Neetel Inside 文芸新都
表紙

ファンタジー
第一幕:終節

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 陽光が明るく照らす地表。光有る者達が暮らす地上のその下には、広大な地下空洞が広がっている。陽の光など当たるわけも無く、唯一の光源はおぼろげに光る鉱物と松明に灯る火のみ。昼が無ければ夜も無く、虚ろな光に照らされるは光無き者達。
 大陸にも劣らない広さを持つ大空洞、広い場所に知性を持つ生物が住む。それは即ち、“縄張り”が生まれるということ。地上と地底での二分割で終わるほど、知性を持った生き物は単純ではない。結果として、深く広く暗い場所を与えられた者達は地上という共通の敵がありながらも、二つの派閥を作り上げた。一つは大空洞の東、魔王を主体とする“東方魔族”。魔王の下に集った古くからの民。対する一つは“西方魔貴族”、王という絶対唯一の制度を快く思っていない者達。図らずともこの二つは東西に別れ、今も尚対立を続けている。
 ――そして、魔王が死んだ。英雄に殺されたのだ――いや、英雄を道連れに――どちらにしろ、魔王はもういないのだ。訃報は瞬く間に地底全土へ、地上へと流れる。魔王が居るが故に対立を続けていた東西。その拮抗した状況を支えていた太い柱が崩れた。――――時は現在、場所は東方。魔王城の下に広がる城下町。そこに住む者たちは今、恐怖していた。皆が皆上を見上げ、上を指し、口々に叫ぶ。――“邪竜が来た”。





 城門前、アルは苦い顔を上に向けていた。城下町の上空、本来ならば居るべきではない者の影。家屋よりも大きいその影は、間違いなく“奴”だと、アルは確信する。
 真紅の体躯。二本の角を頭に生やし、口には無数の牙が生え、長い尻尾を揺らめかせ、力強く空気を打ち付けている物は紛う方無き二枚の翼。幻想の代表格、ドラゴン。……西方の赤き竜が何故ここに。報告は受けていたが、現実を目の前にしてアルは閉口する。
 その宙に浮かぶ巨体が、何の前触れも無しに城下町へと急降下した。――瞬間、土で出来た天井、その遥か高い位置にまで届くほどの火柱が上がる。爆音と悲鳴。それらが耳に届くとアルは後ろを向き、控えていた団長に語りかけた。

「――グフヲム、騎士団はすぐにでも動かせるのか」
「精鋭共はすぐにでも動かせますが、急でした故、数はまだ揃っておりませぬ」
「そうか。ならば少数を城下に向けろ。人々を城に避難させるのだ。この分だと、城下町が火の海になるのにものの数分とかかるまい」

 アルの命令を受けたグフヲムグツァーンは、すぐさま身を翻して城内に戻る。数十秒で少数の騎士団を連れて城下に向かうのだろう。アルはグフヲムグツァーンの背中から、今もなお燃え盛る火柱へ視線を戻す。父上が居れば、このようなことにはならなかったものを。今は亡き魔王を想うも、頭を左右に振りながら自身に喝を入れる。そう、今はもう居ないのだ。だからこそ、この場は娘である自分がなんとかしなければ。
 アルの身を包むものは鎧。グフヲムグツァーンのフルプレートまではいかなくとも、その姿は間違いなく戦う者の姿。腰に剣を携え、拳を握り、瞳は真っ直ぐ火柱、その中心に君臨する赤き竜を見つめて。……歯を食いしばり、力強く地面を蹴り上げる。そうして、アルは走り始めた。



第一幕:終節



 廊下が慌しい。僕が見た人はアル、それと団長……ブーン、この三人しかいないけど、実際はもっとたくさんの人が居るんだろう。
 みんなが慌てて走っていった後、僕は椅子に座りながら広い部屋で一人考えていた。さっきのアルの言葉、他人が怖いという言葉、僕の事を真剣に考えていたのだろうその瞳。……でも、僕はどうしようもない。今まで、あんな優しい目で見られたことがなかったんだから――その目を思い出して、寒気を覚える。
 僕は確かに知らなかった、他人の温かみを。でも、それでも知らなくたって今まで生きて来れたんだ。自殺にも似た行動でこの世界に来てしまった僕が言うのもなんだけど、温かみなんて知らなくとも、人間は生きていける。……でも、僕は知ってしまった。まるで中毒性のある物を初めて摂取したような、今までに感じたことのないものを。もう一度あれを感じてみたい、そう思えるまでに、僕はあの感覚を欲していることがわかってしまう。

