中学生編

――――これは、私が経験した壮絶な日々の記録である。
 
 第一章:中学生編(1)
 
 それは、12月の初め――――、私がまだ中学1年生の時の出来事であった。男性の教育実習生の授業を受けている際に…
 
 臀部が爆発した。
 
 小学生までの私は生まれつきお腹を壊しやすく、また、地元が北陸の方にあることもあって冬の時期になるとよく糞を漏らしていた。しかし、中学生になってからはお尻をコントロールする術をなぜか身につけたので(自分でもわからん)、一度も糞を漏らしたことは無かった。
 
 それでは、なぜ己の臀部は爆発したのであろうか。おそらく、その時期のストレスがたたったのであろう。
 
 私は、お腹を壊しやすいところから読み取れるように、貧弱で男らしさというものがひとかけらもない人間であった。趣味は読書と漫画を読むことであったし、部活はバスケットボール部に入っていたものの、運動神経が悪くいつも迷惑をかけていた。
 
 そんな情けない私である。同じ塾に所属するいわゆるギャル系女子たちの格好の餌食にされていた。塾の休み時間になると、私の席に4,5人の女子が集まってきて、今思えば我々はその当時思春期であったから、仕方がないと思うのだが、「マスターベーションをしてるか?」など、セクハラととも取れる質問攻めにあった。私は恥ずかしく、答えられなかったのだが、そうすると彼女たちは私の机を思いっきり叩き、「男のくせになよなよしてんじゃねえよ」と怒鳴った。

 塾に行くとそんな日々が続いた頃である。私の心はひどく鬱々としていた。女子と話すのが怖くてできなくなっていたし、またこれは後日話すことになると思うのだが、部活でも嫌がらせを受けていた。そういうこともあって、糞を抑えることができなかったのであろう。いややっぱし憶測に過ぎないし、単純に腹を壊していただけという説の方が正しいと思われる。

 そういえば、まだ糞が爆発したときの詳細について話していなかった。まず、私は教育実習生の授業を普通に受けていた。すると、お腹が急に痛くなった。すぐさま私は手を挙げ、トイレに直行することにした。そのときはいつも通り、トイレに行くまでは我慢できると思っていた…
 
 けど、現実はそんなに甘くないものだ。手を挙げた瞬間、私はお尻から何かが出てくるのを肌で感じ取った。そう、お尻から噴水のように糞があふれてきたのだ。私にはどうすることもできなかった。嘔吐するときと同じように自分の意思と関係なしに勝手に糞が溢れどうすることもできなかったのだ。ほぼほぼ水のような糞で漏らした時、音が出なかったのが唯一の救いだった。
 
 その後、黒板に集中していた教育実習生の方が私の挙手に気付き、私は一目散にお尻を抑えながらトイレに向かった。トイレで私は泣きながら、お尻をきちんと拭き、パンツを流し場で洗った。(その後流し場使った方すいません)

 トイレから帰ってくる時間が10~15分くらいかかったこともあって、クラスの多くの者が私の臀部に起こった悲劇に感づいていたに違いない。私がトイレから帰ってきた後のHRまでの休み時間のことだ。
  
 まず、一人の男子が私に突然話しかけてきた。彼はお笑いに対してかなりの情熱を持った熱き男だったのだが、私がお尻を抑えて走っていたことを「笑かそうと思って笑かさない。そんなお前の笑いが好きだぜ」となぜか褒め讃えていた。私は正直、それどころじゃねえよと心内思っていたのだが今思えば、同情を込めて言ってくれていたのかもしれない。そういうことならありがとう!
 
 ここまでは良かった。
 
 次に、私は教室中の女子の視線が私に寄ってくるのに気づいてしまった。そう、あくまで私のワンツーパンツくんは水道水で洗われただけの代物である。当然ながら、パンツにまだ糞の匂いが染みついていたのだ。後から発覚したのだが、女子たちは回し手紙をし、私が糞を漏らしたという情報を共有していたのだ。(今ではLINEでこういうことが行われているのだろう。ということは半永久的にデータが残るということである。コワッ!スマホの普及する前で良かった。)

 極めつけは、担任の先生がやってきて、明らかに私に向けて鼻をすすり、あっ…(察し)という表情で「村田君(仮名)、○○さん(教育実習生の名前)から聞いたんやけどさ、さっきの授業中大丈夫やったん?」と疑問を思い浮かべる話し方で話されたことである。それを聞いた時、いや、あんたわかっとるやんけ!と私の心が叫びたがっていたのは言うまでもない。

 そして、まあなんだかんだでHRを乗り切った私は友達と学校を出たのだが、やはり彼もまた私が糞を漏らしたことに気付いていたみたいだった。彼は笑いながら、「村田(仮名)。お前うんこ漏らしたやろ?」と私に聞いてきたのだ。
 思わず恥ずかしくなり、私は無言になった。

 そんな私に対して友達はこう励ましてくれた。
「気にせんでええで。」、と。
 私の心がこの言葉にどれだけ救われたか。

 そのままの状態で、部活に向かったほどだからね。
Bad Smell 中学生編(2)精通

私の精通は中学2年の春だった。思春期真最中で、性欲も人並みにはあった。土曜の夕方、部活終わりに、家のパソコンでAVや、エロアニメ、エロフラッシュ、エロ同人を見るのが習慣となっていた。土曜の夕方は親も兄妹も習い事や仕事の関係でいなかったからだ。

