【再掲】お先にどうぞなフィーリング(2016年頃)

 この世界には辛いことが多すぎる。
 だからみんな、死ぬのです。
 これが私たちなりの幕引き。
 どうぞご覧あれ。きっと、楽しんでいただけると思います。


 気持ちよく死ねそうな雑居ビルの屋上。
 フェンスをよじ登って落ちるぎりぎりの境目に立つと、それまでに感じたことのない全能感に支配された。
 ぶわぶわと吹き荒れる風が私の身体を境界線の内側へと押し戻そうとする。
 けれどですね、そんなもので私をやっつけられると思ったら、それは大間違い。死ぬと決めたのだから、今日ここで死ぬ。今すぐにも死ぬのです。
「はい、だーいぶ」
 両手を広げて大空へと飛び立つ。
 翼があればきっと肌を照り焦がすあの燦々と輝く太陽まで飛んで行けたんだと思う。
 でも、無理。翼なんてないし、あったところで成層圏にもたどり着けない。
 すぐに、私を現実という名の重力が奈落の底へと突き落としてしまう。
 もちろん、死んだ。すぐに死んだ。人はそれを即死と呼ぶ。
 見事なまでのちゃんちゃんであった。
「うし、イメトレ完了。いっくぞぉ」
 頬をぺちぺち自ら叩く。
「いくぞっ、いくぞっ」
 リズムに乗ってみたり。
「いまいかずにいついくというのでありますかっ」
 自らを叱咤してみたり。
「いまさら後戻りなんかできるかー!」
 無意味に叫んでみたり。
「ふええ、やっぱやめるー」
 弱気になってみたり。
「よし、そろそろ」
 今度こそやる気になってみたり。
「……」
 沈黙。
 下を覗くとくらりとした。
「うわ、あぶね。落ちるとこだった」
 フェンスにしがみついて安堵の息。
 すると、フェンス越しに私を見つめるスーツ姿の男性と目が合ってしまった。
「ひええ、死に神きたー」
 絶対取引しにきた。甘い言葉に乗せられて魂を奪われてしまうんだ。
 死して尚今生に縛られる。それは私のような自殺志願者にとっては不本意極まりない結末である。避けなければ。絶対に回避しなければ。
「あのー」
 死に神さんが口を開く。どこか気の抜けたコーラみたいな声。なんだか仕事が出来なさそう。
「早くしてもらえませんか。後つかえてるので」
「つかえてる?」
 首を傾げて、またひとつ気が付いた。死に神さんの後ろから続く長蛇の列の存在に。
「一秒でも早く死にたいんで、お願いします」
「おやまあ」
 どうやら私の勘違いが炸裂してしまった模様。これは噂に聞く死の行列。
「集団自殺ですか!」
「そういうつもりじゃないけど」
 みんながどうかは知らないけれど、各々死にたくて自動的に集まっただけだと思うよとのこと。
 こんな時でもきちんと列を作って順番待ちするなんて――私はこの国に生まれてきたことを心から誇らしく思った。
「というわけで、さっさと死んで。次、私だから」
「そう言われましてもー」
 死ねと言われて死ぬのはなんか違わない? そりゃ、死にたいけど、言わなくたって死ぬつもりだけど、どのタイミングで死ぬかくらいは自分で決めたい。
「そんなこと言って、僕がここに来てからもう三〇分は経ってるんだけど」
「時間くらいかけてもいいじゃないですか! だって今から死ぬんですよ!?」
 ヒスってみたり。けれど、死に神さんもといリーマンさんは少しも動じず。
「それなら、せめて順番を変わってくれないか」
「えー」
「私は――今年で四十になる。結婚もしていなければ友達もいない……ひどく退屈な人生だった」
「あ、それ長いですか?」
「……先月、会社をクビになったんだ。この年での再就職は難しいし、やり直しをはかる気力もない。もういいんだ。ここで死ぬんだ。そう決めたんだ」
 ああ、この人、目に光がない。
 割と普遍的な絶望。楽しくなければ死ねばいいじゃん。なんとなくわかる。辛いというより空虚。空っぽなのだ。それを死なら充たせると誤解した。
「わかりました――」
 私は頷く。脇に退いて、スポットを譲り渡す。
「――お先にどうぞ」
 その時、リーマンさんは初めて私に笑みを浮かべてみせてくれた。
 そしてフェンスを乗り越えると、少しのためらいもなくその身体を静かに前傾させ、そのまま地上へと落下していった。
 どさり。重い音。潰れ、弾け、潰えた音。
 なんて前向きな人なんだろう。
 私は、その姿勢がたまらなく羨ましく思えていた。
 さて、今度こそ――次は私。
「って、どうせまた時間かけるんだろ」
 リーマンさんの後ろに並んでいた大学生と思しきお兄さんが暗く沈んだ顔をしながら言いました。
「だったら次は、僕が行きたい」
「か、かけません。すぐに死にます。そのために私はここに来たのですから」
「嘘だね。あんたは、それほど現実に絶望してない。思いつきで、ただふらっと高い場所に上ってしまっただけの……生残者に過ぎない」
 そんなことない。
 そんなこと――ないもん。
 ぷくっと頬を膨らませると、お兄さんはため息がちに語り始めます。
「僕には彼女がいた。気が強いけど優しくて器量好しで、自慢の――」
「あーあー! 聞きたくない! そんな情報いらないです!」
「ふられたんだ。他に好きな男ができたと言われた。謝られたよ。ごめんなさい、ごめんなさいって何度も何度も何度もな! でも、自分の気持ちには嘘がつけないって、そう言われた」
 暗い炎。背中が燃えているようだった。涙が出ない。ただ胸が熱い。焦げるような熱に両目をやられて暗闇のなかを彷徨っている感覚なのだろう。
 本当は――道は続いているのに、目が見えないなら杖をつけばいいのに、人の力を借りればいいのに、断崖絶壁に立たされたつもりになってただ立ち尽くしている。進めぬなら、戻れぬなら、落ちるしかない。
 だったら、落ちてしまえと思った。
 彼には、それに足る理由がある。
「お先にどうぞ」
 彼は嬉しそうに笑った。そしてすぐに落ちていった。

