Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      



「ま、気持ちは痛いくらい分かるけどね……」

 俺は不安そうに耳打ちしてきた井上さんに、そう返した。
 試合が決まり、なんだかんだ興奮を隠せなかった俺達は、試合前日も時間の許す限りの
練習をした。バッテリーの二人は特に、入念にリードを含めた打ち合わせに時間を割いて
いた。

「あー機嫌悪そー……」

 そして試合当日の今日、最寄の駅からバスに揺られ聖スレスト高校に到着した我がチー
ム、あろう事か先輩方は着替えるなりいきなりボールをバッグから取り出しキャッチボー
ルを始めた。ストレッチもミーティングも何も無い。
 今時草野球でもないわ、と聞こえないように吐き捨てたのは健太郎だった。
 ここまでは、このやる気の無い先輩方を考えれば予想の範囲内だったのだが……

「桜井ってセンター出来るのかな?」
「少年野球教えてるくらいだからな、大丈夫なんじゃない?」

 アップ(という名のダラダラとしたキャッチボール)を終え、ベンチ前にチームで集ま
り、これからミーティングかと思いきや、先輩方は何かを打ち合わせするでもなく、主将
の『じゃいつも通りで』という掛け声で、ベンチに散って水分補給をしたりトイレに行っ
たりと思い思いの行動をし始めた。極め付けは、ひとりの先輩がおもむろにプロテクター
を己の身に装着し始めた事だった。桜井はがっかりした様子だ。

「あー、一年生……前田君が投手で」

 何かを打ち合わせするでもなく、ポジションが既に決まっていた。空いていたピッチャー
やファーストの位置は、自己紹介通りに健太郎と俺が守る事になったが……

「桜井君、悪いけどキャッチャーがもういるから……」

 空きが出ているセンターで、と言われた。というか誰も仕事の多いポジションをやりた
くなかったから、桜井に押し付けたと言うのが正しいだろう。
 表情には出さなかったが、背中全体から“納得いかねー”オーラを醸し出している桜井
を、俺と井上さんで尻を蹴っ飛ばしてなんとか納得させた。
 最後に、健吾は経験も浅いのでここは機会を窺いつつベンチで井上さんに試合を解説し
て貰って、野球を勉強する事になった。ここは本人の希望通りだった。

 ノックもやらない、バットも振らない、とても試合前の野球部とは思えなかった。俺達
一年はグラウンドの端でひっそりと一通りアップを終えた。(四人じゃノックは回せない
からボールの使い方は大人しかったが)
 打順も適当で、四番は主将特権だろう、サード・ジョシュ長岡。七番に健太郎、八番に
桜井、九番に俺、となった。

「蔵野先輩……ちょっと投球練習いいっすか」

 試合開始直前、やっと健太郎がまともに今日の女房役相手に投球練習が出来る。

「お、今日は右か!」

 俺の沸き立つ声、健太郎は何事か極々小さい声で呟くと、腰を落とした蔵野先輩に対し
て立ち、振りかぶった。

「ねぇ、さっき何て言ったの?」

 再び、井上さんが俺に耳打ちしてきた。

「えぇ?」
「今の健ちゃん!」
「………多分」俺は周囲に先輩が聞き耳立ててないのを確認してから「『左だと制御が効か
なくて怪我させるから』ってね」

 フローラルな良い匂い漂う彼女の耳元に顔を寄せ、そう答えた。
 考えてみれば、去るガチホモ外国人チーム相手の時には軟式球とは言え、健太郎は左で
とんでもない剛速球をキャッチャーだった俺に向かって放っている。
 悪趣味なのか、成長なのか……複雑な思いだが、今回の俺は本来のポジションでアナル
崩壊の危機も無い。桜井は気の毒だが、今日は久し振りの感覚を楽しむとしよう。


       

表紙
Tweet

Neetsha