Neetel Inside ニートノベル
表紙

自分を左殺しと思い込んでいるプロ野球選手
第一打席「自分を左殺しと思い込んでいるプロ野球選手」

見開き   最大化      



 プロ野球選手。それは花形の職業。

 将来プロになることを目指して日々練習に励む子供だってたくさんいる。

 富も名声も得られる素晴らしい仕事だ。

 確かに素晴らしい。”スーパースター”になれれば。

 だがしかし待ってほしい。なれなければ?

 スターというヤツになり損ねたら、プロ野球選手はどうなる?

 簡単だ。



 俺みたいになるんだよ!!



「山﨑。広島へ行け」
「え」
 安芸島アイロンズ由宇練習場。我がアイロンズの二軍本拠地球場。
 自慢じゃないが、俺はプロ入りこのかた一度たりとも一軍のスタジアムがある広島市で野球をしたことがない。つまり二軍の肥やしとしてプロ野球の世界で生きているということだ。正直、大分首も涼しくなってきている。そんな木端選手が『我がアイロンズ』なんて、これを声に出していたら笑われていたところだ。
 そんな俺が、広島へ行ける? マジ?
 …いや、待てよ。待て待て山﨑太郎。お前は昔から思い込みの激しい人間だ。周りからもそう言われていただろ? 自覚しないと。
『広島へ行け』
 二軍監督の万波さんがそう言うんだから、それ即ち『一軍へ行け』と同義なんだろうと、普通なら考える。だが、本当にそうだろうか。単に俺をからかっているだけかもしれないじゃないか。大卒プロ入り四年目にして一軍童貞の俺をバカにしているのかもしれないじゃないか。大いにあり得る。万波さんの性格なら……
「…山﨑どうした、早よ行けェ」
「騙されませんよ、監督」
 読み切った。

『広島へ行け』

   ↓

『お前なんて二十六でまだ一回も一軍に上がれてないんだから二軍で必死に練習したって意味ないじゃろ? どうせ今年でクビなんじゃけぇ。だったらいっそこれで練習切り上げて広島で一軍の試合でも観てこいや。来年からは一般の観客と同じ目線で野球を観ることになるんじゃ、今のうちにプロ野球選手としての立場でプロ野球を観ておいた方が後で良い思い出として残るやろうしのぉ!』

 …ふざけんな!
「――俺にだってまだプロとしてのプライドがあるんですよ。今日も明日もここで練習します!」
 思い出で飯が食えるか。それに俺はまだ心の底から諦めてはいない。まだクビが告げられていない以上、一軍で成功することを諦める必要なんてどこにもない。プロ野球選手として俺はまだ何も掴んでいないんだ。金とか、金とか、金とか。
「それに、広島までの交通費ももったいないし」
「…プロとしてのプライドがあるなら、多少の金は惜しまず広島へ行けや! せっかく一軍に呼ばれたんじゃけ!」
「いやだって、一緒に飯に行けば俺より給料のいい年下の選手の分まで奢らないといけないし、金なんてなえええッ!」
「さっさと荷物まとめて車へ詰め込め! 分かっとるだろうが広島は遠いぞ! グズグズしてたら試合前練習に間に合わんくなるからの」
 そんな、マジで、俺、一軍なのか。
 どうしよう。
「…昨日の試合で、上の代打の切り札じゃった園田が手首にぶつけられたけぇ……お前ェは園田の代わりじゃ。とはいえ、何の実績もねェお前にいきなり園田の代わりは勤まらん。あまり気負わず、これまで培ってきた自分の技術を発揮するつもりでやってこいや。今年のお前ェは、左を打つのは随分上手くなっとるしの」
 ああ、だからか。納得した。
 園田さんが相手のノーコン速球派にぶつけられたのは知っていた。しかし、その代役がまさか俺とは――
「…左投手用の代打ってことですか」
「そういう想定じゃろうの。上のスタッフも、今シーズンのお前ェの対左打率を見たらしいよ。対右と比べて一割以上高いからの」
 今年の俺は、確かに対左打率が高い。
 対左打率 .385
 対右打率 .240
 もちろん二軍成績ではあるが、この数字は客観的に見ても出色だと思う。対右打率と比較すると、余計に飛びぬけて見えてくる数字だ。
 数字は正直だ、と人は言う。だが、俺はそうは思えなかった。
 左投手が得意と思ったことなんて、一度もない。


