Neetel Inside 文芸新都
表紙

熱いトタン屋根の上
下ネタもっと書きたかった…12話

見開き   最大化      



「………」

 ひとつ肩で息をして、モッさんが構え直した。もはや彼の緊張感は、守備についている
全員が共有しているようだった。実際の話、どんなに良い投手でも打者のここまでの集中
力を見せ付けられれば、きっと勝負を避けて塁を埋めようと思うだろう。
 健太郎の腕はよく振られていて、昨日の学校での練習の急ピッチなキャッチボールは、
実はこの為の準備だったのではなかったかと錯覚してしまう程だ。

キィンッ!

「やった!!」

 そして、遂にアスレチックスの四番のバットが健太郎の球を捉えた。鋭い打球は最初、
センターが定位置から動かずに胸の前で捕球出来そうな程に弾道が低く、セカンドは初期
弾道を目にして、張っていた肩の緊張を解いた。センターも定位置からわずかに半身バッ
クの体勢で打球の落下予想地点の微調整を試みていた。
 しかし、その余裕もすぐに困惑へと変わった。センターライナーかに見えた打球は、セ
カンド上空で一気に伸びを見せ、慌てて後方へと打球を追った外野手の頭上を越えてもな
お、放物線の半分すら俺達に見せなかった。
 その打球を見た誰もが、開いた口が塞がらないといった表情をしていた。

「………あ」

 当人達を除いて。打たれた健太郎とモッさんだけは決して表情を変えずに、彼方で打球
を追うセンターの後姿を見ていた。

「よぉし、良いぜモッさん。最後に……本気出してやる、瞬きすんなよ」

 てんやわんやで打球を追う外野陣を尻目に、健太郎がプレートに足を掛け

「うぉ……マジだコイツ」

 キュッと脇を締めて振りかぶった。肘の先から一瞬だけ窺えた眼光の鋭さから、健太郎
がマジで全力投球するつもりなのを感じ取れた。

「くそっ、羨ましいな」

 思わず呟いてしまった。二人で毎日のように練習しているものの、俺は健太郎のフルス
ロットル状態を打席で見た事がない。たった二人でやっている今現在の練習で、まともな
バッティング練習なんて出来やしないというのもあるが……チームメイトであるからには、
健太郎とモッさんが今まさに感じているこの緊張感での真剣勝負を味わう権利は、これか
ら三年間、きっと持てないだろう。
 健太郎がスッとリフトアップさせた右膝を、同じくスッと前方に踏み出した。

「あ……」

 これはほとんど確信で、打席のモッさんは感じたはずだ。
 これはきっと打てない、と。


     



ガシャンッ

 案の定、打席の少年はバットを振るどころか、ピクリとも動かずに、ただただボールを
見つめていた。見開いた目で健太郎と矢のように過ぎ去ったボールの軌跡に交互に目をや
って

「ハハ……戦闘モード解除って感じだな」

 溜息と一緒に大きくすくめた肩をストンと落とした。

「なぁモッさん」

 指先で軟式球を転がしながら、マウンドの健太郎が唐突に

「これが高校野球のレベルだぜ。楽しいだろ?」

 そんな事を言った。
 天才君が自信無くすんじゃねーか、その一言は。

「………」

 モッさんはジッと健太郎を見つめて、沈黙を守った。不敵な笑みでガンの飛ばし合いに
応戦した健太郎は、ややあってから

「さて……次の人」

 レベルの高い勝負に呆けていた、順番待ちの少年達に目を移して、交代を促した。
 モッさんも、ようやく我に返った仲間達を「ほら」と言葉少なに顎で促し、打席を外れ
た。そして、おもむろにメットを脱いで

「あーしたっ!!」

 深々と頭を下げた。

「おうっ!」

 健太郎の満足気な返事。
 行為そのものは野球の練習じゃ当たり前の風景だけど、なんだかとても珍しいモノを見
たのではないか、そんな気になった。

 大人気なく、ここの少年達と一緒に興奮していたけど……改めてモッさんはともかく、
健太郎の投手としての能力の高さには驚かされた。如何に投球技術が高くても、あれ程に
まで対峙している相手の分析を精密に行える選手なんて、高校野球レベルでは今までいた
だろうか。モッさんの一球一球への対応から、その場にいる誰が見ても明らかなのは、健
太郎が常にモッさんのバッティングのパフォーマンス上限ギリギリの球威を投げ続けてい
た事だ。徐々にモッさんの投球への対応可能範囲が広がっていくのを、常に感じ取って健
太郎はわずかにそれを上回るよう投げていた(無論、それは傍から見ていて、この位置に
いた俺だけが経験上気付ける事だろうが)。

