Neetel Inside 文芸新都
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 巨大なタイヤをデンと置いた門を構えている天下のブリヂストン工場から程近い、ここ
小川駅、八時半となるとそこの社員でごった返す。西武線と言えど油断ならない。

「おー……本当に来てた」

 約束の時間を五分程過ぎてから、健太郎が現れた。荷物カゴがボコボコの、いつもの通
学チャリに跨っていた。本当にコイツの強引さはSOS団の団長クラスのクセにルーズさは
異常に勉強の出来ない小学生と同等レベルだ。そのクセに学業の成績は学年中五位とかい
う不思議。

「……で、何処へ行くんだよ?」

 後ろ手に二台を指差して、指示に従い二ケツ状態になってから訊ねた。

「グラウンド。ちょっとお前に良いモノ見せてやんよ」

 そう言い終わるのが早いか、健太郎が物凄いトルクでペダルを踏み始めた。三段変速の
ギアを目一杯に落とし、期せずしてコイツの剛速球の源を知る事が出来た。

(恐ろしく足腰が出来上がってる……)

 あの軸の一切ブレない下半身を大胆に使うフォームを間近で見て、ポテンシャルの高さ
を実感していたが、まだまだ底は知れないようだ。

「この近くでな、桜井のコーチやってる少年野球チームが試合やってるんだ!観ておいて
損はねーよ!」

 府中街道、車道の端をかっ跳びながら俺達が行き着いたのは、とある小学校だった。白
亜の壁に子供達がボールを当てて付けたのだろう、茶色く丸い模様が点々と張り付いてい
る。ちゃかちゃかと音を立てながら朝陽の当たらない、薄暗い駐輪場へと健太郎が自転車
を滑り込ませた。そこには所々に雑然と子供用サイズの自転車が置かれていた。
 なるべく目立たないように、健太郎は壁際のスペースに自転車を停めた。荷台から降り
ながら覗いたその表情は、なんだか軽い苦笑に見えた。

「……行くよ。目立たないようにそっとグラウンドに出るからな」

 校門を通る際に見えたグラウンドの方向からは、威勢の良い声が輪唱して聞こえていた。

「懐かしいね……この応援歌」

 俺がそんな事を口にすると、健太郎はハハッと笑って歩き出した。確か清原の応援歌だっ
たハズだ。俺が彼等と同年代だった頃にも使われていた。数々の応援歌があったが、この
応援歌がポピュラーだった。
 薄暗い裏庭を抜け、俺達は朝陽が射す白い砂利の目立つ校庭へと足を踏み入れた。

「二回のオモテか……」

 遥か遠く、バックネット横にある小さな簡易スコアボードを、健太郎が目を細めて試合
経過を確かめる。

「外野二人目!捕ったら四つ四つ!!しまってくぞ!」

 声変わりを終えたのだろう、(小学生としては)体格の良いキャッチャーが指示を送っ
ている。

(どっかにいるの?)

 俺は視線だけを送って健太郎に訪ねた。健太郎は首を横に振って、俺がわざわざ気を遣
ったにも関わらず、堂々と指で方向を示した。

(ん?)

 今、塁上に見えるのは、この多摩地区でも屈指の強豪チームとして有名な小平アスレチッ
クスのユニフォームに身を包んだ……

「昨日のボウズだろ?」

 健太郎が楽しそうにそう言った。なおも指を下ろさない健太郎を見て、俺は慌ててその
先を追った。そこに桜井がいた。

「アイツ……普通あそこは監督席だろ」

 驚かされた。応援歌を熱唱する選手達すら上回るような大声で指示を与えているのは、
昨日健太郎につれない態度をとった彼だった。

「よっしゃ、ランナー二塁三塁!しっかりボール見て行こうぜ!」

 桜井の声に塁上のランナーの顔が綻ぶ。内野手は皆マウンドに集まり、顔をグラブで覆
っている。
 外野が二人目のランナーを狙うという指示、マウンドに集まるバッテリーと内野陣とい
う状況、アウトカウントは無しか、ひとつか。二回のオモテでのこの状況は采配が上手な
らビッグイニングを呼べる。

「少年野球のビッグイニングってすげぇよな。二桁なんてザラだし」

 健太郎がしみじみと言う。少年野球やリトルでの経験があるヤツなら、間違いなく身に
覚えがあるからだろう。

「まぁな」二度かぶりを振って「でもそれってバッターもそうなんだよな。ガッチガチに
なってボール球が真ん中に見えたり」俺はそう応えた。

「あるある」

 肩を揺らして、健太郎が笑った。チャンスの時にバッターボックスに入ると、急に独り
ぼっちの気分になる。自分は九対一の喧嘩にノコノコ出てきてしまった…といった感じか。
そういう時の選手のモチベーションを高く維持させるのは、監督の力量が問われる。
 監督らしい人間が見当たらず、ベンチラインに整然と並ぶ選手達の目の前をうろちょろ
する桜井、そんな光景の背景と化している父母応援団、アスレチックスのベンチは少年野
球を見慣れた者達にとっては、さぞかし異様な光景に見えるだろう。

「よーし!のびのび打っていこうぜ!」

 月並みなアドバイスであるが、昨今プロかぶれの指導者が多い中では珍しいかもしれない。

「ボールよく見てフルスイングなら誰も怒らないよ!」

 そうだ。怖かった。みんなが期待している時に結果が出せないと…父母会応援団の重い
溜息の後に火達磨のような監督のカミナリ、それがあるからバッターボックスでは大胆に
なれなかった。
 タイムが明け、審判がバッターラップをかけると、打席横に立った少年は二回素振りを
した。フォロースルーの大きな、桜井の指示通りのびのびしたスイングだった。

       

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