Neetel Inside ニートノベル
表紙

自分を左殺しと思い込んでいるプロ野球選手
番外編5「二〇一八年秋 別れと出会い」

見開き   最大化      



 二〇一八年のプロ野球も、佳境が近づいてきている。もうすぐ十月。我々安芸島アイロンズは、尾張フェニックスの猛追をなんとか凌ぎ切り、リーグ三連覇を成し遂げることができた。今週、敵地TUBEドームでの三連戦で三タテを決めたことで、フェニックスの心を完全に折ることが出来たのだった。
 まだレギュラーシーズンの試合は残っているが、気持ちは既にクライマックスシリーズファイナルステージに向かいつつある。リーグ優勝しても、日本シリーズに出られなければ、完璧とは言えない。
 プロ野球が最も暑くなる季節。その一方で、クビが寒くなる選手も確実に存在する。去年の途中まで、俺自身もそうだった。というか、奇跡が起きなければ、俺は去年の時点で『クビがなかった』だろう。今、こうして、来年の己の立場に怯えることなく過ごせているというのは、僥倖と言う他ない。有難いことだ、命があるということは。
 十月一日。それは、戦力外通告の解禁日--


 十月九日。
 俺は、俺達は、東京の片隅にいた。
 寿司屋。回らない寿司屋。こぢんまりとした店内はカウンターのみ。十席もない。
 所謂一つの高い店。
 ひたひたにビールが注がれたグラスを、ソロソロと突き合わせる。
「とりあえず、お疲れ」
 最初の一口でグラスを半分空ける。相手の方はといえば、すでに空っぽにしていた。手酌で矢継ぎ早に並々注ぐ。昔から飲むのが早かったが、その勢いはさらに強まっているような……
「今日のビールはうめぇわ。良い店で飲んでるからかな?」
 野山は、満足そうに言った。
「普段は焼肉屋とか?」
「最近はそんなに行ってねえなぁ。安月給だから、質素な生活よ」
 その割には恰幅が良くなっている。体躯を形作っているのは、筋肉だけではないように見えた。
 野山を知らない人が、彼を一目見て「スポーツ選手だ」と思うだろうか?
「…もうちょい活躍したかったなあ。こんな店に毎日来られるくらい稼ぎたかった」
「一時期は、シーガルズの四番張ってたのにな」
「あったな、一瞬だけだった。あの時結果残してれば、全然違ったんだろな」
 全ては過去の話だ。
 野山は幕張シーガルズの選手だった。つい先月までは。大学の同級生で、同じ年にドラフトにかかった。俺は四位だったが、彼は二位だった。
 大学時代は豪快なバッティングで鳴らし、東都リーグの本塁打王も獲得した経歴を持つ。チームメイトとして見ていても、俺にはない飛ばす才能を持っていて、「野山には敵わない」と思っていた。
 それくらい、野山には打の才能があった。故に、練習を真剣にしなくても、試合でスタンドインさせることは難しいことじゃなかった。他の部員が必死に走り込んでいる中、気の抜けた表情でゆるゆるっとしたストレッチをしている野山を何度見ただろうか。正直イラついたが、それでも結果は出すので、誰も何も言えなかった。野球は詰まるところ、打つのが上手いやつ、投げるのが得意なやつがえらい。それは事実だ。
 ただ、今となっては詮無きことだが、野山が気をつけておかないといけなかったことがあるとすれば、プロになると「打つのが上手いやつ」の水準が跳ね上がるぞ、ということだろうか。
 大学でどれだけ打てても、プロでそれが通用するとは限らない。現に俺はそのままでは通用しなかった。何せ、プロ野球レベルの打撃に仕上げるまで三年以上を有したのだから。
 お前はその努力を、どれだけした?
 ただ、そこには運の要素もあった。俺が入団した頃のアイロンズは、まだリーグ優勝が当たり前のような強さはなかったものの、今を支えるレギュラー選手達が台頭し始めた時代であり、選手のレベルはプロ球団の中でも際だっていたと思う。そんな環境だから、どんな奴でも危機感は持つ。対して野山は、リーグ最下位常連の幕張シーガルズの希望の星として入団していた。入った時点での立場も違った。それは、ドラフト二位と四位という順位の差以上の違いがあっただろう。簡単に言えば、野山は即戦力として始めから働くことを期待される立場になってしまっていた。
 俺は一部の人からしか期待されていなかったから、空気のような立場だったが、それが気楽でもあった。二軍球場のある由宇という田舎で、ひたすらに己を鍛える環境に留まることが出来ていた。あの時期があったから今がある、それはハッキリしている。
 そして野山はどうかと言えば、一年目から一軍キャンプに抜擢され、オープン戦に入っても使われ続け、開幕戦ではスタメン出場。痺れる場面でプレー出来たのはプラスだったろうが、果たして技術的、体力的なところを高める時間があったかどうか?
 俺は、野山のことを途中までは気にしていた。夜のスポーツニュースでもたまに取り上げられていたし、その恵まれた体格とお菓子好きというキャラクターから「ブーちゃん」なる身も蓋もないニックネームもついていた。マスコミ受けの良い選手だった。
 そんな姿を微笑ましく見ながらも、お前それでいいのか? と心配していた。成績が出ていればいい。それこそ大学の頃のように打てていれば何をやったって問題ない。だけど、野山の成績は明らかに悪かった。
 結果的に彼のキャリアハイとなった入団一年目は、ホームランこそ二桁の十二本を放ったものの、打率は二割一分台。守ってはエラーも多く、後半はDH(指名打者)起用が主で、守備に関しては首脳陣から見切られていた感もあった。体格ゆえか、偏った食生活が祟ったか、小さいケガも多く、出場試合数もレギュラークラスとしては幾分少なく感じられるものだった。
 無論、一軍で試合に出続けられることは羨ましかった。同じ大学の同級生だから、嫉妬もあったと思う。しかしそれ以上に当時の俺の心にあったのは、「あんな奴には負けたくない」という、反骨心だった。
 練習もしない奴に負けてたまるか--野山に対して、ある時期まではそんな思いを持ち続けていた。大学の頃もそうだったが、プロという舞台で共に生きていくようになって、その思いは余計に膨らんでいった。
 今、突き出しの小鉢をチビチビとやりながらビールを流し込む野山の姿を見て、大きいけれど小さく見えるようになった。
 これが、この五年間の一つの答えなのか?
「…うまいな、これ」
 俺が思わずこぼしたのは、板前が出してきたウニを食べた時だ。物凄く良い素材だから、殻を割ってそのまま出せたのだろう。半分に断たれた殻の中には、鮮やかなオレンジ。箸でひとつまみして口に含むと、強烈な磯の味がした。
 ふと思う。素材としては、このウニが野山。俺はといえば、スーパーで売られている安い切り身だろうか。
 高級なものは滅多に手に入らないから珍重されるし、新鮮なうちは皆群がる。安い切り身は手軽に手に入る分目新しさは皆無だが、急に困った時、頼られたりする。
 スーパーが勝つこともある。俺は、高級品に優った。
「オレは苦手だなぁ、ウニは。お前にやるよ」
 どうせ回転寿司で苦手になったんだろ? と軽口を叩いたが、くれるというならもらう。美味いから。
 野山は本当にウニが苦手なのだろうか? 乾杯の前に飲んでいた薬に一つの答えが隠されているように俺には思えた。
「もったいないことするなぁ」
 そう、俺は呟いた。


