【再掲】必殺☆妄想ちゃん(2016年頃)

 エレベーターに閉じ込められた。
 学校からの帰り道、地下鉄の構内に下ろうと乗り込んだのが運の尽き。
 いつもは階段を利用していた。たまたま目の前でチーンと鳴ったのがいけなかった。部活終わりで疲れていたこともあるし、体育の授業中に足をぐねったことも拙かった。
 兎にも角にも閉じ込められた。原因は不明。照明は消えて真っ暗で老朽化しているのか緊急時用のインターフォンも反応しない。
 朝、テレビで流れていた星座占いでは「文句なしにハッピーな一日」とデフォルメされた小動物たちが陽気に歌って踊ってしていたのに、思い返せば登校中に犬の糞を踏んだり、授業中に机の脚がぼぎりと折れたり、ここに来る途中にも軽トラに跳ねられたりと散々な目にばかり遭っている。
 これは何の暗示だろうか。ひょっとしたら俺はこの閉ざされたエレベーターの中から生きて出られないのではないか。仮に出られたとしても、こんなことはまだまだ序の口で、鉄の処女で串刺しにされるくらいの悲惨な末路がこの後に待ち受けているのではないか。
 ぐるぐるとネガティブな思考ばかりが頭の中で回っている。
 助けはいつ頃来るのだろう。外ではどれくらいの騒ぎになっているのだろう。よもや気づいていないということはあるまい。
 明日、まだ生きていたら退部届を出そう。複雑骨折したことにして体育の時間も休むし、星座占いも当てにしない。登下校の際にも注意は決して怠らないし、エレベーターにも二度と乗らない。
 過ちを犯すたびに反省する。中学受験に失敗したから、高校受験では手を抜かなかった。不良相手に喧嘩を売っても勝てなかったから、次からは深々と頭を垂れることにした。孤高になろうと周囲との間に壁を作ったけれど結局寂しくなったから、友達をひとりでも多く増やせるように心がけた。
 今日のことも同じ。この反省は次へと活かす。――けれど。
 思い知った。反省ってやつは次があるから出来るわけで、注意を怠った人間に待ち構えているのは、深い絶望と――取り返しのつかない失敗だけなんだって。
「――すみません」
 沈黙に耐えられなくなった。
 そんな息苦しさを覚える声音が、ふと暗闇のなかから響いてきた。
 少女の声。どこか聞き覚えのある声。
「わ、私の……せい、ですよね。そう思ってるんですよね、そう思われてるんですよね。実際そうなんですよね。私が悪いんです、私のせいなんです。だから、すみません。ごめんなさい。でもどうしようもないんです。私が悪いんです」
 人間の生命力を削ぐ矢継ぎ早な声とテンポが上がるたびに右肩下がりに落ち込んでいく負の言葉。
「死ねばいいですか。わかります。でも死ねません。死にたくないです。だって怖いから。本とは死ぬべきだって思ってるんです。自分でもそう思ってるんです。でも出来ないんです。だって怖いから、臆病なんです。意気地なしなんです。だめなんです。どうしても出来ないんです。でもリストカットみたいな単なる自傷行為はしてないです。だって死ねないし怖いですから、だからしてないんです。本当は死ぬべきなんですけど、死ねないからただ生きてみてるんですけど結局このざまです。ああ怒らないでください」
「……水城紡みずしろつむぎ
 思わずその名をつぶやいた。
「なんで――私のこと知ってるんですか。つけてるんですか。狙ってるんですか。殺すつもりなんですね。それとも誰も介入できないこの真っ暗な密室であんなことやこんなことをするつもりなんですか。切り刻んで、細切れにして、火も通さずにいただくつもりなんですね。痛いっ、痛い痛い、――なんですか! なにしたんですか! 私はいったい、なにをされちゃうんですか!」
 何もしていない。手すりか何かに身体をぶつけただけだろう。
 この世にごまんといる関わり合いになるべきではない人間。
 水城紡の名を持つ彼女は――まさにその典型たる一人である。