「株で大損。笑えるくらい死にたい」
「お先にどうぞ」
 落ちて死んだ。
「就活うまくいかねー。レールから外れるくらいなら死ぬわ!」
「お先にどうぞ」
 落ちて死んだ。
「この身体、もう長くねえんだ。死に時くらいは自分で決めてえ」
「お先にどうぞ」
 落ちて死んだ。
「先輩がいじめてくるんですけどー。もう無理~。しんどーい」
「お先にどうぞ」
 落ちて死んだ。

 あれからどれだけの時間が経っただろう。私にはもうわからなくなっていた。数十人、いや百人以上の自殺を見送っているような気もする。
 みんな一瞬で死んでいった。躊躇なんて欠片もしない。それくらい死を渇望していたし、生に限りない絶望を覚えていた。
 確かにそうだ。人生なんてクソだ。辛いかとか、苦しいからとか、そんなことじゃなくて。
 死ぬ理由を得た時、人は死ぬんだ。
 私も、そう。
 私は残された最後のひとりに問いかける。
「それで、あなたはどうして死にたいんですか?」
「人を――傷つけたからだ」
「それはそれは」
 ご立派なことで。後悔先に立たずというやつでございましょうか。
 嘆くような声には、覚えがあった。顔を見ればすぐにわかった。
「残念ですが、あなたには譲れませんね」
 私は彼女に背を向けた。
 見下ろせば死屍累々。私もその山のひとつになろう。
 時間はたっぷりとかけた。大勢の勇気を見届け、大勢の死を見送った。
 躊躇する理由は、もうなかった。
「さらば青春。私の黒い日々」
 そう言って、私も落ちた。制止する声が聞こえたような気もしたけれど、それをさせないためにフェンスがある。
 視界には青空が広がり、全身を強風が包み込む。
 どこで意識が途絶えるだろうか。走馬燈ってやつはいつ見えるのか。天国にいるおばあちゃんは元気だろうか。地獄にいるはずのおじいちゃんは――私を見たらどんな顔をするだろう。
 そして、無限のような時間を通り過ぎて、私は、
「あ――いッたぁっ」
 腰を強かに打ち付けた。目からきらりんと星が流れて、襲い来る鈍痛に身悶えする。
「うぎゃーッ、痛いよぉ! 誰かっ、だれかへるぷ」
 なんだ、なにこれ、どういうこと。死ぬってこういうことなの?
 そんなわけがない。両脚ともに健在、身体は半透明ですらなく、胸に手を当てれば心臓がどくどくと脈打っている。生きてんだよ、これ。
 状況を理解するのに時間はかからなかった。私は今、積み重なった遺体で出来た山の頂上にいる。彼らがクッションの代わりとなって、私の命を救ってくれたのだ。
「そ、そんな馬鹿なあ」
 冷たくなった誰かの腕を振り回しながら喚き散らしていると、上から最後のひとりが降ってきた。私は為す術もなく押し潰され、全治三ヶ月の重傷を負った。
 そして今は病室のベッドでミイラさながらに包帯をぐるぐる巻きにされて絶対安静を約束させられている。
「くそくらえだ……」
 私は恨み言のように呟いた。
 もう二度と、お先にどうぞなんて言ってたまるものか、と。