バーボンハイムの映画評論日記




『バーボンハイムの映画評論日記』



日記、多いですねえ。至極ただしい日記のにおいがプンプンしてきます。「ソープの体験談かと思いきや、作家的だった。」の逆をいってるようなイメージが文面からプンプンします。

作者そのものが自己主張をし過ぎず、文章のなかにひそやかに「私」という言葉をもぐりこませる作品が多いなか、この作者は「バーボンハイム」という作者名をタイトルや文中にガシガシいれてきます。

苦手かも・・・このノリ。

前回更新したときに疲れすぎて反省したので、さっくりいきましょう。ラスクのように、さっくり。

さっくり読んでいくと、どうやら一つの映画を何回かにわけて細かく紹介しているようですね。この辺、僕の方針とかぶるところがあるかもしません。いや、かぶっている(笑)

違いは、かたや最初から最後まで責任をもって。かたや最後だけ。ということ。

作者の語る「総括」。総括にしては細かすぎます。ひじょうに長い。文体に特別な作家性は感じません。なので、突っ込みどころも少ないですね。

どうやらB級ホラー映画について語っているように感じられる。僕、苦手なんですよ、B級ホラー映画。世の中に、どうして「B級ホラー映画愛好家」が多数存在しているのか理解に苦しむほどに。

羊達の沈黙、あれくらいの芸術性と美しさがないとダメなんです。ホラーとは違うかもしれないけど、「トレマーズ」これは面白かったかな。あと、「アンゴリアーズ?」ニコニコで見たんだけど、空港の向こうの遠い木々から、鉄塔から、不気味な音を立てて近づいてくる恐ろしいもの、あの場面は印象に残りました。

さて、苦手、苦手、ときてしまった。しかし、食わず嫌いは良くない。

面倒なので引用からはじめましょう。

以下引用。

「今回のパートは、デーモン狩りの進みゆく世界。

ミーコとススムの2人を美樹が庇ったばかりに、牧村家がデーモン特捜隊の強制捜査を受けてしまう。

尋問の末に、不動明は正体を明かして牧村家を庇い、処刑されてしまう。

一方、残された牧村家の人々は怒り狂った民衆の闇討ちに遭い、皆殺しにされてしまう。

何とか復活し、牧村家へと向かう不動明。
自宅についた彼を待っていたのは最愛の美樹の変わり果てた姿だった…」

ミーコとススム。邦画のようだ。B級臭が半端ない。不動明?これって、「デビルマン」に出てきた名前じゃないのか?美樹。これもまたデビルマンでセンセーショナルに首チョンパになったヒロインの名前の気がする。これは映画版「デビルマン」の感想なのか?

「何とか復活し、」不動明はマリオのようですね。残機が残っていたようです。これ、改行ないときついなあ。

「前回のパートよりかは苦痛ではなかった。」

やっと作者の感想がはいります。苦痛=退屈。苦痛=残忍すぎる。いくつかの意味があると思われます。

「築き上げられた世界が崩れ去っていく滅びの美に取り付かれているのかもしれない。」

ならば、チュー!の作者(ピュア・ポエム)の作者にカタルシスを感じさせる映画かもしれないな。「キリストをモチーフ」やっと文学的になってきた。歴史学的、かな。宗教的、ではないな。

主人公、かな。明は復活のときに口から銃弾を吐き出す。視覚的なもんですね。「絵になっていた」と書いてある。これは文章ではなかなか「凄さ」が伝わらないですねえ。みれば、「なるほど」と思えるのかもしれない。

褒め言葉として「エグい」「生々しい」がきている。「伊崎の演技」これは俳優の名前でしょうか。たぶん、明役の俳優が伊崎さんなんでしょう。

ここで韓国映画が引き合いにだされる。作者は韓国映画も大好物のよう。悪食。血反吐と土を咀嚼する明のように。

「血の中」「肉片」「胃液」「腸液」。作者は視覚的なものからどうやって、「胃液」と「腸液」を区別しているんだ?たんなるイメージの言語化でしょうが。

「ドロドロ」「ねっとり感」「血反吐の質」うーん、かなりマニアックだ。時代劇でいうなら、「斬られているのに血が吹き出ない」そんなものの間逆を行くリアリティ、ニュアンス、に作者は心をうばわれている。