 俺自身が長年揶揄されてきたマイナス思考という性癖を大幅な改変を以て再定義するきっかけとなった彼女との出会いは、一年前、高校に入学したばかりでクラスの雰囲気にもどこか馴染めず――何となく孤立していた頃のことだった。
 一通の手紙が下駄箱に届いていた。
「放課後、屋上にて待つ」
 宛名もなければ差出人の名前すらない。
 ただそんなString型の文字列が書き綴られただけの忌避すべき紙切れ。
 どう考えてもいたずらだけど、無視すればそれで終わりとも思えなかった。
 達成感を得られず潰えた小さな悪意はユーティリティライターの先に点った揺らめく炎とはまた違い、くべる必要もなければ音もなく――誰にも気づかれることのないまま自律的に再点火する。
 その矛先が再び自分に向かうとも限らないのだが、悪意を燻らせた顔の知らない誰かが同じ学校のどこかにいると考えただけで不安に押しつぶされそうになる。たとえ嫌な思いをすることになっても、誰がどういうつもりで何をしようとしているのか――それを知るのが何よりも重要なことだと考えるに至ったのは手紙を受け取った日の昼休みが終わる頃のことである。
 すべてが杞憂だったと悟るのは、放課後、屋上で彼女と出会ったその瞬間のことだった。
「――いつも、見てますよね、私のこと」
 それが彼女、水城紡の第一声。
「どうして見てるんですか。私、鏡で何度も確認しました。ひょっとしたら何かついてるのかな。私のことが気に入らない誰かに悪口が書かれた紙でも貼り付けられてるのかなって、そう思って、そう心配して、そう憂慮して、何も怖くなって、何度も何度も鏡で確認したんです! でも何にもないから、じゃあ何で見てるんだろうって、わけわかんなくて、いらいらして、いてもたってもいられなくて、手紙――書きました。書いたんです。読んでくれたんですよね。だから来てくれたんですよね。答えてくれるんですよね、教えてくれるんですよね。解決してくれるんですよね。だから、ここにいるんですよね!?」
 俺は屋上から転落した。
 フェンスの立て付けが悪かったらしい。
 幸い無傷で生還したが、精神的なダメージはぬぐえなかった。
 暇さえあれば水城は俺の目の前に現れ、呪詛の文言を繰り返し唱えた。
「私のせいです、私が悪いんです。何もかもそうなんです。今朝のニュースを観ましたか? 私は観ました。テレビでも新聞でも、インターネットのまとめサイトでも、繰り返し繰り返し、穴があるほど何度も観ました。人が大勢死にました。罪のなき多くの一般市民です。被害者の遺族や、犯罪心理学者、警察関係者等々様々な角度視点切り口から事件について語られていました。だけどどこにも――どこにも書かれていないんです。私が生きているから、私のせいで、何もかも私が悪くてあの事件が起きてしまったんだって。あの日、私は神社のおみくじを引きました。大凶だったんです。最悪だったんです。きっとあのとき、私が気まぐれにそんなことをしさえしなければ、世界は平和だったに違いないんです。だけど誰も私を責めないんです。私が悪いのに、私の罪は、私に対する罰は、裁きはいつも宙に浮いていやらしい目で私を見下ろしてばかりいるんです!」
 会話が成立したことはない。
 ただの一度も、彼女の言葉に何か――返事らしきことをしたことがない。
 それでもかまわず、彼女はしゃべる。
 常に必ず何かを訴え、叫び、喚き散らす。
 そして――そう、その度にだ。
 その度に俺はひとつ、不幸に見舞われる。
 今朝、犬の糞を踏んだ時も、授業中に机の脚が折れた時も、先刻軽トラに跳ねられた時も――傍には必ず水城の姿があった。
 私のせいですよね。
 それが彼女の口癖。
 そんなことはないだろうと内心いつも思っていた。
 だけど、もしかしたら、ひょっとして。
「本当にお前のせいなのか?」
 暗闇の中、そこにいるはずの水城に問う。
 いつも怯えた目つきをしている彼女。虐待にでも遭っているのかと勘ぐった時期もあった。
 けれどもとある祝日、両親と仲良く買い物をする水城の姿を見かけたことがある。
