Neetel Inside 文芸新都
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 物事には始まりがあって、かならず終わりへと収束していく。私にとってなでしこと出会った二年間はそれなりに幸せだったけど、結局それはお互いに停滞だったのかもしれない。
 もうすぐ四月だというのにも構わず、細雪の舞い散りだした本栖湖のほとりでひとり、テントを張り出して、ローチェアに腰掛けて読書をする。このスタイルは祖父からキャンプを教わった中学生の頃から何も変わらない。ひとりのキャンプは気楽だし、これが私に向いている。
 高一の冬に誘われた学校の部活動、――「野外活動サークル」とのキャンプはそれはそれで楽しかったけれど、でもやっぱり私は一人でこうしている方が向いてると思うんだ。
 このことを、なでしこが知ったらどんなことを言うんだろうな。
「リンちゃんはまたやせ我慢してー。ほんとはみんなと……」、そんな感じか?
 ココアを飲むために、クッカーに水を入れてガスストーブに火を入れた。
 日が沈み出してから一層寒くなってくる。このまま雪が降り続くと、明日の朝には道路が凍結して原付きでは帰れなくなるかもしれないけれど、どうせ今は春休みだし、もうそれだっていい。
 コップを両手で抱えて、斜に富士山を眺めた。
 あの子には悪いことをしたと思ってる。
 「なでしこ」は私と関わることで多くの機会を失ってしまったんだ。そして、長い間彼女と居てそのことに気づかなかった私の鈍感さに苛立ちを覚える。
 はじめて会ったこの場所でーー富士山見たさに静岡から「自転車で来たんだ!」と言って――、何も食べるものを持っていないというからカップラーメンを差し出したら、やけどしながらそれを頬張る女の子の姿を見てしまったら誰だってバカだと思う、けど、彼女のあどけない子供のような笑顔の裡にある、私には到底触れることのできない星々のような煌めきったら――。
 はっとして、トイレの方へ足を向ける。
 水気のあるものを摂りすぎたか?
 女の子ひとりでキャンプは何かと物騒だから、と説教めいたことを何度言われたことか。もう私は数週間後には大学生になるのだから、一人でもやっていける。
 だから――、トイレの脇にあるベンチに目をやって、いるはずのないなでしこの姿を浮かび上げてしまう。
 ああそういえば、あいつと会ったのもここだったな。

 人間だから。色々な運命を感じてしまう。そうして心のどこかで、期待と失望を繰り返して、私はどこかで自分に嫌気が差していたのかもしれない。
 「リンちゃん?」
 暗がりにぼっとなでしこの声が浮かび上がり私に問いかける。
 「ずっと、ずっ――っと探してたんだよ!?」
 まともに取り合わずに、すたすたとテントへ向かいながら後ろを追いかけるなでしこに言葉を投げていく。
 「なでしこは東京じゃ」
 私を頼りにしなくてもどこまでも行ってしまうことができるのに。
 「あきちゃんからラインで教えてもらったの。リンちゃんなら、ここにいるはずだろうっって。どうして、って聞いたら、しまりんの考えることは全てお見通しだって……、だから私、いてもたってもいられなくて」
 大垣千明か、あいつはやっぱり好きになれない。私に対してだけどこか見透かされている気がして。
 「リンちゃん、無視しないでよ」

 「……」

 「リンちゃん、」

 「リンちゃんが大学に受かったのに、わたし、おめでとうもいえなくて……」

 泣き崩れて動けなくなってしまったのが背中越しに分かってしまって、それでいて何もとりなせずにいる。
 大学、か。うっかり忘れ去ろうとしていたけど、結局名古屋の私大に通うことになったんだった。彼女と生まれ育った場所を交差する形で、山梨生まれの私が名古屋へ、浜松生まれのなでしこが東京へ行くことになる。生きるってうまくいかないなあ。
 それで、親でも兄弟でもない、急に知り合った女の子が泣いてくれるんだから、少しは救われた気になれる?
 ……違う。
 「なでしこはさ、私といないほうがいいんだよ」
 「どうして?」
 「野クルや他のみんなと一緒にいたほうが楽しいだろうし、これから先、私なんかといるより得るものが多いと思う。大学だって、私、なでしこが受かるってずっと思ってたんだ。ああ、どこまでも成長する子なんだなって……」
 だから、私はこの雪の降り出した野で、ずっとなでしこのことを見守ってるよ。

 「それは違うよ……違う」

 急に私の腰に手を回して、彼女は頭を私の背中に凭れかけさせ、わんわん泣き出した。
 「あきちゃんがさ、リンちゃんはどうして冬にしかキャンプをしないのか、それが分かるって言ってたんだ。だけど、私には教えてくれなかったんだけど、でも、分かるような気がする。……分かりたいの」
 「なでしこ、さ。考えすぎだよ。私はひとりでキャンプをするのが好きなだけで、それ以外に理由はないよ」

 なでしこが落ち着いた頃に私たちは気を取り直し、普段通りに焚き火をして、ココアを飲んで、一緒にスープパスタを食べた。
 食いしん坊ななでしこが自分の食料を忘れたというから、私の分をなでしこに分け与え、テントはなでしこも持っていたけど、今日は気を許して、わたしのテントに招き入れた。

