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自分を左殺しと思い込んでいるプロ野球選手
第十四打席「二〇二〇の熱狂と破滅」

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 二〇一九年のプロ野球の話題を独占したのは、古豪水道橋ギガントスの復活だった。昨年オフの数十億円規模の大補強が実り、昨シーズンまでの弱点が完璧に埋まったということだ。
 安芸島アイロンズから移籍した主砲のヘンダーソンは、いかにもプロらしく古巣の投手陣にも容赦なかった。ただでさえシーズン開幕から飛ばしまくったアイロンズのピッチングスタッフは、案の定夏頃には疲弊の色が濃くなり、ヘンダーソンを筆頭としたギガントス強力打線に火ダルマにされる試合が続いた。
 アイロンズの今シーズンを一言で表すならば、『噛み合わなかった』。それに尽きるだろう。
 後半戦には、ようやく打線の形が出来上がってきていた。洗川とヘンダーソンの抜けたあまりにも大きな穴は、結局シーズン通して埋め切れはしなかった。だが、その大穴の中に一筋の光が射し込んだ。
 それは、新たな四番に座った横村である。元々才能はあった。だが、プロ野球の世界はその宝庫である。人材の墓場、と言えなくもない。芽吹くことなく消えた才能は数え切れないほど。だが、横村は芽吹いた。
 横村にはキッカケが必要だった。言い換えれば、キッカケさえあればブレイクは間違いないと思えた。性格的にも悩み始めると長いタイプだが、一旦トンネルから抜けられればその後は順調に歩みを進められるタイプ。
 一軍打撃コーチがこのタイミングで園田さんに代わっていたのも、横村にとっては幸運だった。指導が熱心で、これと見込んだ選手には徹底的に教え込む指導者だ。横村は新生アイロンズを引っ張る存在と目され、現時点では弱点の矯正よりも、長所であるバットの振りの強さをより磨くことで相手投手に脅威を与えるような選手となるべく育成を施された。
 それが奏功して、横村は後半戦だけで実に二十三本のアーチを描き、一軍一年目にしてシーズン三〇本塁打を達成し、新人王のタイトルを掴んでしまった。他球団のマークがキツくなる来シーズンどうなるかはまだ未知数だが、スケールの大きさは俺とは比較にならない選手。まだまだ成長する余地があるし、俺のようにドップリと不調に落ちることは恐らくないのではないかと思われた。
 横村がアイロンズ打線の象徴となり、それに引っ張られるように他の打者の調子も上がっていった。そして俺はといえば、五月途中から打撃を調整して、昨シーズンまでのような単打を狙うスタイルに戻した結果、成績を持ち直した。
 また、得点圏打率が高かったことから、六月頃から打順が上がり、三番を務めるようになった。後半戦には、横村ブレイクの恩恵を受け、得点圏でも積極的に勝負してもらえるようになり、打率はさらに向上。
 昨年まで、俺の後ろは洗川が打っていた。強打者の前のバッターは勝負してもらいやすいメリットがある。そして、それが今年の後半には横村になった。今振り返れば、前半苦労したのは、長打狙いのバッティングスタイルが合わなかったことに加えて、後ろを打つ強打者の不在も影響していたと思う。厳しいコースで勝負され、難しい球を打ちにいって凡打を繰り返していたのだった。
 前半戦、特に四月の打撃はあまりに無様過ぎて、見返したくない。だが、後半戦は我ながら大したものだと思う。出来過ぎといっていいくらいだ。個人成績だけを考えれば、チームが低迷していた方が数字が伸びるのかもしれない。明らかに去年と比べて相手投手の質が低かったのは、優勝争いに絡まなかったからだろう。もっとも、それで成績が上がったからといって、喜んでいる場合ではないんだが……
 横村が新人王を獲り、そして、俺は首位打者を獲った。まさか自分が打撃タイトルを獲れるような選手になれるとは夢にも思わなかったが、これが現実だ。だが、チームはギリギリ三位。前半の低迷と投手陣の疲弊が響いた形となり、後半戦盛り返したものの及ばなかった。アイロンズのリーグ四連覇は幻と消え、クライマックスシリーズでもファーストステージで呆気なく敗れてしまったため、日本シリーズ三連覇もまた途切れた。
 そんな状況下で獲ったタイトルに、何の価値があるのか? そう己に問いかけることもあるが、残った結果は紛れもないこの一年の記録である。チームの勝利に貢献し切れなかった悔いは残るが、チームに欠かせない存在に段々となれてきたのではないか、という確信も生まれてきた。
 去年は規定打席未達ながら高打率。そして、今年は全試合出場を果たし、首位打者獲得。
 少なくとも、二年前に思い描いていた自分の未来予想図には決して存在していなかった自分が今まさに存在している。それは間違いない。
 もう言ってもいいだろう。
 俺は、プロ野球選手になれたんだ。
 ファンから求められ、期待に応えて、評価され、大金を得る。そんな、理想像としてのプロ野球選手に、なれてしまった。
 …口の悪いインターネットの世界には『安打乞食』だの『ノーパワーマン』だの好き勝手な表現が溢れているが、いいんだ。それは別に。アンチが出るのも人気選手の証拠だ。と言いつつ、気になってしまい頻繁に掲示板を覗いてしまう自分がいるのだが--