「血反吐だけでいうのなら、」血反吐、で映画を評するってすごいな。韓国映画の「アジョシ」「シュリ」「泣く男」この三つが「韓国の三大血反吐映画」としてあげられている。

僕は三つとも見てない。「シュリ」だけはタイトルだけ知っている。血反吐、に興味のある奇特な読者(視聴者)は、この三つをおさえておくべきということか。

「ハリウッド映画でよく見られるようなただの赤い水」なんとなく、いちごシロップを連想させますね。どうかな?僕は、赤い水と生々しい血反吐の区別がつかない。

作者のB級映画好きは、そういう細部の生々しさにささげられているようだ。

おっと、「クソ映画」という言葉が出ました。なんとこの「デビルマン」というクソ映画、10億もかけた超大作らしい。作者は血反吐を褒めたあとは、その他の演出をボロクソに言っている。

「カス」「前回のパートで激怒してしまった」いやぁ、やはり並みの映画好きじゃないですね。こんな文章を書くくらいだもの。

作者が気に食わないのは「警官、特殊部隊」の描写。血反吐だけではなく、警官、特殊部隊にかんしても造詣がふかい様子。いわゆる「軍オタ」「ミリオタ」でなければ出てこない発想なのではないでしょうか。でも、いわんとしてることはわかる。

味方「デビルマンとその仲間たち」の迫力に対抗して、というか、味方と敵のパワーバランスを拮抗させるためには、敵役としての警官、特殊部隊の描写が弱すぎた。カッチリおさまらない。緊張感がない。しまらない。

その様子を作者はこう語る。

「変異を起こしたミーコに対して見とれてフラフラと歩き出すアホなノータリンのxxxxの
酔っ払いみたいな隊員も居るほどの間抜け振り」

うーん。これじゃ不満もつのるもの、かもしれません。たしかに、整然と並んだ、一糸みだれぬ連携プレーをみせる、よく訓練された特殊部隊の存在は、一流映画の緊張感を演出するために欠かせないものかもしれない。

作者の語り口調が熱をおびてきた。警官、特殊部隊、権力者側にくみするこれらの人々について、過剰なくらいの思いいれを語っている。

いわく、

「彼らが汗水を垂らし、血反吐を吐き、
この世の汚物や悪臭を夢に見るほどまで嗅ぎ、まともな人間扱いもされない教育の中で屈辱という屈辱を味わい、
手足の皮がズルムケになるほどの苦悩の働きをしてきたからこそ」

これは「デビルマン」のなかでのお話でしょうか。まさか、現実の国家公務員や自衛隊のお話ではないでしょ。

特に「まともな人間扱いもされない教育の中で屈辱という屈辱を味わい」この辺は、現実ばなれしているように感じる。それとも、作者はそのように現実をとらえているのか?

それはさておき、デビルマンのおそらく荒廃した世界観のなかで、異様な暴力(デビルマン)に立ち向かう特殊部隊がへなちょこじゃ腰くだけですわな。

作者の理想としては、おそろしい、無数の、統制された、「体制」にとりかこまれた「主人公の絶望的状況」を表現してほしかったようだ。

「ゴジラ」なんかだったら、そうは思わないかも。デビルマンはあくまで人間、不動明であると。特殊な力はもっていても、デビルマン側は、あくまで少数の(孤立した)人間たちにすぎないと。

作者の語り口調がますます熱をおびてきた。

「私が思うに、警察、特殊部隊、軍隊……この3つは作品で軽々しく扱うべきではない。」

僕なんかじゃとても思いつかないようなすごい持論きてますよ、これ。「間抜けな警察」なんて、じっさいにいそうなものだけど、作者は「この手の映画作品においては」絶対にあってはならない、と主張する。

デビルマンって、B級映画じゃないんですかね。よく知らない。もしかすると有名な映画なのか?最近のことはなにもしらない・・・。特に、漫画の映画化なんて、チープで当たり前、なのではないの?

すごいね、この批判は。

「下品な言い回しの多用、高圧的な態度、体育会系気質といったものは
あくまでも調味料にしかすぎない。」

これだけでも特殊部隊の演技としては、なかなかにこったものに思える。完全なB級ホラーなんかじゃお目にかかれないようにも。

しかし、作者はなんつっても「通」であるので、そのへんの目端がきいている。

さて、ここで、作者という先生から大切なことを学びましょう。ご教授してくださるようです。

以下引用。

「大切なのは基本的なちょっとした動作に気を配るだけでいい。


1.射線上に味方を配置して敵を包囲しない


2.小銃の銃口はローレディかハイレディのどちらでもいいので、絶対に味方のいる位置に向かせない。


3.敵から絶対に目を離さないように常に警戒を怠らない


4.小銃を携行する時のベルトは身体に密着、あるいはブラブラと揺れない範囲内で
  しっかりと固定させておく。(銃を落としたり、銃口が仲間に向かないようにする)


いやあ、もうわけわからん。

作者はたんなる映画マニアじゃない。完全な「ミリオタ」だ。趣味でエアガン・モデルガンの類を集めていそうだ。

月刊「GUN」とか、「アームズマガジン」。僕も子供の頃、そんな雑誌をきらきらした目で読んだ。東京マルイ。安価で安心のエアガンメーカー。

しかし、戦術のこととなるとさっぱりだな。「ローレディ」「ハイレディ」か。

僕のような無学なひとのために調べておくと、ローレディは「銃口を斜め下部に向けているポジション」で、ハイレディは「銃口を上に向けているポジション」だそうだ。

4つのポイントはあくまでも「おさえておくべき基本」に過ぎない。

なぜなら、「細かいことを言うのなら・・・」と、まだまだ、作者の銃にかんするうん蓄が続くからだ。

作品冒頭の

「ただいまんこ
明けましておめでとうございます
*。:.゚アケマシテヽ(´∀`)ノオメデトウ゚.:。」

とは、えらいテンションの違いだ。

ちぃ、おぼえた。「鉄オタとミリオタ(軍オタやガンオタなど、呼び名は様々で、それぞれに住み分けがあるという!)」を敵にまわしてはいけない。

作者の言いたいことを要約すると、細やかな気づかいが警察・特殊部隊の強大さを表現するために役立つ、ということだ。

作者自身、まだまだ勉強中でもあるらしい。少年老いやすく学なりがたし。道はけわしい。

引用。「「おい、文鳥。そんな偉そうなこと言ってるんやったら、実際にお手本見せて見ろや」」

作者の名前は「バーボンハイム」なのだけど、「文鳥」という名前が出てくる。「よくさえずる」という意味なのかな。その辺はバーボンハイムさんの作品に通じてる読者には、いわずもがな、わかることなのでしょう。

作者の特殊部隊にかんする意見はまだ続く。隊員たちの顔にまで言及する。しかも「絶ッ対」という言葉まで出てくる。

たしかに、僕自身も「ベルトコンベアで成型されたチキンナゲットのような、アニメの背景の魚の切り身」のふぬけっぷりを批判したことがあるので、そういうこだわりに近いのだろう。

汝、なによりも生きてあれ、だ。

作者の言うとおりの軍隊がえがかれたなら、噛みごたえのある映画が出来そうにも思う。ディティールだ。

しかし、不思議なことは、こういうマニアのひとがじっさいに映画をつくらないことだ。ある作品を批判するマニアのひとはたくさんいる。ゲームなり、なんなり。「俺だったらこうする!」という。

しかし、現実はそのようにならない。批判者は批判者にとどまり、創作者は創作者にとどまる。

むずいね。

特殊部隊にかんする作者の言説がようやくひと段落すぎた。すると、今度は暴徒にかんするうん蓄がはじまってしまう。

引用。「次に何より大切なのが暴徒である。
この暴徒は時に警察・特殊部隊・軍隊をも凌ぐ脅威となる。


「ブラックホークダウン」や「ザ・レイド」を見ればわかりやすいそうだ。

調べておきましょう。

「ブラックホークダウン」。ヘリが落ちるやつでしょう?それだけ知ってる。

ウィキペディアいわく、実際にソマリアでおこった壮烈な「モガディシュの戦闘」(米軍を中心とする多国籍軍とゲリラの市街戦)を描いている云々。

「ザ・レイド」

ウィキペディアいわく、強制捜査に入ったSWAT部隊と、迎え撃つギャングたちとの戦いを描く云々。

最初、作者はB級ホラーが好きそうだと勝手に判断したけれど、戦争・抗争映画も好物のようだ。

さて、ここで文芸的な比ゆがもちいられる「暴徒は、土石流のような物量で、ときに警察・特殊部隊・軍隊を圧倒する」ドバドバドバ。

文学的とは言いがたい文章がつづいていたので、すこし小休止。

しかぁし、まだまだ続くぞ暴徒にかんする描写。

作者が列挙する暴徒が使用する武器。「銃、ナイフ、包丁、斧、日本刀、マチェーテ、青龍刀、バール、酒瓶、バット、棍棒、鉄パイプ」頭がくらくらしてきた。頭のなかに暴徒がおしよせてきそうだ。サヤカさんカムバック。

「まるで千手観音の乱舞が如き攻撃力を誇る。」

良いイメージだ。まるで多種多様なかたちのガラスの欠片をいっぱいに詰めた津波のようだ。

「さらに恐ろしいのが・・・」

もっとすごくなるのか、暴徒。もう勘弁してくれと言いたい。投石までくわわって痛い。

作者が論じる映画「デビルマン」のおそまつさは、警察・特殊部隊・軍隊、そして暴徒の描き方だ。たぶん、この作者だからこういう発想になる。ほかのひとがここまでのこだわりをもつことは稀だろう。

ラスボス。飛鳥了。その前座としての暴徒。これは「正解」だとバーボンハイム先生(作家という意味ではなく、暴徒評論家として)は言っている。

「だが、」

つかの間みえた正解の光はまたたくまにかきけされる。とにかく暴徒の描き方が気になるのだ!

まったく関係ないが、暴徒を描いた映画で思い出したのは、インド映画の「ボンベイ」だな。これは作者も観ていないだろう。僕がいちじきインド映画にはまったときにみたものだから。あんまり流通してなさそう。あの暴徒はなかなかよかった。

思い出したら涙ぐみそうになるね。あれは、よかったよ。イスラム教徒とヒンドゥー教徒のあいだで、憎しみあいの連鎖となるんだ。誰が悪いとかじゃない。そこで引き裂かれる家族たち。「もうやめろ!俺たちはおなじインド人じゃないか!」

それとはうってかわって、デビルマンは「素材が持つアドバンテージをまったく生かさない。」いろいろ矛盾だらけらしい。そこに作者の容赦ない突っ込みがはいる。手加減なし。「漫画の映画化だから・・・」など配慮なし。とまらない。映画愛。

作者はふたたび、ブラックホークダウンとザ・レイドを引き合いにだし、デビルマンと対比させる。

「AK-47」は僕でも知っている。有名なカラシニコフだ。安くて頑丈な突撃銃。しかし「マチェーテ」というのは知らないな。ふたたび、僕のような無学の・・・

調べてみると、マチェーテというタイトルの映画が出てくる。しかし、文脈的に、映画のことではないだろう。「マチェテ」中南米の現地人が使う山刀のスペイン語による呼称である。・・・この種の刃物は世界的に分布し、その呼び名もまちまちであるが・・・云々。

なるほどね。

いや、だからどうということはないが。暴徒に関する描写を再開しますか。

引用「さっきクリーニング屋さんでアイロンかけたのを着てきましたみたいなのがバレバレなんだ。
運転手さん、アンタ暴徒化したんだったら・・・」

そりゃあ、そうだ。特に「目つきが逝ってない」ことが物足りない、と作者は感じる。ふたたびザ・レイドを引き合いに出す。「完全に目がトンぢまってて、ゾッとするの。」

うーん。暴徒のような端役にそういう演技力を求めるのは難しいかもしれない。ものすごくこだわりをもった監督が「ちがう!お前ら!もっと狂え!馬鹿野郎!!いっぺん真冬に裸で滝あびてこい!」とか叱咤激励して、そういう感じで、なんとかなるのかな?

