第一話「不死小隊」

 六年後




「助かりっこない、こんなの……」とリュカがつぶやいた。
 前で戦場を眺めていた老兵が振り向いて、じろじろとこちらを見返してきた。白髪交じりで、顔のあちこちに傷跡がある。よほどの古参兵だろうか。
 助かりっこないよ、とリュカは思った。手が汗ばんで槍を上手く握れない。村でやった訓練では型をみっちり叩き込まれたけど、それさえもすっかり忘れて頭が真っ白だった。
 ――やっぱりだめだ、こんなの助かりっこない。
「ぼうず」と老兵がリュカに呼びかけてきた。この人の名前は思い出せない。もう死ぬんだと思いながら、他人の名前なんて覚えていられるわけがない。
 岩と枯れ木だらけの故郷平野に展開した敵軍――西ヴァロワ王国軍の隊列は、とても整然としていた。かつて勇者の生まれた村がここあったからこの名前が付いたらしいが、千年も前の話だ。今は帝国の主戦場で、最後の抵抗者となった西ヴァロワを倒すため、軍が集結している。
 あちらは前衛に短槍兵、その後ろに長槍兵という並びで、両脇には弓騎兵までいる。敵の鎧はいかにも硬そうな金属製で、馬上の指揮官のものは特に輝いて見えた。
 ぼくらのは……革の胴着。錆びた鉄帽。そして胸当てには双頭の鷹――帝国の紋章。
 でも、なんでぼくは戦っているんだろう? 何年か前、村の礼拝堂で文字を教わっていた頃、まだここは東ヴァロワ領だった。
 どうして侵略軍なんかに、ぼくたちは加担しているんだろう?
 東西ヴァロワも昔は一つだった。どうしてかつての兄弟同士で争わなきゃいけないんだろう?
 もうすぐ殺し合いが始まる。ドラゴンの炎に焼かれる――そう思った途端、リュカの脚が震え、胸がばくついた。これは現実だ。しかもぼくは臆病者だ。こんなところ来るんじゃなかった。村の口減らしにと言われてやって来たけど、こんなのやっぱり間違ってる!
「ぼうず」横の老兵がリュカの肩を小突いた。「お前、子供だな。歳は?」
「十六。戦は初めてです……ぼく、死ぬんでしょう?」
「わしはガレスだ」老兵はあごひげをいじりながら、しわだらけの顔でリュカを見つめた。「ぼうず、名前は?」
「リュカです」
「よし。リュカ、お前は死なない。少なくとも、まだ死んじゃいない。分かったら思い切り息を吸って、すっと吐くんだ!」
「で、でも! ぼくは一月前までぶどうの収穫を手伝ってたんです!」味方の隊列も揃ってきているらしく、辺りで鎧ががちゃがちゃと響いていた。嫌だ。もうすぐ始まる。「こんなの生き残れっこない。もう死んだのと同じだ……!」
「大丈夫だ」ガレスの声はまるで子供に諭すようで、やけに自信ありげだった。
「どうしてそう言えるんです……?」
「どうして? 第一に、今回は皇女殿下の初陣で、そういうのは勝ち戦を選ぶものだ。こちらの中央部は帝国からの精鋭も多く、そう簡単には崩せまいて」
 帝国の貴族は女でも指揮をとるという。とりわけ――彼女が魔術の血をもって生まれたときには。味方に魔剣士が居て敵に居ないとなれば、まず戦には負けないといわれている。
 しかしリュカの目には、敵は二千はいるように見えた。こちらも同じくらいだろうけど――このフェアリオン子爵の部隊は、運悪く右翼部の前線に配置されてしまったのだ。勝ち負け関係なく危ないことに変わりはない。
 しかし、ガレスの目にはやはり自信があった。どこか笑ってすらいた。
「第二に、わしらはアーセン首領の〈不死小隊〉だからだ」
 リュカは訝しげに目を細める。アーセン。ぼくたちの領主様はそんな名前だった。噂では屋敷に引きこもってばかりの無気力な若い貴族らしいけど、そんな人が、どうしていつも皇帝の出兵要請には応じてるんだろう? お父さんはフェアリオンはとても小さな里だと言ってた。確かに辺りを見回すと、他の旗の部隊たちはもっと大所帯みたいだ。なら僕らみたいな弱小部隊、居ても居なくても一緒じゃないのか?
