ラーメン屋さん

ずっと外食をしなかった。最初は緊張したまま飯を食うのが嫌なだけだったと思う。やがて仕事の往路などで牛丼やラーメンを啜っている店内の客の後ろ姿を見ると、良く平然と他人同士ひしめき合って飯が食えるなと思った。そして唾液混ざったスープなどが飛んできて不快でないのだろうかと、食べている連中に生理的な嫌悪すら覚えるようになった。
今やコンビニはどこにでもあるし、スーパーも夜遅くまで営業していて総菜も豊富だ。そんな考えを持っても困ることはなかった。

私は派遣の仕事をして、ビル清掃が主な仕事だった。一人で任されることは滅多になかったが、入れ替わり立ち替わりする他人たちと飯を食べにいく気もなく、誘われたことも数えるほどしかない。それも無論断った。

冬のある日のことである。
最寄り駅から随分と遠い仕事場が指定された。ストリートビューを見ながら、悪態を吐く。ただ大体道なりに沿って行けばいいだけなので、迷うことはなさそうだった。
行き先の駅に到着してからではコンビニを探すのも手間なので、地元の駅で買っておく。いつも必ずそうしていて、その日もそうした。
朝方からポツポツと降っていたのが、到着した頃にはひどいみぞれになっていた。手持ちの折りたたみ傘では手に負えそうもなかったが、小走りでみぞれの中に飛び込む。すぐにスニーカーに水が入り音を立て始める。やはり遠く、寒い、走っていても身体は温まらず、気管支は痛むし、傘を持つ手は痛いほどに冷たい。

バチャリ

大きな水たまりに足を踏み入れて慌てて足を揚げる。車道に出て回り込もうとしたとき、手持ちのカバンと重ねるようにして持っていたビニール袋が古びたガードレールに引っ掛かって破けた。薄汚れた水たまり着水する。私は目が極端に悪く、濡れ曇ったメガネではすぐさまおにぎりを見つけるは出来ず、間もなく自転車のベルの音がして羞恥が勝ってしまった。おにぎりを放棄して仕事場に向かう。到着した近辺にもコンビニなどはなく、昼休みも短い。昼食抜きが決定した。
仕事を終えた頃、私はすっかりお腹が空いていて、以前みぞれも降っていた。疲れていたがそれでも早足で帰路につく。また身体冷えていく。
汚れたおにぎりを見るのが嫌で反対側の歩道を通っていった。

やっと駅まで着いたはいいが、「運転見合わせ」の電光表示、腹の音と溜め息が同時に出た。
近場のコンビニで何でもいいから食べようとスマホで検索を掛けてみると、なんと一キロもある。しかしどうにも、この空腹は抗い難い。震える身体を押して、コンビニに向かうことにした。
本当にコンビニはないものかと駅の屋根のある範囲で見渡してみたが、やはりない。不動産屋と理髪店、そしてラーメン屋だろうか。

ラーメン屋

私はこの時ばかりは意地を捨てた。
店に入り席に着くと、メガネが真っ白になるほど曇っていく。やはり失敗した、メニューが見えない。その上、中国系の店なのだろうか、漢字と思しき表記が多く、手元のメニュー表に目を凝らしても読み込めない。
その中で辛うじて「カレー」の表記が見えた。

「何にします?」

「じ、じゃあカレーとラーメンで」

「……セットでいいですか?」

「はい」

沈黙の後の問いにすかさず同意した。セットにした方が安いのだろう、気を利かせてくれたのだろうが、焦燥と思わぬやり取りの緊張を解すように出されていたお冷を飲み下す。
間もなくカレーとラーメンが出される。すかさず手を合わせて、ラーメンから手を付ける。

(……うまい)

カップ麺と、カレーもレトルトとこんなに違うのかというほど美味かった。ラーメンもネギしか乗っておらず、カレーにも具はほとんどない。それでも本当においしく感じた。なんというか芯から暖かいのだ。
夢中でそれらを平らげ、会計し外に出る。もうちっとも寒くなかった。

それから私は時折ではあるが外食を挟むようになった。それはあの時のラーメンとカレーがそれほどに美味しく感じたせいであろう。
仕事も落ち着いた所に鞍替え出来たころ、その店をもう一度訪ねて見ることにした。
寂れた駅前である。雨は降っていたが、こういったイメージであった。あの店は不動産屋の隣、理髪店の向かいにあった。
そして今、目の前にあるのは蕎麦屋。
あのラーメン屋は潰れてしまったのだろうか。私は悲しい気持ちになった。しかし、数年しか経っていない割にはこの蕎麦屋は趣が有り過ぎる。

(あ)

私はあっと思った。あの時食べたのは蕎麦だったのだ。