 年俸が六千万円に達し、そして迎えた二〇二〇年。野球界にとってのオリンピックシーズンは、実に十二年振りとなる。
 今年は、気持ちの入り方が違った。アイロンズからは、新人王の横村と、そして、俺が選ばれていた。
 何に選ばれたかといえば、そりゃあ、日本代表だ。選考基準として、ネームバリューよりも直近の成績が重視されたようで、それならば選ばれたのも分かる。何度でも言うが、新人王だし、首位打者だから。それでも、最初に話を聞いた時は驚いたが……
 昔、大学日本代表に選ばれた経験はあるが、今回はそれどころではない。選りすぐりのプロ選手からさらに選りすぐられた選手たちだ。その輪の中に加わることになるとは、人生というのは本当に分からない。
 偶然が重ならなければ、三年前にクビになっていてもおかしくなかった選手が--オリンピック日本代表。
 事実は小説よりも奇なり、というが……それがまさか自分の身に起こるとは露ほども思わなかった。
 とにかく、様々な事柄の積み重ねの結果、俺は今にいる。日本代表として、オリンピックでインパクトを残してみせる!


 福島県福島市、福島県営あづま球場。
『復興五輪』と位置付けられた東京オリンピックにおいて、そのスローガンど真ん中の場所だ。ここでやることに意義がある、ということだろう。
 会場としては十分なキャパシティである。毎年のようにプロの公式戦も行われている球場なので当然だが。俺も地方シリーズで試合をしたことがあるので、初めてではない。前と変わったところといえば、内野が芝生化されている。オリンピックに備えて改修したのだという。
 試合前、整列して国歌斉唱の最中。隣の横村は、まぶたを閉じて、しっかりと歌っていた。
 復興五輪の象徴が、あづま球場での野球開幕戦なら、今この場でもっとも注目を浴びている選手は、福島県出身のこの横村だろう。今年に入って、テレビや雑誌のインタビューの数が半端ではなかった。野球日本代表唯一の地元選手ということで、世間の注目は相当に高い。
 普段にも増して引き締まった表情には、他の選手とは全く違うプレッシャーを背負った男の辛さが垣間見えた。
 だが、横村。ここで働けば、お前は長く語り継がれるヒーローになれるぞ。
 横村にオリンピック日本代表を意識させたのは、俺かもしれない。
『打ちまくれば、オリンピック代表もある』
 --あの日、水道橋ドームでの戯言。これがまさか、そのまま今日に繋がるとは。
 だが、俺には分かる。言葉の力は強い。イメージがあることで、人は時に凄まじく飛躍する。かつて『俺は左殺しだ!』とイメージを抱き続けることで、本当に左投手を打ちまくることが出来た。
 横村は俺と似ている。だから気になったのかもしれない。コイツなら同じことが出来るかもしれない、と何となくピンときたのだ。
 去年、横村が覚醒したのは、今年のためなのだ。俺の言葉を真に受けて、本気で日本代表をを目指して成績を上げていった。
 全ては、一生に一度の舞台で、地元出身者としてプレーするため--
 俺は代打要員としてベンチスタートだが、横村は七番ライトでスタメン出場。もちろん全ての選手に注目するが、横村の打席は特に刮目して見なければならないだろう。それが、俺の責任だ。


