第七打席「もういちど生まれる」



 レギュラーと控えでは天と地の差がある。俺はそのことを、春先に嫌という程思い知った。
 開幕戦で、ギガントスのセットアッパーを担う舛添から頭部への危険球を受けたのを皮切りに、俺はことごとく内角を攻められた。昨年の攻められ方とは、厳しさがまるで違った。
 新しいシーズンとなり、各球団、昨年中に頭角を現した選手たちへの研究を進めたのだろう。特に俺は、レギュラーシーズンでは"異常"とも言われた対左成績を残し、そしてポストシーズンでは日本シリーズMVPだ。今冷静に去年を振り返れば、めちゃくちゃ目立っていたと思う。『悪目立ち』とも言えるくらいだ。
 そりゃあ、マークもされる。インタビューでは「左投手を打つのは僕にとっては難しくないことです」などと、ファンサービスのつもりだったものの、他球団の選手からは不遜とも取られかねないようなコメントを残していたのも影響した気がする。
 二〇一八年シーズン、レギュラー獲りへの自信を深めてシーズンインした俺は、開幕後間もなくしてバッティングを崩した。
 デッドボールすれすれの厳しい攻めが絶え間なく続き、打席では内角打ちを意識せざるを得なくなった。そして、それを逆手に取った相手投手は外角へ変化球を投げ込んでくる。勝負球のコースは読み切れているのに、身体が言うことを聞いてくれない。踏み込み切れず、ボールを芯で捉えることができなくなり、俺はあっさりと凡打の山を重ねることとなった。
 分かっているのに身体が動かない。
 --内角にくる! 
 どうしても身構えてしまうのだ。そうすると、どうなるか。身体が縮こまってしまう。大きく構えていては内角球に対応出来ないと、"身体が"思い込んでしまっていた。
 縮こまるのは、恐怖心も関係していた。開幕戦で舛添から殺意に近い闘志を向けられ、俺はビビった。それが真実だ。野球人生において、ここまで相手投手から気持ちをぶつけられたことはかつてなかった。プロの一軍でひとかどの人物となるには、こんな風に化けなくてはならないのかと、ショックだった。
 そして、俺は心のどこかで「やっぱりな」と吐き捨てている自分に気づいた。
 去年短期間とはいえあれだけ働けたのは、『ナメられていた』から。それがはっきり認識できてしまった。
 所詮、二軍で燻っていた選手。
 所詮、ポッと出の選手。
 生き馬の目を抜くプロ野球の頂上で、天上人たちはグラウンドを舞台にカネを奪い合う。
 相手を喰らえば飯の種が増える。
 喰われれば、おまんまの食い上げだ。
 そんな世界に、俺はアホ面で踏み込んでしまったのだ。それが、今年の開幕戦の全てだった。


 アイロンズは現在日本一のチームだ。若手もイキの良いのが揃っているし、今年入ってきたルーキーにも即戦力とされている外野手がいる。
 つまり、打てない外野手に固執する理由などどこにもない、ということ。
 ゴールデンウィークを迎える直前に、俺は二軍に落ちた。むしろよく、四月いっぱい我慢してくれたものだと思う。打率一割九分の選手を、よく打席に立たせてくれたものだと思う。大方監督をはじめとした首脳陣には、感謝の言葉しか浮かばない。あ、いや、それはウソ。謝罪の言葉も同時に浮かんでいる。
 取り柄の左打ちもままならないのに使って下さってありがとうございます。
 チームの勝利に全く貢献できず、申し訳ございません。
「お前がこんなものだとは思っていない。二軍でしっかりバッティングを修正して、また這い上がってこい」
 そう言って、大方監督は俺を二軍へ送り出してくれた。なんて優しい人なんだろう。なんて、残酷な人なんだろう。
『自分はこんなもの』と思っている人間に、お前はこんなもんじゃない、なんて声をかけるとは。
 残酷すぎて、復讐したくなった。
 お望みどおり、這い上がってやる。目にもの見せてやる。
 二軍は、そんな風に狂い切ったメンタルを矯正する場として俺に与えられたオアシスだった。


