Neetel Inside 文芸新都
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番外編 カリ暮らしのアダルッティ

※この話にはエッティな要素も含まれますのでご注意ください。
 また、不快な下ネタや犯罪行為なども描写されますのでイヤな人は飛ばしてください



神様、私はここで懺悔することがあります。
墓に持って行こうと思ったけど時効だしいいよね?



……





思春期、男子校、祖母の家。
ここで1つの疑問が生まれるのではないだろうか。
そう、性欲の解消をどうするかである。
15歳から18歳という思春期まっさかりの、抑えきれない性欲は、
夏休み寸前には爆発寸前にまで膨れあがっていた。





恥ずかしながら、私が自慰行為というものを知り、はじめて及んだのは高1の夏だった。
すでに童貞や処女を喪失している同級生がいる中でだいぶ遅れていたと自分でも思う。
理由はいくつかあった。


1つは、家族間で下ネタや性的な話など一切しなかったことだ。
なぜか家族の間では性的な話がタブー視されていたというか、誰も口にしなかった。
インターネットもないし、父親はそういう雑誌を子供の目の届かないところに巧妙に隠していた。
私が日常的に触れるエロといえば少年漫画のたまにあるエロいシーンぐらいだ。
アダルトコミックなど見たこともない。

ただ、体が大きくスポーツが得意だった私は、人一倍性欲は活発だったとは思う。
小学校の高学年ぐらいから、異性の体にはとても興味があった。
見ていてムラムラする。
同級生の女の子の体操着を見ておっぱいを揉みたいと思ったし、
当時はブルマだったので、ブルマからはみ出る下着を
永遠に眺めていたいと思った。

そんな欲求を解消させる方法を一切知らなかった。


もう1つの理由はやはり家族絡みなのだが、父親である。
バラエティー番組を見ればくだらないと文句を言い、
ドラえもんの秘密道具などばからしい、現実を見ろ。
それが父の口癖だった。
小学生当時、父親を尊敬していた私はその言葉を真に受けていた。


俗物的な欲望に染まるなんてくだらない。
男は硬派でなくてはならない。
バラエティーや流行の歌なんて、おっかけるのはくだらないことだ。


当時の私は本気でこう思っていた。
小学6年生で、友人達とカラオケに行ったとき、
1人だけ皆が歌っている歌がまったくわからず、
「およげたいやきくん」や「北風小僧の寒太郎」と、
小さい頃NHKで聞いた事がある歌しか歌えなかった。

友達は2度と私をカラオケには誘わなかった。





……だから歪んだのだろう。
もっとも言い訳にしかならないが。
レベルの足りない遊び人が賢者のように振る舞うなんて無理だったのだ。
歪んだ私の欲望は小学生当時、とある犯罪行為として現れたのだ。




小学校。母親がまだ比較的まともだった頃の話だ。
母親は健康のために、週一で夜に開かれるバドミントンに参加していた。
その場所は、私が当時通っていた小学校の体育館だった。


私はそこで、同じように母親に連れられた子供達とカードゲームをしたり、
卓球をしたり、バスケットをして遊んでいた。
だがふとある日、私以外に誰も来ていなかったことがあった。
1人で数時間も遊ぶのはつまらないものだ。
バスケットのシュートや卓球の壁打ちで時間を潰したが、さすがに飽きてきた。

私は男子トイレで用を足した。
時間はすでに夜。周囲は真っ暗である。
コートとトイレなどがある脇の通路は隔たれ、音もろくに聞こえてこない。
トイレから出た私は、ふとその部屋の前で足を止めた。

女子更衣室である。
女子バスケ部はかわいい女の子が多く、私が気になっていたクラスメイトもいた。
そんなクラスメイト達の私物が、この部屋にはあるのだ。
倫理やモラルはさておき、一部のおっさんにとって小学生女子の私物が保存してある部屋など
まさに理想郷、桃源郷、ワンピースと言えるのではないか?

当時の私はおっさんではない、ショタである。
だが、クラスの女子の私物があると知れば興奮するほどには変態で、正常な男子の反応と言えよう。


現在、私を見ている者はおらず母親達がトイレ以外でこちらに来ることはない。
人が通る確率はかなり低いのだ。
夜の体育館に忘れ物を取りにくる小学生なんていないだろう。

ここで鍵が閉まっていれば引き返したかもしれない。
だが当時の田舎の学校の体育館の防犯レベルは、変態小学生の存在をまったく考慮していなかった。


その時、悪魔が囁いた。
そして悪魔の囁きに私は耳を傾けた。

物音を立てずに中に侵入すると、好きだった子のロッカーを漁った。
彼女の練習着があった。夕方の部活からまだ時間が立っていないせいか、
少し湿っていた。
誰も邪魔はいない。
私は自分の歪んだ欲望に身を任せ、顔に近づけて、思いっきり息を吸った。

……汗臭い。
女の子は甘い匂いがするなんて幻想だ。
女だろうが男だろうが汗は変わらない。
匂いは想像とはだいぶ違うものだった。

だが、これが彼女の匂いかと思うと興奮した。
思う存分堪能した後に、他の女子の私物にも手を伸ばした。
靴下やブルマがあった。匂いを嗅いだり、股間に押しつけたりもした。
持ち帰ったりはしていない。そんな度胸は私にはない。
今日私物がなくなれば、真っ先に疑われるのは私である。
その程度の理性は働いていた。

以来、母親のバドミントンについていくたび、私は女子更衣室に侵入して
歪んだ欲望をぶつけていた。

この時、すでに私は精通していたと思う。
夢精をしたこともあった。
だが肝心の自慰行為の仕方が、私にはわからなかったのだ。
女子更衣室に忍び込む背徳感、好きな女の子の私物を漁る快感。
それは私にかつてない興奮をもたらした。だがそこまでだった。
そこからどうすればいいのかが私にはわからない。

クラスの女子とエッチな事をする妄想は毎晩のようにしていた。
中学でもそうだった。だが、それは想像の域を出ない。
当時、ネットもない、アダルトビデオを見たこともない私は、
射精をする、という事がよくわからなかった。
夢精以外の射精を知らないまま、ついに高校生になった。


高校生になってからは、小遣いを毎月5000円もらえるようになった。
たいていは気になったラノベや漫画、デッサンの描き方など漫画の専門書に使われた。

だが夏休み、本屋で目にした1冊のグラビア誌に目が釘付けになった。
そのグラビア女性に目が釘付けになった。
純粋そうな黒髪、爽やかな笑顔。なにの胸は大きくはちきれんばかりの白い水着が劣情をそそる。
その興奮は、私に取って耐えがたいものになっていた。

私はそのグラビア誌を購入し、部屋に籠もると、鍵をかけ、ベッドに腰掛け、
膝の上で買ってきたグラビア誌をめくった。

目当てのグラドルのページで、自分のイチモツに手をかけてこすった。
得も言われぬ快感が襲ってくる。そこで私はふと思った。
このままこすり続けたらどうなってしまうのだろうかと。

快感が増していく。
何も考えられなくなるほどぼーっとして、
体が痙攣したかと思うと、股間が熱と痺れで麻痺し、何かが飛び出した。

それが、私に取っての初めての自慰行為だった。
雑誌はダメになった。
以来、私は定期的に自慰をするようになり、
そしてそれまでの歪んだ欲望はなりを潜めたのだった。






反省しています。
すみませんすみません。
その節は大変ご迷惑をおかけしましたと共に
お世話になりました。







       

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Neetsha