 考えても仕方ないことを考える。
 もし俺に、野山のような才能があったら?
 ひたすらに練習を積まなければ、プロではとても通用しない。ただそれは、俺にさほどの才能がないからだ。もし、野山のように、天性の素質だけでボールを遠くに運ぶことが出来たとしたら--
 生まれ持った物で人生は決まる。それは良きにつけ悪しきにつけ、そうなのだ。
「ありがとうな、ザキちゃん。忙しいのに付き合ってくれてよ」
 そう呼ばれたのも何年振りだろう? 俺はこそばゆくなって、苦笑いした。
「出来れば、お前がプロ野球選手だった時に会いたかったよ」
 俺の心に野山がいた。同じ学校から同じ年にプロに進んだ、唯一の戦友として。ライバルとして。そして、敵として。
 俺の中で、野山は様々な側面を持った、複雑な存在だった。その野山が、今はもうプロ野球選手じゃない。トライアウトも受ける意志はないという。
「でも、仕事はあるからな。クビになって、まだ何も決まってない人らに比べたらマシよ」
「球団広報だっけ?」
 野山は、その突出したキャラクターを活かして、球団広報としてシーガルズの情報を発信していく役割を担うのだという。スポーツ選手としては少々余りすぎたその肉は、親会社の製菓会社にとっては逆に魅力的に映ったのだろうか。
「そう。まだよく分かんねーけど。まあ、選手でいるより大変そうなのは確かだわ」
 プロ野球選手というのは、特別な仕事だ。野球をするだけでお金をもらえるなんて、特別という言葉以外で表現することは難しい。
 プロ野球選手でなくなるということは、野球という、それまで自分を包んでくれていたゆりかごから放り出されるということだ。そこから「普通の人」としての人生が始まるのだろう。
 それは過酷なのかもしれない。もしかしたら、プロ野球選手としてあり続けること以上に。
 俺はまだ、当分プロ野球選手でいることを許されそうだ。ただ、辞めた後のことも考え始めなければいけないのだらう。この世界は一寸先闇。何が起こるかなんて、誰にも分からないのだから……


「山﨑」
 別れ際に、野山はいつになくはっきりとした口調で言った。
「お前は、いつまでも選手でいてくれよ--」
 その時、俺は野山を見ていたが、実は野山も俺を見ていたのだ、と遅まきながら気付かされた。
 いつまでもは、無理だろ。
 東京駅で広島行きののぞみを待ちながら、口元が小さく上がるのが分かった。無理だ、それは。
「…頑張るけどさ」
 野山は、プロには向いていなかったのかもしれない。
 だけど……野山が広報として奔走する姿を、俺は想像した。そこには、充実した汗を流している彼の姿があった。
 戦力外通告の次に待ち受けているのは、言わば転職だ。今時、転職は珍しくないという。考えようによっては、野山は一足早く新たな職を得たのだ、と見ることも出来る。
 俺がしょぼくれて辞めるとき、アイツが一社会人として確固たる地位を築いていたとしたら、その時は俺の負けだな。
「頑張ろう」
 せめて、しょぼくれて辞めないように。完全燃焼して、次のステージに進めるように。
 そのために、俺は広島に帰る。

       

表紙
Tweet

Neetsha