 天幕に吊るしたランタンを消して、テントの中に二人の呼吸だけが重なる。
 「一緒のテントで寝るの、何回目かなあ、みんなですき焼きした時やーー、そうそう、焼肉した時もだよね。なんだか、食べ物の話ばっかりしてたらお腹へってきちゃった、えへへ」
 こいつ、なんだかいつもよりよそよそしい会話をしてるな。
 「なんだか、寒いね」
 「そうだねぇ……。私がリンちゃんの分まで食べちゃったからかな、ごめんね」
 「まあいいよ。二人で背中をくっつけあってるほうが温かいし……、なんだからさ、なでしこの持ってるその寝袋と、わたしの持ってる寝袋って同じブランドのやつだだから、ジッパーを合わせて一つにしてみない?……そうしたほうが暖かいと思うし……」
 「リンちゃんそれって、」
 「変なこと言っちゃったかな、ごめん……」
 「うううん……、私は構わないよ」

 宙に消えていく、白い二つの息がかすかに縺れ合っているのが見える。
 「リンちゃんはぁ、あったかいなぁ」
 なでしこは、そんな暢気な声を上げるけれど、二人の間に僅かに開いた空間に冷気が入ってくるから私はちっとも温もっていない。
 「なでしこ、もっと寄ってよ」
 「えー、寄ってると思うけどなあ」
 「くっつかないと温まらないんだよ」
 なでしこがずいと寄ってきて、彼女の吐息の音だけがこの世界を支配する。
 「えへへ、こんなにくっついてもふもふするのさ、野クルのみんなでブランケットに包まった時みたいだよね」
 それでも尚埋め合わせることのできない壁に私は身悶えた。
 「私はどうしてか、なでしこの話に出てくる大勢の人が羨ましく思えたんだ。……部活動の友達、以前いた浜松での友達、どれも私なんかより大事なものに感じられて……」
 「そんなことないよ。リンちゃんも大事な友達」
 「じゃあ……私が一番だって言ってくれる?」
 「それは……そっか、リンちゃんはずっと寂しかったんだね。離れ離れになっても、わたしはたちはずっ――と一緒だから」
 意地なっている自分に気づきながら、それを抑えきれない。
 「違う! 違うの……そんな言葉で片付けないでよ……」
 左手をなでしこの手の上に重ね合わせて、耳元で「永遠に離れないでよ」と囁いた。

 なでしこの唇に甘くキスをして、反応を確かめる。驚いた顔を見せてはいるものの、否定の意思がないことがわかると、私はもう一度なでしこの唇の中に深く潜り込んでいった。
 「ぷはぁ、り、リンちゃ……!」
 なでしこの舌は肉厚で、湧き出る唾は甘くて、芳醇でいい薫りがする。
 「んっんっ……」
 舌を絡ませ合い重ね合い、交換しあった唾液が共有されることがほんとうに幸せだった。
 だけれど、私から求めたにも関わらずなでしこの欲しがりは、まるで私を食べてしまいそうなほど強くて、舌がふやけてしまいそうだ。これはいかん、舌が耐えられなさそう……。
 「な、なでしこ、待って」
 「えー、もっとしようよ」
 「だ、だからさ、」
 今日は、今日だけは、なでしこに自分のペースで奉仕してあげたい。いままでに貰いすぎて返しそびれたありったけを、なでしこにぶつけたい。
 「上着、脱いでよ」
 「えー、こんなところで裸になったら風邪引いちゃうよ」
 「じゃあもう知らない」
 ぷいと顔を振ると、なでしこは仕方ないなあ、と応じた。
 数枚の服が脱がれ、シャツが捲れて、ブラジャーのホックが外されると、なでしこの肌理の細やかで眞白な半身がテントの暗がりにぼおっと浮かび上がった時、同性でありながらその美しさに私は息を呑んだ。
 「横になって」
 他人の扱い方なんて全くの不心得な私が、どうにかなでしこを満足させようと胸に手を伸ばした。きっと本で読んだ通りに、すればうまく行くはず。
 首筋から胸の谷間へと、舌を使いながら愛撫の往復を始める。舌の先を転がすように、時計回りに左の乳房の上に円を描きながら、右手の中指もなでしこの右の乳房に円を描き続ける。
 「あっ」
 だんだんと円は小さくなっていき、乳首に差し掛かった時、なでしこは小さな声を漏らした。
 「んん、りんちゃんくすぐったいよぉ……」
 「やっぱり――うまくいかないなあ。本で読んだ通りにしたんだけど……」
 「どんな本?」
 「田中康夫」
 「え――……、あ、長野県知事の!ふふっ」
 何がおかしいのかなでしこは吹き出して、私もそれを真に受けて笑ってしまった。笑いが止み、またあたりが森閑に包まれると、「私の心臓の音聞いてよ」と、彼女は私の手を取って、私は応じるままに頭を胸の付け根にひたとくっつけて、彼女の心音だけを聞く。
 「私はここにいるから、リンちゃん」
 「うん」
 「それが答えだから」
 「うん……」
 どうしてか、溢れ出る涙が止まらない。嗚咽が喉の奥でくぐもり、なでしこはその度に私の頭を撫でていく。

 いつの間にか私は眠っていたらしく、テントの隙間から射す光によって、朝になっていることに気づく。手探りで、寝袋の中をまさぐっていると、体の横にぽっかりとした空間ができているのに気づいてはっとした。
 「なでしこがいない」
 私は慌てて着るものも着ずに、シャツのままテントの外へと這い出た。
 「寒い……」
 山間からの風が吹き抜け、私は両手で身悶える。なでしこの姿は見受けられず、雲のかかった富士山と本栖湖だけがそこにはあった。
 ああやっぱり、あれはなでしこなりの別れの――。

 私の名前を呼ぶ声がして、それが近づいてくる。
 「リンちゃーん、炊事場の水が凍ってて朝ごはんのお米がとげなくて――、どうしたの、そんな格好で――風邪ひいちゃうよー」
 「ううん、なんでもないよ」
 私は小走りでなでしこに駆け寄っていく。

 '17/12/09,12 '18/01/07 上梓

       

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