 幸せそうだった。満面の笑みだった。俺の姿を見つけた水城は笑顔のまま手を振ってきた。俺は応えられなかった。ただ呆然と立ち尽くした。トラウマだった。そのまま死のうかとも思った。
「その声は――桜庭くんですか? ああ、私はまた、お友達を巻き込んで――って、ああ、すみません。友達だなんて、あは、私が勝手にそう思ってるだけで、迷惑ですよね。そりゃそうです。いくら虫とか動物が好きで飼うことがあっても、友達にはなれないですもんね。なれるだなんて奇特なことを言っても、そんな欺瞞でしかないですもんね。すみません、巻き込んだだなんていう表現もおこがましいですよね。お前ごときにそんな力があるなんて思い上がりだって、そう思いますよね。すみません、すみません、すみません――」
「や、やめろよ。やめろって」
「ご、ごめんなさい。怒らないでください。怒らないで欲しいです。怒られたら悲しいです。嫌われてるのはわかってるんです。死ねばいいと思われてるのもわかってるんです! こんなことになって、生きて帰れるかもわかんなくて、すごく怖くて、すんごく怖い――こんなことに巻き込んじゃって、気持ち悪くてくさい女だって思われてるのもわかるんですけど、だ、だけど――えへへ、桜庭くんも一緒だって思うと、ちょっとだけ、心強いななんて、思っちゃったりして」
「え?」
「ひっ、す、すすっ、すみませぇん! そんな、そんなつもりで言ったわけじゃないんです。気持ち悪くて、吐き気を催す邪悪な私に、こんなことっ、思われてるなんて想像しただけで総毛立ちますよねっ、ごめんなさい、ごめんなさい、本当にごめんなさぁい!」
「いや――」
 水城のことを友達だと思ったことは一度もない。
 彼女がネガティブシンキングを垂れ流しにする度にあるはずのない自殺願望が頭をもたげ、鬱屈した感情が行き場をなくし体内で暴れ出すと同時に体調不良を誘発する。
 会話が楽しいとか、約束は絶対に守るだとか、マイナスな要素を打ち消すくらいの圧倒的なプラスがあるわけでもなくて。
 もしも俺に降りかかるすべての不幸が彼女に起因するものであるのなら。
 今後一切、俺に近づくな。関わり合うなと。
 そう言って然るべきなのに。
 どうしても忘れられない。
 忘れることが出来ないでいる。
 偶然見かけたあの日の笑顔。
 まるでこの世界にある数多の不幸の――その一片にも触れたことのないみたいな天真爛漫で、まっさらな、あの笑顔を。
 忘れられずにいる。
 だから、突き放せないでいる。
 この感情をどんな言葉で処理してしまえばいいのかもわからないけれど。
「水城、俺は――」
 暗闇のなか、彼女の手を探り当て。
 それにそっと手のひらを重ねて。
「お前のこと、気持ち悪いだなんて、思ってないよ」
 そんなことを言ってみた。
 すると、彼女の手の甲が熱くなる。
「好きって、――言いました?」
「え?」
「今、好きって、いいましたよね!」
 ずしん、とエレベーターのかごが大きく揺れる。
 彼女の身体が覆い被さってきた。
「な、何を!」
「言質取りました! 好きって言いました! 私のこと愛してるって言いました! ということは付き合ってるってことですよね。結婚するってことですよね! ずっと待ってたんです、桜庭さんには私と同じような空気をずっと感じていたんです! 私が一緒になるなら桜庭さんみたいな負の空気をまとってる人間だけなんだってずっと思ってたんです! ついにこの日が来ました。愛してるんですよね? 結婚ですよね? ふたりで末永くなんですよね!?」
「ば、馬鹿! 暴れるな――。揺れるっ、こわい……怖いから! お前がいると何が起きるかわかんないから!」
「未来はいつだって何が起きるかわかんないんですよ!」
 シャツを脱がされ、乳首をかまれる。
 二時間後、救助に駆けつけた管理会社の職員は「これだから高校生は」と深い深いため息をついたそうだ。


(完)
sage