 開幕戦の対オーストラリア戦は、序盤から白熱した。大会前には『たった六カ国参加のエキシビションマッチ』『本気なのは日本だけ』などと揶揄されていたのと比べると、すごく温度差のある試合展開。初回にオーストラリアがホームランで一点先制の後、二回裏に横村が逆転のツーランホームラン。試合がこの後どうなるとしても、横村はこれだけで十分に仕事をしたといえるだろう。
 その後は両チームが交互にピンチとチャンスを迎えるも、後一歩が足らない膠着状態となった。
 そして、七回裏、二死二塁三塁の好機で、監督が交代のカードを切った。
 代打、俺。
 相手投手は、左。
 久々に痺れる場面。
 最近は、殊更意識しなくても打てていた。右も左もなく、フラットに構えることが出来ていた。
 だが、この場面は、絶対に打ちたい。打たなければならない。ここで加点出来れば、勝利が大きく近づいてくる。一次リーグを突破すれば、表彰台が見える。そのためには、是が非でも勝利が必要だ。
 打つ。打つ。絶対に打つ。
 俺は"左殺し"だ。
 感覚よ、帰ってこい。
 殺す、殺してやる。
 お前を殺して、日本は生きる。
 いつだって、勝負は命懸けだ。勝負とは『勝ち負け』。どちらかが勝ち、どちらかが負ける。相手の目にも気迫が宿っている。何がエキシビションだ、何が日本だけが本気だ。バッターボックスに立って相手と対峙してみれば、そんなことはないと一瞬で理解出来るはずだ。
 血が滾る。明らかにいつもとは違う精神状態。俺はバットを持っているか? 実は日本刀なんじゃないのか?
 オーストラリアのピッチャーも、握っているのはボールか? ピストルではないよな。
 一球目。インサイドに大きく食い込んでくるシュート回転のストレート。ここまで変化があると、ストレートじゃなくて高速シュートとでも呼んだ方がしっくりくるくらいだ。
 今の一球でわかったことは、相手はかなりスピードがある。そして、ボールを制御出来ていない。
 このタイプは、勝手にカウントを悪くして、焦って甘い球を真ん中に放り込んでくることが多い。
 俺が焦ってはいけない。じっくり構えるんだ。早く打ちたくて、気持ちがはやる。だが、落ち着け。右手で胸をひと叩きする。
 こいつは、ストライクが入らない。
 球をよく見て、落ち着いて。ほら、外れ--過ぎてる!


 --ストレートだった。一球目以上のシュート回転だったが。
 不思議と気持ちが落ち着いている。手首からは明らかに危険信号と思しき痛みと熱が発せられているが、構わなかった。否、構わないということはない。ないが、せめて、この試合は見届けたかった。
 俺のオリンピックは、この試合で終わりだ。たったの一打席で終わってしまった。この痛み、恐らくは……
 ただ、俺のデッドボールの後、日本打線は奮起してくれた。それが、なによりも有り難かった。みっともない姿を晒したが、それでも、みんなが心の中に俺を置いてくれた気がしたから。
 ほんの僅かだったが、最高のチームにいられた。アイシングの氷タオルを一瞬外して、大きく腫れている左手首を認めて、すぐに戻した。
 オリンピックというか、今シーズンはもうダメだろう。せめて、今シーズンで済んでくれ、と願わずにはいられなかった。

       

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