トニー・モンタナとジャック・レブニーに見る本音(FUCK)の素晴らしさ

このトニー・モンタナはとある人物に非常に酷似している。
アメリカでウィネベーゴマンと呼ばれた男が居た。名前はジャック・レブニー。
1980年代後半、彼がウィネベーゴ社のトレイラーの宣伝用のビデオを撮影した時のNG集を集めたビデオが
流出した。内容はひたすらFUCKやSON OF A BITCH,SHITといった薄汚い言葉を使った悪態の連発だ。
当時、YOUTUBEのようなネットサービスもなかったアメリカではそのビデオがダビングに次ぐダビングを
経て一部のコレクターの間で人気となった。2005年にYOUTUBEがオープンするとすぐさまそのビデオは
アメリカ中に知れ渡る。
ベン・アフレックやアレック・ボールドウィンですら彼のセリフを真似するほどだった。
やがてその人気は次第にイタリアにも広まった。彼はその人気振りを知り、こんな自分の醜態が晒されるなんて
不名誉だとかなり落ち込み、人々が自分を馬鹿にして笑っていると罵っていた。このビデオは彼をクビに追いやり、彼に隠居生活を強いた。
挙句の果てに緑内障で失明までして世の中への嫌悪感でFUCKを連発するほど彼は憎悪に包まれていた。しかし、そんな彼を待っていたのは人々の温かい歓迎の言葉だった。

「落ち込んだ時やイライラしてる時には必ず見てます!」

「気分がスカッとします!!」

「あのビデオを見てると本当に楽しいです!! ようやく会えました!!」

「あのビデオは恥ずかしい思い出かもしれません、でも本当に楽しいビデオだと思います!!」

その様子を見て彼は後に語った。

「人は日常の生活において多くの困難に直面する。そんな時に自分の本音(FUCK)が言えないのは
本当に悲劇だと思う。"あの時も今も……わしは思っていることを正直に言える"……こうして胸を張って
言えることを幸せに思う。」


私はぐんたいぐらし!時代、
後輩に自分の靴磨きとアイロンをさせる上司が居た。
その上司は後輩の靴磨きやアイロンの最中に腕を抓ってきたりといった暴力的なちょっかいを
かけてくる人間だった。頭に来てしまった私は思わずこう呟いた。

「早く帰れや クソボケが」と。

私は仕事を干された。俗にいうパラハラだ。
私はその後も「上司に歯向かう反抗的な人間」というレッテルを張られ、次第に村八分にされていった。
終わったことを蒸し返してすまない。そのため 本音を言うことは自分を背水の陣に追い込むものなのだと思い込んでいた。

だからこそ、友達に対しては円満な関係を築くために本音を言うことを避けてきた。
だが、現実はそう上手くはゆかない。付き合いが濃くなればなるほど、
本音を浴びせ合う時がいつか来る。

本音を言うのは確かに苦しいことだ。本音は時として人の絆を絶ち、
人間関係に亀裂を生じさせ、自分の居場所を失ってしまうこともある。
また、本音を受け止めることも確かに辛い。
それまでの自分の生き方を訂正せざるを得ないのは並大抵のことではない。
今となってはその上司も相当 私に腹を立ててしまったのだと思う。

だからこそ、人の絆や居場所、そして今自分が信じる生き方を離したくないからこそ
人は本音を言うことを避けようとするのだと思う。
本音は心を蝕む蛆だ。だが、それを吐き出せない柵や困難が世の中にある。

その柵を超えた時、心をえぐる辛さに正気を失ってしまうかもしれない。
人として大切な何かを失ってしまうかもしれない。


でも、最終的に一番失ったものが多かったのは本音を言わないことだった。

言い訳をし、嘘をつき、その場を取り繕い、その挙句 余計に墓穴を掘り……

私は人の信頼を失っていった。そうやって失った人たちとの絆はもう二度と取り戻せない。


最終的に取り戻せたのは

私が本音を言い、私にも本音を言ってくれた人たちだった。

一時は離れ離れになってしまったりしたが、私は戻ってくることが出来た。

これはきっと私の勘違いかもしれないけど……そうやって一歩ずつ

人は付き合っていくんだと思う。


正直言って今でも本音を言うことは辛いし、苦しい。


もしかすると、これから先も本音は誰かを奪うのかもしれない。

本音は居場所を奪うのかもしれない。


本音を言うと決めた今の気持ちも変わってしまうのかもしれない。

今でも本音は人が人であるための試練を与えてくる。

私個人に出来ることは少ないが、

せめて私はトニー・モンタナや、ジャックのようにFUCKと言って

困難に立ち向かい

このクソッタレな日常にいつか胸を張って生きていける人間になりたいと思う。