Neetel Inside ニートノベル
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ニートな日々
その1

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「さっさと死んじまえ、このゴミ人間が」
 俺はパソコンの前でそう吐き捨てた。
 パソコンの向こう側、つまりはインターネットの世界に住むあいつが、とてもむかついたのだ。
 かわいい二次元美少女アイコンをプロフィールに設定しておきながら、人の言動の揚げ足をつぶさに取ってきて、俺を煽るあいつにたまらなく腹が立つ。もしも目の前に包丁があって、それでいてパソコあいつが目の前に立っていたのなら、俺は間違いなくあいつを何のためらいもなく刺し殺すだろう。
 ……だけど、俺の目の前には包丁がない。ましてや画面の向こう側にいるあいつすら存在しない。だから俺は、憎くてたまらないあいつを刺し殺すことはできない。
 要するに、怒るだけ無駄だ、というやつだ。あいつにいくら怒りを覚えたとしても、俺はあいつに対して何ら物理的に報復することはできないのだ。俺ができる報復といえば、twitterのあいつのアカウントに罵詈雑言を多分に含んだリプライをぶつけることだけ。だけどそれもあいつが俺のアカウントをブロックしていれば効果は皆無といったところ。
 ……結局、俺はあいつに報復することすらできない。虚しい。どうしようもない。
 だけど、虚しいのはやり場のないこの怒りだけじゃない。俺は、自分の人生がたまらなく虚しいのだ。


 怒りに身を任せてパソコンの電源を落とす。
 パソコンの音が消えたせいで、俺の部屋はすっかり無音になってしまった。
 無音の部屋でしばらくじっとしていたら、途端にあいつの顔が浮かんできて、むかついてきた。だから俺は机の下にしまってあるギターアンプを左足で力強く蹴った。だけどギターアンプは壊れるどころか、その強度ゆえか強く蹴った左足をべらぼうに痛めつけた。アンプを蹴った足が泣きそうになるくらい痛い。
 この痛みは、俺が自分の将来というものを漠然と考えてる時に胸の奥がしんしんと痛むのと同じ類の音に思える。
 俺の人生、どうしてこんなにうまくいかないのだ。というか人生うまくいかないことばかりだ。怖いくらいうまくいかない。
 むかつく奴も多すぎる。
 むかつく奴が世の中から全員消えてなくなってくれれば、どれだけ快適に生きてられるのだろうと思う。だけどむかつく奴ほどそれなりに成功していたりする。憎まれっ子世にはばかるというが、憎まれっ子はあまりに世にはばかりすぎているようにも思う。
 むかつく奴、全員消えてなくなれ。だけどいくらそう祈ったところで、あいつらは絶対に消えてなくならない。
 というか、現実問題呪ったところであいつが死ぬわけがない。
 呪術という薄気味の悪いオカルトは、ここ数百年の間の科学技術の発展によって嘘八百のただのでたらめだということが証明されたのだ。
 だから俺がインターネットの情報を頼りに、いくら精度の高い呪術を唱えたとしても、きっとむかつくあいつらの人生に対して微塵も悪影響を与えることはできないのだ。
 そう思うと、呪う気も失せてくる。


 畳の上に寝転がってみる。うつ伏せになって畳の目をぼんやりと数えてみる。一、二、三……。
 百ほど数えたら、なんだか畳の目を数えるのも飽きてきた。ニートライフは基本的に暇でしょうがないわりに、何か娯楽があるとすぐ消費してしまってすぐ飽きるのだ。
 畳の目を数えるのをやめて、ぼんやりと見つめてみる。色々な考えが頭の中に浮かんでは消える。
 就職して、人並みにお金を稼いで、それなりの生活を送ることがこんなにも難しいことだとは夢にも思わなかった。
 現実の俺は、職を得ることもままならないでいたのであった。就活をしてるフリを親に見せながら、適当に苦虫を噛み潰した顔をしながら、親の目を盗んでたまに外に出る。それ以外は、自室のパソコンの前で、ただただ茫然とネットサーフィンをして過ごしている。
 そんな生活、辛くはないのか? と聞いてくる奴もたまにいる。だけど俺は言う。全然辛くはないと。
 でも辛くはないけれど、何もできずにいる自分に苛立ちを覚えることは多いよ、と。
 その昔、ワイドショーで頻繁に使用されていた「勝ち組」だの「負け組」なんていうくだらない概念は、そもそも俺みたいな人間に当てはめることは難しい。なぜか?
 俺は、そもそもレースに参加していないのだ。レースに参加していないのだから、勝ちも負けもない。だから俺は勝ち組でもなければ負け組でもない。
 勝ち負けのレースから外れた上で、食うに事欠くことがない人々のことを、少し古い言葉で高等遊民というらしい。ということは、俺はニート……もとい高等遊民なのだ。高等遊民だから俺は働かなくてもいいのだ。きっとそうに決まってる……のであればいいのだが。


 自分は高等遊民だ!と言い聞かせてノートパソコンの隣に置いてあるペットボトルのお茶を飲む。
 いつもと何ら変わらない、工場で量産されたお茶の味がする。可もなく不可もない味だけど、やっぱりこれじゃ物足りない。誰の口にでも合うお茶は万人受けはするけれど、
 働くということは、生活の糧を得る以外の意味も持っているらしい。そうたくさんの本に書いてあった。ニート特有の暇に任せて本もたくさん読んだのだ。
 働くということは、生活の糧を得ること、そして仕事を通じて社会からの承認を得ることが目的なのだ。高等遊民もといニートでいれば、生活の糧は親の脛で得ているわけだから、生活の糧を得る必要はない。でも社会からの承認というものは、やはり働かずしてあまり得られるものではないだろうと思う。
 そう考えると、社会からの承認を得るために、俺は働かなくてはいけないというわけになる。
 だけど俺は働かない。働けないといった方がいいのかもしれない。
 働けないから働かないのか、働きたくないから働かないのか。こんな思考が頭の中をぐるぐる支配してくる。そうなってくると、俺はいつも考え込んでしまう。そして考え込んでだ挙句その日何もしない。
 何もしない日は無駄だ、と言い切ってしまうのもなんだか腑に落ちない気もするが、悩みながらでもちょっとずつ前に進んだ方がいいに決まってる。一番駄目なのは、悩んで何もしないことだ。悩んで何もしなければ、何もしなかったという罪悪感できっと明日も憂鬱になる。憂鬱になると体が思う通りに動かなくなって、結局その次の日も何もしなくなる。
 つまり俺にとっては悩んで何もしないことは悪循環の始まりなのだ。だから、少なくとも俺の場合は、悩んで何もしないよりは、悩んでいてもいいから少しでも何かしてみないといけないのだ。
 悩んでいてもいいから、少しでも何かをしてみよう。じゃあ、今日は何をするか?
 しばらく考え込んだ俺は、洗面所に行って顔を洗ってくることにした。
 洗面所の鏡の前に立つと、魂が抜けて死んだ目をしている自分がそこにいた。


       

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