 カスガDOOMDOOMスタジアム。
 二〇一七シーズン現在、日本のプロ野球チームの本拠地として最新のスタジアムだ。外観はもちろんのこと、球場の中も「これ以上に素晴らしい球場があるのか?」と疑問に感じてしまうほど、最高の造りをしていると思う。片手で数えられるくらいしか入ったことないけれど、そう思う。
 由宇の二軍練習場から約八〇km。金がもったいないので、高速は使わずに来た。二時間ほど運転し続けたので腰が痛い。交通費は後で球団に請求できるのだが、今この瞬間のキャッシュを失いたくなかったのだった。そのくらいに、金がない。
 人によっては年に何億と稼いでいるプロ野球の世界で、何とも情けない限りだ。だが、金がないのは如何ともしがたい。現時点では、来年俺の給料が飛躍的に上昇しているとも想像がしにくいので、人生始めて一軍に上がったといっても、散財する気にはとてもなれなかった。
 試合前練習でいつもどおりライトの守備位置に立つも、足先が浮ついている感じがする。今すぐ広島の夕闇に同化できそうだ。
 二軍と一軍では、まるで世界が違う感じがした。
「山﨑さん、立ち位置が違いますよ」
 見かねてそう声を掛けてきてくれたのが、高卒四年目のドラフト同期で、一軍常連外野手の洗川だった。かなり年下だが、一軍経験は遥かに上だった。洗川と一緒に練習した記憶がほとんどないくらいに、彼はずっとチームの戦力として働き続けていたのだ。
 タダ飯喰らいの俺と違って--
「山﨑」
「あ、ええっと」
 守備練習を終えた俺を呼び止めたのが、まさに雲の上の人、安芸島アイロンズ一軍監督の大方監督だった。現役時代は”トリプル3”--三割三〇本三〇盗塁--に最も近い存在と呼ばれた名外野手だった。俺も子供のころ、大方選手のプレーに憧れを抱いていたものだ。そんな人が自分の上司として今目の前に立っていることに、俺はリアリティを持てずにいた。
「今日、スタメンで使うから」
「え、あ、はい?」
「七番な。しっかりやってくれ」
 それだけ言って、大方さんは急ぎ足で立ち去った。
 一軍昇格早々、スタメン起用。代打だと思っていたのに。
 チャンスだと思うが、それ以上に、怖くて仕方がない。
「これでダメならクビかな」
 つい、口を突いて不安が飛び出た。
 スタメンで使うということは、つまり、首脳陣は俺を今日で見定めるということでは?
「山﨑はまァ、何とか使えるのォ」
「なんじゃ、山﨑っちゅうんは! 二軍で四年も無駄飯喰らわせとったんか! こんな奴もう要らんわ!」
 俺は今、人生の谷間を跨いで立っているのかもしれない。
 生き残る方と、ゆっくりと死ぬ方。
 これより数時間後、谷間が裂けてくる。一軍と二軍、それぞれの大地に分かれる。
 俺は一軍にいたい。俺は、一軍にいたい。
 生き残りたい。


 バットを握る手に、不必要に力が籠る。
 イニングは8回。試合も煮詰まってきたあたり。三対三の同点。
 対戦相手のギガントスは、二アウトながら二塁にランナーを置かれたこの大ピンチに、セットアッパーの舛添を出してきた。
 左投手だ。
 ネクストバッターズサークルに俺。ここまで三打席回ってきたが、ヒットはなし。
 一打席目、アウトローのフォークを振らされ三振。
 二打席目、インハイのストレートに詰まらされてピッチャーゴロ。
 三打席目、ど真ん中のストレートを打ち損じてキャッチャーフライ。
 俺は今、二軍の大地に両足を乗せかけている。間違いなく。
 だが、ここまでは右投手相手の成績だ。挽回する。ここだ。試合を決められる場面。
 タイムリーでも打ってリードすれば、九回表にウチのクローザ―が出てきて試合を締めて終わり。
 舛添は左投手。左投手。俺はどうして一軍に上げてもらった? 左投手を打てたからだ。
 対左打率 .385(二軍成績)
 これはあくまで数字でしかない。俺は、左打者を得意だと思ったことはない。現に、去年までの左打率は大したことないはずだ。
 今年はたまたま数字がいい。それだけだ。
 たまたまで、俺はここに立っているんだ。
 打つ。
 俺は、左殺しだ。
 左投手を打ち砕くためだけに、ここに立っているんだ。
 自意識を超えろ。生き残れ。
 生き残れ。
 お前がここに存在する意味を考えろ。左投手を、殺すためだ。
 殺せ、殺せ、殺す……
 殺してやる。
 ギガントスのセットアッパー舛添。お前の年俸はいくらだ? 俺と同期の入団だったが、ずっと一軍で、大事な場面で投げ続けているだろ。一億円は余裕で超えているのか?
 その年俸、ちょっと、俺に寄越せよォ……
「気持ち悪ィ」
 プレートを踏む間際に、舛添の口がそう動いた気がした。俺はそこまで、恨めしそうな目で舛添を見ていたのだろうか?
 プロ野球は同じ相手と何度も戦う。そこが高校野球とは大きく違うところだ。だからこそ、苦手意識を相手に植え付けるのが大事だ。
 相手チームにとって重要な投手に、苦手意識を植え付ける。そうすることで、俺は。
「さっさと死ね」
 今度はそう口が動いたように見えた。
 俺は口を開かない。頭の中で叫ぶ。
「死ぬのはお前だ!」
 振り抜く。芯を食った感触。俺はスラッガーじゃないが、それでもプロだ。思い切り引っ張れば、右中間を破るくらいのライナーは放てる。やった。瞬間、勝ち越しは確信した。あとは二塁まで達すること。足も速くはないので、代走を出されるかもしれないが、とにかく仕事は出来た。舛添を殺せた。
 二塁ベースの上で、二度手を叩いた。自然と出た行動だった。味方ベンチは喜びに沸いていた。外野スタンドを振り返ると、赤いメガホンが宙を舞っていた。
 俺は、四年目で、初めて安芸島アイロンズの一員となれた気がしていた。


 試合後、大方監督から封筒を渡された。茶色の定形封筒で、中身は見えない。
「今日はよくやった。明日からも頼むぞ、左キラー」
 左殺し。そんな実感は今もない。
 だが、本当に大事なのは、自己評価よりも他者評価だ。
 他人がそう言うのなら、それはきっと正しいのだ。そう信じてやっていこう。
 俺は、左殺しの山﨑だ――


 封筒の中には、監督賞の一〇万円が入っていた。そのお金は、後輩にたかられて全て無くなってしまった。それが惜しいと全く思わなかったのが、自分でも不思議だった。

       

表紙
Tweet

Neetsha