「でも、僕は……」

 誰もいない部屋。とても広い部屋。僕は一人呟くが、やっぱり応える人は居ない。空しく僕自身の耳にこびり付いただけ。……これが普通なんだ。僕が何かをしたところで、何かが返ってくることなんてない。母さんだって、父さんだってそうだった。僕は求めちゃいけない、嫌われているんだ。僕が嫌っているんだから、嫌われていなくちゃ困る。なのに、なんで。
 アルが特別なだけ。多分、知らない世界に放り出されて、いきなり理解の範疇を超える出来事が起こって、そんなどうしようもない時に初めて優しくされてしまったから“こう”思えるだけなんだ。忘れよう、僕が何もしなければ向こうも僕から離れてくれるはず。それでいいんだ。

《――本当にそれでいいのか。汝は今、手に届くところにあるモノを自らの手で遠ざけようとしている。本当にそれでいいのか》
「な、だ、誰」

 耳が痛くなるほどの沈黙が漂っていたこの部屋。なのに、急に声が頭に響く。そう、聞こえてきたんじゃない。頭に直接送り込まれているような。僕は椅子から立ち上がり周りを見渡すも、人影を見つけることは出来ない。……近くで囁かれているように感じた。だから、近くに居なければおかしい。それなのに誰もいない。

《それもそうだろう、我は汝と同化しているのだ。汝が考えていることを我がわかるように、我が思うことを汝がわかる。至極当然のこと》
「僕の考えていることを……同化? いや、まさか」
《そう、汝が到った答えは間違っておらん》

 僕は震える手で自分の額、角に触る。目が覚めた時のように僕は鏡を見れば、目を見開き覚束ない手つきで角を触る僕が居る。
 暫定魔王、寄り代。アルは僕が今置かれている状況を教えてくれた。……寄り代という言葉。僕の額に生えている角こそが“魔王”の意識が眠る場所。この角が生えているために僕が暫定魔王だと認識されているという事実。僕はまだこの世界の“常識”を信じ切れていなかったのかもしれない。アルの言葉を鵜呑みにしながらも、今、現実に魔王自らが“同化している”と言われた時、僕は少なからず驚いていたのだから。
 ――そう、ドルゲデルクトル・ファナジィル・バダーダ・ベルフェゴル……僕の目の前で消えてしまった魔王は、死んでない。

《生きている、とも言えぬがな》
「……色々と聞きたいことがあるんだ。いや、でも、その前に。今さっき言った問いはなんのことなんですか?」
《言葉そのままの意味だ。件の話、汝の言う温かみが消え行くというのに、何故、汝は手を伸ばさない。汝は思った、“この温かみをもう一度感じたい”と。ならばこそ、何故手を伸ばさぬ》
「そうか、僕の考えがわかるんだったっけね。じゃあ逆に、僕が言わなくともわかるんじゃないんですか」


 魔王は応えない。再び部屋に静寂が戻る。僕はそれ以上問い詰めることはせず、ぼうっと――今日何度目の行為なんだろう――天井を見上げる。
 ……温かみが消えゆく? それはつまり、いや、それは考えなくていいんだ。魔王が言った言葉を不意に思い出すも、僕はそれ以上考えることを止める。だって、さっき結論が出たばかりじゃないか。忘れよう、僕が今考えることは、この状況をどうにかすることだけなんだ。魔王が現に存在しているということは、アルが言う暫定魔王になっている期間――一年という単位が僕の世界と同じかどうかはわからないけど、つまりは本当だってこと。その長いだろう期間を無為に過ごすわけにもいかないし。
 ふと視線を開けっぱなしになっている扉の方に向ける。さっきまで慌しかった廊下は、いつの間にか静まり返っている。さっきまで角が生えた人たちが行き来していたのに、今ではさっきの光景が錯覚だったと思えるくらいに誰の姿も無い。……なんだっけ、西方魔貴族? それが現れたとか言ってたっけ。

《――ガルキセロ・スキャモルテン・バダーダ・ファフニール。赤竜の君とは奴の事。我が居らぬことを好機と思ったのだろう、今頃城下は火の海だろうな。我の娘とはいえ、無事に済むとは思わぬ》
「そこに、アルが行ったんだ……」
《ふむ、行きたいのならば行けばよかろう。何故自身の気持ちを偽る。汝は確かに“助けたい”と思ったはずだ》
「そんなっ! そんな、こと、思ってない。それに、仮に僕が行ったとしてもどうにか出来るわけないじゃないか。……関係ない、僕には関係ないよ」
《それは違うな、ケーイチ。この状況、まさに汝こそが左右出来ると何故分からん。汝は仮にも魔王、我の力を受け継ぐ者だ》
「僕が、何とか出来る? そんなこと、無理だ。町を火の海にしてしまうような奴なのに、こんな僕に何が出来るって言うんだ。魔王の力を受け継ぐって言っても、僕には角が生えた以外の違いがわからないよ」

 そう言って、僕は急に醒める。何を言ってるんだろう、僕は。助けに行くことを前提にして喋って。……僕は行かない、何も出来ない、アルなんて知らない。――でも、僕が否定する度に“あの感覚”を生々しく思い出してしまう。
 あれをもう二度と感じることが出来なくなってしまってもいいのか、と、頭に魔王の声が響く。僕は構わない、別にいいのに! あんなこと、僕が望んでされたわけじゃない! なのに、なんで悲しくなるんだよ! なんで、僕は立ってるんだよ……っ!