 当時の私は、小学生の時に『ToLoveる』や上戸彩で、勃起という感覚は知っていたが、それによってもたらせられるエクスタシーについては全くの無知であった。そうそれまでの人生で一回も射精したことが無かったのである。
 
 このことには、それまで親にインターネットを規制されていたのと、ジャンプを毎週買う程にしかお小遣いをもらえていなかったのが関係しているのだろう。性教育が中学1年までの時点ではあまり詳しくなされていなかったことも原因かもしれない。

 しかし、中2の春、情報の課題でインターネットを使う際、親にパスワードを教えてもらってから、上記のように隠れてではあるが、インターネットに関しては解放されたのである。そして、最初に述べたような習慣が始まった。
 
 パソコンという魔法の箱を手に入れた私は、インターネット検索でエロと調べて出てきた上位のサイトを眺めては勃起をし、また違うサイトを眺めては勃起をし、を繰り返していた。エロいものを見て勃起するという快感だけを味わっていたというわけだ。射精という感覚を知らない私にはそれが当たり前であった。その頃頻繁に見ていたのは『To Loveる』の古手川唯のエロ同人誌であった。そのため同人誌=エロいものというイメージがこの頃付いていた。

 それはさておき、ある日のことである。いつものように、古手川の同人誌を眺め、次にエロフラッシュで女の子を主観視点で犯すゲームをした時のことだ。いつもと何か違う快感が股間から漂っていた。そして、その快感を理解できなかった私は、何だこれはと思いつつも自身の性欲を抑えられず、最後にAVを眺めた…

 すると…

 突然股間から白い液体がパンツ中に出てきたのだ。それは言わずもなが、13年間溜まっていた私の精液だった。これが、私の精通だ。13年間溜まっていた膿のようなものである。その量は今でも記憶に残るぐらいすさまじかった。私は今年で21歳になるが、この8年間であれ以上の量の精液を見たことは無い。おそらく、一発でコップ一杯分くらいはあったかもしれない。

 初めて精液を目の当たりにした私は匂いが非常に強烈だったのもあり、非常に気持ちが悪く、すぐさまお風呂に駆け込み、股間をボディソープでごしごしと洗った。

 この時は、それが私の本当のBad Smell人生の幕開けになろうとは一切思っていなかった…
Bad Smell 中学生編(3) 尿切れ

中学2年の時私は精通を体験した。
そして、その日からBadSmell人生が始まった。

①尿の切れが悪くなった。

ちょうど今日、私は21歳となったが、この症状は未だに続いている。
初めて射精してからというもの私の尿道は緩くなり、排尿後竿をパンツにしまうとちょぼちょぼと漏れるようになったのだ。

漏れ始めた当初はパンツが少し濡れるだけだし、大丈夫か。そう思い、そんなこと気にせず日々を過ごしていた。

だが、ある日、小学生からの知り合いの男子生徒に「最近、あいつ臭くなったよな」と言われたのを耳にする。

そして、私は自分の臭いというものが気になり始めた。

まず、それからというものの私は立ちションをしなくなった。小だろうが大だろうが、個室で用を足すようになったというわけだ。

個室だと、用を足した後トイレットペーパーで尿を拭くことができるので、完ぺきとはいかないが後のパンツの汚れがましになるからである。

しかし、その行いも虚しく臭いはまだあったらしい。

次は同じクラスの女子から「変な匂いがする」と言われ始めた。被害妄想などではない。教室に入るとすぐに明らかにこちらの方を見て鼻をつままれたりしたのだ。ひどい時は、私が部屋に入るとすぐに窓を開けられた。通っていた塾でも同じ現象は見られた。塾では「生ごみの匂いがする」「生臭い」ともっと具体的な指摘を受けた。

後、体臭に悩む人ならわかると思うが、駅やデパート本屋などに行くと、私の目の前でわざと大きく鼻をすすったり、私のことを鼻を摘まみながら上から下まで流し見する人もいた。

あの行為は何なのだろう。色々な性別、年齢の人が共通に行うのだ。

そのため、私は人類が元はアダムとイヴの二人だったというキリスト教の考え方はあながち間違っていないかもしれないと思った。

中学時代というものは世間一般で中二病と揶揄されるように精神的に多感な時期である。

私もそうであり、上記の経験からトイレに行くこと自体が恐怖の対象となった。
『トイレに行く=匂いが発生する』
当時の私はそう思い込んだのである。

朝トイレに行かず、学校に行きそのまま帰宅するまで尿道が痛くなるまでトイレを我慢し続ける時もあったし、トイレに行った後、消臭力や制汗スプレーを股間に振り続けたこともあった。また、これは今でも行っていることだが、トイレを1回するごとにパンツを履き替えるということもした。後、塾に行く前は部活終わりなので気持ち悪いからシャワーを浴びるという口実を作って、股間を念入りに石鹸で洗っていた。

