Neetel Inside 文芸新都
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「それじゃぁ行ってみよーう!!」

 相変わらずのハイテンションでマウンドに上がった健太郎が、ボールを握る左手を高々
と掲げた。とにかく奴が要求したコースに、キャッチャーの俺はグラブを構えるだけで良
いとの事だ。

「……ンな事じゃ打たれるだろぅ」

 前門のハードゲイ、後門もとい肛門か……偽装右翼、次の攻撃の際には携帯電話が大活
躍しそうだ。

「プレイボー……」

 生命感の欠片もない審判のコール。一体彼は健太郎に何を握られたのか。
 初球、サイン“任せる”。

「あの野郎口パクで言いやがった」

 本当に打たれたら敵わない。確かに捕手経験があるのは俺くらいだが、それ以上に野手
陣は素人も素人なのだ。打たれたら何が起こるか分からない。
 初球、アウトロー。左投手が広角で投げてくれれば、初球に右打者がジャストミートす
る確率は低………天に祈る、親に祈る、誰にでも祈る。
 健太郎、振りかぶって第一球。投げ



た。


 投げたのを認識しきったのは、俺の構えたミットにボールが収まった数秒後。審判のジ
ャッジが鼓膜を貫いてから大分時が過ぎていた。
 親指の付け根から肘にかけて、信じ難い痺れが走った。シニア時代にも全国の名門高校
が注目したという評判は確かで、先程俺が相対した相手投手に勝るとも劣らない剛速球だ
った。これが軟式球でなかったら、そう思うと鳥肌が立つ。右手をそっとミットに添えた。
 一瞬で凍りついた相手ベンチ。ボール球、どん詰まりのファールを合計してたった十二
球で一回の裏が終了した。
 俺の左手は真っ赤になっていた。これをあと最低六イニング……欝だ。
 光速で二回が終了。俺達は打席で突っ立っているだけ、相手は巨大扇風機。三回表二死
から再び健太郎に打席が回った。

「なー豊……手とか痛くないのか?」

 笠原さんが話しかけてきた。健太郎は左打席の脇で軽い素振りをしていた。

「まぁ……」
「一体何だ、健太郎は?」
「見えないだろうけどアイツは中学まではプロのスカウトが注目するような名プレーヤー
だったんです」
「はー……とてもじゃないがそんな品行方正な奴には見えないな」
「えぇ……だから昔から悪い事やってもすぐに警察に嗅ぎ付けられて」
「冗談だよな?」
「嘘です」
「こらっ」
「嗅ぎ付けてきたのはヤクザのスカウトで」
「わーい、聞きたくない事が多いなぁ……」

 先程から目の前の三塁手がジロジロとこっちを見ている。

「まぁ俺が構えたところにただ投げているだけですからね……ファストボールも変化球
も。要は相手の打線が振り回し過ぎなんですよ」
「それも……一回りしたら」

 えぇ、という俺の声がくぐもった鈍い音に掻き消され、西陽の射し始めたグラウンドに
俺達は目を向けた。
 健太郎が一塁に向かってゆっくりと歩いていた。フォアボール、さすがに早過ぎる。

「さーすがビヨンドマックス、ありえない飛びだな!!」

 健太郎の視線はライト方向へ、俺はその視線を追った。すると

ガンッ

 ライトフェンスの向こう、夕陽に照らされた営繕倉庫の青いトタン屋根に、高角度でボ
ールが墜落していった。
 両手を高々と挙げ、小走りでダイヤモンドを回る健太郎。

「悪いけど……軽いわ、アンタの球」

 これでまた、俺達への手加減は消えるかもしれない。

「俺達腹いせにぶつけられるかもな……」

 なんだろう、味方の得点なのに、貞操の安全が守られるかもしれないのに……素直に喜
べない。というのは俺だけらしい、ホームインした健太郎にみんなが群がっている。

「スゲェースゲェースゲェーッ」
「いやぁそんな対した事じゃないですよ」
「何を謙遜しているんだお前は」
「だって中村さんの顔程じゃ」
「うるせぇ!!」
「嘘ですよ」
「なっ……」
「本当の事を言ったらどれだけ傷付くか……」
「うるせぇ!!」
「その顔で自信持って出歩かれると僕の野球の腕なんて……」

 結局は健太郎のマイペース。俺は黙って打席に向かう事にした。


       

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