「ナーイバッチ!!」

 そして、モッさんの集中力が“ゾーン”に入ったのを感じ取って、それ相応の速球を投
じた。

「………」

 結果、高まった集中力が少年の打撃センスを開眼させた。彼程の才能だ、あの感覚をみ
すみす忘れる事などないだろう。この一打席、努々身体に言い聞かせるはずだ。


     



「それじゃお疲れ様、みーんな風呂入ってから柔軟体操と今日練習で覚えた事を、しっか
りと思い出す事。ちゃんと自分のトレーニング状況はノートにまとめておけ」

 春先とはいえ、時計が夕方の五時を回ると辺りに夜の帳の落ちる気配が漂う。
 練習を終え、湯気の出そうな頭の少年達を並ばせて、スタッフを含めたチーム全員でグ
ラウンド挨拶を行い、桜井は疲れの色を見せる少年達に言い聞かせる。

「明日も練習だからな!早く寝ろ!以上!」
「きをつけ!!ありがっしゃーした!!」

 一様に帽子の型の付いた小さな頭が、一斉に俺達に向かって垂れた。つい数年前までは
自分がそちらの立場だった、というのがちょっと信じられなかった。

「暗いから近所のヤツはまとまって、気を付けて帰れよ。ほらノブ、スパイク袋忘れてる!」

 解散した後というのに、桜井はチームの子供達みんなに目をやりながら忙しそうにして
いる。それもちょっと一段落となったところで、桜井がこちらに顔を向けた。
 そして

「……今日はありがとう。お陰で助」
「すいません桜井先輩、ちょっと良いですか」

 桜井が不本意ながらも感謝の辞を述べているのを遮って、モッさんが彼を背後から声を
掛けた。

「……モッさん、まだ帰ってなかったのか?」

 ちょっと呆気に取られながらも、そういった部分を微塵も口調に出さず、桜井はモッさ
んにそう言った。

「迎えが来るんで……それよりも」

 モッさんの目が桜井をまっすぐに見つめる。

「いい加減、なんで自分で野球やらないんすか?」
「え?」

 モッさんの口調は、半分喧嘩を売っていた。それだけに、桜井は隠していた分も含めて
動揺を口に出してしまったようだった。

「今日対戦しました、そこの……前田さんと。十人に聞いて十人が、はっきり良いピッ
チャーって言う……と思います。あと佐々木さんもテレビで観る高校生より上手い」
「………」
「そんな人がなんで学校で野球やらないで、こんなトコロに来るんすか?この前のバッ
ティングセンターで誘った、その続きでしょう?」

 国分寺ペニーレーンのバッティングセンター、快音を響かせていた少年達の一人に、モ
ッさんがいたのは俺も覚えている。

「それは」
「俺だって知ってますよ、桜井先輩に昔何があったか」

 御手洗さんに聞いたか、または噂か。結局人の口に戸は立たないのか。クロスプレーで
の安全確保の様子を見れば、モッさんくらい図々しければ酒に酔った御手洗さんから聞き
出す事だってしそうだ。

「怖がるのは当然だけど、自分で野球をしないワケをアスレチックスでごまかすのはヤメ
てください」
「………」
「その手のマメはノックのタコじゃないっすよね?」

 桜井の掌は、半端な数では無い素振りを現在進行形でこなした者だけが持ち得る、強打
者のそれだった。

「前に俺に言いましたよね?“人はたった一言の勇気を出せば変わる事が出来る”って」

 正直、俺はモッさんがここまで饒舌で感受性の豊かな少年とは思わなかった。もっとス
ポーツ少年らしく、ガサツなイメージだったが、これはかなりの切れ者と言えそうだ。

「野球やりたいくせに……」
「………」
「感謝してたけど、それがデマカセだったなんて……悔しいっす」

 そう言うと、モッさんは何か一種のやりきった感を匂わせながらも、喧嘩売っているよ
うな表情で俺達に背を向け、エナメルバッグを担いでグラウンドを後にした。

「………」

 俺と健太郎は顔を見合わせ
(なんかオイしいトコロっつうか言いたい事全部取られたね)
 そんな目配せをして、改めて桜井の背中を見つめた。


     