そこを監督が簡易席にすわって「うーん、じゃ、次」なんて言ってると、バーボンハイム先生(暴徒評論家)のいうような不自然な運転手ができあがるのですよ。

逆に聞いてみたいね、バーボンハイム先生(暴徒評論家)が監督なら、どうやって、端役の役者に「トンぢまった」演技をさせる?と。

まずトンぢまった役者を募集してオーディションするところから始めないとならないな。いやあ、バーボンハイム先生(トンぢまった目つき評論家)に実演してほしいものだ。

この辺の文章は吉野家コピペを思い出すな。おまえらなあ・・・と。本当の暴徒っていうのはもっと殺伐としているもんなんだよ、運転手、デーモン狩りどもはひっこんでろ、と。

作者はたびたび「そういうお前はどうなんだ」という読者からの突っ込みを気にしている。その返答は、「私もアサシーノスで研究はして実行したつもり」だ。

おや?おやおや?「アサシーノス」は映画のタイトルかと思っていたが、もしや、バーボンハイム先生の作品のタイトルか?だとしたら、まことに申し訳ない。

無学な・・・

はい、完全に作品です。本当にありがとうございました。まことに申し訳ない。これはひじょうに失礼だ。最新更新分だけを読んで推測を働かす、という手法を取っているけれど、だから、しょうがないのだけれど、いやあ、まいった。

皆さん、「アサシーノス」の19話には「警察・特殊部隊・軍隊」の模範的な描写がえがかれているらしいですよ。そのこだわりに感嘆しましょう。

僕にとって、作者は、最初、「日記をかいてるひと」だった。次いで、「B級映画マニア」になった。次いで、「ミリオタ」になった。次いで、「戦争・抗争映画マニア」になった。そして彼は・・・

「作家」になった。

まあたんなる映画マニアにしてはこだわりが強すぎると思いました(後だしジャンケン)。デビルマンについて、作者はいろいろと駄目だしを続けながらこの回は終わります。

「暴徒をただの村人Aとかモブぐらいにしか考えてない。」とある。うん。予算10億円はどこに消えたんだろうね。半分くらいは宣伝費か?

半分の半分はいろんなところでちょろまかされ、まあ、最終的に暴徒はAVの「汁男優」よろしく1000円くらいしかもらえなかったのかもしれない。そりゃやる気もでませんわ。「時給1000円だけど弁当つくよ。」とか言われて。一応映画出れるから、はりきってアイロンかけちゃったの。運転手。

ああ、これ、やっぱりヒロインの生首が飛ぶ原作のやつですね。ん?「豊田商事の犯人みたいに」?無学な・・・調べましょう。

悪徳商法で有名な豊田商事の社長を、詐欺の被害者の誰かがぶっ殺した事件らしいです。「アルミサッシを蹴破り、窓ガラスを割って侵入・・・」とある。

作者は、そんな風にやってほしかった、と言っている。他にも、細かいリアリティを保障するディティールに言及している。「幾らでも表現できるじゃない。」とまで言っている。

この辺り、「アサシーノス」という作品を書いてしまっているばかりに、なかなか勇気のある発言だ。かといって、アサシーノスのアラをさがしてはいけない。

思うことと、やることとは別物だ。大事なことは、この作者がつよいこだわりをもって映画を鑑賞した、そのことだ。そこを褒めよう。そこに驚こう。



『作品感想』


「美味しいシチュエーション」を多分にもちながら、それを生かせなかったデビルマン。

しかし、なんだかんだいって、「この人、本当に映画(及びその他の作品群、及び、警察・特殊部隊・軍隊、暴徒)が好きなんだなぁ」と感じさせる評論日記でした。

「美味しくないシチュエーション」をいかに美味しく料理するか、その魔法に興味をうばわれる僕とは、けっこう間逆の立場でしたね。

機会があったらアサシーノスの19話の感想を書きましょう。