く、この話がアルにとって気分のいいものじゃないことは手に取るように分かる。けど、僕は今、どんな小さなことでも知りたかった。
 僕が話すように促すと、アルは別段嫌な顔をするわけでもなく話し始める。

「俗に言う光有る者達、そうでない者達。生まれた時には既に決められており、前者には“セラータ”が冠され、後者には“バダーダ”が冠する。あるのは言葉の響きの差異だけなのに、実際は全くの別物だ。言わば、前者は勲章。後者は焼印と言ったところか。……その二つ、どちらかを冠することのない者が、先に言った異世界の者、というわけだ」
「生まれた時から、って。この世界じゃ名前は親が決める事じゃないってこと?」
「その通りだ。生まれた瞬間、その存在は世界に容認され、名前が与えられる。認めたくは無いが、これこそが神に成せる業なのだろう」
「……いやな世界だね。僕がいた世界が素晴らしいところとは言わないけどさ」

 僕の言った言葉を最後に、しばらくの静寂が訪れる。
 別に気まずいって訳じゃないんだけど、お互いが一番聞きたいことを聞き終わった、そんな感じ。……もちろん終われるのならすぐにでも終わりたいけど、僕はまだ聞きたいことがあったような気がして、必死に思い出す。昨日のことはもういいんだ。いくら考えたところで、今の状態じゃ答えは出ない。彼女、アルに聞けば少しはわかると思ったけど、やっぱり得られたのは答えじゃなかった。
 どんなに思い出そうとしても頭に浮かばず、もう諦めようと額に手を当て――思い出した。今日起きた時に気付いた“これ”。昨日までは無かったはずの“これ”を、ここまで僕をここまで運んだアルならばわかるんじゃないのか。
 話を切り出すような空気じゃなかったけど、僕は構わずに口を開く。

「ごめん、最後に聞きたいことがあるんだけど」
「……ん、なんだ?」

 今までアルも考え事をしていたのか、数瞬遅れて返事が返ってくる。

「昨日までは無かったはずなんだけど……“これ”、どうして僕の頭にあるのかわかる?」

 僕は自分の額を指差し、コツコツとそのまま突付いてみる。やっぱり取り付けたとか貼り付けたとか、そんないたずらじみた物じゃなくて、しっかりと生えてきている。
 嫌そうに角を弄る僕を見て、アルは一瞬“何を言ってるんだ”、なんて顔をしたかと思うと、その通りの言葉を口に出した。僕は、分からないから聞いてるのにそんな言い方は無いんじゃないか、と少しばかりの怒りを込めた口調で言うと、アルは慌てたように付け加えた。

「いや、すまない。私はてっきり、もうわかっているとばかり思っていた。……本当にわからないのか?」
「わからないから聞いてるんだって。そもそもこの世界のことすらほとんどわからないのに、急に生えてきた角のことなんてわかるわけないじゃないか」
「……ふう、じゃあそれも今から説明しよう」

 アルは大げさに溜め息をつくと、僕に改めて向き直る。その仕草一つ一つが気に障るけど、仕方がない。わからないままで放っておく方が嫌だ。

「まず一つ目。さっきも言ったが、ケーイチ、君は侵入者だ。君が異世界から来ようが何だろうが、許可無くこの城に存在していることに間違いは無い。……そして二つ目。ケーイチは侵入者であると同時に、“暫定魔王”に成っている」
「……待って。その、暫定魔王っていうのは?」
「話の腰を折るな、それも今から説明する。……暫定魔王というのは、言葉そのままの意味。現魔王が世界に留まれなくなった場合、その魔王が決めた者が暫定魔王となる。そして……ケーイチ、その角には暫定魔王としての意味が有ると同時に、魔王、父上の意思が在るのだ」

 僕は眩暈に似た感覚に襲われ、こめかみを強く抑える。……つまり、僕は暫定とは言え魔王になっている、そういうことらしい。はたしてそれは喜んでいいものなのか。
 加えて、この角には魔王の意思が在るという。魔王は死んだんじゃなかったのか。それに、なんで暫定なんて面倒なことをするのだろう。そう、魔王が死んだのなら、新たに誰かが魔王になる、そんな流れになるはずじゃない。

「ちょっと待ってよ。魔王の意思とかなんとかって、魔王は死んだんでしょ?」
「あぁ、父上は死んだ。それは紛れも無い事実。……しかし今言ったように、その角に父上の意思が宿っているということも事実なのだ」
「だから、どうしてそんなことになっている、って聞いてるんだけど。魔王が死んだなら、それこそ娘である君が次の魔王になるとか、そういうことなんじゃないの」
「言い方が悪かったか。……父上は確かに死んだ。けど、違う姿になってもう一度生まれ変わる。その間、意志を預けておく寄り代が暫定魔王となる、そういうことだ。だからこそ、暫定魔王であるケーイチにどこかへ行かれると困る。王国にでも行かれたら、即殺されてしまうからな。寄り代の死とは、即ち魔王が完全に消えるということでもあるのだ」
「……そういう、ことか」

