Neetel Inside 文芸新都
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03まるでダメな母親



「あなたの奥さんを私にください」


デジャブである。
なんとも奇妙な体験であった。

数日前とまったく違うおっさんが現れて、母をくれと父に頭を下げている。
時間が巻き戻ったとかそういうわけではない。
母は2人の男と浮気をしていたのだ。

ところがこれ、後で聞いた話だが単純な3股ではなかった。
ちょっとややこしい。

仮にこの2人目の男を2代目まだおとしよう。
2代目まだおは、弟がやっている少年野球を通して知り合ったらしい。
2人でお茶を飲んだりしているうちに、やがていけない関係に……とのこと。
だがこの男、周囲の評判があまりよくなかった。

どうやら息子の少年野球を出会い系サイトか何かと勘違いしていたらしい。
そこで出会った気に入ったママを見つけては口説いて食べ……というのを繰り返していたようで、
周囲ではタチの悪い男として有名だったそうだ。
母親は初代まだおと付き合っていたとき、この男に口説かれ惹かれたらしい。
初代まだおをあっさり捨てて、2代目まだおに乗り換えたのだそうだ。


結婚の約束までした初代まだおとしては、突然横から出てきた軽い男に自分の女をかっ攫われたのだ。
それで、思い切った行動に出たというわけだ。
よくも悪くも一途で不器用な男だったのだろう。
初代まだおは母と結婚するために自分の家庭も捨てたそうなので、彼にしてみれば立つ瀬が無い。



だがもっと立つ瀬のない人物がここにいた。
私の父である。

2人の男が自分の母を取り合い浮気していた事を、父は何も知らなかった。
完全に門外漢だった。

2代目まだおが尋ねてきたとき、父はどういうことだと母に問い詰めた。
母は何も言わず、2代目まだおと姿をくらまし、数日間音信不通になっていた。


弟はどうか知らないが、私はようやくここにきて思い当たった。
合点がいった、と言っていい。
推理モノで言うなら、バラバラな謎が1つにつながっていくあの感覚である。
つじつまがあった、というべきか。
兆候はあったのだ。
ただ、私がそこから目を背けていただけで。




母は日中は仕事に出かけていて、午後5時頃帰宅する。
ところが、私が中学に入った辺りから、母は帰宅してから夜10時過ぎまでずっと、
誰かと電話しているようになったのだ。

毎日毎日、1日も欠かさずにである。
不真面目に誠実である。
ご飯も冷凍食品が多くなった。
味噌汁だけは作るのだが、素材がだんだん少なくなっていった。

出された味噌汁の具が生だった事が1度あって、私が盛大にキレた。
以降、母は味噌汁だけは真面目に作るようになった。



私の母はメシマズである。
カレーライスを作るのに、昨日残った味噌汁や煮付けにカレーのルーを煮込んだだけの
ものなどを作った。
逆に煮付けに味噌を足して水で沸騰させ、味噌汁だと出した事もあった。
もはや料理に対する冒涜である。
料理などと言うのもおこがましいし、主婦などと名乗るものなら(笑)をつけてほしい。
だが、これに関しては一概に母だけを責めるのも筋違いなのだ。


当時、どうしてそうなったのかわからないが私と弟がものすごい偏食家だったのだ。
緑黄色野菜は一切食べない。果物も食べない。
弟に至っては、インスタントラーメンのネギすら残す始末である。
肉、魚、穀類、お米、パン。
私達兄弟はそれしか食べない。他のものが出てきても残す。

どうしてそうなったのかはわからない。
今ではわりと直っている。
だが、料理を作る人間からすればこれほど作りがいのない相手もいないだろう。
あるいは母の作った料理がもっと美味しければそうはならなかったのかもしれないが、
これは卵が先かヒヨコが先かというやつだ。今さら言っても始まらない。
たぶん母は、途中で料理を作るのがばからしくなってしまったのだろう。
この点において、私は実に申し訳ないことをしたと思っている。
他にもう1つ、重大なやらかしがあるのだが、それはおいおい語る事とする。


私は母の作る料理で1番好きなものは餃子だった。
餃子は母は野菜を買ってきて、手で作る。
私も弟も何度も手伝った。
餃子だけは私も弟も美味しそうに食べるので、母も作りがいがあったのだろう。
頻繁に食卓に登場した。


その後に私が1人暮らしをするようになり、生活が落ち着いてきた頃、
ネットや本で調べて自分で手作り餃子を作った。
はじめて自分で作った餃子を食べて一口、私はショックを受けた。

明らかに母の作ったものより美味しかったのである。
やはり母はメシマズだったのだなと思うと同時に、この時から私には、
お袋の味というのは祖母の料理となった。








       

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