高校生編(6) オープンキャンパス①
友達ができないまま、何も楽しくない高校生活を送っていた私に転機が訪れる。
それは2012年のちょうど今ぐらいの蒸し暑くなってきた時期だった。私たち進学クラス一同は1年生の癖して、某大学のオープンキャンパスに行くことになった。
そこは、私が後に入る大学だったのだが、それは置いといて、とにかくオープンキャンパスに行った。
当日、行きはJRの中でその大学に最寄の駅に各自で来るという決まりだったのだが、他のクラスメイトたちがグループで来る中、私は当然のように1人。そして、在ろう事か大学に着き、オープンキャンパスを回るうえでも、1人になろうとしていた。というか、なっていた。大学に着いてすぐに、皆各々のグループで集まって出発していたからだ。
流石に、この私の学校という集団生活の場においてはかなり特異な行動に、引率の先生方の中でも心配される方が現れ、
「村田(本当は本名)〜、お前、また一人か。せっかくの機会だし誰かと合流しろよな。」と肩を叩いて励ましてくださった。
1人で学校の構内を回るのははっきり言って辛かった。誰とも話すこともできないから何も楽しくないし、体験講義は難しいし、なぜかテストを受けさせられるし…早く家に帰りたいという言葉が途中から頭の中でいっぱいになっていた。
しかし、そんな私に好機が訪れる。ある講義が終わり教室内の人々が次々と出て行く中、クラスメイトの1グループがそこに紛れているのに気がついたのだ。つまりは私と同じ講義を受けていたというわけである。
私はその発見を経て喜ぶのではなく、絶望していた。どうせ自分みたいなキモいヤツは会っても無視されるか嫌な顔されるだろうし、さっさと抜けた方が相手にとっても良いだろうなと思っていた。だから、スタコラサッサとその場からトンズラすることにした。
そして…カバンを持ち上げ廊下に出た。
その時だった。
クラスメイトのA君が私を「待って!」と呼び止めた。
続けて 彼は満面の笑みを浮かべてこう言った。
「村田君(本当は本名)も俺らと一緒に回らへん?」
当時の 私は三蔵法師に石の牢屋から解き放たれた時の孫悟空のような開放感に捕われたのだった。
(つづく)
Bad Smell
オープンキャンパス
高校生編(7)オープンキャンパス②&話し相手
オープンキャンパス②
A君に呼び止められたとき、私はひどく嬉しかった。
当時の私は、N君のいじめを皆が黙認していることから、クラスメイト全員に嫌われていると思い込んでおり、私を受け入れてくれる人がいる。それだけで嬉しかったのだ。
そんなわけで、心がぴょんぴょんしていた私はA君とE君(2人とも大人しく真面目で、私と気が合った。後に修学旅行でも同じ班になった。)と一緒に、オープンキャンパスを回ることになった。
もう私はテンションが上がり過ぎて、大学を散策する中、阿保みたいにA君とE君と喋りまくった。(相手を信じられたからこそ、緊張せず喋れたのだろう。)A君もE君も私がそれ程喋る人間だと思っていなかったみたいでとても驚いていた。
時に笑い合い、時に真面目に高校の授業の大変さについて話し合ったりし、無事オープンキャンパスは終了した。
オープンキャンパスの後は、進学クラス一同で某有名大学に訪問したのだが、A君とは、途中で離れてしまった。
だから、ここでは私は英語のO先生と話していた。私を放課後呼び出して、答案を丸写ししていたことに激怒したあの先生である。
O先生は、大学の紹介映像が流れる大きなパネルを真剣なまなざしで眺めながら「ウチのコースからこの大学に誰かは入って欲しいな。」そうおっしゃっていた。
私は、その先生の様子を見て、難かしいかつ山ほどある課題や、8時間授業など、苦境ともいえる進学クラスのカリキュラムが、そこに所属する先生たちの『生徒に良い大学に入って欲しい』という一種の愛情表現でもあることに気が付いた。
と言っても、カリキュラムが私的にきついという現実は変わらないのだけれども。