 長い説明を聞き終わり、僕は脱力してしまう。もちろん得るものはあった。けど、あまり喜ばしいことでもなさそう。

「その、暫定魔王になっている期間はどれくらいなの」
「以前はちょうど一年間だったらしい。……ただ、異世界の者が暫定魔王だなんて聞いたことが無いし、もしかしたら期間が変動するかもしれない」

 ふう、と軽く溜め息をつく。つまり僕は一年間――変わる可能性もある――もの間、この場所で行動を制限されるというわけだ。暫定魔王、そして侵入者、二つの意味で。
 …………よく世界の敵は魔王だと言われてるじゃないか。だから、魔王になれば簡単にこの世界を壊すことが出来るかと思ったのに。実態は暫定魔王、名前の通りお飾りの魔王だという。それでも魔王だし、と少しは期待したけれど、自分で変わったと実感できるのは頭に生えてる角だけ。何も変わっていないのと同じ。
 そう考えると、気力が失せてゆくのを感じる。……僕は頑張った方だと思うんだ。こんな非現実な状況になったというのに、ちゃんと考えていた。けど、それも僕が最も嫌いとする世界を壊せるかも、という考えがあってこそ。何も出来ないと分かった今、もう、どうでもよくなっちゃった。

「見ず知らずの世界で行き成りの大役を押し付けたのは悪いと思っている。その、ケーイチが勝手な行動をしないと誓ってくれるのなら、侵入者というのは無しにしてもいい」
「僕に気を使うのは止してよ。そもそも、魔王になりたいと望んだのは僕なわけだし、哀れんでもらっても反応できない。僕の事なんか気にせず、拘束するなり何なりすればいいじゃないか」
「ケーイチが、望んだ? 何故そんな――」

 アルが言い終わる前に、僕は椅子から立ち上がる。会話を終わらせるという意思。それが伝わったんだろう、彼女は最後まで言葉を続けなかった。しばらくの沈黙の後、アルも立ち上がり、無言で扉の前まで歩いていく。僕はその後姿に何を言うわけでもなく、ただ立っているだけ。それを完全な拒絶と感じたのか、そのままアルは扉を開け――。

「もうらめえええええええ厳しすぎるおおおおおおおおおお!! こんな訓練受けるくらいなら、もう田舎に帰るおおおおおおお!!」

 不意に、緊張感の無い変態じみた叫び声が廊下から聞こえてきた。いや、聞こえてきたというよりも、近付いてきてる。ドタドタという足音と共に、扉の向こう、長く続いている廊下から凄まじい勢いで人影が走ってきた。

「おっおっおっおっおっおっ! さすがに師匠も僕のハイスピーディーな走りには付いてこれないようだお! うっほっほ、今日はもうこれで」
「……何をしているのだ、ブーン。廊下を走るだけならまだしも、ここは立ち入ることを禁止しているはすだが」
「お、おおーっ!? なんで姫様がこんな所に居るんだおっ!?」

 扉を開けて硬直していたアル。その目の前を通り過ぎようとした謎の人物を、アルは冷たい声で呼び止めた。呆れたように手で頭を抑え、溜め息を付いている。
 ……僕は気にしていない風に装い、扉の方に視線を向ける。そりゃあ、気にならないと言ったら嘘になるし。

「ここは父上の部屋だ、私が居たところで問題は無いだろう。それよりも、また団長の訓練から逃げ出してきたのか。何度も言っているが、そんなことでは有事の際、真っ先に死んでしまうぞ」
「わ、わかってるお。ただ、今日は厳しすぎたから早退しただけなんだお! ……言い訳じゃないお、そんな冷たい目で見つめないで欲しいお。……それはそうと、おっおっおっ」
「――なっ」

 謎の人物が急にアルの後ろ……つまり僕の居る方を見たかと思うと、奇声を発しながら近付いてくる。まさか物怖じも無くこの部屋に入ってくるとは思わなかった――だって魔王の寝室みたいじゃん――から、驚きの声を漏らしてしまう。
 アルも驚いたようで、謎の人物の腕を掴み止めようとしたが、難なく振りほどかれる。そのまま謎の人物は僕の目の前に来て、無理矢理僕の手を掴み、上下に激しく振り回し始めた。