 山口県岩国市由宇町にある我がアイロンズの二軍球場。周りには何もない。二軍球場の近くに選手寮を持つ球団が多い中、アイロンズの選手寮は広島県にある。わざわざ県を跨いでまで、バスで練習や二軍戦に遠征しているのは、由宇があまりに何もなくてさすがに選手が可哀想だからではないか。
 二軍では、試合に出つつ、狂ったバッティングの修正のため、日々バットを振り、園田二軍打撃コーチと対話した。
「お前ェ、俺に恥をかかせてくれたのお……」
 沈んだ顔で由宇に落ちてきた俺を見て、園田さんは開口一番そう言った。
「…ラジオで随分絶賛していただいてましたもんね」
「聴いてたんかい! 流石の俺も、日本シリーズMVP獲った選手が短期間でこうなるとは思わんかったわ!」
 俺だってそうは思っていなかった。今年はレギュラーを獲るつもりだった。本気で、園田さんの通算成績に近付くつもりでいたのだ。
「…俺、甘かったです。自分を見失ってました。元々こんなもんだったのに、去年あまりに上手くいきすぎて、勘違いしてしまっていたんだなと……」
 不思議と、園田さんの前では本音が出てしまう。園田さんはアイロンズのレジェンド。球団フロントからも、選手側からも絶大な信頼を得ている。そんな人の前では、取り繕っても見抜かれてしまう気がしたのだ。
「…まずは、気持ちを取り戻さんとの」
 園田さんは、コーチとしての顔を俺に見せ、続けた。
「お前ェは、思い込みの強さが武器でもあり、弱点でもあるよ。上手くいってるときはとことん上手くいくが、一旦落ち込めば、それが深く長い。簡単に言えば、好不調の波が激しいタイプかの」
「一軍でレギュラーを獲るには……」
 俺の理想は、シーズン通して試合に出続け、派手な活躍はなくとも何となく打っていて、終わってみれば三割ちょっとの打率を残すような選手になることだった。それが本当の一流選手だと思っていた。全盛期の園田選手のように--
「…安定感じゃ。ただ、お前ェにそれは望み過ぎかも分からん。どちらかと言えば、好調期を長くし、不調期を短くする……それが山﨑"選手"にとっては現実的かもしれんの?」
 理想と現実は異なる。そんなことは、今年二十七歳になるので分かっている。園田さんは俺という人間を冷静に分析し、現実的に目指すべき選手像を示してくれていた。
「好不調の波が激しくたって二千本打った選手はおる。メジャーリーガーになった選手もおるわ。何も安定的に成績を残し続けるだけが野球選手じゃないわ。人それぞれ、生き方があるんじゃ。背伸びすることはない。プロ野球というんは、等身大の自分をどこまで大きく育てられるかが勝負じゃと、俺は思うがの」
 等身大の自分を、育てる……
「前も言ったが、俺はお前ェの思い込みの強さはプロで通用する立派な武器じゃ思うわ。ただ、それをなるべく保ち続けるには、まずは両脚でしっかり地面を掴んどかんとの」
 練習だ。
 試合では、練習でしてきたことしか出ない。あとは、気持ちで負けないこと。負けないために、練習して自信を持ち続けるということ。
 自信を失ったら負けだと、この時俺は嫌という程思い知っていたのだ。
「…課題はハッキリしてます。内角への対応です」
「ほうじゃろ? なら、悩むことなどないわ。練習、練習、練習、実践じゃ!」
 俺は、この瞬間、目に力が戻ってきた感じがしていた。


 --こうして開幕からの三ヶ月ほどを振り返ると、今の俺は随分と大人になったように思う。
 生き地獄のような四月、進化を誓った五月、そして、キッカケを掴み始めた六月。さながら赤ん坊がヨチヨチ歩きを始めた時のようだ。
 打率は、やっと二割八分に届くところまできていた。特にここ五試合の打率は五割を超えているはず。
 監督もコーチも何も言わないが、今日の試合で俺に向けられている目線は、いつもと違っていた。
 見定める目。
 そうか、今日は、"その日"か。
 二軍の投手を見下ろせるくらいの状態まで、今の俺はきている。そこは、去年と今年初めの一軍での経験が生きている。
 一軍の投手と比べたら、二軍の投手の球は死んでいるようなものだ。そう感じられるくらいまで、俺は戻ってきている。それは、積み重ねた練習と、出始めた結果のおかげだ。
 ここまできたら、『戻ってきた』では終わらせたくない。
『すげー奴がきた!』--再度、そう思ってもらいたい。俺は、プロ野球界にセカンドインパクトをもたらしたい。
 二軍の左投手か。ただ、左で投げているだけの投手。
 甘いコースに死んだ球。
 気持ち良く振り抜いた。
 打球は、由宇球場の外野芝生席まで一瞬で到達した。ライナーで突き刺さるホームラン。
 二軍戦だけど、俺は一塁を回る時に小さくガッツポーズを作った。
 これで十分だろう? 早く上げてくれ。
 早く、生きた球と向き合いたい。こんな気持ちになれている今この瞬間、一軍に行きたい。この気持ちを、一軍の、たくさんのファンの前で、そのまま吐き出してやりたい--そう思いながら、俺は監督の万波さんの方を見た。万波さんと園田さんが、こちらを見ながら何事か話していた。万波さんは最後に頷いて、ベンチ裏に消えて行った。
 何をしにいったか、俺には分かる。電話だ。一軍の大方監督に報告に行ったんだ。
 そう、今日は"その日"だった。


 カスガDOOMDOOMスタジアム。
「…久し振りに見ると、デカく感じるなぁ」
 六月も終わりを迎える頃、俺は遂に、プロ野球選手にとっての闘技場に舞い戻った。
 ここから、もういちど生まれる。
 やってやる。