(ちなみに、耐えきれず、夏休み直前に退学した者も1人居た。)
話し相手
E君とは、クラスが違うこともあってそれ以降合同授業以外会うことはほぼないので、仲を深めることはできなかったが、A君とは行きと帰りの電車が同じでさらに、クラスも一緒ということもあって仲が深まった。
毎日、授業の合間や休み時間にはA君の席に行き色々な話を2人でしたし、行きの電車で会っても話し合い、帰りは一緒に本屋を回ったり、マクドに行ったりした。
そういった中でA君と仲の良いK君とも関わるようになった。K君とは最初の内は話せなかったのだがドンドン彼の性格の良さを知っていき、だんだんと話せるようになっていった。
そして、高校に入ってほぼ3か月経ちようやく喋れる相手、が2人もできたのである。
2人とも、挙動不審な私の話も聞いてくれたし、N君とは違い、私を1人の人間として扱ってくれた。
N君は依然として、私に嫌がらせをしてきたが、そんな嫌なことも2人と話していたら忘れられた。
7月になろうとするこの時期、高校入外以降、私の中で初めて学校生活を楽しめるかもしれないという、『希望』がやっと見え始めたというわけだ。
オープンキャンパス②
A君に呼び止められたとき、私はひどく嬉しかった。
当時の私は、N君のいじめを皆が黙認していることから、クラスメイト全員に嫌われていると思い込んでおり、私を受け入れてくれる人がいる。それだけで嬉しかったのだ。
そんなわけで、心がぴょんぴょんしていた私はA君とE君(2人とも大人しく真面目で、私と気が合った。後に修学旅行でも同じ班になった。)と一緒に、オープンキャンパスを回ることになった。
もう私はテンションが上がり過ぎて、大学を散策する中、阿保みたいにA君とE君と喋りまくった。(相手を信じられたからこそ、緊張せず喋れたのだろう。)A君もE君も私がそれ程喋る人間だと思っていなかったみたいでとても驚いていた。
時に笑い合い、時に真面目に高校の授業の大変さについて話し合ったりし、無事オープンキャンパスは終了した。
オープンキャンパスの後は、進学クラス一同で某有名大学に訪問したのだが、A君とは、途中で離れてしまった。
だから、ここでは私は英語のO先生と話していた。私を放課後呼び出して、答案を丸写ししていたことに激怒したあの先生である。
O先生は、大学の紹介映像が流れる大きなパネルを真剣なまなざしで眺めながら「ウチのコースからこの大学に誰かは入って欲しいな。」そうおっしゃっていた。
私は、その先生の様子を見て、難かしいかつ山ほどある課題や、8時間授業など、苦境ともいえる進学クラスのカリキュラムが、そこに所属する先生たちの『生徒に良い大学に入って欲しい』という一種の愛情表現でもあることに気が付いた。
と言っても、カリキュラムが私的にきついという現実は変わらないのだけれども。
(ちなみに、耐えきれず、夏休み直前に退学した者も1人居た。)
話し相手
E君とは、クラスが違うこともあってそれ以降合同授業以外会うことはほぼないので、仲を深めることはできなかったが、A君とは行きと帰りの電車が同じでさらに、クラスも一緒ということもあって仲が深まった。
毎日、授業の合間や休み時間にはA君の席に行き色々な話を2人でしたし、行きの電車で会っても話し合い、帰りは一緒に本屋を回ったり、マクドに行ったりした。
そういった中でA君と仲の良いK君とも関わるようになった。K君とは最初の内は話せなかったのだがドンドン彼の性格の良さを知っていき、だんだんと話せるようになっていった。
そして、高校に入ってほぼ3か月経ちようやく喋れる相手、が2人もできたのである。
2人とも、挙動不審な私の話も聞いてくれたし、N君とは違い、私を1人の人間として扱ってくれた。
N君は依然として、私に嫌がらせをしてきたが、そんな嫌なことも2人と話していたら忘れられた。
7月になろうとするこの時期、高校入外以降、私の中で初めて学校生活を楽しめるかもしれないという、『希望』がやっと見え始めたというわけだ。