2017.11.1 第3回目 エイリアン3 完全版から見る「エイリアン3は本当にゴミ映画なのか?」

エイリアン3・完全版について述べる前に
一つの疑問に答えねばならない。


エイリアン3は本当にゴミ映画なのか?

答えはNOだ。

ゴミ映画たる要因に挙げられることが多いオープニング。
わが子同然に打ち解けたニュートの溺死、戦友となった宇宙海兵隊のドウェイン・ヒックス伍長の顔面ぐちゃみそ死、
そして1でアンドロイド恐怖症となっていたリプリーの心を開いたビショップのぐちょぐちょ破損。
2の感動を台無しにしたと言われているこのシーンだが、私はシナリオ自体は決して悪くはないと思う。

今回、3は2と違って1へと原点回帰している。
2で失われてしまったエイリアンに対する恐怖を
もう一度取り戻さなければ、シリーズの価値も下がってしまうのが目に見えている。
そのため、3は1にあったホラー要素は不可欠である。ホラーにおいて導入で主人公から心の支えを奪うのは
大切であるし、そのためにもニュートという心の支えがあってはならない。
また、折角のホラー要素である戦える武器が無い(囚人の暴動を防ぐため)という設定を生かすためには
スクラップ置き場から武器を調達しかねないビショップの万能さがあってはならない。
そして、最後にやむなく団結せざるを得なくなる人々。この様子を描くために囚人頭のディロンは
必要である。ヒックスがいては、リプリーはヒックスを頼ってしまい、
一向に団結は生まれない状況になっていたに違いない。



よってこのオープニングは完璧である。
ただし、ストーリーの魅せ方が良くない。
劇場公開版では墜落後にメッセージが表示され、リプリーたちの安否状況が
ぶつ切りで映し出されるという味のないものなのに対し、
完全版ではリプリーが救出され、ニュートたちの死亡状況が詳細に壮大に描かれている。
惑星フュリーの砂浜、リプリーに群がるシラミ、水牛を引き連れてニュートたちの遺体を引き上げる囚人たち、
墜落したスラコ号の凄惨な状況……そのどれもがリアリティがあり、
説得力があり美しい。
水牛を引き連れて海辺へと走る囚人たちの絵は絵画のように美しい。
これは圧巻だ。このシーンでエイリアン3は名作への階段を駆け上った。

次に犬から牛に寄生したという変更点だ。
溶鉱炉でのヒックスとニュートの葬式シーン。
フィンチャー作品で真っ黒な空間を夕焼け色で照らす形となるこのシーンにも
溶鉱炉が放つ「滅びの赤い光」があり、美しい。
このシーンを飾るのがイギリス英語で行われる所長の聖書の朗読。

ここでは人間以外の生物からエイリアンが飛び出す誕生シーンを同時並行で描き、
通常ならば起こりえないはずの生と死を同居させる試みに成功している。
だが、ここで劇場公開版で犬だったものを 完全版で牛にすることで
エイリアンの神話性が増すのだ。そもそも、牛はインド神話のカーリーのシンボルであり、
母性、死、誕生を表す。そして何よりこのカーリーが自らの子供を食べる鬼としての一面を持つ。
ここでは本来ならば、捕食される立場である筈のエイリアンが母である牛の身体を内側から
食い破ることで神をも超えた究極生物であることを暗示することができるのだ。


これにより、宗教色の濃いエイリアン3の持つカラーをより引き立てることが出来るのだ。
このシーンでエイリアン3は名作となった。

他にも劇場公開版では行方不明になっていたゴリックがどういう風に死に、
エイリアンを逃がしてしまったかが描かれており、ドラマ性が増しているなど
列挙すればキリがない。

ラストも救いがないという意見もあるが、個人的にこれはハッピーエンドだったと思う。
というより、ここは元々名作であることを証明しているシーンなので何ら一切問題はない。

元々3でエイリアンシリーズは完結する予定だったというのもあるが、
あの状況でウェイランド湯谷社の兵士の言うとおりに手術を受けたとしても、
リプリーは口封じに殺されただろうし、エイリアンだけ取り出されてウェイランド湯谷社は
エイリアンの生物兵器利用に成功し、リプリーが無駄死にしましたでは
それこそハッピーエンドにはならない。その後
溶鉱炉も稼働を停止し、徐々に施設が施錠され、封鎖されていくプロセスを描いていく様は
シリーズの終焉を表していてとても美しい。
その後、ウェイランド湯谷社に連行されるモースが「ざまあw」と鼻で兵士たちを
笑うその姿には、リプリーの完全勝利を観客に教えてくれる。

個人的にリプリーの自決シーンは死に様をスローモーションでゆっくりと描いている
劇場公開版の方が好きだ。だが、これはもともと後付けであり、
完全版では胸からクイーンエイリアンの子供も飛び出さず、
リプリーはそのまま溶鉱炉の業火に焼かれて生涯を閉じるのだ。


如何だっただろうか、かつてエイリアン3が糞だと言われていた時代は
ハッピーエンドを求める風潮があった。今では、バッドエンドも受け入れられる時代となっている。
この完全版は2004年に登場したが、実際にエイリアン3を再評価するきっかけになったとされる。

もしも、あなたがエイリアン3をゴミ映画と思っているのなら
せめて完全版を見てからにしてほしい。それでも、
あなたがこの映画をゴミ映画だと言うのならそれは貴方の意見なのだから、正しいと思う。