はっきり言ってこれは異常な行動である

一応言っておくが、私は潔癖症などではない。単純に人に迷惑をかけるのが、後毎日風呂に入っているのに、不潔だと思われるのが嫌だったのだ。

しかし、依然として私の臭いは消えなかった。

股間を丁寧に洗っても臭いの指摘は続いたし、お腹が痛くなるまで尿を我慢してもやはり臭いの指摘は続いたのだ。

この時期、私の心は次第におかしくなっていった。
Bad Smell 中学生編(4)対人恐怖症
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【コメント】中学生編最後の文、この時期から~の方が良いですね打ち間違えました。
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②対人恐怖症の始まり
 自己の臭いに以上に敏感になった私は、対人恐怖や人間不信に苛まれ始めた。症状は次のような感じだ。

 ・どんな場所でも私の近くに人が来た時、自己臭に対する不安がよぎり、心臓がバクバクし避けたい気持ちに。特に、エレベーターや電車、バスなどの密室空間においてこの傾向は強く、それらの空間では私は常に俯いているか寝たふり、もしくは本を読んでいるふりをした。(心臓が信じられない程バクバクなっているのでそういった場では、何の作業もできない)

 ・自分の臭いで不快な顔されるのを見るのが嫌だから、本屋やコンビニなどのレジの店員と目線が合わせられなくなった。また、歩くときはいつも、地面を見ながら歩くようにもなった。

 ・本当に心を許した親友、または肉親以外コミュニケーションを取らなくなった。それ以外の人だと、接している時常にこの人は、私のことをどう思っているのだろうか、不快に感じてないだろうかとずっと考えてしまい、まともな会話ができないからだ。恐怖から声がどもるし、ひどい時は挨拶をされても声が出ず返せないこともあった。

 ここで述べたのはあくまで一例である。

③学校生活においての支障
上記のような一種の精神障がいに悩まされた私の学校生活がめちゃくちゃになったのは言うまでもない。学校というものは集団が大切にされる場であるからだ。私は親友以外とコミュニケーションを取らない、つまり、はじけ者だ。また、体臭が臭い。嫌われるのは当然である。

確かに、それまでも、いじめをされていたが、部活や塾など小規模なものだった。しかし、このことにより、規模が変わってきたのだ。同じクラスの多くの男子や女子までもが私をいじめるようになった。私が教室にいると聞こえる声で「くっさ」と言いながら私の方をみて鼻を摘ままれたし、掃除の時間私が真面目に廊下を拭いていると掃除をさぼっていた人間が気に入らなかったみたく、その後、先生に向かって大きな声で「村田君(仮名)が掃除サボってたんです。」と言ったりもした。また、私が挨拶をしても、声が出せないので、会釈だけをして通り過ぎることをネタにして、無視していると言い罵倒し、ひどい時は私が友達(男しかいない)としか話していないからホモだとか、金持ちで調子に乗っているなどと真っ赤な嘘を広められもした。
 後、忘れられないのが、体育の時間のキャッチボールでの体験だ。何度もわざわざ私がミットで取れない方向にボールを投げ、「ごめん手が滑った」などと言い、私に拾いに行かせるというようなこともあった。私はその行いが勿論嫌で、言葉に出すことができないので、一度反抗して取りにいかなかった時もあった。すると、その相手は私の体にめがけて思いっきりボールを投げられた。
皆が私にこのような行いをしたのは、私がコミュ障で言い返す勇気もないし、先生や家族に相談している様子もないし、嫌がらせをしても返ってくるものが無いからであろう。

私は大学時代にも同じ理由から、同じ学科の方にたくさんの罵声を浴びせられたことがある。その時はこの時の反省を活かし、その中の多くの方が見られていたので、私のTwitter上でやめて欲しいと仄めかす旨の文章を投稿した。
もちろん、私の症状についても記したし、いじめを受けていた経験についても書いた。しかし、理解してもらえることは無かった。罵声は続いた。私が同じゼミの方に挨拶されても返せないことが多々あり、私に無視師(蟲師)というあだ名を付けられていることを偶然知ってしまったこともあった。また、これは、私が完璧に悪いのだが、私が同じ学科の人を嫌いだという間違った噂も流された。嫌いではない。逆に多くの方と接したいと思っていた。しかし、過去のトラウマから声をかけることも、挨拶をすることもままならない。学科の授業を受ける時は、また罵倒されると思い、その不安から例のごとく心臓はバクバクし、体が震え始める…
結局、私は今4回生になろうとしているが、大学3年間を通してまともに関わった同じ学科の人間は3人だけである。(全員男)彼らは私の性格を考慮して受け入れてくださった。そのためか不思議なことに、それらの人には挨拶もできるし、普通に話すこともできる。私は一度退学を決意したことがあったのだが、留まっていられたのは彼らのおかげである。本当に感謝したい。

文が予定より長くなってしまった。きりも良いし予定があるので、今回はここで終わらさせてもらう。中学生編であるのに、大学時代の話が多くをしめてしまった。実に申し訳ない。次はもっと中学時代の話を掘り下げたい。
Bad Smell 中学生編(5)部活でのいじめ

