Neetel Inside ニートノベル
表紙

自分を左殺しと思い込んでいるプロ野球選手
第六打席「プロ野球の闇」

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 六月に入って、昼間の気温がぐんぐん高まってきているのを肌で感じている。
 由宇の陽射しは容赦なく、俺の腕と顔を焼いていくだろう。それでも、野球選手は汗と泥に塗れて生きていくしかない。
 打撃練習に入る。打撃投手の投げてくる打ちごろのボールをひたすらに芯で捉える。ストライクゾーンのど真ん中に投げてきてくれるから、それは当然簡単に打てる。ここまではウォーミングアップのようなものだ。
「外お願いします」
 頃合いを見て、打撃投手にそう頼んだ。
 打撃投手は右利きなので、左打ちの俺に対しては、シュートやシンカーなど、利き腕側に曲がる変化球を外に放ってくる。それらのボールを引っ張ったり、反対方向に流し打ったり、センター返ししたり、ひと通りこなす。
「…近いところに」
 身体に近いところに、という意味だ。内角、インコース。実際のところ、プロでは内角の捌きは重要である。
 二軍の試合ではそこまで厳しく攻めてくる投手もあまりいないし、そもそもコントロールの質的に内角を攻められない、というレベルの投手も多い。
 しかし、一軍なら話は違ってくる。レギュラークラスの選手ともなれば、体に近いところで勝負される。恐怖を植え付けなければ簡単に打たれてしまうからだ。試合球として使われる硬球は、その名のとおりとても硬い。その硬い球が、時速百四十キロ以上のスピードで自分に向かってくるのだ。慣れこそすれ、完全に恐怖を捨て去れる選手など、きっといない。
 いないと、思う。
 ストレート、スライダー、カーブ。打撃投手がランダムに、俺の内角に投げ込んでくる。スピードとしては、速いボールでも百三十キロ程度。このくらいなら恐怖心は出ない。
 内角の捌きにこそプロとしての技量の差が出る、と俺は思っている。歴史に名を残すような大打者は、それぞれ内角の対処の仕方を心得ていた。身体を畳んで打つ。身体を逸らしつつ、バットの芯だけは外さずに強い打球を打つ。様々な攻略法がある。
 ただ、それは必ずしも練習だけで身につくものではないと思う。"試合では、練習でやってきたことしか出ない"とよく言うが、練習でやってきたことをそのまま試合で出すには、やはりどうしても経験が要るのではないか。
 今年はその経験を積めるチャンスだったはずなのに、俺は六月になっても二軍に留まっている。それが現実だった。
「…だいぶ、良くなってはきたかのう」
 打撃練習を終えた俺に、打撃コーチの園田さんが近づいてきた。現役から時間を置かずにコーチになったということもあるだろうが、それにしても身体を見事に維持している。今日からでも一軍でプレー出来るんじゃないかと思うほどに。
「…そうですね、恐らくは」
「なんじゃあ、歯切れが悪いのう」
「いや、練習では分からない部分がありまして……」
「ほうじゃのう、肝心なのは試合よ。せめて八分は打ってくれんと、上に推薦も出来んわ!」
 俺の今年ここまでの二軍打率は、二割五分八厘。去年と決定的に異なるのは、左投手相手の成績も平凡であることだ。これでは、充実したアイロンズ一軍の野手陣には食い込めない。それは分かっている。
「…どうしてこうなってしまったんかのう……このままじゃあ、去年が短い夢じゃった、で終わってしまうぞ。山﨑、お前はこんなもんじゃァないはずじゃろ」
 園田コーチの言葉に、何も返せなかった。本当に、どうしてこうなった……


 日本シリーズMVPという、人生最高の栄誉を得てから暫く、俺は光の当たる場所に引っ張りだこだった。
 地元広島のテレビ局やラジオ局はもちろんのこと、全国ネットの番組にも出演したり、果ては出身の埼玉県に呼ばれて表彰を受けたりと、とにかく持て囃された。冷静に考えれば、プロ通算安打二十本の野球選手を大層に扱い過ぎだろうという感想しか出てこないのだが、日本シリーズMVPの称号はそれほど重かったのだ。
 アイロンズ自体、前回の日本一から実に三十三年経過していた。俺は、アイロンズ三十三年振りの日本一の立役者としてマスコミに大々的に祭り上げられた面も大きい。実際は、みんなで勝ち取った日本一なのに。
 そもそもレギュラーシーズンで優勝しなければ日本シリーズまで辿り着けていなかった可能性が高いわけで、それは投手陣と六球団随一のレギュラー打撃陣のお蔭だろうと思うのだ。
 しかし、何でもそうだとは思うのだけど、渦中にいる間は、後から振り返れば簡単に分かるようなことにも気付けないものだ。
 ハッキリ言って、俺は浮ついていた。給料が上がったのもある。年俸増額には渋いことで有名な我がアイロンズだが、日本シリーズ優勝の臨時収入が大きかったのだろう、全体的によく上がっていたようだ。
 俺も、シーズン二十本しか打っていないにも関わらず、ポストシーズンの活躍や『セ界一の"左殺し"山﨑Tシャツ』の売り上げが好調だったことが考慮されたのか、なんと年俸三倍増というとんでもない提示だった。もちろん、即決でサインした。今年に入って明細を開いたら、明らかに桁が一つ違っていたので、『グラウンドにゼニが落ちているって本当だなぁ』と思ったものだった。
 シーズンやポストシーズンでの働きに、正直言って自信も得ていた。このままいけば来年は開幕からレギュラーでやれるという、今にして思えば根拠のない自信が生まれていた。
 もっと備えておくべきだった。身体だけではなく、心を。
 プロ野球は、毎年キャンプが年始め。そこからレギュラーを懸けた競争が始まる。"来年からレギュラー"なんて保証は、誰にもないのに。