「……ねえ、魔王。僕が行ったら、本当にアルを助けることが出来るの?」
《我は確かに悪を体現する者。しかし、そんな我にも情がある。――娘の為だ、力を貸すことを惜しむ理由が無い》

 僕の目の前には開かれた扉。後数歩進めばこの部屋から出ることになる。……強く握りすぎた拳が痛い。足が竦む。
 人の為に僕が動くなんて。そんなこと、今までしたことがあったんだろうか。思い返してみても、やっぱり記憶に無い。……だからなんだろう、僕は怖い。どうしたらいいかわからない。僕に助ける力があるとか無いとか、そういうことじゃないんだ。“助ける”というやり方がわからない。“人の為”に動いているという実感が無い。

《面白い、やはり面白いぞケーイチ。汝の心は真に面白い》
「やっぱり、他人に僕の気持ちを見られるっていうのは気分がよくないね。……“ありがとう”。多分、少し落ち着いたと思う」

 魔王が僕を思って物を言ったかどうかはわからないけど、少し砕けた感じの言葉は、僕の体、その震えを取り除いていた。
 さっきとは逆の意味で拳を握り締めて、僕は柔らかな絨毯を蹴り上げ、走り始めた。




・・
・・・



「あっ――くぅ」

 真っ赤な光に照らされる街並み。光源たる中心に座す赤竜。其に対峙するアルは片膝を地面に付き、敵意を込めた瞳で目の前を射抜く。……圧倒的な破壊を目の前にし、アルは屈しかけていた。持ち前の大剣は易々と折られ、身を包む鎧は所々にひびが入り。尚も赤竜は君臨している。
 ――西方魔貴族。父上、魔王の訃報が流れた途端にこれか。憎々しげに見つめるアル、その瞳を赤竜は炎を以って受け止めている。

《――どうした、アルセキト。魔王の血とはこれほどのものだと言うのか?》
「黙れッ! 父上が不在の時を狙うような輩が我ら東方を辱めるような事を言うな!」
《ふん、心外だな。“これ”はただの挨拶に過ぎん。……ただ、東方には“挨拶”さえまともに返せる奴が居ないのかと嘆いただけよ》

 見る者を恐怖させる赤竜。その容姿とは裏腹に、辺りにおどけた風な声が響く。
 ――真っ赤な炎が“二人”を包み込むように渦巻く。家屋よりも大きな体躯を持つ赤竜ならばともかく、アルの視界には赤一色しか映っていないのだろう。だのに、赤竜の言葉を聞いたアルは、折れた大剣、その切っ先を地面に突き立て、再び両の足で地に立つ。とうに熱さで髪の毛先は縮れ、折れた大剣の片割れは赤熱し、轟という熱風は頬を焦がしているはず。……尚、アルは光の消えない瞳で赤竜を見つめている。

「どの口が挨拶だと言うのか。……ガルキセロ、貴様の言う挨拶とやらは、罪の無い民を炎で焼き尽くすことなのか!」
《ほう、まだ立つ力が残っているどころか、随分と強気な言い草だな。……して、侮るなよ。この俺が何も考えずに町を焼き尽くすと、本気で言っているのか》
「な、しかし」
《おっと、それは置いておこう。……そんなことよりも。魔王が死んだからには“あれ”が居るということだろう。なんと言ったか……そう、暫定魔王。――――何故来ないのだ。この様な惨状を目にしても動かぬ者が魔王の名を冠するというのか。認めん、俺は認めんぞアルセキト!》
「ケーイチは、違う。まだ受け入れてないんだ、この状況を。今はそっとしておいてやりたい。……だからこそ、私は今、ここにいるのだ!」

 アルの言葉を聞き、赤竜は目を細める。何かを思案するかのように一瞬の沈黙が過ぎ去り、再度、その大きな口を開く。

《それはまた、大層な入れ込みようだな。中々に妬ける物言いよ》
「なっ、なにを言っている! 私はただ、ケーイチを想って――」
《それ以上言わんでもいい。……しかしだな、そう言われても俺は引き下がるわけにはいかんのだ。こうまで大規模な“挨拶”よ、暫定魔王の顔すら拝めずに帰るわけにはいかん。だからだ、アルセキト。俺はお前を殺さねばならん》