今回は前触れていた部活でのいじめエピソードについて掘り下げたいと思う。
私は中学生になったとき、運動音痴であったが、兄が入っていて楽しそうにしているというだけの理由でバスケットボール部に入ることにした。
入ったとき、初心者は3人。その内1人は私。もう2人は小学生の頃からの友人たちだった。彼らとは共に練習をし、励まし合う仲間だった。
しかし、練習がすこしハードなこともあって、彼らは2人とも私に何も告げることなく、3か月ほどで幽霊部員と成り果てた。1人は小学生の頃から虚弱体質で無理していたこともあるので仕方がない。
しかし、もう1人は母親には部活に行っていると嘘を付き本屋で時間をつぶすなどをして、1年間も嘘を付き続けた少しずるい人間だった。ちなみに、彼は中学生編(4)で私のデマを流したと言っていた人間の1人である。彼は私と同じ小学校に通っていたということを悪用しありもしない私の過去話を広めていた。

本題に戻そう。2人がやめて、結局1年生時、バスケ部で初心者であるのは私1人となった。練習はハードであったが、頑張れば頑張るほど下手ながらも少しは上達していくので毎日の練習が楽しかった。また、兄が一緒にいることも良かった。疲れたときの心の支えであったし、何よりおっとりした兄がいることで、部活の雰囲気も和やかになっていたからだ。

けれど、兄は2つ年が離れているため、私がバスケの魅力に気づいた矢先引退した。それから、何かが狂い始めた。

最初に、兄が居なくなったことで、先輩たちの態度が明らかに変わった。私は引っ込み思案なところもあったので、兄という通訳が居なくなったことで、関わりづらくなったのであろう。ここまでは良かった。
次に、私が中学2年生になる頃、部活の顧問の先生が変わった時、事態は急変する。新しい顧問はバスケを心から愛しており、とある海外の有名バスケット選手のところにアポなしで訪問し彼の自伝の中に掲載されるほどの人間であった。そのためか練習はとにかく厳しかった。それまでの朝練は自由参加だったのだが、強制参加になった。また、その時間は朝8時から朝6時半からに。また、夕方18:00まで(後片付けも合わせてほぼ18時半まで)練習があった。土日も毎回練習があり、もちろん強制参加だった。
練習内容ももちろんハードだ。校舎の周りを何周も走らされ、体育館を何往復も走らされ、タイヤ引きをしながら運動場の端っこで何往復もさせられた。ボールを使った練習も走ることを重視し、体育館の端っこから端っこまでを使って走りながら、パスをする、シュートをするなどの練習をした。無論、私は付いて来られず、よく失敗した。
そして、そのことがハードになった練習ですでにイライラしている先輩たちの気を触れいじめが始まった。鞄に食べかすやおにぎりのゴミを入れられたり、練習試合の時、人前でパンツごとズボンを脱がされたこともあった。普段本屋ですれ違ったとき私が気づいていなかっただけなのに、「何無視してんだてめえ」と怒声を浴びせられたこともあった。
また、試合で先輩方が負けたとき、私が喜んでいたという難癖を付けられ、暴力を振るわれたこともあった。

 幸か不幸か部活では、練習による汗臭のおかげで皆が臭うので私のbad smellによるいじめは無かったのが救いである。

最近思う皆が臭いか、臭いが無い世界が生まれれば良いのに…
Bad Smell 中学生編(6)いじめ

 私は体臭によって人生が一変した。自分に自信が持てなくなり、それまで引っ込み思案ではあったものの、クラスの男女とは誰とでも普通に話していた私は、友達以外とあまり話さなくなった。

そして、外出しなくなった…

私は、学校と塾以外、外に出なくなった。

学校に行けたのは、今でも連絡を取り合う大親友と呼べる3人が一緒だったからである。彼らは、私の臭いの変化に気付いていたが(よく直接指摘された)、それまでと同じく接してくれた。私は毎日が辛かったが、彼らのおかげで学校へ行く理由ができた。

私たちは、皆いじめられっ子だった。しかも、いじめを行っていた相手は一緒。警察官の息子のH君。彼はカリスマ性があり、私たちのクラスの不良を引き連れていた。そして、人の不幸が大好物だった。
まず、4人の内の1人のM君をいじめ始める。M君は眼鏡をかけた好青年。私と一緒にバスケ部に入ったあの初心者の内の1人である。彼は体を壊しやすく、よく学校を休んでいた。そんなM君はある日何を思ったか、万引きをしてしまった。

そして、M君はひどく反省したにも関わらず、H君は、「あいつは人の物をすぐ奪う、」などとつけ加え彼が万引きしたことを同じ学年の人間に言いふらした。M君はそのことに絶望し、クラスに来なくなってしまった。彼は特別教室で授業を受けるようになった。結局卒業まで彼は普通のクラスに戻らなかった。

残り3人の私たちは一緒になってM君のことをH君に、「確かにM君がやったことは許されることじゃないけど、そこまで広める必要はあったのか」と抗議した。

H君は私たちが反論したのが許せなく、今度は私たちをいじめ始めた。

先頭に立って抗議した、また、その頃体臭が臭くなり、対人恐怖症になり、精神障がいレベルになっていた私が特に被害にあった。それが第4章に書かれたキャッチボールの件と掃除の件とデマを流された件である。どれも同じ人物が中心となって行っていたのだ。他にも、掃除が終わった時机を反対にされていたり、テストを教壇に取りに行ったときに足を引っ掛けられたり、テストや成績表また、私が読んでいた朝読書の本を机やカバンから取り出しクラス中の男子に回されたりもされた。
 
皆楽しそうに私をいじめ、私が嫌がる様子を喜んでいた。

しかし、そんな絶望の淵に立っていた私を2人の友達が助けてくれた。私を励ましてくれた。H君のいじめられっ子であったK君とT君だ。K君はあの糞漏らし事件の時「気にせんでええよ。」と言ってくれた者だ。

自分は一人じゃないんだ。そう思えた。

私の居場所がそこには確かにあったのだ。

塾はというと、女子には嫌がらせを受けるし行くのは非常にだるかったが、親にお金を払っていてもらっていたので行かないのは申し訳なく、通っていた。人に迷惑をかけるのが私はひどく嫌なのである。

しかし、塾に通いながらも私は勉強することを放棄していた。もちろん、成績はだんだんと下がっていった。勉強をするふりをして、ゲームをしたり、漫画を読んだり、など明らかなサボりも始めた。
この時の私は、いじめや体臭の問題からもう高校は行かない、そう決心していたのだ。

中学を出たら、私たち親友は離れるかもしれない(実際そうなった)。つまり居場所がなくなる、その恐怖も理由の1つだった。
Bad Smell 中学生編(7) 狂う①(若干修正版)

 いじめや自己臭による恐怖で人間不信、対人恐怖症に陥った私は、自分なんていらないと心の中で呟き続けて、また更に狂い始めた。
 
 これには、この時期、仲が良かった先輩が風呂場で冬の温度変化による事故死したのも関係している。先輩じゃなくて私が死んだ方がこの世のためになったのではないか、そう思ったのだ。

①自殺未遂

 私のような人間はこの世に必要無いと思い自殺未遂を繰り返すようになった。

 まず、かけ布団を自分の頭に包み、空気を無くして窒息死しようとした。

 手首を爪で血が出るまで引っ掻いた。

 目をつぶって道路を渡ったりもした。

 しかし、死ぬことはできなかった。当たり前である。だって、私は本当に死のうという意気込みをもっていなかったのだ。

 確実に死にたいなら、手首を刃物で直接切れば良いし、窒息死したいなら、首をロープで引っかければ良い。

 私はそれができなかった。中途半端で、臆病で情けない人間だ。

 ②家の物に八つ当たり

 体臭が気になり始めた頃私は、対策をしなかったわけではない。自分の全財産を叩いて3000円以上の糞高い防臭パンツを買ったし、用事などで否応なしに電車などに乗るときは、他の人と距離も取っていた。人が多い電車は乗らなかったこともあった。

 風呂に1時間以上入ってその8割は体を洗うことに使った。(今でもこの習慣は続いている)

 トイレも時間があるときは30分かけてなるべく尿が漏れなくなるまで股間から尿を出し続けた。

 制服のズボンは毎日洗濯した。

 防臭スプレーを毎朝体に振っていた。

 脇用のデオドラントロールも塗っていた。

 ファブリーズを毎回出かけるとき、着る服にかけていた。

 しかし、そんな様々な配慮も虚しく私の体臭は人に迷惑をかけまくっていた。

 世間的には、当然だが、

 『体臭がきつい=悪者。不潔。風呂に入っていない』という図式となる。

 私がいくら努力しようが、外で私のそのことを知る人など居ない。なので、心無い言葉をかける者がいたのだが、それは仕方がないことだ。
 
 しかし、私にはきちんと周りに配慮をしている、風呂にも入っているという事実もある。

 私のその行動と裏腹な現実に次第に、当時は若く感情がコントロールできず、怒りが溜まり始めた。

 家中のドアやクローゼットなどをわざと勢いよく閉めたり、パンチをしたりした。何度も何度も。結果の無い努力に怒りを込めて。

 そして、家中の家具はボロボロに。

 親には勿論怒られた。叩かれもした。

 当時は反抗期なこともあってむかついたが、今となって思うと、親が行ったことは至極当然なことだったっと思う。

 それだけ真剣に私のことを考えていてくれたということなのだから。本当にひどいのはそのような子供の行動に無関心な親である、と思われる。

 実は、自分の体臭については親にも相談していたが、私のことを考えてか、それは気のせいだと言った。実際に指摘されている事についても話したが、違うと一点張りだった。これも今思えば親なりの思いやりだったのだろう。感謝したい。

 私も親が言うように無かった事にできたら、この時期どれほど楽だっただろうか。気にしいな自分をひどく憎んでいた。
Bad Smell 中学生編(8)狂う②

 ③兄の財布からお金を…

私は両親に自分の尿切れと体臭について相談して、その時期CMがよく流れていたハル〇ケア、体臭用ボディソープを買って欲しいと、と頼んだ。しかし、前述の通り私の両親は私の臭いを無い物としていたので、後、体臭対策グッズは需要が少ないためか、割高なため、買ってもらえなかった。

勿論、防臭パンツを、大金をはたいて買ってしまった私にそれらを買うお金はない。(図書カードは結構持っていたが。)

その時期自殺未遂をする程、体臭に悩み頭がおかしくなっていた私は、あろうことか、兄が学校に行っている最中に財布からお金を抜き取り、ハルン〇アを買ってしまった。無論犯罪である。許されるべきことではない。当時の私は本当に馬鹿だった。今でも反省してもしきれない気持ちだ。

すぐに、兄は私の犯罪行為に気づき、ことを内密にし、後でお年玉から私が返すこととなり一旦落ち着いた。が、その数日後、私が出かけている時、法事で集まっていた親戚一同の前で私の行為を暴露した。

そして、私は親戚一同に叱られ、両親には叩かれ、「お前なんか産んだ覚えはない」と言われ、家から追い出された。それで、私は冬の寒い中、近くの公園で、3時間ベンチで座ることとなった。その時、思慮をめぐらし、やっと自分のやったことの愚かさに気付いた。

人の物を盗む、当たり前だが絶対にやってはいけない行為だ。当時の私は目先のことに悩み過ぎて、そのことにこの時まで気付けなかった。とんだ阿呆だ。

結局図書カードで兄に全額返金し、この事件は閉塞した。

私は二度とこのような行為はしないと心に誓った。

 ちなみに、その愚かな行為の結晶であるハルン〇アを何週間か服用したが、結局私の尿切れは何も改善しなかった…

 
④母の優しさ

母は私が本当に自分の臭いについて悩んでいることを、皮肉なことに、私の先ほど述べた頭のおかしい犯罪行為で気づいたらしい。ある日、突然、私に尿切れに効く薬を買ってきてくれた。
私はそれを受け取ったとき、母親の優しさに触れて思わず涙が出た。

しかし、結局、その漢方も効かなかった。

そこで、薄々と気づいたのだ。私の尿切れはもう完治しないんだろうな、と。

そして、高校に行くことはもうやめよう。

これ以上親に迷惑をかけたくないそう思った。
Bad Smell 中学生編(9) 狂う③

 高校には行かないと決めた私に更なる悲劇が襲う。

⑤失声症に
 
 私が肉親と友達など信用できる人以外まともに話せなくなったことは既に語ったが、その症状は更なる悪化をたどったのだ。

 それまでも、言葉につまったりしたが、何とか頑張れば、該当しない人に対しても、話すことはできた。H君に反論した時などがよい例だ。

 しかし、中学2年生の夏の始めの頃のある日、突然そういった人々に対面すると、全く言葉が発せなくなってしまった。(今ではだいぶ緩和した)
 
 家族でファミレスに行ったときのことだ。(私は他人に迷惑をかけるのが嫌で抵抗したが、母に無理矢理手を引っ張って連れていかれた。)

 皆が注文し始め、私の番となったが、私は、店員さんに注文をすることができなかった。言葉を発しようと思っても、声が出なかった。どれだけ喉を振り絞ろうが、それは無意味だった。仕方なく、私はメニューに指を指して料理を頼んだ。

 その日だけかと思ったが、この症状は中学卒業までずっと続いた。
 部活の後輩や同期に話しかけられても、声が出ず、彼らをガン無視したみたいになってしまった。(余談だが、同期には、言葉を発しようとして息を吸うとき、スーッと吸うので、よく真似をされた。しかし、それ以上のことはされなかったし、それを笑って受け入れてくれた。)

 クラスでは、クラスメイトに話しかけられても、私は言葉を返さない。なので、体臭も合間っていつしか友達以外の人間が近付こうともしなくなった。(それすらいじめのネタにするH君一派を除いて。)

 この事は交友関係にもヒビをつけた。意外と思われるかもしれないが、実は私にも小学生時代には女友達がいた。

 中学生になってからは疎遠となっていたのだが、ある日、廊下でバッタリ会い、話しかけられた。しかし、何度話しかけても、私が一言も返さ(せ)なかったので、「何で無視するん?」と言い放って、泣き出し、それ以降会っても無視されるようになった。

 この症状は今では、緩和した。声が出辛い時や詰まったり震えたりするが、緊張しない時、もしくは突発的でない時は誰とでも話ができるようになった。ただし、いじめや悪口を行った人間の場合、今でも、その程度によっては全く会話ができないことがある。

 最近、調べて分かったのだが、これらは明らかに失声症の症状だ。
 いじめは私に心理的障害だけでなく、物理的障害をもたらしたのだ。
 
 いじめを犯罪行為として法で裁く権利を認めて欲しいものである。
 Bad Smell 中学生編(10)希望(若干修正版)

 中学3年の初め、私は、高校に進学したくなくなっていた。
 
 理由は多々ある。家族にこれ以上迷惑を掛けたくないから。新しい環境かつ友達がいない、自分の居場所がない高校という場で、体臭や失声症や挙動不審な私の動きなどで自分がクラスメイトに迷惑をかけることが怖かったから。また、それによってまた、いじめや疎外が起こることを懸念していたから。などなどだ。

 けれど、この私の心は少しずつながらも、変わっていくこととなる。
 
 私の置かれた状況がだんだんと良い方向に進んでいったからだ。

 ●いじめが無くなった

 幸い、中学3年生のクラスには、H君はいなかった。

(余談だが、2年生の後半に、H君はあろうことか、私の中学校の生徒会長に立候補した。ちなみに、立候補者は2人だけで、もう一人の方はいじめとははるかに程遠い真面目な好青年な野球少年のI君だった。H君は部活の後輩や、自分のクラスの生徒に権力を使って、無理やり票を入れさせていたが、見事に彼はぼろ負けした。因果応報というやつである。)

 また、友達とは離れたが、バスケ部の同期や小学生の頃からの知り合いもそこには数人所属しており、2年生の時よりはるかに居心地がよかった。(友達という友達は結局1人も作れなかったが。)

 私は相変わらず対人恐怖症で、体臭は臭かったが、(その知り合いの1人に鼻を摘ままれて「お前臭くね」と指摘されたが、それ以外は何もなかった。)クラスの方々は皆受け入れてくれた。毎日のように話しかけてくださったし、私が答えられなくても笑って許してくれた。

 それには理由があった。前回語った私が泣かせてしまったあの元女友達が、私が中学2年生の時、いじめられていたことを噂してくれていたのだ。私も人伝いで聞いたので詳しいところはわからないが、どうやら、彼女はあの時、私のあまりの豹変ぶりに驚いて、真相を確かめるべく、彼女の親を伝って、私の母親に私に一体何が起きたのかを聞いたらしい。

 友達との関係を除いて疎外感ばかりを感じていた2年生の頃とは大違いである。私の心も少しばかり晴れ始めていた。塾も、その時期にちょうど志望高校難易度別のクラスに分かれ、私をいじめていたあの女子たちとは離れることになった。そのため、居心地が少しばかり良くなっていた。後、少しでも迷惑をかけまいと、塾に行くとき、タイツを3重に履いて行って、どうやら効果があったらしく、臭いの指摘を受ける回数が減ったのも関係している。

 まあ、何はともあれ、私の人生は少しながらも、明るい方向に向かっていた。

●母親の愛情

 中学2年生の時にいじめや体臭に悩み始めてから、中学3年生の夏ごろまでというと、私は絶対に高校に行かないと腹をくくり、勉強したふりをしてゲームボーイアドバンスで遊んでいたり、漫画を読んでいたりしていた。全く勉強していなかったので、成績はだだ下がり。塾に通っているにも関わらず、テストの成績が学年の下位の方にずっと入るように。

 そんなこともあり、母親は私のことを心配して、きちんと勉強しているか私の部屋をそっと覗き込みにきていた。それで、私の行っていた愚行が幾度か母の目に止まった。結果、ついに堪忍袋の切れた母親はまず、私のゲームボーイアドバンスをたたき割り、次に、私の愛読していた漫画をびりびりに破った。そして、私の部屋を無くし、リビングに一つの机を囲むように衝立を置き、そこで勉強することを私に強制した。無論、私が勉強しているかを常に自ら監視するためである。疲れて寝ていたり、サボったりしたら、その都度ちゃんとしなさいと言われ、叩かれた。

 当時は母親が怖くて仕方なかったが、このおかげで私は嫌々ながらも勉強ができたわけである。それは後の高校受験の時に非常に役に立った。

 この一見、虐待とも取れる行動も、私を真人間に育てたい、高校に行かせたいという思いから生じた母親なりの愛情表現だったのだろう。大人になったいまだから言える。お母さんありがとう、と。私も、子ができたら、暴力は絶対しないが、母親のように真摯に子供に向き合える親になりたいと思う。
Bad Smell 中学生編(11)反面教師(若干修正版)

元女友達のおかげで私に対してのいじめは無くなった。

しかし、いじめがもたらした後遺症は想像以上のものだった。

クラスメイトの方々に、私のような貧弱な人間をわざわざ受けいれてもらえていながら、いじめのトラウマから、彼らを信じることができなかったのだ。

無論、そのため、失声症の症状から話しかけられても、何も返せない。とんだ薄情者である。クソ野郎にも程がある。クラスメイトの方々、本当に申し訳なかった。

そんな私は、友達が1人もいないクラスだったということもあって、(M君は一応クラスに居たが、いじめのトラウマから、特別教室にしか通っていなかったので、教室にはいなかった。)1年間、クラスでは誰ともまともに話せない、という自分の意思とは裏腹に無言キャラを貫き通すこととなった。

学校に行きながら、1日中誰とも話さなかった日も多かった。

そんな日々が続いて、私は学校に行くことがただの作業となりつつあった。
登下校時の感情は無。
いつしか表情も無くなり、常に無表情に。
その顔はまるで、サイボーグである。

別に何も怒ってないのに、表情のせいで「怒ってるの?」と同じ班の方に指摘されることも多々あった。また、これは至極当然のことであるが、話しかけたら、睨まれる(私としては睨んだつもりはない)、また、怒ると思われていたみたいで、私に話しかけ辛いという話を耳にしたこともあった。
(大学生になっても、この表情に関しては、よく指摘される。癖になってしまったのかもしれない。それが悪口に繋がってるし、変えなければと今思っている。)

要するに、いじめが無くなり、毎日が楽にはなったが、私は依然としてまともな学校生活を送れていなかったというわけである。

このことは、いじめが原因であるが、元はと言えば、全部私のせいである。(中学3年生に至っては全方面で私が悪い。私はなんてクソ野郎なんだ)

中学2年生の時点で、いじめっ子にいじめをやめて欲しいと大声で直接訴えたり、親や先生などに対していじめを相談したり、などいじめというものを根本的に無くす努力をすればよかったのだから。そうすれば、もっとまともな学校生活を送れていた筈だ。

(後に大学の学科でも似たようなことがあったが、その時も私はいじめというか疎外されるのが嫌で、声に出せず、Twitterでしか訴えることができなかった。Twitterなんて所詮文字の羅列である。書いている人間の表情も声も、思いも伝わらない。また、読み手によっていくらでも自分の良いように解釈できる。よって、相手の心に響くはずもないし、正しく思いが伝わらないことも多い。事実、私の場合、逆効果で茶化されたり、ナルシスト、中二病、自意識過剰など真剣に悩んでいたにもかかわらず、心無い言葉を受けた。)


当時の私は(実は今でもそうだが、)自分に自信が無く、人に迷惑をかけないようにと自分について話すことに対して慎重になり過ぎていたと思う。

もっと自分をさらけ出せば、良かったのに…

自分に自信を持って、前に踏み出せば良かったのに…

最近、Twitterで話題になったハッシュタグにあやかるわけではないが、私のこれらの叫びが中学生の自分に届いたらどれだけ良いか…

もしも、この拙書を読んでいる人の中でいじめを今受けている方がいらっしゃったら、私はあくまで反面教師なので、どうかそのいじめを行っている相手に対して、訴えたりなど直接的行動をして欲しい。もちろん、SNSは真剣に受け取って貰えないので、自分の声で。

おそらく、何か変わる筈だから。
 これまでの時系列

 思い出したままを文にしていたら、時系列がぐちゃぐちゃになっていたので、まとめました。

 (1)→中1の冬
 (2)精通→中2の春
 (3)尿切れ→中2の春~夏頃まで
 (4)対人恐怖症→中2の夏頃~秋頃まで、大学2回生
 (5)部活でのいじめ→中1の春頃~中2の夏頃まで
 (6)いじめ→中2の夏頃~終わりまで
 (7)狂う①→中2の夏頃
 (8)狂う②→中2の秋頃、冬頃まで
 (9)狂う③→中2の夏頃~秋頃、冬頃まで
 (10)希望→中3の春~夏頃まで
 (11)反面教師→中3の夏頃~、
Bad Smell (12)高校受験

私は母の監視のもと、毎日受験勉強をせざるを得なくなった。しかし、実は、私は最初のうちは嫌々やっていたが、様々なことを覚えて、それをアウトプットすることにいつしか、楽しみを感じていた。
というのも、そもそも私は体臭に悩む前は勉強をすることが大好きだったのだ。つまり、その時の感覚を私は取り戻していったというわけである。

高校に行かないと決めていた私だが、この時期(夏休みあたり)になると、部活も引退しており、少し冷静になっていたので、将来のことを思い、考え方を改めて、高校に進むことにした。

次の問題は、どの高校に進むかである。
母と祖母と何度も相談し、(どんだけ家族に迷惑かけてるんだ私は…)結局、私の中学校の生徒ほぼ全員が滑り止めで受ける、市外の私立高校に行くこととなった。

私は正直市外だと時間がかかるし、(事実1時間以上かかった)、市内の高校に通いたかったのだが、母が先生に絶対に私立の方が良いと、猛アピールした。また、その高校以外、受験を受けることを許可してくれなかった。(高校受験は親の署名が無いと受けられない。)

今思えば、母の判断は正しかった。市外の高校だと、いじめを行った相手と離れられる。また、さらに、そのことで心機一転し、高校デビューを果たし、そして、いじめで失った楽しい学生人生を取り戻せる可能性も大いにあったからだ。

(結局、私はそれができなかったのだが。本当に母には申し訳ないと思っている。)

間をかなり飛ばすが、過去問や塾での勉強を経て万全の対策を施し、いよいよその高校の受験当日となった。外は大吹雪。十数メートル先が全く見えないレベルだった。中学校が出した行きのバスは、早めの出発のおかげでどうにか間に合ったが、高校付近はかなりの大渋滞だった。

それはさておき、私は、かなり緊張していた。初めての受験かつ面接もあったからだ。

面接があるのは、私が応募したのが特進コースであったからだ。なぜそれを選んだのかというと、受験時の点数が上位だと、このコースでは授業費が免除されるからだ。いわゆる奨学生というやつだ。私はそれを狙っていたのだ。

私がこの時、緊張していたのにはもう1つの理由があった。試験当日、高校の玄関に入った特に気づいたのだが、私は上靴を家に忘れていたのだ。

そのため靴下で受験し、面接を受けることになってしまったのである。機転を利かせて高校にスリッパなどを貸してもらったら良かったのだが、この時の私は緊張のあまり、そんな考えは浮かばなかった。

最初は『靴下で受験!?えっ絶対落とされる!!』という風に頭の中がパニック状態だったが、母親にもらった精神安定剤を朝に呑んだこともあって、試験が始まる頃には収まっていた。

そして、幸いなことに私が靴下で受けていることは、試験時には気付かれなかったし、また、面接時には室内で行われたため皆が上靴を脱いでおり、やり過ごすことができたので、事なきを得た。

面接の時は、当時失声症で悩んでいた私だが、今朝呑んだ薬の効果があってか、もしくは、絶対に話さなければならないという極限状態だったためか、はたまた母と何度も面接の練習をしたからか、目線を合わせず、吃りながらではあるが、質問に答えることができた。

その、数日後(滑り止め受験者が多いため結果が出るのも早い)、その結果が出たが、見事合格。さらに狙っていた奨学生にもなれた。

母が、私を監視しなければ、精神安定剤をくれなければ、面接の練習をしてくれなければ、この成功は無し得なかったはずだ。何度も、何度も言ってる気がするが、母には感謝の気持ちでいっぱいである。




sage