Neetel Inside 文芸新都
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 ノーアウト、ランナー二塁。盗塁を助けた空振りでカウントは1-1、七回規定の少年
野球ならば、この回で勝ち越し点を上げて流れを取り戻したいところだ。高校野球であれ
ば、監督の好みによってはここで送りバントの指示を出すだろう。少年野球で、のびのび
野球の匂いの濃い桜井監督となれば、ここは……

「ま、その裏ってヤツを考えるよな」

 健太郎の言う通り、自軍ベンチを一瞥したサードは、ランナーを顎で指してから投補内
の選手に目配せをして、守備位置を多少前進させバントシフトの体勢を取った。打球の様
子によっては三塁上で進塁してきたランナーを刺そうという魂胆か。

「まぁ狙って右方向なんて少年野球じゃーそうそう出来るモンじゃないよな」

 三塁の様子も“一応のバント警戒”に留まっている様子だ。

「とはいえ、このチーム守備もレベル高ぇぞ」

 下手な走塁はまずい。
 ピッチャーの左足が上がる。バッターのスタンスが、打席前方でピッチャーと対面する。
それと同時に、セカンドランナーがスタートした。

「バントエンドラン?」

 健太郎がはにかみながら、それを否定した。

「いや……」

キンッ

 バスターエンドラン!?

 バットを引いてヒッティングにシフトしたトモフミの打球が、前進してきたサードの足
元を抜けた。

「ショート!!」

 三塁ベースカバーに行きかけたショートの左側に打球は転がった。逆を突かれながらも
捕球したショートが、三塁に到達したランナーを一瞥してから一塁へと送球した。

「あぁ!ランナー見なければ際どかったな!」
「ブーン」

 健太郎の口から擬音が発せられ、一塁審の両腕が横に広がる。
 ランナーは一塁三塁、決してミスが招いたピンチとは言い難い。とは言え、むしろそれ
だからこそ守備のリズムに影響が出やすい状況だった。たまらず監督もタイムをかけて選
手達をベンチ前に集めていた。

「少年野球じゃ……あれは責められないね。バッターの脚が速かったよ」
「さ、豊だったら……どうする?」

 早いカウントから二盗を決めて、ランナー二人をスコアリングポジションに置いて……

「どーせ、クリーンアップだろ?」

 俺じゃなくても特に何かを指示したりはしないだろう、少年野球であれば。
 予想通り、一塁ランナーは初球から盗塁をした。キャッチャーが大袈裟なモーションで
右腕を担いだ。三塁ランナーはそれを見ると、一気に上体を前屈みにして、本塁突入を狙
おうと体勢を取った。

「ランナーストップ!ボールショート!」

 そんな三塁ランナーに自重を促すよう、声を張り上げたのは三塁ランナーコーチだった。
ピッチャーの顔の横を、唸りを上げて飛んで行ったキャッチャーの牽制球は、ほぼピッチャー
の背後にダッシュしてきたショートのグラブに収まった。

「おー危ねぇ危ねぇ……」

 桜井が肝を冷やしたような声で呟いていた。三塁ランナーの暴走だったらしい。

「気を取り直して……」二度、かぶりを振って桜井が立ち上がり「よし!クリーンアップ
だ!しっかり応援してやれよお前等!」

 ベンチに並ぶ選手達の方に振り返って、そう言った。特に指示などは無かった。
 勢いのついた応援を背に、三番バッターが打席に入った。打席後方、ラインギリギリの
足場を均すと、改めて右足の爪先で穿つように掘り出した。バットのヘッドを高めにして、
構えた彼の手は、グリップエンドより拳一つ分短めに握っていた。

「さて、ここまで来たけど……」

 意味有り気に、健太郎が呟いた。確かに、ノーアウトで絶好のチャンスだが、相手投手
の勢いがなくなるワケではない。中学でも十分通用しちまうようなピッチングは見ての通
り、少年野球レベルじゃ内野を越すのだって難しい。セットポジションもほぼ一流、先程
の得点は置きにいったボールを見逃さず触れたが……。

「ッシャー!ボールに合わせずに……しっかりフルスイングだよ!!」

 応援の声はあくまで陽気だ。掌メガホンなんて必要ないんじゃないかってくらいだ。
 盗塁の心配が無くなったからだろう、プレートを踏んでからの動作に多少の余裕を持た
せているように見える。勿論、その心中が穏やかになれる状況ではないが。
 第一球、静止してから、ボークを宣告されかねない程に素早く、クイックモーションで
投じられた。コースはど真ん中。

「ナイピー!」
「ピッチ圧してるよ!」

 バッターのリアクションがボールに対応出来ていなかった。予想外のタイミングで投じ
られたようだった。

「……少年野球で……、あんなことってあるんだ。今のは……今までのクイックよりも速
かったぜ」

 シニアでそれなりに野球やっていた俺ですら、少なからず戦慄した。バッターへの牽制
のためのクイックモーションなんて、少年野球じゃ聞いた事がない。

「あれじゃぁほとんどチェンジアップと同じ効果だよ。フォームでの、ね」

 支部にもよるけど、少年野球では変化球を禁止している(まぁ暗黙の了解でナチュラル
な変化と称したボールを投げている選手はいるけど)。
 バッターが一度、打席を外して深呼吸をした。打席の中というのは、一種の結界みたい
なモノで、一度動揺してしまえば、落ち着くのはなかなか難しい。
 バッテリーはツーストライクとバッターを追い込むと、三球目を外へとボール球を投じ
てカウントを整えた。バッターはその間、じっくりと投球を見極めていた。
 四球目、力のある直球が唸りをあげてストライクゾーン高めを目掛け疾った。

カツッ

 重いインパクト音を残して、ボールはバックネットに突っ込んでいった。拳一つ分短く
持ったバットで、バッターがボールをカットした。

「ナーイスカットナイスカット!!ホームラン前のナイスカット!!」

 ベンチではお馴染みの応援チャントを、叫ぶに似た大声で合唱している。

「じっくり見たからか?」

 健太郎に訊ねた。

「かもな。普段から本当に速い球を見て、“どうすれば良いか”を、きちんと教え込まれな
きゃ出来ないかもね」
「ピッチ、キメにきてたんじゃね?あの高めはよ」
「小生意気な配球だ」

 そう評した健太郎の顔は楽しそうだ。
 多分、あのクイックで投じられる速い球も意識していると考えられるが

「あっ!……やっぱり」

 健太郎の苦虫噛み潰したような感嘆。バッテリーが選択した五球目は、初球に放ったク
イックモーションから投げる……スローボールだった。

「巧妙だね……」

 タイミングを見事に外され、開ききった上体でボールを捉えたバッターの視線は、上空
うにあった。

「オッケー!!マイボ!!」

 一応ファーストへと走り出したバッター、投手はフィールド内で小フライをがっちりと
捕球した。

「痛いね、このチャンス……逃したら」


       

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