 緩々とした動きで、赤竜がアルに近付く。喋り終わった口からは周りの空気を歪めるほどの炎がちろちろと覗いている。その口から発せられる炎を浴びれば、並の生物ならば痛みを伴うことなく全身が炭化してしまうだろう。
 ……ここまでか。アルは仁王立ちしながら徐々に近付いてくる赤竜を見つめる。しかし、先程までの気迫は既に感じられず、苦渋に満ちた表情を浮かべている。――せめて私に、父上ほどの力があれば、この国を守れるというのに。何故私には常人の域を出ない程の力しか受け継がれなかったのか。何故、私には力が無い。何故という自問の数々。それは走馬灯にも近い、数瞬の思考。――ガルキセロは躊躇しないだろう。グフヲムは民の避難で手が離せぬ。して、私の手には折れた剣のみ。……ここまでか。
 パチパチという木が燃える音。音が鳴る度に火花が散り、家屋はそんな音を奏でながら倒壊してゆく。――不意に、炎とは違い、火花とも違う、この場で鳴るはずのない音がアルの耳に飛び込んできた。何かを叩くような、一定間隔で鳴り続ける音。それが近付いてくる。

《……なんだ》

 それが“足音”だとアルが気付く頃には、もう目前にまで迫っていた赤竜もその“足音”に気付いていた。
 口から炎を覗かせることを止め、足音が聞こえる方に長い首を向ける赤竜。アルもまた同じ方向に首を曲げ、その方向、周囲を渦巻く炎がその一箇所、そこが――“割れた”。

「――ケーイチっ!」




・・
・・・



「……ねぇ、魔王。本当に僕が行ったら、アルは助かるのかな」

 明かりの無い城下町。城を出たばかりだと逃げまとう人で溢れかえっていたけど、正面で燃え盛る火柱に近付くにつれ、人影が無くなっていく。人の居ない町というのはこうまで寂しいものなんだ、と、空しく響き渡る自分の足音を聞きながら、僕は思う。そんなことを考えているからだろう、僕は自分で決めておきながら、今更になって不安になってくる。

《汝が不安に思うのも無理はない。しかし、我が力を貸すのだ。生まれて100年の小僧に劣るほど、我の力は衰えておらん》

 そんな風に僕が不安がると、まるで狙っているかのように魔王が励ましてくれる。ついさっきまでは人に話しかけられることさえ嫌だったのに、今では魔王の励ましを嬉しいと感じてる。……素直になれと魔王は言ったけど、これが素直になるということなんだろうか。
 心境の変化を考えながら走る。だんだんと見ているだけでも熱そうな火柱が近付いてくる。……多分、アルはあそこにいる。だからこそ魔王は僕の行き先について、何も口を挟まないんだろう。

《行き先は正しい。あの火柱の中に、我が愛しき娘がいることに間違いはない。……ただ、彼の赤竜もいるようだがな》
「赤竜……やっぱり、凄く強いの?」
《我には到底及ばぬが、アルセキトには少々荷が重い。仮にもこの町を一人で覆えるほどの力を持っているのだ、それなりの者よ》

 覆う。魔王は変な表現をする。その赤竜がこの城下町を襲っていることは何もわからない僕でも理解できる。けど、あえて魔王は“覆う”なんて、変な表現をする。どういうこと?

《確かに彼の赤竜はこの町を襲っている。が、街が燃えている光景は幻覚よ。その証拠に、どの家も燃えてはおらん。……あやつの巨体に潰された家屋はあるだろうが。だが、火柱だけは真実のようだな》
「そうだったんだ。……なんでそんなことをするんだろう」

 不可解な現状の説明を聞いて、僕は益々わけがわからなくなる。……でも、やらなきゃいけないんだよね。僕が、自分で。
 
《心せよ、ケーイチ。我が力を貸すと言っても、我の力全てが汝に備わるわけではない。もしかすると、汝では赤竜に及ばぬ可能性もあることを理解しておくことだ》

 魔王はそう言うと、火柱が目前にあることを僕に伝える。……わかってる、例え魔王の力が凄くても、僕が動かなきゃいけないことは。

《準備はいいか、ケーイチ》
「……うん。なんだか、いつになく晴れ晴れとした気分なんだ。今なら、多分、僕は何でも出来る」

 そう。不安な考えがある反面、僕は今までに感じたことのないものを感じていた。たぶん、これは高揚感。
 幼稚な思いながらも、僕は“僕にしか出来ない”というこの状況を喜んでいるんだ。そして、アルという――初めてと言ってもいい――僕に好意を向けてくれた人を助けるという、ある種のヒロイックな気持ち。
 そう。だから、僕は進まなきゃいけないんだ。不安を振り切り、“他人の為に”動かなきゃ。