 自主トレを自分なりにしっかりと積んで、二月一日のキャンプインを迎えた。俺にとっては、勝負の五年目である。五年目にして初の一軍キャンプでのスタートだった。
 二月とは思えぬほど温暖な宮崎県日南市の球場で、日々タイムスケジュールをこなし、首脳陣に仕上がりをアピール。去年後半の働きから、俺に対する期待が高まっていることは肌で感じていた。
 実際問題、今のチームはライトのポジションに確固たる選手がいない。俺はその中では最もリードしているはず、守備や脚では他の選手に劣るかもしれないが、去年並に打てればポジションを掴めるはず。今年は右投手だってもう少しは--そんな風に考えながら、オープン戦を迎えた。
 オープン戦では極めて好調。元々、オープン戦は打者の方が投手と比べて仕上がりが遅くなるため、好成績を残しにくいとされているのだが、キャンプ前から多く打撃練習を積んできた成果が出たのか、しっかりバットを振れていた。開幕レギュラーをしっかりと確保するために貪欲に結果を求めたことも関係した。日々、目標に着実に近づいていっている感触があって、この頃は非常に充実していた。
 そして、ついに迎えた二〇一八年プロ野球開幕。俺は、二番ライトで開幕戦を迎えた。目標を達成し、ここから俺のプロ野球人生が本格的に始まる! と気合を漲らせていた。去年は終盤活躍したに過ぎず、真の一流選手となるには、開幕から全試合レギュラーで出なければならない。今年やらなきゃ嘘だ、と自分に念じて、試合に臨んだ。
 大方監督を始めとした一軍首脳陣が俺に期待していたのは、"超攻撃的二番打者"的な役回りだった。
 一番打者が出塁したからといってあっさりバントで送るようなプレーではなく、ヒットでアウトカウントを重ねることなく、さらにランナーを溜めて相手にプレッシャーを掛けていくようなプレー。望むところだった。元々小技はそんなに得意ではないし、やれと言われればやるが、好き好んでやりたくはない。
 要は打てばいいのだ。それだけだ。
 一打席目で二〇一八年のヒット一本目を放ち、良いスタートだった。その回は三番洗川のスリーベースでホームベースを踏み、二〇一八年のアイロンズ初得点も記録するという二重の幸先良さだった。
 試合はそのまま一対〇で進行し、八回裏まできた。この回、ランナーが溜まりツーアウトフルベース。追加点を取れれば、勝利がグッと近付く。そんな大事な場面で打席が回ってきた。
 この勝負の場面でギガントスが送り込んできたのは左投手の舛添。去年、俺がプロ入り初ヒットを記録した投手。舛添とは去年二打数二安打。ギガントスのセットアッパーを務めるくらいの優れた投手だが、苦手意識はなかった。
 ここで決めておけば、ギガントスに"今年もアイロンズは強い"と思わせてやることができるだろう。シーズンを左右するような重要局面に、バットを握る手にも力がこもる。
 舛添の目には、気迫が籠っていた。一瞬目が合って、その余りの力の強さに怯む自分がいた。"そういう目"で俺を見るようになったのか。
 その瞬間、一球目が舛添の左腕から放たれた。一直線に向かってくる--頭に。
 ヤバい! 遮二無二交わした。生きるために。死なないために。この野郎! と目に怒気を孕ませて舛添を睨み付けるが、舛添も同じような目をしていて、また怯んだ。
 こいつ、俺のこと殺す気なんじゃ?
 ユニフォームについた土も払わず、気持ちの整理がつかない状態でバッターボックスに戻る。
 今にして思えば、俺はこの瞬間まで浮ついていた。レギュラー選手として、厳しいプロ野球界で一年通して活躍し続けるためのメンタルが作れていなかったと、今になって思い知っている。こんなことで怯むようでは、上にはいけない。去年とは違う人間になりたいなら、それ相応の進化を遂げていなければならなかった。
 足りなかった、甘かった。
 三球目。
 舛添のスライダーが"すっぽ抜けて"俺のヘルメットに直撃した。軌道からして交わしようがなかった。ストレートではない分マシだったかもしれないが、それでも硬球が百三十キロ程のスピードで直撃する衝撃たるや、相当のものだった。
 しかし、俺の心を嫌に揺さぶったのは、衝撃そのものではなかった。
『お前、この世界でトップになろうと思うなら、それ相応の覚悟はあんだろうな?』
 儀礼的にキャップのツバに手を当てた舛添を見て、俺の心は恐怖に満たされた。こういうことなのか? 上に行くというのは……?
 スライダーがすっぽ抜けたのは、きっとワザとだ。そう思いながら、俺はベンチに下がった。一塁には念のため代走が出され、ここでお役御免となった。
 舛添も危険球退場となったが、その背中に悲壮感はなかった。ただ、仕事をした男の雰囲気が漂っていた。
 攻めの厳しさが、まるで違った。
 こういうことなのか、レギュラーになるというのは。洗川などは、十代からこんなプレッシャーに晒されて、今までやってきているのか?
 俺に、出来るのか?


 この日、俺はプロ野球の闇を見た。この闇もまた、今まで経験したことのないものだった。

       

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