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Bad Smell
狂う

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Bad Smell 中学生編(7) 狂う①(若干修正版)

 いじめや自己臭による恐怖で人間不信、対人恐怖症に陥った私は、自分なんていらないと心の中で呟き続けて、また更に狂い始めた。
 
 これには、この時期、仲が良かった先輩が風呂場で冬の温度変化による事故死したのも関係している。先輩じゃなくて私が死んだ方がこの世のためになったのではないか、そう思ったのだ。

①自殺未遂

 私のような人間はこの世に必要無いと思い自殺未遂を繰り返すようになった。

 まず、かけ布団を自分の頭に包み、空気を無くして窒息死しようとした。

 手首を爪で血が出るまで引っ掻いた。

 目をつぶって道路を渡ったりもした。

 しかし、死ぬことはできなかった。当たり前である。だって、私は本当に死のうという意気込みをもっていなかったのだ。

 確実に死にたいなら、手首を刃物で直接切れば良いし、窒息死したいなら、首をロープで引っかければ良い。

 私はそれができなかった。中途半端で、臆病で情けない人間だ。

 ②家の物に八つ当たり

 体臭が気になり始めた頃私は、対策をしなかったわけではない。自分の全財産を叩いて3000円以上の糞高い防臭パンツを買ったし、用事などで否応なしに電車などに乗るときは、他の人と距離も取っていた。人が多い電車は乗らなかったこともあった。

 風呂に1時間以上入ってその8割は体を洗うことに使った。(今でもこの習慣は続いている)

 トイレも時間があるときは30分かけてなるべく尿が漏れなくなるまで股間から尿を出し続けた。

 制服のズボンは毎日洗濯した。

 防臭スプレーを毎朝体に振っていた。

 脇用のデオドラントロールも塗っていた。

 ファブリーズを毎回出かけるとき、着る服にかけていた。

 しかし、そんな様々な配慮も虚しく私の体臭は人に迷惑をかけまくっていた。

 世間的には、当然だが、

 『体臭がきつい=悪者。不潔。風呂に入っていない』という図式となる。

 私がいくら努力しようが、外で私のそのことを知る人など居ない。なので、心無い言葉をかける者がいたのだが、それは仕方がないことだ。
 
 しかし、私にはきちんと周りに配慮をしている、風呂にも入っているという事実もある。

 私のその行動と裏腹な現実に次第に、当時は若く感情がコントロールできず、怒りが溜まり始めた。

 家中のドアやクローゼットなどをわざと勢いよく閉めたり、パンチをしたりした。何度も何度も。結果の無い努力に怒りを込めて。

 そして、家中の家具はボロボロに。

 親には勿論怒られた。叩かれもした。

 当時は反抗期なこともあってむかついたが、今となって思うと、親が行ったことは至極当然なことだったっと思う。

 それだけ真剣に私のことを考えていてくれたということなのだから。本当にひどいのはそのような子供の行動に無関心な親である、と思われる。

 実は、自分の体臭については親にも相談していたが、私のことを考えてか、それは気のせいだと言った。実際に指摘されている事についても話したが、違うと一点張りだった。これも今思えば親なりの思いやりだったのだろう。感謝したい。

 私も親が言うように無かった事にできたら、この時期どれほど楽だっただろうか。気にしいな自分をひどく憎んでいた。

     

Bad Smell 中学生編(8)狂う②

 ③兄の財布からお金を…

私は両親に自分の尿切れと体臭について相談して、その時期CMがよく流れていたハル〇ケア、体臭用ボディソープを買って欲しいと、と頼んだ。しかし、前述の通り私の両親は私の臭いを無い物としていたので、後、体臭対策グッズは需要が少ないためか、割高なため、買ってもらえなかった。

勿論、防臭パンツを、大金をはたいて買ってしまった私にそれらを買うお金はない。(図書カードは結構持っていたが。)

その時期自殺未遂をする程、体臭に悩み頭がおかしくなっていた私は、あろうことか、兄が学校に行っている最中に財布からお金を抜き取り、ハルン〇アを買ってしまった。無論犯罪である。許されるべきことではない。当時の私は本当に馬鹿だった。今でも反省してもしきれない気持ちだ。

すぐに、兄は私の犯罪行為に気づき、ことを内密にし、後でお年玉から私が返すこととなり一旦落ち着いた。が、その数日後、私が出かけている時、法事で集まっていた親戚一同の前で私の行為を暴露した。

そして、私は親戚一同に叱られ、両親には叩かれ、「お前なんか産んだ覚えはない」と言われ、家から追い出された。それで、私は冬の寒い中、近くの公園で、3時間ベンチで座ることとなった。その時、思慮をめぐらし、やっと自分のやったことの愚かさに気付いた。

人の物を盗む、当たり前だが絶対にやってはいけない行為だ。当時の私は目先のことに悩み過ぎて、そのことにこの時まで気付けなかった。とんだ阿呆だ。

結局図書カードで兄に全額返金し、この事件は閉塞した。

私は二度とこのような行為はしないと心に誓った。

 ちなみに、その愚かな行為の結晶であるハルン〇アを何週間か服用したが、結局私の尿切れは何も改善しなかった…

 
④母の優しさ

母は私が本当に自分の臭いについて悩んでいることを、皮肉なことに、私の先ほど述べた頭のおかしい犯罪行為で気づいたらしい。ある日、突然、私に尿切れに効く薬を買ってきてくれた。
私はそれを受け取ったとき、母親の優しさに触れて思わず涙が出た。

しかし、結局、その漢方も効かなかった。

そこで、薄々と気づいたのだ。私の尿切れはもう完治しないんだろうな、と。

そして、高校に行くことはもうやめよう。

これ以上親に迷惑をかけたくないそう思った。

     

Bad Smell 中学生編(9) 狂う③

 高校には行かないと決めた私に更なる悲劇が襲う。

⑤失声症に
 
 私が肉親と友達など信用できる人以外まともに話せなくなったことは既に語ったが、その症状は更なる悪化をたどったのだ。

 それまでも、言葉につまったりしたが、何とか頑張れば、該当しない人に対しても、話すことはできた。H君に反論した時などがよい例だ。

 しかし、中学2年生の夏の始めの頃のある日、突然そういった人々に対面すると、全く言葉が発せなくなってしまった。(今ではだいぶ緩和した)
 
 家族でファミレスに行ったときのことだ。(私は他人に迷惑をかけるのが嫌で抵抗したが、母に無理矢理手を引っ張って連れていかれた。)

 皆が注文し始め、私の番となったが、私は、店員さんに注文をすることができなかった。言葉を発しようと思っても、声が出なかった。どれだけ喉を振り絞ろうが、それは無意味だった。仕方なく、私はメニューに指を指して料理を頼んだ。

 その日だけかと思ったが、この症状は中学卒業までずっと続いた。
 部活の後輩や同期に話しかけられても、声が出ず、彼らをガン無視したみたいになってしまった。(余談だが、同期には、言葉を発しようとして息を吸うとき、スーッと吸うので、よく真似をされた。しかし、それ以上のことはされなかったし、それを笑って受け入れてくれた。)

 クラスでは、クラスメイトに話しかけられても、私は言葉を返さない。なので、体臭も合間っていつしか友達以外の人間が近付こうともしなくなった。(それすらいじめのネタにするH君一派を除いて。)

 この事は交友関係にもヒビをつけた。意外と思われるかもしれないが、実は私にも小学生時代には女友達がいた。

 中学生になってからは疎遠となっていたのだが、ある日、廊下でバッタリ会い、話しかけられた。しかし、何度話しかけても、私が一言も返さ(せ)なかったので、「何で無視するん?」と言い放って、泣き出し、それ以降会っても無視されるようになった。

 この症状は今では、緩和した。声が出辛い時や詰まったり震えたりするが、緊張しない時、もしくは突発的でない時は誰とでも話ができるようになった。ただし、いじめや悪口を行った人間の場合、今でも、その程度によっては全く会話ができないことがある。

 最近、調べて分かったのだが、これらは明らかに失声症の症状だ。
 いじめは私に心理的障害だけでなく、物理的障害をもたらしたのだ。
 
 いじめを犯罪行為として法で裁く権利を認めて欲しいものである。

       

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