「じゃあ行くよ、魔王」




・・
・・・



 地底であるが故に天井が在るこの場。それこそ天まで届く火柱が、小さな影と大きな影、その二つの影を呑み込んでいる。轟々と辺りに熱と恐怖を振り撒く火柱。
 ――しかし、絶対となる存在感を放っていた火柱の一部、そこが、唐突に“割れた”。

「ケーイチっ!」

     


     




 火炎の裂け目から姿を現したのはケーイチ。颯爽と現れた彼、目に付くのは変貌した左腕。
 全てを飲み込むような漆黒の物体が、その左腕を覆っている。それは生前の魔王を思わせるようで……とどのつまり、魔王がこの場に左腕だけ現れたのだ。

《遅いご登場だな、暫定魔王。――しかし、なんとも。このような何の力も感じぬ者が仮にも魔王とな。ドルゲデルクトル、血迷ったか》
「……貴方が、ガルキセロ・スキャモルテン・バダーダ・ファフニールですか」

 ケーイチは膝を付くアルから視線を赤竜へと移し、口を開いた。感情のこもっていない、無色の声。だが、その瞳だけは明確な敵意が垣間見える。
 赤竜とケーイチ。二人の視線が交差し、互いが退けない立場だと理解する。理由は違えど、退治する二人は確かな目的を持っていた。

「やめろケーイチ、今の君では勝てる相手じゃない。私に任せて、君は早く――」
「――そんなボロボロになってまで、アルは僕を心配してくれている。だから、僕は逃げるわけにはいかないんだ。……赤竜、ガルキセロ。貴方の言う通り、僕が“魔王”だ」
《ふん、面白い。その矮小な身で我に勝てると、微塵にも思っているのならば、それを後悔の念に変えてくれるまでよ》

 静止するアルの言葉を聞かず、ケーイチは赤竜の前へと歩みだす。
 激しく吹き荒れる炎の嵐がまるで意思を持っているかのごとくケーイチの肌を焦がすが、尚も歩む。――――不意に、ケーイチの左腕から漏れる漆黒が揺らめいた。
 漆黒が広がる。体に不釣り合いな程まで膨れ上がった左腕の漆黒は、そのまま地面へと重力に引かれ、瞬間、まるで噴水の様に吹き上がる漆黒。それに乗せられ、ケーイチが舞う。

《なっ、跳んだ……だと……?》

 これまでの動きは一瞬。瞬間的に中空へと“跳んだ”ケーイチは、初めて赤竜と対等の位置になった。……魔王は左腕だけ。されど左腕、魔王とはこれほどまでの力を持っているのか、と。
 ガルキセロ・スキャモルテン・バダーダ・ファフニールは、そのままの勢いに乗せた拳に殴られながら、思う。この者は仮にも魔王なのだ。

「……はっ、はぁ、はぁ」
《面白い。面白いぞ暫定魔王、その小さな身一つで我に拳を届かせたか。まことに面白いぞッ!》
「さっきも、同じ事を言われましたよ……!」

 知性を持つ生物。だが、それ以前に動物。戦いという行為は、二人を高揚感で包む。片や巨大な体を振り回し炎を振り撒き、片や人間が肥大した左腕に振り回され、互いの想像以上に、戦いは激化してゆく。拳は届くも致命傷にはならず。巨体を振り回せど小さき魔王はそれを避け。延々と繰り返される攻と攻。
 ……永遠に続くかと思われた戦いは、唐突に終わりを告げる。
 片や溢れる漆黒を力任せに放出し、片や全てを蒸発させる炎を口から放出し――その中心に、アルが立っていた。

「二人とも、もう止めないかッ!」
「――アル!?」 《アルセキト!?》

 時間にして刹那。既に放たれた二つの放出は止められるはずもなく。……ならば、“速く”。“届く”よりも“速く”。

「アルを」 《アルを》
「守る」 《守る》

 二人の戦いは、まるで息の合ったダンスの様だった。繰り返される行動は次第に互いを知る行為となり、それは戦いという形をとった会話とも言える。そして、二人は“同じ想い”でアルを守る。
 ――眩い閃光がこの場の視界を全て支配した。

「ガル、貴様」
《振り切ったつもりだったのだがな。中々どうして、付け焼刃の気持ちでは体を抑えられなかったらしい。なに、案ずるな。この程度、どうってことは……》

 視界を白く染めた閃光が収まれば、その中心には地に堕ちた赤竜が一体。
 一歩の差で、ケーイチよりも赤竜が速く。故に倒れたのは赤竜、ガルキセロ・スキャモルテン・バダーダ・ファフニールだった。
 赤竜を案じているアルを見て、ケーイチは形容しがたい気持ちが込み上げてくるのを感じたが、それを抑え、アルの傍に駆け寄る。