 味方の陣はほぼ完成しているみたいで、ひゅうと風の音が荒野に響いた。もうすぐ突撃が始まる。自分も隊列に加わらなきゃ。
 ――と。
「ガレス! ガレス兵総長!」
 一人の男が隊列の後ろからやってきた。若い黒髪の青年で、ぼくよりはいくらか年上みたいだけど、とても三十を超えているようには見えない。黒の革鎧の上に士官らしいマントをつけている。しかし腰にショートソードを差しているだけで、それ以外の武器はなかった。
 もしかして、これがそのアーセン様? こんなに若い人が子爵? 貴族なら甲冑姿で騎乗するのが普通だろうし、槍の一本も持っていない……しかもこう言っては何だけど、ぼくみたいに弱そうな細長い身体つきだ。兵士というよりは神父見習いとでも言ったほうが似合っているくらいに。
 しかしガレスが「首領殿!」と背をぴんと伸ばしたので、リュカもそれに習った。辺りの兵士たちも嬉しそうに青年のほうに寄ってきて、彼を中心とした総勢四十人ほどの半円ができる。
「ガレス! 同郷の者たち! 今回こそは当たりくじを引いてやった、久しぶりの前線だ」
「しかし首領殿! 敵方の虎の子、騎竜隊の姿がどこにも見当たりませんなあ」ガレスはひげをいじって言った。「どうやら騎手はクソに時間がかかっているようで」
 ガレスは「がはは!」と笑い声をあげると、それにつられてフェアリオン隊で明るい声があがった。どうかしてる……こんな時に笑うだなんて!
「ふむ……あいつらは古き羊飼いの末裔だしな」アーセンはすました顔でいった。「きっと羊肉ばかりじゃモノが硬くなるんだろう。連中は不摂生だな、長生きできない」
 またしても隊で下卑た笑いがどっと起こる。リュカはどんな顔をしていいのか良いのか分からず、かすかに後ずさりした。
 不思議だ。顔のあちこちに傷をつけた兵士たちが、こんな青白い顔をした若者を慕っているようだ。ガレスはこの部隊を〈不死小隊〉といった。つまりこの人は何者で――いや、ぼくらはいったい何なんだろうか?
「とはいえ――」
 すると突然、笑っていたアーセンが険しい表情を見せる。一瞬にして兵たちは静まり返り、誰もが神妙な面持ちで注目したので、リュカも背筋を伸ばした。
「お前ら、いつだって死は一歩先にある。たとえ連中が今日はドラゴンを寄越さず、この戦がいかに楽なものであったとしても、だ」
 近くの部隊でもそれぞれの指揮官が簡単な演説を始めていて、総軍がざわついている。そろそろ進軍ラッパが始まるのだろう。兵士たちは興奮で浮つき、盾とブーツの音ががたがたと鳴っていた。リュカは心臓を吐き出しそうなくらい、ばくばくとした自分の鼓動を聞いた。
 アーセンはショートソードを抜くと敵方のほうへ向けて、
「行って、生き延びて、そして殺せ! 殺すことは罪だが――」首領殿と呼ばれた青年は再び笑みを広げる。「罪ってのは、創造神に恥をかかせる行為なんだ。やつの創造物である俺たちが、どれほど罪深い出来損ないかってことを示してやれる。こんなクソみたいな場所へ俺たちを送り込んだ神様の名前に、うんと泥を塗ってやるのさ!」
「〈灰の創造神〉にかけて! 首領殿万歳!」部隊が歓声をあげて、槍を高く掲げた。
 この男は狂人だ――リュカは思った。利口そうな見た目をしているが、こんなのを帝都の正教会が聞きつければ、貴族でも間違いなく火あぶりだ! 街で焼かれた女の人を見たことがある。肉が焼けたあの臭いは忘れられない。
「ぼうず」横にいたガレスがリュカに言った。「大丈夫だ。こう見えて、首領は味方の命だけは大切にする」
「まずいですよっ。こんなのが教会に知られでもしたら――」
 ガレスは肩をすくめた。
「ここは戦場だ。生きたいのか? それでも死んで、坊主どもに聖句を唱えられながら身体を焼かれたいのか?」
「もちろん、死にたくなんかないですよ」
「だったら坊主の心配なんかしなくていい。集中しろ。隊から離れるな」
 隊列を組み始めると、ガレスはリュカの腕を後列の方まで引っ張って自分の隣に置いた。気にかけてくれるのは嬉しかった。けど戦いが始まれば、ずっとくっついてはいられないだろう。
 やがて――両軍は息を殺したように静まった。