Neetel Inside 文芸新都
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04 まるでダメな母親2

母が行方をくらまして1週間が経とうとしていた。
父の負担はかなり大きなものになっていた。
弟と私の料理を作り、掃除洗濯全てを父がやっていた。
もちろん仕事は休んでいない。
休日は祖母が来てやってくれていた。

とにかく、母親が音信不通というこの一大事を残された家族は力を合わせて乗り切ろうとしていたのである。
私も弟も協力した。せざるを得なかった。
家族が結束した瞬間であった。
そして1週間もした頃、学校から帰ると、家に母がいた。
私はシカトして部屋に籠もった。

母親の顔も見たくなかった。話す気にもなれなかった。
母親が何を言おうと、母が1度は家族を捨てようとしたのは事実である。
母親としての責任を放棄しようとしたのは覆しようがないのだ。

あの女は、私と弟より男を選んだ。
あの女、と私はたしかに母の事を心の中でそう呼んだ。


部屋の中に籠もっていると、ふつふつと怒りが沸いてきた。
私は中学3年、受験生である。
受験勉強の最中だ。
その只中にこんな問題を起こして何を考えている。
ショックで高校入試に落ちたらどうしてくれるんだ。
人の都合を考えない母の馬鹿さ加減に心底呆れていた。

弟は、私より少しだけ母に対して優しかった。
小学生の弟は母が何をしたのか、まだ実感がなかったのかもしれない。
何か話をするのが聞こえた。
だが私は、父が帰宅するまで、リビングに降りていくことはなかった。





父に呼ばれ、1階に降りた。
そこには母方の祖母と祖父もいた。
母もいた。

私は、母親を見た瞬間に抑えきれなくなった。

「この裏切り者!」

私は叫んだ。
今まで、母と喧嘩をしたことなんてなかったし、
こんな口汚い言葉を親に向けるのもはじめてだった。
だがとまらなかった。

部屋の中に籠もっていた私は、母に帯する怒りがふつふつと沸き、
いかに復讐してやろうかという考えに染まっていた。
勉強どころか他のものに一切手がつかなかった。
だがこの一点だけは、考えれば考えるほどにどんんどん深みにはまっていく。

どうすれば母の心により深く傷を残す事ができるか。
私はずっと考えていたのである。そして答え合わせの時間というわけだ。

「家を捨てたクセに、どのツラ下げて戻ってきたんだよ!ああ!?」
「今さら母親面をするなよ! 男を選んだんだろ! なんでここにいるんだよ!」

1週間、音信不通で子供を捨てて男と出て行った母だ。
私は母を傷つけたかった。
復讐したいと思った。泣けばいいと思った。
だが、母は表情を変えず、何も言い返さなかった。

弟も父も、祖母も祖父も、誰も私の言葉を遮ろうとはしなかった。
反応しない母。私は、これ以上の言葉を失った。


「なあ2人とも、ちょっと部屋に戻っていてくれるか?」

弟と私は部屋に戻ることになった。
大人の話し合いの時間、というやつらしい。
私が聞いても何もできないだろうし、弟も私も部屋に戻った。
私は受験勉強をしようと机に座ったが、まったく手につかず、
趣味だった絵を描こうとしたがやはりそれも手につかなかった。

ただ、心のうちにあるのはショックだった。
自分の母親に対して向けていい言葉だったのかと、私は悩んだ。
だが裏切ったのは母親、当然だという気持ちもある。
私はどうしたいのかわからなくなった。


やがて、日付が変わる時刻になる頃、私はお腹が減ったので食べ物を取りに下に降りた。
そこには母と父がいた。母は無言で私にホットミルクを入れてくれた。
私はそれを飲んだ。

やがて、父が言った。

「離婚することになった。どっちにつくか考えておきなさい」


深夜のリビング。祖父母はとっくに帰ったらしい。父と母と私。
私は子供の頃の事を思い出して居た。

「笑ゥせぇるすまん」をご存じだろうか?
藤子不二雄Aの描いたあの漫画である。
伊東四朗主演で実写化したり、リメイクしたりした。

私が5歳ぐらいの時だろうか。
私が夜にふとトイレに起きると、父と母がリビングで談笑していた。
母が私にホットミルクを入れてくれた。
その間にテレビを付けてチャンネルを回すと「笑ゥせぇるすまん」が放映されていた。
おそらく5歳の子供では、アニメの内容についてまったく理解できていなかったと思う。
ただ、夜中にこうしてアニメを見るというのが、とても新鮮で、
あの時の父と母の優しい様子は今でもよく覚えている。



私は、この冷え切ったリビングであの時の事を思い出していた。
ホットミルクを飲みながら、気づいたら泣いてしまっていた。

「2人が離婚するなんていやだ……」
「どっちとも、別れたくない……いやだ」

この時、私は泣きすぎて過呼吸になった。
手足が痺れるというのを生まれて初めて体験した。
父と母は私の背中や手足を、2人でさすっていた。

「ごめんね、ダメなお母さんでごめんね……」

そう言って母は泣いた。
私の口汚い罵りでも表情1つ変えなかった母親がである。
母はこの時になってようやく、自分のしたことの重大さを、実感したのだろう。

「ごめんね……」

気づいたら私が母を慰める立場になっていた。
なんてことはない。
子供の浅知恵で思いついた悪口より、
子供の涙と優しい言葉の方が、母にとっては痛かったのだ。

しばらくして顔をあげて、母親は私に言った。

「お母さん、がんばるから」




それから数日。
父と母が離婚を思いとどまったことを知った。
母が父に頭を下げ、父も許したらしい。
ひとまずは一件落着かに思われた。



だが、本当に私の家族が崩壊していくのはここからなのだと、
この時の私はまだ知らなかった。

       

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