「アル、大丈夫だった?」
「……ケーイチ。歯を食いしばれ」
「えっ?」

 パシン、と。赤竜が倒れたことで周りの炎は消え去り、騒々しかった轟の音も聞こえなくなったこの場。そこに、張り詰めた音が一筋流れた。
 ……頬を叩かれた。叩かれた部位を抑えながら、ケーイチは何が起こったのか把握出来ずに居た。
 何故、どうして。僕は魔王に言われるがまま、僕ならば助けることが出来ると言われ、そして助けた。最後はガルキセロに持っていかれたとしてもだ。感謝される謂れはあっても、頬を叩かれるなんてこと、考えてもいなかった。

「なん、で」
「言ったはずだ、私は待っていろと。説明したように、ケーイチ、君の体はもう君一人のものではない。角には王の意思が存在し、その身は暫定魔王、つまりは今現在に於いての頂点。……死なれては困るのだ」
「でも、僕はアルを助けたかっただけなんだ。ただ、それだけ……」
「……ふう。それはわかっていたさ。けどな、ケーイチ。私が怒った理由はそれだけじゃない」
「あ」

 不意にアルはケーイチに近付くと、優しく両手を後ろに回し、抱擁した。今日で何度目だろうか。そして、僕はこの感覚をもう一度感じたくて。だから僕は。
 何かが緩んだのか、ケーイチの目尻には涙が溢れていた。

《……よい雰囲気のところ申し訳ないのだが、俺を城まで連れて行ってくれないだろうか。存外にもかなりの深手を負ったようで、このままでは死んでしまう》
「おお、ガル、生きていたのか。もちろん、言われなくとも貴様は白まで連れて行く。何故このような真似をしたのか、じっくりと聞く必要があるからな」

 そう言うとアルは、自然とケーイチから離れる。ケーイチは名残惜しさを感じながらも、目を腕で擦り、アルに指示されながら人型へと戻ったガルキセロを城へと運んだ。




・・
・・・



「つまりだな、私とガルは一時期婚約していたのだ」
「うむ」

 そんなことを、城下町での大立ち回りから数時間経ったのち、魔王の部屋で言われた。
 突然重大――だって一時的とは言え婚約者同士が殺し合ってたわけだし――なことを告白された僕は、もちろん首を縦にも横にも振れず。ただ呆けた顔をして話の続きを待つしかなかった。

「まあ手荒といえば手荒になってしまったが、俺が挨拶をしにきた、ということに偽りはない。これだから東方魔族の輩はオーバーなんだ」
「挨拶の度に町中を炎に包まれては適わん。西方は物事を軽く見過ぎている」
「……幻影すら見切れぬ東方風情が吼えているわ」
「……西方の田吾作が田舎の常識をさも当然のように言っているな」

 これはどうしたらいいんだろう。元の世界で言う、関東と関西のようなものなんだろうか。僕はそんな他愛のないことを思いながら、沸々と込み上げる変な気持ちを押さえつけていた。
 だって、アルとガルは喧嘩しているように見えて、凄く楽しんでいる感じがする。……この気持ちはなんなんだろう。なんだか、すごく焦ってしまう。
《ケーイチ、それは嫉妬という感情だ。……ここに来たばかりの時は人形のようだと思っていたが、中々どうして、内面はやはり“人間”のようだな》

「し、嫉妬!? 僕が!?」

 はっ、と気付く。
 魔王の声は他の人に聞こえない。それこそ、魔王がまだ意識を持っていると知ったら、この二人はどんな反応をするんだろうか。

「……すまない、つい挑発に乗ってしまった。ケーイチ、話が複雑になってしまったが、なんてことはない。つまりは最初に言った通り、“コイツ”と私は過去に婚約していた、それだけのこと。今は赤の他人だ」
「そこまでスッパリと言われてしまうと、俺の立つ瀬が無くなってしまうのだが」

 なるほど、確かに魔王の言う通りだ。目の前でアルとガルが喧嘩――喧嘩をするほど仲が良いを地でいっている――する度に、僕は悪く表現するとイライラしている。
《まっこと愉快、人並みの感情を湧き上がらせたかと思えば、それが嫉妬とはな。斯くも人間は愚かしいというわけだ》
(もう黙ってよ……。ただでさえ色々なことが起こり過ぎて僕自身、整理出来てないのに。そこに感情だの何だのと、下らないことを言われても困る)
 そう、今は感情なんて要らない。焦がれたこともある感情のブレを感じることが出来ても、その所為で思考がブレるのは困る。
 依然と目の前の二人は小競り合いをしている。その間に、納得できる部分を納得……僕の考えを整理しなくちゃいけないんだ。意外と素直に黙ってくれた魔王――多分、この考えにも聞き耳を立てているんだろうけど――を他所に、僕は目を瞑り、ついさっきまで起こっていたことを振り返る。
 異世界、魔王と英雄、生えてきた角、アルセキト、暫定魔王、西方と東方、ガルキセロ、そして僕のこと。
 ウロボロスと呼ばれているこの世界に、どんな原因があるにせよ僕は来てしまった。そこで魔王と英雄が消えるところを見てしまい、後に目を覚ましてみれば角が生えていて。そしてアルによって少しばかりの説明がされるわけだ。
 ……アルセキト。不可解としか言いようがない、魔王の娘。初めて会った時、お世辞にもいい出会いとは言えなかった。錯覚だろうけど、今でも思い出すとお腹が痛くなる。……だと言うのに、アルは僕に優しい言葉を投げかける。“普段の”僕ならば、無償の優しさなんていうのは嫌味を以って付き返すはずだった。なのに、僕はそれに甘んじている。――何かがおかしい。
 目を開けば、視界に映るのは柔らかな絨毯。耳を澄ませばアルとガルの言い合う声。首を左右に振り、再度目を瞑る。
 僕は最低でも一年間、暫定魔王として生き続けなければならないらしい。それが名だけかと思いきや、ついさっきまで起こっていたガルとの戦いで、僕は魔王としての力を“違和感なく”行使していた。――違和感。

「ケーイチ、気分が悪いのか?」

 呼ばれたので頭を上げて、気付けば、心配した表情を浮かばせているアルが僕を見つめていた。……近い。

「っ、いや、別にそんなんじゃないよ。考え事をしていただけ」
「いやいやはやはや。魔王が亡き今、この頼り無さそうな者を頼みの綱としなければならないわけか。中々に東方も大変なことになっているわけだ」
「……」

 ガルが突っ掛ってくるけど、別に嫌味には感じない。だって、言っていることは正しい。僕自身何もわかっていないのに、何が頼りになるというのだろう。
 そんな僕を他所に、アルはガルのことを睨みつけている。

「そんなに睨まないでくれよ。羞恥心が過ぎて、またもこの城下を炎を染めてしまいそうだ。さて、下らん話も終えたところで…………それでは、そろそろ本題と参りましょうか、姫及びに暫定魔王よ」

 仕切りなおしだと言わんばかりに、ガルは仰々しく両手を広げながら椅子に座る。空気が変わったことを感じて、僕もアルも真剣な表情でガルを見つめる。
 場が整ったと感じたのか、赤竜は薄らと口端を吊り上げながら口を開く。

「なんにせよ今回のことは先程から言っている通り、“挨拶”程度のことだと思って欲しい。つまり、次からは“本気”ということになるわけだ。言っている意味はわかるだろう、姫よ」
「いきなり城下に殴りこみだもの、第一位が絡んでいることは察することが出来る。なるほど、この機を西方は本気でモノにするつもり、というわけか」
「お察しがよろしいことで何より。……そんなわけだ、暫定魔王よ。“今回”は貴様の力を試すつもりで来た程度、というわけだ。今は解消したとは言え、元婚約者がそう簡単に死なれては俺の夢見も悪いと言うもの」

 そう言って、真っ赤な瞳を僕に向けるガル。……言いたいことは分かっているつもりだけど、やっぱり、この人は素直じゃない。一時とは言え、僕と彼は同じ目的で同じ行動をしていた。……アルを守るという意味で。
 たぶん、この人はまだ未練があるんだと思う。なんで婚約が解消されたのか、その辺りはわからないけど、この人はこの人なりに心配しているんだ。“ここ”もそうだけど、何よりもアルのことを。

「わかりました。貴方が心配せずとも、僕は“アル”のことを守りますよ」
「――ッ!?」

 割と意地悪な返し方をした僕。さっきまで無駄に突っかかってきたことへの仕返しのつもりだったんだけど、この一言は予想以上にガルのことを動揺させてしまった。
 口をパクパクと動かしていたかと思うと、急にわたわたと手を動かしながら何かを言っている。……何ヶ月ぶりかに、僕は失礼ながらにも“面白い”と感じた。

     


     



「そ、そそそんな……ち、違うわい!! 俺は別にアルのことが心配とかそういうんじゃないんだよ! ただ、その、そうだ! 今までの言動も全ては我らが西方のためにやったことまでよ。何故なら俺は、男の子ォ! 夢がでかけりゃ野望もでかい! 目指すはこの国この世界、お天道さんの次に輝く一番星! ご近所を騒がせるガルキセロ・スキャモルテン・バダーダ・ファフニール、つまりは俺、ガル様のコトよ!」
「……そ、そうですか」
「……ケーイチ、コイツの言うことを真に受けるな。君にバカが移りでもしたら、私は父上に顔向けできない」
「ええい黙れ! そもそもの話、俺はこんなに陽気な雰囲気の中で話をしに来たのではない! もっと暗い雰囲気の中、貴様らを恐怖のどん底に叩き落す言葉が俺の口から紡がれる予定だったのだ!」
「わかったから落ち着け、赤竜の君……くっ」
「アルに笑われてしまった……なんということだ……」

 微笑ましいって言えばいいんだろうか。僕はこの世界に来て初めて、心の底から落ち着いているのかもしれない。……僕自身に対して僕が他人行儀なのは、いつものこと。なら、今はこの場に任せてもいいんじゃないか。……知っている人がやっているからこそ、この漫才じみている掛け合いが面白いと感じることが出来るんだろう。
 なんだかんだと楽しそうにしている二人を見ていると、不意に、頭に声が響く。
《なんとも愉快。まるで数年前を見ているようだ》
(数年前?)
 何かを懐かしむように、魔王の声は柔らかく響く。生前の見た目――この世界で言う死という定義は、今となってはわからない。それにしたって、あの見た目からは想像出来ない――からは想像しがたいくらいに柔らかい声。そんなギャップに驚きながらも、僕は魔王の言わんとしていることが伝わってくるように感じて。
《我が娘アルセキト、赤竜の君。二人が婚約を解消する前のことだ。今となってはどうしようもないことだがな》
(数年前なら、当たり前の光景として見れたこと。魔王はそう言いたいのかな)
《ああ、至極当然と言えばそこまでなのだがな。……ケーイチ、時間の流れというものは不可逆なのだ。その中で思い出すという行為は、ルールに唯一抗い得る手段だと我は思っている》
(そう、だね)
 やけに感傷的なこと言うんだね、と。そう言いかけたところで思いとどまる。
 ……僕にも譲れない価値観があるように、同じように考えて話すことが出来る魔王にも、譲れないものはあるはずなんだ。たぶんこれはその一つだと、漠然とした、確信に到るには程遠いものを感じて。



・・
・・・


「――ではな、アル。それに暫定魔王……ケーイチよ。次に会う時は敵同士、今日の比ではないと思え」
「中々に楽しかった、ガルキセロ。再度このように話せる日が来ることを願っている」
「ふん、それだから東方は腑抜けていると言われるのだ。次に会ったら必ず息を止めてやる、くらいの心意気で居てもらわねば、せっかくの“挨拶”も無駄になると言うものだ」
「ならば死ね」

 用が済んだというガルを連れて、僕とアルと後ろにもう一人、団長とで城門の前に来ていた。
 相変わらず――僕も相変わらず魔王の言う“嫉妬”を感じているけど――皮肉を交えた会話をしている二人。一通り話し終わったのか、ガルが真面目な目で僕のほうへ振り返る。

「ケーイチ……ああ、不思議な響きだな、この名は。俺は異世界の者を初めて見たわけなのだが、中々に捉えどころの無い、面白い奴のようだ。安心は出来ぬが、貴様に東方を任すぞ」
「言われなくても、僕はここに居る以外に選択肢は無いんです。どうせなら、あがくだけあがくつもりですよ。……まるで味方のように助言してくれて、ありがとう」
「今日限りだがな」

 気に食わないと言いながら、ガルは僕達に背を向ける。
 変身するから離れろと僕達に言って、いざと行かんいう時に、ガルは思い出したように背を向けたまま喋りだした。

「騎士団長、今回の暫定魔王様は頼りないだろう。主が剣の一つでも教えてやればいい」
「……ふん、若造が。端からそのつもりでいるわい」
「食えん老人だ。…………ではな、東方の面々等。これは最後の独り言だが、西方は紳士の集まりでな。攻め込むにしても、少しは間を空けるのだ。その間に迎撃の準備でも整えられてしまうと、痛いだろうよ。……季節の変わり目あたりで、再度お会いしよう」

 最後だと。ガルは言った通り、あっというまに高く飛び上がったかと思えば、瞬く間にその姿を彼方へ小さくしていた。
 アルはそんな彼の姿が消えるまで見つめていて。そんなアルを僕は見つめていて。

「――ホントに、昔と変わらないバカのままなんだから」

 涙を流しながら彼方を見つめ続ける彼女に、僕はかけて上げられる言葉を見つけ出すことが出来なかった。
 今の僕は、したいことも出来ないくらいに、無力なのだから。




【第一幕:終】

       

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Neetsha