朝酒日記




『朝酒日記』



前回、長めだったんでちと疲れた。今回は短めなんで助かる。



自分にわかるのは自分のスカートの中途半端な長さだけ(リプライズ)」

あれ、これエッセイっぽいんだけど、また女性が書いてるの?女性って気難しいのかもね。いろいろあるんじゃないの。

リプライズは繰り返しって意味だそう。タイトル通りお酒ばかり飲んでいるみたいだね。僕は、睡眠薬を飲んでお酒を減らしているよ。肝臓、やられちゃう。でも、本望かな?この文章を読んでいると、やぶれかぶれ感というか。

あ、デカルト・フッサールときた。なかなかに。そういう類の人間がやっぱり文芸には多いんだ。喜ばしいことじゃないか。

スカートの長さにしても、髪色にしても、どこまでかって難しい問題だね。いっそやっちまえって気分と、いや、いやいやいや、という気分と。

しかーし、この作者は相当なアル中のようだ。しかも叱ってくれる人がいないらしい。医者にも行かず、家族とも顔をつきあわさず?孤独なのかな。

今年最後に読む本、「シオランの誕生日の災厄」だそう。調べてみると、「エミール・シオランの生誕の災厄」というのが出てくる。ウィキをみると、「鬱、不眠など―得意なニヒリズム的な」と書いてある。

これはもう、こじらせまくっている感まるだしだ。この飲兵衛の作者は、こじらせまくっている。

うん。なかなか哲学的な文章だ。文学、じゃなくて哲学?「さっさと世界にケリをつけたい」ってのは、シオランのようにダラダラと80歳までなんて生きたくない、って意味かな。

作者の今年の総括「不安」きました。そういや、開高健のエッセイで「世界はグラスのふちをまわる」みたいなタイトルの本あった。あれはのん気なエッセイだけどね。

この作者は、「世界がグラスで、世界内存在はその中のお酒のようなものだとしたら、世界は内側からくみ尽くすことはできないのかもしれない」などと言っている。

ぱっとみると意味が伝わりにくいな。世界がグラス。世界の内側はお酒。内側からじゃ飲みきれない。そんな意味かな。じゃあ、飲みつくすには、世界の外に出ないと。宇宙の果ての果て、くらいまで行ってね。がんばれ。

うんまあ、空っぽのグラスに意義はないかもね。お酒を入れるためにあるんだから。なんにしても言葉とか観念の問題だと思う。

しかし、酔っ払うとあんまり考えない生き物になりそうだけど、作者は考えちゃってるね。厄介なもんだ。素面だと逆に考えなくなったりするのか?

引用。「飲み干された時に個々の世界は完結する。」この言葉は「死」であるようにも」思えるし、「認識の限界」のようにも思える。

ある一定のとこまでいくと、人って成長も変化もしなくなってくる。単純に「死」ととらえるよりも、そっちのほうがいいかな?

「酔っ払いのたわごとだから」とくる。考えるのが面倒くさくなるとき、あるよね。なのに考えるのをまるっきりはやめないところが、人間らしい(笑)

引用。「自分のことは自分が一番よく知っている。自分は世界で一番信用できない人間だと。」うーん、これは「自分」を買いかぶりすぎというか、特別視しすぎじゃないかな。まあ、気持ちはわかるけど。

屈折した自尊心とか自負心のあらわれなのかもね。それにしても「世界で一番」とは大きくでたもんだ。

きっと世界で一番大きなグラスの中身を内側から飲んでいるのかもね。じゃあ、逆に長生きしちゃいそうだ(笑)

デカルト、フッサール。哲学が好きなんだね。ブコウスキーっていうのは初めてみたな。アメリカの作家?か。アメリカの作家はなんか苦手だ。でも、ブコウスキーっていうくらいだからロシアからアメリカへの移民かな。

途中の「ケリをつけたい」から「ケリをつけよう」で文章は終わる。今年の総括が「不安」なら、来年の抱負は「ケリをつけよう」でどうでしょう。まあ年末ですし、そういう気分にもなるわな。



『作品感想』



こういった哲学の果ての混迷というか、考えすぎちゃって潰れ気味になった人は何人か見てきたような気がします。決して頭が悪いわけでもない(むしろ良い)。やる気がないわけでもない(むしろ性根では真面目で意義を求めている)。ないんだけど、うまく自分を発揮できないひと。

なんつかな。時勢や社会とウマがあわなかったひと。

で、破壊的なしもねたに走ったり、誰かを批判したりする場合もあるんだけど、この作者の場合(これだけ見たかぎり)、攻撃的な感じはしないので、それはいいですね。知的な感じもしますし。

あとは肝臓の調子次第ですかね。