「僕の名前はブーンだお! ブーン・ナイトー・バダーダ・ホライゾン! 君はこんな所で何をしてるんだお? もしかして、話題になってる暫定魔王様かお?」
「くっ、手を離してよ。いきなり目の前に来たと思ったら、こんなことを。馴れ馴れしいのは嫌いなんだ、僕には構わないで」

 僕は乱暴に手を振り解くと、ブーンに背を向ける。一瞬嫌な空気になったけど、知ったことじゃない。でも、それでもブーンは明るく、僕に対して語りかけてきた。……初対面で嫌な態度を取られたのに、どうしてそんなに笑っていられるんだろう。僕は振り向いて、そんなことを思う。

「釣れないこと言うなお。暫定魔王様がどんな人か知りたかっただけなんだお。でも、ごめんなさいなんだお。暫定魔王様はシャイなのに、無理矢理握手しちゃったお。だからごめんなさいなんだお」

 シャイ、という言葉にぴくりと僕は反応する。……いや、ここは言い返さないほうがいい。確かに僕は自分のことを決め付けられるような事を一方的に言われるのは嫌いだけど、これ以上この場の空気を悪くしてもいいことがないし。我慢、我慢しなきゃ。
 僕にしては珍しく場を考えて行動しているというのに、目の前のブーン、色白の肌に糸目の角男は“おっおっおっ”、なんて言いながら笑っている。怒っちゃ駄目なんだ。

「……じゃあ、これで用は済んだわけだな、ブーン」
「おっおっ、姫様、これはその、好奇心が悪いんだお。ブーンは悪くないお」
「本来ならば魔王の部屋に一訓練兵が許可無く入るなど極刑に値するのだが、今日の所は見逃してやる。私の後ろに居る団長に免じて、な」

 そう言ってアルは少し横に移動すると、その後ろには全身を黒い鎧で覆った人が立っていた。こんなものを着ているのに、歩いた時にするだろう金属音が聞こえなかった。たぶんそれは凄いことなんだろう。団長って呼ばれていたし。
 団長と呼ばれた男――兜で顔が見えないけど、2m近い身長からして男だと思う――が半歩前に進むと、すう、と兜の向こうから空気を吸う音が聞こえる。

「ワシの訓練を逃げ出すとはァァァァ!! いい度胸だなブーンッ!! そんなにワシの愛をその身に受けたいかァーッ!!」
「ひっ」
「げぇーっ! 師匠! いつの間にそこに居たんだお!」

 怒鳴り声。魔王ほどじゃないけど、その怒声は僕を怯ませるに十分なものだった。小さく悲鳴を漏らしてしまった僕を他所に、ブーンは団長に何度も拳骨を食らっている。……多分泣いてるんだろうけど、顔が笑ってるから気持ち悪いって感じちゃう。
 一通り団長は叱ったのか、少しの間が空く。やっと終わったと思い二人のほうを見ると、不意に団長の兜と目が合ってしまった。いや、目があるだろう部分と。

「時に姫様、そこの少年はもしや」
「あぁ、暫定魔王となったケーイチだ。とは言え、侵入者でもあるが故に、ここで拘束という形を取っているがな」
「ふむ。……お初にお目にかかる、暫定魔王閣下。ワシの名はグフヲムグツァーン・マギンデウク・バダーダ・マルムス、魔王軍近衛騎士団の団長をやらせてもらっておる。気軽に団長とお呼び下さって欲しい」

 そう言って団長は僕に鎧で覆われた手を差し出す。……トゲトゲしていて痛そうだし、握手なんてしたくも無かったけど、ここで下手な態度を取れば状況がもっと悪化するかもしれない。僕は自分にそう言い聞かし、嫌そうな顔をしながらも手を差し出す。グッ、と気合を入れて握手をするけど、団長の握手は想像以上に優しいものだった。

「も、もう離してもいいですか」
「すまないの。“今回の”暫定魔王閣下はどの様な方なのか知りたかったのだよ。……暗い眼をしておるの、少年。まるで死人のように見えるわい」
「……仕方ないじゃないですか。言葉通り、僕はもう既に死んでいるんでしょうから。言いたいことはそれだけですか? 終わりなら手を離してください」

 ゆっくりとお互いの手が離れる。きつい物言いをしちゃったけど、僕は気にしない。気にする余裕が無い。……兜に隠れている所為で目なんかどこにあるかもわからないのに、僕を全部見透かされているように思えてしまうんだ。魔王とはまた違った、違う種類の恐怖。怖い。……そんな僕と団長の会話を聞いて、ブーンとアルは目を丸くしている。何の事を言ってたのかわからなかったみたいだけど、僕は説明する気にはなれなかった。
 お互いが用を終えた頃、自然な流れでブーンと団長はこの部屋から出て行った。去り際にブーンが“また”と言っていた気がするけど、僕としては、もうあの二人とは会いたくない。団長が扉を開けてから閉まるまで、僕は出て行く二人の背中を見ることはなかった。
 ……再び、アルと僕の二人きり。とは言っても、僕の言いたいこと、聞きたいことは全部済ませたから、用は無い。だからこの部屋に拘束するならするで、アルには早くこの部屋から出て行って欲しい。……それなのに、アルは僕を見つめたまま動かない。
 僕はまたも天井に視線を移し、意識をこの場から遠ざけようとする。しかし、アルは口を開いた。