 小平アスレチックスの臨時コーチも二日目。御手洗さんの話によると、日によって少し
ずつ、数種類ある全体的な練習メニューをローテーションさせているという。とは言え、
やる事に劇的な変化が生まれているワケではないので、指導する側がスタンスを変えなけ
ればならないという事も無く、このチームのやり方に俺達は上手く対応出来ていた。

「うおっしゃぁ!」

 そんな練習の中、昨日を超えたテンションの高さでマウンドに立つ男がひとり、言わず
もがな健太郎だ。
 先程からシート打撃の投手を務めている健太郎だが、モッさんの打席を向かえた途端に
それまでは完全に守備陣に任せた丁寧な投球を、昨日のモッさんに投げた押せ押せのスタ
イルに変えてきた。

「そんーでもって……」

 その健太郎の球を受けているキャッチャーが

「おら!守備声出てないぞ、呼び込め!!」

 名コーチのOB、桜井だというのだから俺にとっては驚きだ。
 健太郎の速球を、なんとかバットに当てて粘るモッさん。よっぽど昨日のイメージを大
切にして、帰宅してからも反芻してきたのだろう。初めての健太郎との対戦では空を切っ
ていたバットが、今は良いタイミングでボールに当たっている。

「……浪花節だなぁ」

 昨日の帰り際のモッさんを知っている俺だから分かるのは、これが健太郎なりのモッさ
んへの昨日の行動に対する“感謝”の表現だという事だ。高校生の投げる生きた球を打つ
機会なんて小学生じゃ滅多に無いのだから。

キンッ

 わずかにバットの下側を掠めたボールは、桜井の手前で鋭くバウンドした。

「前田さん……いいっすよ、もっとアゲて」

 グリップを握り直して、身体の前で垂らした状態でモッさんがそう言った。健太郎はそ
んな彼の言葉に多少ニコッとして、すぐに

「キャッチ、ボールくれ」

 桜井を促した。
 モッさんは大きく伸びをしてから構え直して

「誰も、いつまでも子供の靴を履いていられるワケないから」

 誰に言うでもなく、それでも内野にいる皆に聞こえるくらいの声で主張した。

「一連の事を知らないと……分からないっつの」

 苦笑しながら俺は、足元の土を均して、来るだろうモッさんの鋭い一塁線への打球に備えた。


     



 昨日の繰り返しのような、グラウンド挨拶と桜井始め諸コーチ陣による解散の口上を終
えると、疲れ顔ながらもワイワイとお喋りしながら野球少年達がエナメルバッグを抱えて
グラウンドを後にしだした。

「さて、明日は四限が体育か」

 軽く伸びをしてそう言うと、背後から

「前田、佐々木」

 耳に届いたのは、振り返るべくもなく分かるトーンの高い桜井の声だった。

「なんだい、のび太君?」
「硬球……持ってるか?」

 そう訊ねてきた桜井の左手には、キャッチャーミットが付けられていて

「受けさせてくれ、お前の球」
 彼は拳を力強くそのポケットに叩きつけた。
 健太郎は、バッグに納めたグラブを再び取り出し、ついでにグラブの先で中に入ってい
たボールを取り出した。

「………!!」

 そんな彼の背中を、「やっとここまで来たか」といった一種の達成感を感じながら眺めて
いた。すると、一瞬だけその背中から何かが迸ってるいるような錯覚に陥って、戦慄を覚
えた。

「……手加減、しねぇぞ」

 それは錯覚ではなかったんじゃねえのかと思えるような、健太郎の返答はひどくドスの
効いたモノで、今俺の感じている達成感はコイツと共有出来ているのを感じ取れた。

「良いから来いよ、ブルペンに十八メートル半で作ってある。さっさとしろ」

 さっさとブルペンに行ってしまった二人を、俺はややあってから追いかけた。並んで歩
く二人の背中に圧倒されて呆けていた、と言えば妥当だろうか。
 俺が腰を下ろす桜井の背後に到着した頃には、健太郎はマウンド上で屈伸をしていた。
足元にグラブが一つ、右手に先程から使っていたもう一つ。

「それじゃ」

 大きく振りかぶって、健太郎の右足が静かに上がった。桜井の構えはど真ん中だ。

バァッン!!

 薄暮の空に突き抜けるような捕球音に、帰宅の途に就こうとしていた野球少年の皆が振
り返った。

「………」

 三人が揃いも揃って、黙っていた。
 桜井は言葉も無く、健太郎に返球したが、その背中にこれまでになく力が篭っていた。


       

表紙

桜島ファイアー 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha