高校生編

Bad Smell 高校生編(1) 入学式

奇跡的に無事、高校に入学できた私だったが、ここで1つ問題が出てきた。同じ中学生の皆が滑り止めで受けたのは、あくまで普通科だけで、進学クラスを受けたのは私1人。つまりは、進学したは良いものの、そこには、知り合いが1人もいなかったのである。

体臭のこともあり、対人恐怖症になっていた私にとって、このことはほとんど死刑宣告も同然である。

考えてみてほしい。1からまた、自分の匂いを受け入れて、友達になってくれる相手を探さねばならないのだ。

人は第一印象を大事にする。体臭がキツイ相手には不潔というイメージが付きまとう可能性が高い。
(現に後に大学ではそのことが風呂に入っていないというデマを流されることに繋がった。)

そのため、入学式の時、私はそのことに対する不安から、体が震え、尋常じゃないほど脈を打ち、自分の知り合いが同じクラスにいるという幻覚さえ見た。

そして、入学式の後、HRで先生の自己紹介が終わり放課後になると、他の皆が楽しくお喋りをしている中、すぐさま、私は1人教室を飛び出した。

馬鹿な行為である。第一印象を気にするあまり、クラスの中で、第一印象が一番悪い人間になってしまったのだから。
Bad Smell 高校生編(2) 通学(若干推敲版)

今までは、家から歩いて10分もかからない距離の市内の中学校に通っていた私だったが、高校は市外。電車で通わねばならなかった。

通学時間は一番早くて1時間程。

私の地元はドがつくほどの田舎で電車の本数もあまり無かった。なので、最悪でも、7:30には家を出ないと始業時間に間に合わなかった。そのため、NHKの朝ドラのOPが私にとっての登校の発進合図だった。

また、その時間に間に合わせるには用意諸々も合わせて、最低でも6:50頃には目を覚まさないといけない。

私は人に迷惑をかけないようにトイレを外でしなくなったという話を前にしたが、この時期も続けていて、朝7:00頃に家でトイレを済ました後、学校に向かって以降全くせず…

進学クラスは18:00まで授業があったので、帰りの時間も合わせて、12時間トイレを我慢していた…

そんな長い間人間はトイレを我慢するように体が出来ていないらしい。

これを読んでいるほとんどの皆さんが予想している通り、無論、よく膀胱が爆発していた。よくと言っても月1くらいだが、年齢を考えるとよく、だろう。

(余談だが、脳が制御しているのだろう。漏らす時は必ず放課後で、学校を出た直後だった。)

不幸中の幸いなことに、私の通っていた高校の近くに父が働いている会社があり、19:00頃が退社の時間だったので、漏らした時には電話をすると、向かいに来てくれ、電車に乗って迷惑をかける。ということは無かった。

ただ、父がかけつけるまで最低1時間はある。だから、そんな時私は、おしっこにまみれたズボンを履きながら人通りの少ない川辺で蹲っていた。誰にも顔を見られたくないからだ。

その時の私の頭の中は高校生にもなっておしっこを漏らした私への呆れと父への申し訳なさでいっぱいだった。

こんな馬鹿な息子の相手をしてくれた父には感謝したい。
高校生編(3) ドブ色の高校生活

 入学式での1件からもわかるように、私は高校生になっても対人恐怖症が全くと言っていい程治っていなかった。
 また、失声症も続いており、なんとばかげたことだろうか。5月中盤まで、クラスメイトの誰とも喋ることさえできなかった。勿論話しかけられても、だ。
 しかし、奇妙なことなのだが、高校の先生方とは話すことができた。大人は私を裏切らない。この時はそういうふうに思っていたのだろう。といっても、授業中突然、発表を当てられたりすると相手が大人でも、周りに人がいるからか、答えられないことが多々あった。そのために、よく怒られもした。

 高校に入学して分かったことは、進学クラスがいかに大変かということだった。
 授業は毎日8時限目まであり、なぜか英語のテキストを何度もクラス皆で一緒に大声で(皆の声が小さいと大きくなるまで延々と続けさせられる)朗読するコーナーが存在した帰りのHRを含めて、最短でも18時までは拘束された。
 また、朝のHRは朝のHRで英単語の意味を答える単語テストが必ずあった。その出題範囲は単語帳に記載された50語の中からランダムで10語が選び出された。そして、3問間違えたら必ず居残りで、再テストの場合満点を取れるまで帰らしてもらえなかった。
 それぐらいできらぁーとお思いの方もおられるだろうが、進学クラスは宿題も山盛りである。当時の私はまだ高校の授業を習い始めたばかりだということもあって、それらをこなしていくだけで、あっという間に真夜中を迎えることがほとんどだった。
 そう、つまり、英単語を覚える時間などほぼ無かったのだ。よって、私は寝る前に英単語帳を取り出し、何度も何度も復唱するのが日課となっていた。なぜなら、脳科学的に寝る前が一番物事を覚えやすい時間だということを何かの番組で知ったからだ。まあ、要するに、覚える時間を少しでも減らしたかったわけである。(そのまま寝てしまい、朝になることもしばしばあったが。)後、行き帰りの電車で単語帳を開くこともよくあった。なぜかって、そりゃあ寝る時間を少しでも増やすためだよ!!
 他にも進学クラスには大変なポイントは多々あった。土曜日の授業がほぼ毎週ある、総合テストが1ヵ月に1回行われる、進学クラスだけ学校側が校舎や待遇が違うなど特別扱いするので他の級のクラスの生徒たちに疎外される(ブレザーの胸につけているバッジのデザインが全く違うので食堂などに行っても即バれる。)、クラスメイトが頭の良い人ばかりでそれ故に捻くれた者も多い(完全に後半部分はおまいうだが。)、勉強合宿という糞みたいな合宿がある。などなど挙げ続けたらきりがない。詳しくは後々述べるだろう。
 
 ハードに次ぐハード。私は進学クラスというものを甘く見ていたことを入学してから最初の1、2か月で思い知った。自分のせいで、友達ができないことも相まって内心は早く学校やめてえ、行きたくねえという感じである。結局、ばれたときの母からの制裁が怖いので遂行できなかったのだが、電車に乗らず学校に行ったふりをして本屋にでも行って時間をつぶそうと思った日もあった。
そんな時期のことである。とあるイベントが高校で催された。
 遠足だ。高校生にもなって遠足とは何ぞやという感じではあるが、これはクラスメイトと仲良くなれるチャンスだ、と私はそれが行われると知ったとき、ひどく喜んだ。
 遠足の場所は何と私の地元。そして、そこにある神社仏閣を決められた順番で4人1班で巡り、その各々に駐在している先生からスタンプをもらっていくという小学校の修学旅行でありがちなスタンプラリーが行われた。というわけで、土地勘のある私は重宝されると思いきや…
 1つ目のスタンプを先生に押してもらった後、商店街を一緒にうろついていたら、いつの間にか同じ班の人に置いてかれて、ぼっちになったという…
 そのため、連絡先を知らない私は仕方なく次のスタンプ地点に先回りした。
 ここの裏で起きたことは後に友達になってくださった方の写真や発言で知ったのだが、班の皆は私が居なくなった後、他の班と合流して普通に地元の商店街でアイスを食べたりして楽しんでいたみたい。マジか。けれど、挙動不審でまともに話ができないキモイ奴がいなくなっても普通の人はまあ、気にしないか。(ちなみに、後に行われた体育祭の打ち上げでは私だけ連絡なしで省かれます。)

 そんな楽しげな一行とは違い、その頃の私は神社の狛犬の下で1人泣きながら弁当を食べていた。班の中で1人も友達がいないがために連絡を取れない自分の愚かさに対する絶望や、また、待っている間にとある出来事があったことも関係している。
 
 私が1人班の方たちを神社の鳥居の横でまだかまだかと待っていると、そこに同じクラスで別の班のメンバーが現れた。その班は全員男子で、皆がイケメン。さらに社交的で同じ学校の進学クラス以外のクラスの方々を卑下する(常日頃ボロクソ言っていた。)ほど自信にあふれていた。
(後に私は、大学のサークルでその内の1人と知り合いの方と仲良くなったが、その者は受験直前に彼女とイチャイチャしすぎて、受験に失敗し私の通っていた高校に入らざるを得なくなった。という恐ろしい事実を教えてくれた。)

 私のような不細工で人間不信な愚かな人間とは全くの正反対な者である。
 そのためか、私が班員とはぐれたのをおもしろがっていじってきた。具体的に言えば、班の内2人が嘲笑を浮かべ、子供をあやすような口調で私に話しかけてきた。それも何回も。私はそれが嫌で近くにあったトイレの個室に逃げ込んでしまった。

 しばらくたって、もう頃合いだろと思い個室から出て元の場所に戻ると、彼らはまだそこにいた。さらに、私の今でいうとマジレスに当たるのだろうか、そういった行動がおもしろくなかったようで、彼らの内1人が「お前なんかと誰が話すか。」と怒った様子で述べ、皆を引き連れ立ち去っていた。

 まあ、そんななんだかんだがあって、お弁当を泣きながら食っていたというわけである。その後、無事班の皆とは再会できたのだが、先の一件があり、ひどくもやもやした気持ちを引きずったまま、後のスタンプラリーを回ることとなり、結局それを遠足の最後まで持ち越すことになってしまって…
 遠足は私の期待とは裏腹なものになってしまった。
 心機一転、高校デビューして自分の性格を変えさえすればこうはならなかったのに…
 実に情けない話である。
高校生編(4)嫌がらせ

 遠足の一件があって以降、私はますますクラスメイトに関わるのが怖くなった。仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。たたでさえ、昔いじめられた経験から人間不信であるのに、私みたいな人間とは誰も関わりたくないという旨の言葉をクラスの内の1人に直接言われたのだから。
 ことさら、私を悩ませたのはその発言をしたN君が、進学クラスの中でも群を抜いて頭の良い人間。それでいて、さらにリーダー性も持ち得ており、わずか1,2か月でクラスの中心的存在になっていたことだ。

 つまりは、だ。私と比べて彼は最早、月とスッポンというレベルでは収まりきらない、例えるなら、『蜘蛛の糸』のカンダタと仏様程だろうか。それほどまでクラスでの地位において差が開いているというわけである。ということは、彼がもしいじめを行ったら、私は歯向かうことなどできようもない。そう、私は思ってしまったわけだ。

その怯えにはちゃんとした理由があった。おまいうという感じなのだが、N君は、頭は良いが性格に少し難があったからだ。自分に正直と言ったら良いのだろうか。自分が気に入らない相手と接したり、そういった者に関しての話題が出たり、などした場合、彼はもし相手が聞いていて相手が傷つく恐れがあることなど顧みず、自分が相手に対して思ったこと(主に悪口)を嫌味っぽくぼかさず直接的に言うことが多かった。後、思っていることがすぐに顔に現れる面もあった。そういう性格だった。

私の怖れていたことが現実になった。N君は入学したての頃は私のことを気にもしていなかったのだが、遠足事件で私が彼のグループから逃げたことが心底気に入らなかったらしい。私も彼の気に入らない人間の内の1人に含まれ、事件以降、私に対して悪口や嫌がらせをするようになり始めた。勿論匂いのことも言われた。

しかし、N君の嫌がらせは中学の頃のH君のいじめと比べたら、遥かにましだった。具体的に述べると、

まず、授業中わざと私の椅子の下まで足を伸ばし、私の足が当たると椅子を後ろから足で押し蹴った。勿論、先生が黒板に目をやっている時などに綿密にばれないように、だ。

(進学クラスは総勢40人程で2クラスに分かれていて、そのため、1クラス約20名しかいないので、席替えがほぼ無かった。私の後ろの席は出席番号順でN君の席だったのだが、結局、夏期講習(夏休みの代わりに受ける授業)が終わるまでN君のポジションは私の席の後ろの席だった。)

次に、体育の時間の時、私は運動神経が悪いのは中学生編の時述べたが、彼はそれにも腹が立ったみたく私としては精いっぱい頑張っているつもりだったのだが、バスケやサッカーなどで彼と同じチームの時はわざと手を抜いて自分のチームを負けさせようとしているという言いがかりを付けられた。
野球の時は同じチームであったら、ツーアウトの時私がラウンドに立ったら、わざわざ皆に「どうせ当たらない」とわざわざ大きな声で呼びかけて、ミットを持たせすぐに守備に移れるように準備していた。

さらに、2つの進学クラスが合同で受ける授業があり、それは普段とは別の教室で行われた。この教室が問題だった。進学クラス合わせても40人程しかいないのだが、それでも窮屈なほど狭い教室だった。ここでも、出席番号順で並ぶので結局N君は私の後ろの席である。逃れることは出来ない。
案の定嫌がらせをしてきた。ただでさえ狭いのに授業前、わざわざ机を前の方にだけ詰め(つまりは私の席の方だが)、自分の席はゆったりと座れるよう余裕めに開けた。一方私の席は入る時も出る時も、机と椅子の間が通れないので、椅子に一回乗り、またぐようにせねば出られない状況となった。出るとき、椅子を少し引く必要があるので、最悪なことにN君の席にぶつかることもあった。その場合はひどく怒られ謝るように言われた。いや、あんたのせいやないかと私がこういったとき心の中で思ったのは言うまでもない。本当に理不尽にも程がある。
酷い時は授業中にさらに前の方に机で侵略してきて、お腹に机が食い込んで痛いわ、N君がどくまで出られないわで授業もまともに受けられなかった日もあった。
 
最後に、体育の授業終わりに教室に向かう時やトイレの洗面所の列など日常のあらゆる場面において私が彼の行く方向に歩いたり立っていたりすると、「邪魔」と言われるようにもなった。真ん前ならともかく、斜め前でもだ。
 
 他のクラスメイトは私がN君に嫌がらせをされていることに対して見て見ぬふりだった。N君は私以外のクラスメイトに対しては直接的な嫌がらせを一切していなかったし、何より嫌がらせを受けている私は言葉をあまり発さないし、挙動不審だし、嫌がらせを受けても一切反抗しないし、友達も当時全くおらず、とことんいじめやすい存在だったのがその理由として大きいだろう。世で言ういじめられっ子悪い理論というやつである。(私はいじめっ子にも非があると思う)
高校生編(5)現実逃避

 N君による嫌がらせが続き、まだ友達が1人もできていない、さらに進学クラスの過酷なカリキュラムによって苦しむ、入学3か月目の私。そんな私は自分を変えるどころか。ネットや漫画の世界に現実逃避してしまうのだった。

①スマホに依存
 私は高校に入ってすぐ、親にスマホを買ってもらった。それまでも私は携帯を所持していたが、親の手でインターネットに繋がることができないように契約されており、本当に連絡用だけという感じだった。
 しかし、今度は違う。インターネットにアクセスし放題。Twitterもニコニコ動画もYouTubeもスマホゲーだってできる。この自由さが行けなかった。私は現実から逃げ、スマホの世界にどっぷりはまってしまったのだ。
 
学校の休み時間は、専ら携帯でウェブ漫画(裏サンデーや新都社の諸作品、『ワンパンマン』(原作の方)など)を読んだり、Twitterや書評ブログを更新したりしていた。後、診断メーカーとかも作っていた。
 家ではニコ動の幕末志士さんや、つわはすさんの実況動画や今敏監督の映画に入り浸り、また、ウェブ漫画を描いてブログ上に挙げていたりもしていた。宿題は、二の次である。
というのも、この頃は、宿題や英単語に対して自分の中での扱いが雑になっていた。中でも、数学や英訳などの課題の場合は渡されていた答えを読み、少し変えつつほぼそのまま写す形で提出し、ある時、「こんな完璧な回答できるはずがない」と放課後英語の先生に呼び出され、30分ほど怒られ、反省文を書かされることもあった。全部私が悪いので、仕方がないのだが。
 
 まあ、今で言うスマホ依存症というやつである。当時の私は、スマホこそが私の世界で、もう高校なんていいやと現実を受け入れることを半ば諦めていたのだ。

②漫画にどっぷりはまる
また、私は高校になったということもあって、生まれて初めて親から現金で小遣いをもらえるようになった。(今まではほとんど図書カードだった。)
 そして、運が良いのか悪いのか、高校の近くには私好みの漫画を恐ろしいほど扱っている中型書店があった。具体的に言えば、私は、中学生の頃、『漂流教室』を読みそれ以降楳図かずお先生に心酔していたのだが、楳図かずおパーフェクトコレクションの諸作品が全て揃っていた。後、諸星大二郎先生や古屋兎丸先生、小畑健先生やうすた京介先生の過去作全てが置かれていたりもした。つげ義春の作品もあったけか。
 まあ、兎に角私の好きな作家さんの作品がたくさん扱われている素敵な書店であった。漫画が本当に好きな方がおそらく経営していたのだろう。
 本当に辛いときはその書店で自分の好きな作者さんの漫画を買い漁り、宿題や英単語のことなんか後回しにして、家で読みふけっていた。そう思えば、そういう時に英単語や宿題を全くしなかったこともあったな。あの頃の私は本当に高校に嫌気がさしていたのだろう。

③週刊少年チャンピオン
 さらに、実名を出して良いのかあれだが、週刊少年チャンピオンにもその頃ハマっていた。特に読んでいたのは『囚人リク』。逆境に立ち向かうリクの姿に私は励まされていた。辛い時も悲しい時もリクを読むことで、また明日頑張ろう、そう思えるようになっていた。結局、現実逃避して頑張れてはいなかったのだけれども。

 実は、ほんの一部しか述べていないのだが、これが私の行った現実逃避の記録である。
 現実逃避しても現状が変わるはずがないのに、馬鹿な私は現実に目を背け非現実の世界に入り浸っていたというわけである。
 しかし、そんな私にある転機が訪れる。それは、とある大学のオープンキャンパスに進学クラス総勢で出向いた時のことだった。
 
 (つづく)
高校生編(6) オープンキャンパス①

友達ができないまま、何も楽しくない高校生活を送っていた私に転機が訪れる。

それは2012年のちょうど今ぐらいの蒸し暑くなってきた時期だった。私たち進学クラス一同は1年生の癖して、某大学のオープンキャンパスに行くことになった。

そこは、私が後に入る大学だったのだが、それは置いといて、とにかくオープンキャンパスに行った。

当日、行きはJRの中でその大学に最寄の駅に各自で来るという決まりだったのだが、他のクラスメイトたちがグループで来る中、私は当然のように1人。そして、在ろう事か大学に着き、オープンキャンパスを回るうえでも、1人になろうとしていた。というか、なっていた。大学に着いてすぐに、皆各々のグループで集まって出発していたからだ。

流石に、この私の学校という集団生活の場においてはかなり特異な行動に、引率の先生方の中でも心配される方が現れ、
「村田(本当は本名)〜、お前、また一人か。せっかくの機会だし誰かと合流しろよな。」と肩を叩いて励ましてくださった。

1人で学校の構内を回るのははっきり言って辛かった。誰とも話すこともできないから何も楽しくないし、体験講義は難しいし、なぜかテストを受けさせられるし…早く家に帰りたいという言葉が途中から頭の中でいっぱいになっていた。

しかし、そんな私に好機が訪れる。ある講義が終わり教室内の人々が次々と出て行く中、クラスメイトの1グループがそこに紛れているのに気がついたのだ。つまりは私と同じ講義を受けていたというわけである。

私はその発見を経て喜ぶのではなく、絶望していた。どうせ自分みたいなキモいヤツは会っても無視されるか嫌な顔されるだろうし、さっさと抜けた方が相手にとっても良いだろうなと思っていた。だから、スタコラサッサとその場からトンズラすることにした。

そして…カバンを持ち上げ廊下に出た。
その時だった。

クラスメイトのA君が私を「待って!」と呼び止めた。

続けて 彼は満面の笑みを浮かべてこう言った。
「村田君(本当は本名)も俺らと一緒に回らへん?」

当時の 私は三蔵法師に石の牢屋から解き放たれた時の孫悟空のような開放感に捕われたのだった。
(つづく)
高校生編(7)オープンキャンパス②&話し相手

オープンキャンパス②
 
A君に呼び止められたとき、私はひどく嬉しかった。

当時の私は、N君のいじめを皆が黙認していることから、クラスメイト全員に嫌われていると思い込んでおり、私を受け入れてくれる人がいる。それだけで嬉しかったのだ。

そんなわけで、心がぴょんぴょんしていた私はA君とE君(2人とも大人しく真面目で、私と気が合った。後に修学旅行でも同じ班になった。)と一緒に、オープンキャンパスを回ることになった。
もう私はテンションが上がり過ぎて、大学を散策する中、阿保みたいにA君とE君と喋りまくった。(相手を信じられたからこそ、緊張せず喋れたのだろう。)A君もE君も私がそれ程喋る人間だと思っていなかったみたいでとても驚いていた。
時に笑い合い、時に真面目に高校の授業の大変さについて話し合ったりし、無事オープンキャンパスは終了した。

オープンキャンパスの後は、進学クラス一同で某有名大学に訪問したのだが、A君とは、途中で離れてしまった。
だから、ここでは私は英語のO先生と話していた。私を放課後呼び出して、答案を丸写ししていたことに激怒したあの先生である。
 O先生は、大学の紹介映像が流れる大きなパネルを真剣なまなざしで眺めながら「ウチのコースからこの大学に誰かは入って欲しいな。」そうおっしゃっていた。
 私は、その先生の様子を見て、難かしいかつ山ほどある課題や、8時間授業など、苦境ともいえる進学クラスのカリキュラムが、そこに所属する先生たちの『生徒に良い大学に入って欲しい』という一種の愛情表現でもあることに気が付いた。
 と言っても、カリキュラムが私的にきついという現実は変わらないのだけれども。
(ちなみに、耐えきれず、夏休み直前に退学した者も1人居た。)

 話し相手

 E君とは、クラスが違うこともあってそれ以降合同授業以外会うことはほぼないので、仲を深めることはできなかったが、A君とは行きと帰りの電車が同じでさらに、クラスも一緒ということもあって仲が深まった。

 毎日、授業の合間や休み時間にはA君の席に行き色々な話を2人でしたし、行きの電車で会っても話し合い、帰りは一緒に本屋を回ったり、マクドに行ったりした。
 そういった中でA君と仲の良いK君とも関わるようになった。K君とは最初の内は話せなかったのだがドンドン彼の性格の良さを知っていき、だんだんと話せるようになっていった。
 そして、高校に入ってほぼ3か月経ちようやく喋れる相手、が2人もできたのである。

 2人とも、挙動不審な私の話も聞いてくれたし、N君とは違い、私を1人の人間として扱ってくれた。

 N君は依然として、私に嫌がらせをしてきたが、そんな嫌なことも2人と話していたら忘れられた。
 
 7月になろうとするこの時期、高校入外以降、私の中で初めて学校生活を楽しめるかもしれないという、『希望』がやっと見え始めたというわけだ。
高校生編(8) 勉強合宿

 ようやく友達もできて、毎日が楽しくなってきた私だったが、依然としてクラスでは浮いていた。
 友達と以外話せなかったからだ。
 そう、中学校の時と同じあの現象だ。
 N君からの嫌がらせを見て見ぬふりをする、もしくは加勢するクラスメイト(一部の男子だけだが)に不信感を抱いていた私は、彼らに話しかけられたとき声を出そうと思っても声が出なかったというわけだ。
 
 このことに関しては象徴的なエピソードがある。
ある日、体育の授業で、本当はそんなことないのに、わざと手を抜いていたと激昂したN君に謝罪を求められることがあったのだが、その時も私は声が出なかった。
当然、N君は怒り、
「シカトかよ。おい!翻訳者呼んでこい!!」
と、進学クラスの誰かに頼み、A君やK君を呼びに行かせた。
その時のN君の気持ちは今となっては分かるのだが、当時の私は彼のその発言にひどく傷ついたことを覚えている。私は話したいのに、声が出ないだけなのに…、そう心の中で何度も叫んでいた。

まあ、そんな、楽しくも鬱々もした日々が過ぎていき、季節は夏になった。

我ら進学クラスでは、夏合宿が行われた。合宿と言っても、学校内に建てられた宿泊施設に1日泊るだけだが。
普通の合宿ならただ楽しいだけだったのだろうが、さすが進学クラスである。簡単に言ってしまえば勉強合宿であった。
いつも通り18時まで学校があり、そのまま、夕飯を食べ気づけば、19時。そして、それから、教頭先生の話を聞き、古文や英語や数学の課題を宿泊施設内にある小教室で行った。
 英語や数学は先生も一緒に宿泊施設にいらっしゃるので、分からなければすぐに聞けるため助かったのだが、古文の課題はというと、聞くとかそういう問題じゃなく、古語の用言活用形を全部覚えるというものだった。それは当日になって突然発表されたこともあって、はっきり言って、風呂に入る時間や消灯時間を考えてもまともな課題では無かった。だが、覚えなければあるペナルティが待っているので、私も含め皆一生懸命覚えた。

 そして、魔の朝がやってくる。
 朝6時に起こされた私たちは古文マラソンを行うことになった。
 説明しよう。古文マラソンとは、古文の用言活用表の一部を切り取ったプリントをランダムで渡され(何活用かは勿論消されている)、完璧にその活用表を埋められるまで(1つのミスも許されない)校舎を回り続けなければならないというものだ。
 このマラソンは非常に運ゲーである。なぜなら、古文の用言活用表といえば、難易度に大きく差があるからだ。例えば四段活用の語なら、たったの6字しか覚えなくて良いのだが、シク活用の語だと、11語も覚えないといけない。
 私はというと後者のように難しいものしか出ず、凡ミスを繰り返し、結局何度も何度も校舎の周りを走り回った。(ちなみに、走らないと先生に怒られるのでのんびり歩くこともできない。)
 私以外にもそういった者は数名おり、皆朝が早いこともあって汗びっしょりかつくたくたで、さすがに、先生もまずいと思ったのか、今回はこれまでと途中で止められた。

 その後には、さすがに6時間目までであるが、普通に普段通りの授業が行われ下校することになった。

 本当なんだったんだろうこの合宿。だって、課題に追われて、お喋りする時間もはっきり言って夕食時や朝食時以外無いし、オリエンテーションも全く無かったし。
 古文の活用形を体に染み込ませて覚えるための合宿だったのかな。
高校生編(9) 夏期講習

 勉強合宿を終えた数週間後、ついに、1学期が終わった。
 そして、その節目として終業式が開かれたのだが、他のクラスの生徒たちがウキウキしている中、我らが進学クラスの生徒たちは顔を曇らせていた。

 進学クラスには夏休みというものがほぼないからだ。
(なぜほぼかというと、盆と日曜日だけは休みがあったため。)

 代わりに、1コマ90分で5時間夏期講習と呼ばれるものがあった。いつも(50分)より授業時間が長いのは、ほぼ毎回授業中小テストをするので、その解説をしつつテキストも同時に進めていくための処置である。

 と、いうわけで、高校の他のクラスの生徒たちが夏休みを楽しんでいる間、私たちはいつも通り毎日勉強尽くし、といった過酷な夏が始まった。
sage