「――ケーイチ。君は、他人が怖いのか?」

 停止する空気。……こいつは、アルは今、何を言ったんだろう。僕が、他人を怖がる? いや、僕は、怖いのだろうか。
 血が繋がっている親でさえ他人という僕の考え。だってそうじゃないか、他の人は僕じゃない。何を考えてるのかわからない。何をするかわからない。それは、怖いという表現が正しいのかもしれない。……でも、それこそ他の人には関係ないじゃないか。たとえ僕がそう思っていたとしても、それをわざわざ口に出して言う理由がどこにあるっていうんだ。
 考えが纏まらない。何を言っていいかわからない。なのに、沸々と怒りに似た感情が湧き上がってくる。僕は天井を見るのを止め、アルに視線を向け、不意に視界が覆われた。

「…………あ」
「怖がることはない。君は、一人じゃないんだ。周りにもっと依存したって、誰も怒りはしない。……ほら、人は温かいだろう。多分君は他人の温かさを知らないだけなんだ。怖かったら他人に言えばいい。今回のことも、私に出来ることがあれば何でもしよう」
「――ッ、な、何なんだよ! 急にこんな、こんなこと。なんで昨日会ったばかりの僕に、こんなことが出来るんだよ! 僕のことなんて、突き放せよ……」

 僕より身長の高いからこその完全な不意打ち。無理矢理後ずさり、アルとの距離をとる。……僕は、抱きしめられていた。気付いた時には抱き締められていて。僕は許せなかった。……温かかったんだよ。アルの言う通り、アルの体は温かくて。許せない。僕は安心していた。たとえ一瞬だったとしても、心の底から安心していたんだ。
 見当違いの憎しみ。自分でも分かってる。でも、そんな目で見ても、アルは微笑を絶やさない。

「僕はこんなこと、頼んでない。そんな、僕より年上だったとしても、全部わかったような口を利かないでよ!」
「……すまない。だが、なんでだろうな。私はケーイチが他人とは思えないんだ。確かに君の角には父上の意思が宿っているが、そうじゃない。もっと他の、何かが」
「知らないよ、そんなこと。頼むからもう、僕のことは放っておいてよ……」

 理由はわからないのに、涙が流れそうになる。僕は怒っているはずなのに、許せないはずなのに。なんでこんなに悲しい気分になるんだろう。
 立ち尽くしている僕を見て、アルは再び僕のほうへ歩み寄ってくる。――怖い。アルは今までの人と違う。違うから怖い。どんな反応をすればいいのかわからない。……もう一度抱き締められたら、僕はどうなってしまうんだろう。わからない。なんでアルは微笑んでるんだ。嫌だ。怖い。
 もう後数歩で僕にアルの手が触れる、そんな時だった。急に地鳴りのような音が聞こえ、遅れて、床が激しく揺れ始める。その拍子で、僕はまたアルの胸に飛び込んでしまった。

「大丈夫、ケーイチ。何も怖くない」
「だから、そんな風に言うなって――」
「――し、失礼致します! 現在は有事ゆえ、僭越ながらも閣下の部屋に立ち入ることを許していただきたく。城下街に西方魔貴族が現れました。情報によると、彼の者はファフニールを冠す――」
「ちっ、ガルか!」

 扉が勢いよく開かれると、そこには一人の男が立っていた。走ってきたようで、肩が上下するほどまで息を切らしている。その男の言葉を聞いて、アルは僕と離れると、急ぎ足で扉の方に向かってゆく。
 何故だかはわからないけど、僕はアルを呼び止めてしまった。

「あの、アル」
「……心配するな、ケーイチはここで待っていてくれ。なに、すぐに戻ってくる」
「…………」

 何も言えない。なんて言い返したらいいのかわからない。答えを聞くつもりはなかったのだろう、アルはそのまま振り返らずに部屋から出て行った。
 さっきまで早くこの部屋から出て行って欲しかったはずなのに。僕のことなんて構わなくてもいいと言ったのに。いつの間にか僕は怒るのをやめていて、今度は、なんだろう。……多分、寂しいんだ。
 僕は一人、いつまでもアルの消えた扉、そこだけを見つめていた。

       

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