意思と表象としての世界




『意思と表象としての世界』



はい、これ夢のお話です。夢日記らしいです。

2017年12月18日と書いてあるのがリアルですね。生っぽいです。肝臓に例えると、血がしたたってて生臭いかもしれません。

それで、いきなりキノコの話が出てくる。苦手です。キノコ。味も、「生えてくる」感じも。キノコが人体から生えてきたらと想像したら、ぞっとする。そういう生理的な部分があるのかな?これには?

夢ってさ、朝起きる、誰かに「こういう夢みた」って言われる。ふーん、ってなる。興味ないんだよね、他人の夢なんて。自分の夢も、他人にはふーんってなる。「朝、ヨーグルト食べた」こっちのほうがよっぽど具体的。共有できるもの。

夢みたいに共有できないものは、どんなに迫真にせまっていても、本人の胸のなかにしまっておくしかないねえ、通常はね。

夢って、そういうはかない性質もってる。それでも、こういう記録をわざわざつける人って、普通の人よりもずっと夢への関心がつよいのだろうね。

そういうわけで、夢の印象を人に伝えるには相当な工夫がいる。「印象」であって「あらすじ」じゃないから。大事なところは。

でも、この小説?は、わりとあらすじを淡々と語っている。だから、特別ひきこまれるということはない。でもまあ、なかなかの記憶力だなあ、という感じです。

マンションの部屋は「崩れ落ちそう」っていうところが、なんか、夢っぽい気がする。歯が抜ける夢とか、そんなふうに・・・。

「○○」を殺したって、誰を殺したのかわからないけど、誰かを殺したって意味かな。夢を見てるとそういうことはある。あるいは、実名だから伏せただけかもね。

12月20日―「映画館のようにバスに乗っている」とある。意味がわからない。「まるで映画館のような。」はあ、バスの座席と映画館の座席が混ざっておるのだね。

まわりを見渡すと、「その数ざっと80人」!どうですかね。あなたは、80人くらい、って言えるかな。ある程度の数を越えちゃうと、もう100人くらいとか大雑把な言い方しかできないかも。でも、80人くらいなんだってさ。

まわりには顔見知りもいるのに、お互い知らないふりをしている。そういうこともあるさ。なにか事情があるんだろう。意識はされなくても。そういう「無言ルール」みたいなのが夢にはときどき出てくる。根拠なんて、よくわからないくせに。

しかも、作者はこの場面で本を読んでるんだって。なんの本だろ?覚えてないのか、言及してないだけなのか。

バスはいろんな場所を走る。古い街並み、沼、山、これは一体、作者のいつの記憶だろ?なんだか、昔にバスに乗ってそういうところをお遍路したんじゃないかって気がするよ。ショッピングモールの帰りに。

僕、最初に「肝臓に例えると」って言ったよね?この後の描写を読む前に言ったんだ。読みながら書いてるから。そしたら、12月22日―「ヘドロ内臓と血を混ぜ込んだような」と来たもんだ。なんとなーく、「ドロヘドロ」って漫画と、この夢の話の雰囲気、似てる気がする。

「どす黒い細い道を歩いていく」―ボロボロに崩れそうな部屋とおなじで、なぁんか不安だ。不安のあらわれかな?しかも「ぬめぬめ」してるんだって。そりゃ、落ちるでしょ。たった50センチでぬめぬめしてちゃ。いや、50センチってあらためてはかってみると、意外とあるかな、余裕。

作者はスライムにおっかけられる。そこから逃げる。でもさ、本当は逃げなくても良かったんじゃない?夢って、「逃げる」シーンが多いんだけど、夢をみているひとは「これは夢だ」ってなんとなく気付いていて、形式的に逃げてるだけに過ぎないような気がする。

リアルで電車にひかれそうになるとか、そういう迫真さに欠けるっていうか、ぼんやりしてるっていうか、「逃げる」っていう役割を演じているっていうか。

ところで、スライムから逃げて「ぽっかりと空いた大きな穴」に飛び込む前に、「底の見えない穴」の安全性には思いあたらなかったの?だって作者はその前、「細い道」から「落ちまい」としていたのにさ。

12月24日―イブイブです。いや、イブか。昔はイブイブ言わせてたもんさ。意味不。

さて、ちょっと調べてみましょうか。出てきた言葉。「モンマルトル」「ペール=ラシューズで」

どっちもフランスのパリだそうです。ペール=ラシューズは、調べると「ペール=ラシューズ墓地」と出てくる。

でも作者はわざわざ「西欧の墓地」って書いてるから、フランスの墓地だってことをはっきりとは知っていなかったのかな?「西欧の」じゃなくて「フランスの」って言えばいい話だし。

①作者はフランスに行ったことがある。

②作者はフランス関係の本を読んだことがある。

この場合、知識の源泉はどっちでしょ。

最初の日、殺人を犯した作者は、今度は墓荒らしをするらしい。そんなの、僕はしない。思い当たりもしない。大丈夫かな?この人。

しかも、どの墓を暴くかサイコロで決めている。そのうえ、不親切なのか、夢だから漠然としているのか、墓をあばいて掘り出したかった「目的のもの」がなんなのかわからないまま。

殺したのに誰かわからないまま。墓をあばいたのに目的のものがわからないまま。

12月25日―クリスマスです。イベントがあると精神がざわついて夢を見やすくなるのかね?

舞台はフランスのパリから中央アフリカに移動する。ピッツェリアピザってなんだろう。調べてみると、「ピッツェリア」はピザの専門店。「寿司屋の寿司」みたいなもんか。


引用。「ベルギーの植民地だった名残でピザ屋がたくさんあるんだ、と友人。
(無論、ピザはイタリアが発祥の料理。だけど、夢の中では納得していた)


まあ、イタリアからベルギーにピザが伝播し、ベルギーからアフリカにピザが伝播することもあるかもしれない。ベルギーといえばワッフルだな。ワッフルとピザ、似てるかね?記憶の錯誤作用。無言の納得。

「中学校時代の同級生がNGOとして働いている。」

NGOっていうのは非政府団体、ボランティアみたいなもんか?作者はピザに関してあれこれ話すのに、結局ピザは食べない。夢とはいえ、食べ損だ。食べておければよかったのに、どうせタダなんだから。腹も満ちないけど。

「日本に帰る。」作者は海外旅行の経験が豊富なのかな?たんに書物で得た知識とも違う気がする・・・。

バスのイメージの次は路面電車。「個人営業の」路面電車、ってなんだ?個人営業のタクシー、ならわかる。しかも「行きかってる」んだってさ。車みたいに。よくぶつからないもんだ。線路と線路の交差してる部分はどうなってるんだろう。

おまけに駅には1時間に1本しか来ない。おいおい。目の前を行きかってるんだろう?そいつらはみんな特急で、駅を通り越していくのかな。まあ、そういうことは、夢ではある。

12月27日―やはり年末。なにか、思うところあったのかね?

「天井裏の散歩者
商店街の中にマンションがある。」これは意味不明。散歩者商店街のマンションの天井裏にある、ならまだわからなくもない・・・。階段を上がるとインド料理屋。そういうつくりの建物はいくらでもあるさ。

この辺り、作者の部屋が2階だったり、自分の部屋だと実感するのに、他人の部屋にみえていたり、天井の穴からはしごで屋根裏に行けたり、それが体育館ほどの広さの部屋につながってたり、空間の感覚が混乱している。

さて、これのどこが「江戸川乱歩風」なのでしょうか。僕は江戸川乱歩、よく知らない。

しかし、インド料理屋に近い作者の部屋はカレー臭くてたまらないだろうな。「部屋に戻ってくると、浪人(浪人生じゃなくて、大昔のでしょう。)になっていた」らしい。それが、江戸川乱歩的世界観なのでしょうか。

12月28日―まあたしかに、この辺りの時期は微妙な時期ではある。12月31日、となると逆にすーっと通り過ぎてしまうような。ぐぐっと来年に向けてひきしぼっている時期ではある。

ここでもまた作者の空間感覚が混乱する。しかも「時間」まで。たった一晩の夢なのに、「数日程度は」歩き続けている感じがするらしい。もう一度いう、「無言の納得」そう名づけようかね?前提も整合性も根拠もなしに「こうだ」と納得してしまう夢の現象のことを。

しかも、この迷宮は意地悪だ。行き止まりや偽物の扉が入り乱れているらしい。たぶん、列車も一時間に一度くらいしか来ないのだろう。外に出ると、朝、夜、雨、晴れ、日本、外国、深さ数千メートルの地下にもそんな世界があるもんだ。失念していただけかな?自分が降りて行っているということ。

「西洋風の庭」とのこと。この作者は具体的に「モンマルトル」ということもあれば、「外国」「西洋風」と漠然ということもある。

「NGO」が出てくる辺り、作者はやっぱり海外に出て、なにかをしていた人なんじゃないかな。僕はNGOなんて興味ないから。アフリカのあたりで、スコップで穴を掘ったり土嚢を積んでるイメージ。海外青年協力隊。

で、遠くには山脈がみえるとさ。たぶん、朝で晴れていたんでしょう。迷宮のこの場合は。

2018年1月1日―早いもんだ。初夢ってやつでいいのかな。なにか微妙なルールがあった気がする。三が日以降がどうとか。わすれた。

「歩く道すがら街道の真ん中に自分一人」うまく言えないけど、妙な文章だ。「すがら」のせいかな。「自分の部屋に戻ると」カレー屋のある2階で合ってたのかな?戻ると、知り合いが数人だ。作者は比較的、交友関係のある人物とも思える。

知り合いは岩波文庫の『ダンマパダ』『スッタニパータ』を読んでいる。

調べてみると、どちらも仏教の経典らしいよ。そんな一般的じゃないものをわざわざ知り合いが読んでいるのだから、妙な知り合いがいたか、作者自身が仏教に興味があるか、いずれか。

コメント返し―例によってフロイト先生たちの登場。作者談、フロイトを現代日本で適用することは「むずかしい」とのこと。まったくその通りに思いますね。



『作品感想』



認識や空間や時間の「夢らしい」混乱がみてとれます。意味とかは、考えたくないですね。どうせわかりようがないでしょ。

この作者はなかなかに教養と分別、落ち着きがある人なんだろうな、とは思いました。ただ、執念はないかな?