長い夢を見る

2.長い夢を見る

酒を買おうと街を歩いていると、ヒイラギさんを見つけた。彼はきっちりしたスーツを着ているのに、なぜか常に裸足だ(足は痛くないのか? 今度聞いてみよう)。髪やヒゲは伸びざらしで、片手にはベルクソンやらフッサールやらクリプキやらの分厚い哲学書を、もう片方の手にはジャックダニエルの瓶を持ってる、見るからに危ないヤツだ。しかも自分よりひどいアル中ときている。まあこういう人を見ると、まだ自分は大丈夫だなんて安心はできる。

彼は橋の上にある商店街の、そのすみっこでタバコを吸っていた。下の街を眺めているらしい。酔っ払っているのかフラフラしているし、そのうち落ちるんじゃないだろうか。せっかく顔を見たので「久しぶり、元気?」なんて柄にもなく挨拶してみる。すると「全然元気じゃないです。最近体が酒を受け付けないし具合悪いし。もうダメです。ダメダメです」なんて言われてしまった。酔っ払っていると思ったら、お酒が抜けて震えていたらしい。「そりゃあマズいね、とりあえずしばらくアルコール入れてないならジアゼパムが家にあるけれど。震えも収まるし多少はいい気分になれると思うよ」と言うと「いや、もうすぐ酒入れれる気がするんですよ。だから大丈夫、たぶん大丈夫です」ときた。やっぱりこの人ダメだな。それから、少しだけ思弁的実在論の話をして別れる。

彼には一体どんな世界が見えているんだろう? 彼に倣ってカントやサールを引き合いに出すまでもなく、間違いなく自分とは違う世界が見えているんだと思う。たぶん街並みも全然別のものに映ってるんだろう。そんな事を考えながらお酒を買う。今日は奮発して自分もジャックダニエルを買った。彼曰く、ウイスキーは弁証法的なお酒らしい。特にジャックダニエルは。まったく意味がわからないけれど、家に帰ってじっくり飲もう。少しウキウキした気分で水路電車に乗る。

街の灯りを見ながら一杯やっていると、道を行き交う人達が目につく。外壁を渡っている、大きな荷物を背負った人は行商人だろうか? 坂の多いこの街では大変そうだ。道も狭いし。今ゴンドラに乗った人は何をやっている人だろう、多分楽士だ思うけれど。自分もサロッドやシャーナイを持って旅に出ようか。こんな風に人のことを考えていると、じゃあ自分はいま何をやっているのかと、だんだん憂鬱になってくる。嫌なことは飲んで忘れよう。今日は自分よりダメな人を見たからグッスリ眠れるだろうし。