Neetel Inside 文芸新都
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05 まるでダメな父親


再び家に戻ってきた母は、見違えるようだった。
あれほど長時間行っていた長電話をしない。
子供にもよく構うようになった。
前よりも笑顔を見せる事も多くなった。
もっとも料理の腕は相変わらずだった。


母が失った時間を取り戻そうとしているのは、子供ながらに伝わってきた。
受験勉強をしていれば、夜10時頃にコーヒーとトーストを差し入れてくれた。
そして私が勉強しているのを見て自分はリビングに戻っていく。
あの時母に向けた憎悪の感情は薄れつつあった。
吐き出した事で霧散したのかもしれない。

私が志望校に合格すると、母は涙を流して喜んでくれた。
そして私を抱きしめた。
母が戻ってきたからおよそ数ヶ月、私自身も気づかされる事があった。

今だから思うに、母は子供の愛情に飢えていたのではないだろうか。
一人暮らしをし始めたからこそわかる。
家事炊事、子供の送り迎え、保護者の付き合い、家計のやりくり。
それらは決して楽な事ではない。
生まれた時から母がそうしていたので、私もそれが当然だと思い込んでいたのではないか。

少なくとも、1度でいいから感謝の言葉を贈ることがあったのなら、
母はあのような事をせずにすんだのではないか。
そう思う事がある。


そんなこんなで、過ちはあったものの、
家庭に温かさが戻りつつあった。
私は家族が再び元に戻る可能性を見いだしていた。
だがそうはならなかった。

原因は父である。
父は、母を家に戻ることを許可したものの、
決して母を許そうとしなかった。

何かにつけて母にその時の事を蒸し返し、
お前は最低な女だと罵った。

「お前は母親だから許せるんだろう。
 けど、父さんは許せないよ。裏切った女が家にいるのが腹が立って仕方ない」


2人きりでドライブに出かけたとき、父は私にそう言った事がある。
早い話、父は私があの時泣いて離婚を止めるのを見て、
子供にはまだ母親が必要だと思ったのだ。
だがその時点で、父にとって母はもう、自分の人生に要らない人間になってしまっていたのだ。

そんな父から数ヶ月ねちねちと嫌がらせを受けて、母はよく耐えていた。
だが、ある日限界が来た。
キッチンから皿の割れる音と、父母の怒鳴り声が聞こえて来た。
その前にも色々と予兆はあったので、私は来るべき時が来たのだと思った。



2人は離婚を決意した。
私も、もう反対はしなかった。



私と弟は父の扶養に入る事となった。
おそらく慰謝料を取らない代わりに父が母に出した条件なのだろう。
それに、育ち盛りの子供2人は、とても母のパート代だけではやっていけなかった。
父は有名企業の社員だ。少なくとも進学や生活で困る事はない。
そういう意図もあってのことだったと思う。




母はしょっちゅう家に来た。
そのたびに父の機嫌が悪くなるが、それでも会いに来た。
特に、私より弟の方に会いたかったのだろう。

弟は母に私より懐いていたし、その時は私も父が正しいと思っていた。
何か事情があったにせよ、裏切ったのは母の方なのだ。
1度子供を捨てようとしたのは母だ。
父は正しい。
だが私は、この時母側からの言い分という物をまったく聞いていなかった。
母は間違っている……が、間違いを犯したのには原因がある。
それを知るのは、私が高校に入ってからだった。






高校時代、私は母方の祖母の家で世話になった。
理由は高校が近いからである。
高校までは祖母の家から自転車で30分の距離にある。
父の家から通うとなると、倍以上の時間がかかる。
高校に合格したら祖母の家から通う事になるのは、
母の浮気が発覚する前から決めていたことだった。

私は小さい頃から母方のおばあちゃん子だったこともあり、
祖母も祖父もとても良くしてくれた。
だがある日、そんな祖母の口からこんな言葉を聞いた。

「お前の母さんが浮気した原因は、父親にもあるんだからね」

祖母が言うには、父親は私と弟が小さかった頃、
まったく家事を手伝わず、休日もパチンコや競馬三昧だったらしい。
さらに性格が子供っぽく、モラルに欠けた発言をする事も多かったのだそうだ。

子供っぽい、わかる。思い当たる。
小学校低学年の頃、父と雪合戦をしたとき、
雪玉を本気で顔にぶつけられて泣かされたのは今でも覚えている。
父はすぐムキになるのだ。


加えて休日といえば、ギャンブルに行くか競馬をするか、寝ているかしかない。
子供心によく寝る人だと思っていた。
仕事で疲れているんだろうとも。
もっとも、毎日育児と家事をこなしていた母親も疲れているのだ。
母親が当たり前のようにこなしているし、一切愚痴を言わない人だから
それに気づかなかった。

母は365日休むことなく、家族から感謝の言葉すらもらうことはない。
父はギャンブルをし、子供と遊びたいときに遊び、疲れたら寝る。
その間に母親は家事をしている。
思えば、私や弟が風邪を引いて寝込んでいたときに看病するのは母ばかりで、
父が部屋に入ってきた事は記憶には無い。

おまけに父は家族を連れて出かけると言えば自分の実家に帰るぐらいだ。
正月もお盆も、私の家族は父の実家で過ごした。
動物園や遊園地程度には行った事があるが、家族でどこかに泊まりに行った事など、
1度あったかないかだ。
ストレスが確実に母を蝕んでいたのだろう。


早い話、私にとって父はいい父親ではあったが。
母にとってはいい夫でも、いい男でもなかった。
それが、母の浮気の原因につながっているのだろう。


なぜ私が高校に入るまでに父のそのような実態を知らなかったか。
母は子供に父親の悪口を言うものではないと思ってあえて聞かせないようにしていたらしい。

高校に入り祖母の家に父が来ると、祖母と父はよく喧嘩するようになった。
祖母は人一倍思い込みが激しいし、身内には優しい人だった。
母からそういう話を聞いて、きっと父が許せなくなったのだろう。
私は、もう家族が喧嘩をするのを見たくはなかったので、高校を卒業する前に祖母の家を出て、
自分の実家に帰った。

家族というものが3年でずいぶん変化してしまったものの、
私の高校時代の家庭事情はそんな感じである。
だがこの頃から、私はまるでだめになるクズ要素の一片を
垣間見せつつあったのだと、今にして思う。

       

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